昔の山行き記録

記録が残っているものだけを整理してみました。

もともと人付き合いが下手で、くそまじめな私が山を歩き始めたのは16歳の頃だった。
四日市市に住んでいたことからアプローチは短く、良い環境だったと言える。
とは言え、湯の山線(当時は三重交通経営で「マッチ箱電車」と呼ばれる超狭軌だった。)に乗り、
朝明方面に行くときは、菰野で下りてバスに乗り換えた。=途中の急勾配では降りて後押し=
湯の山方面は終点まで行き、バスに乗るか歩いて湯の山温泉経由と、自分の足だけが頼りの時代であった。

山に関する知識と言えば、本の題名は忘れたが「歩幅の取り方/虫よけの方法/救急処置法 等々」が書かれた豆本がベースとなった。
あとは自分の経験と、山で出会う諸先輩や学生山岳部(この頃は多かった)の行動や装備から学び取ってきた。

いつも背負っていくナップサックに常時入っていた物は
<救急薬品セット,9mmの綿ロープ5m,乾パン2袋,ナイロンの風呂敷,新聞紙約5枚,アノラック,呼び子笛>
だから、出掛けるときは「梅干しおにぎり」「飲料水用ポリタンク」「タオル2枚」を補充すればOK!

足下は、運動靴 → ゴム引き布のキャラバンシューズ → お年玉を貯めて買った革の登山靴 → ゴム長と変化した。
ズボンやシャツは着古しの通学着そのもので、ズボンは裾の方を自分で細く縫い直してはいた。
靴下だけは純毛の物を無理して買い込んだ。

まあ、何れにしても今では考えられない格好で、大きな顔をして歩いていたものだ。
しかも、1970年頃までの体格は、体重43キロ/身長165センチだった。

行き先 同行者 天候・コース・時間・状況 等
1961 4 3 鎌ヶ岳-御在所 川村・芝田・芝田父 曇りのち雨/山頂は霧 湯の山温泉(発9:00)-三ツ口-鎌(着11:20 発11:50)-武平峠-御在所(着? 発15:25)-表道-湯の山温泉(着16:00)
1961 8 20 鎌ヶ岳-御在所 なし 曇りのち雨/山頂は霧 湯の山温泉(発9:00)-三ツ口-鎌(着10:45 発11:00)-武平峠-御在所(着11:55 発?)-裏道-湯の山温泉(着14:00)
1962 3 18 鎌ヶ岳-御在所 川村・松下 晴れ 御在所ユースホステルで自炊一泊 宮妻-カズラ谷-鎌-武平峠-御在所(泊)-表道-湯の山温泉 スキーをして楽しんだ。雪は40〜50cm融け始め。 同行者下りで足をくじいた。
1962 4 29 御在所 なし 晴のち強風 本来の予定は雨乞岳 湯の山温泉(発8:15)-武平峠(着9:20 発9:35)-御在所(着10:30 発11:00)-湯の山温泉(着12:00) あまりの強風で武平峠で計画変更 山ツツジが咲き、ウグイスが鳴いていた。
1962 5 13 釈迦ヶ岳 渡辺 松尾尾根取付(11:10)-昼食休憩(12:30-12:45)-釈迦(着・発13:05)-羽鳥峰(着14:35 発15:00)-ヒュッテ(着15:35) 倒木多し、頭を打ちそうになる。 ウグイスがたくさん鳴いていた。
1962 8 7 羽鳥峰〜御在所 なし 晴れ 微風 朝明ヒュッテ(発10:15)-羽鳥峰(着11:00 発11:20)-根の平峠(着10:20 発12:45)-御在所(着14:20発?)-表道下山 水晶岳付近よりパノラマ写真を撮る
1962 9 9 鎌尾根〜鎌ヶ岳 なし 晴れ 弱風 宮妻口(発8:30)-登山口(9:30)-水沢峠(着10:25 発10:35)-最西端(着11:25 発11:40)-鎌ヶ岳(着12:15)-下山コース? 鎌尾根の難所略図あり
1962 9 23 入道ヶ岳〜イワクラ尾根 中村 曇り 微風 頂上24℃ 水沢バス停(発8:30)-椿神社(着9:15 発9:20)-北の頭(着10:40 発11:00)-頂上(着11:20 発13:05)-休憩多し-水沢峠(着15:00 発15:20)-宮妻口(着16:45) イワクラ尾根の途中「松の木谷」に下りて水を補給
1962 11 11 雲母峰〜鎌ヶ岳 (偶然) 辻・森川 快晴 微風 雲母山頂18.5℃ 宮妻口(発9:00)-ルート?-雲母峰(着11:15 発11:45)-尾根道-鎌ヶ岳(着13:40)-長石谷で下山
1962 11 23 鎌ヶ岳〜御在所 なし 曇り 風速約5m 山頂0.7℃ 湯の山温泉(発8:57)-長石谷-鎌ヶ岳(着10:55 発11:45)-御在所(着13:25 発14:45)-表道-湯の山温泉(着15:10) 途中他の高校生仲間と交流,霜柱5cmあり。
1963 1 3 御在所 出合った女性2名 運動靴で中道を登ろうとしていた女性2名が危なっかしそうだったので、「本谷」を案内した。 本谷のコースの要点記述あり。 帰路は表道
1963 1 13 御在所 なし 曇りのち雪 湯の山線の電車のモーターが焼き付くトラブルがあって出発が遅れる。 湯の山温泉駅-(歩き35分)-温泉-(一ノ谷経由表道)-(2時間20分)-御在所スキー場 19時帰宅 無雪期に何度も歩いたコースにも拘わらず、一面の新雪に冬山の恐ろしさを痛感した。 アイゼンの機能の限界を知る。 山頂でスキーをして楽しむ。
1963 2 22 御在所 なし
1963 2 23 御在所 なし 快晴 風強し 御在所-武平峠-湯の山温泉 風が強く鎌ヶ岳へは断念
1963 4 7 藤原岳 会社の友人 小雨 聖宝寺道取付き(発10:00)-鞍部(11:30)-山小屋(着12:00発13:15)-山頂(着13:30発13:35)-(休憩30分)-聖宝寺(着15:50) 残雪の中、数人がスキーをしていた
1963 5 3 鎌ヶ岳〜鎌尾根〜宮妻 なし 快晴 湯の山温泉-長石谷-表道-三ッ口谷-(ガレ)-鎌ヶ岳(2時間10分)-鎌尾根-宮妻峡バス停(3時間10分) 途中、一部のみ四工山岳部/名大山岳部と同行
1963 6 14 釈迦ヶ岳〜猫〜羽鳥峰 なし 曇り時々晴れ 朝明庵座谷取付き-(4時間)-釈迦ヶ岳-猫岩-羽鳥峰-朝明 登りは道を間違えて1時間のロス。 松尾の頭付近の道標が南北逆になっていた。
1963 6 28 鎌ヶ岳 なし 曇りのち雨 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-長石谷-湯の山温泉 予定のコースは鎌から宮妻であったが、鎌の頂上でのんびりし過ぎたため計画変更した。 長石谷を下りながら詩?(メモ)をしていたら、三角の岩の斜面に足を掛けて滑り、右太股で天秤棒になり大怪我をしてしまった。 帰りのバスと電車の中では座れず、両手で吊革にぶら下がっていた。 完治スルのに約2ヶ月要した。
1963 8 13 映画鑑賞 なし 名古屋東宝「アイガー北壁に挑む」「魔の岸壁に挑む」目をみはった!
1963 9 29 砂山 会社の友人 宇賀渓-砂山-宇賀渓
1963 10 6 鎌ヶ岳〜鎌尾根〜宮妻 なし 晴れ時々曇り 湯の山温泉-(15分)-一ノ谷-三ッ口谷-(105分)-鎌ヶ岳-鎌尾根-(90分:30分休憩含む)-水沢峠-(70分:30分休憩)-宮妻バス停
1963 11 3 鎌ヶ岳〜御在所岳 川村 晴れ 風強し 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-御在所岳-表道-湯の山温泉 強風のため鎌尾根は中止。
1963 12 22 鎌ヶ岳 長谷川・鈴木 曇り時々晴れ 湯の山温泉-三ッ口谷(3時間)-鎌ヶ岳-カズラ谷(2時間)-宮妻 同行者不慣れなため時間を要す。 積雪は約10cm
1964 2 26 御在所岳 なし 晴れ スキーを担いで表道登山頂上でスキーを楽しむ 帰路はロープウエー使用。
1964 5 10 鎌ヶ岳 会社の友人 晴れ時々曇り 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-カズラ谷-宮妻 盲腸手術の1ヶ月後
1964 5 24 御在所岳 なし 曇りのち雷雨 朝明-中峠-尾根道-御在所-表道-湯の山温泉 帰りがけに雷雨に遭う。
1964 7 19 羽鳥峰 なし 雨のち曇り 雨のため、朝明-羽鳥峰-朝明
1964 7 26 鎌ヶ岳 なし 晴れ 湯の山温泉-長石谷-鎌ヶ岳-カズラ谷-宮妻 二人の登山者を案内:誰かに御在所への裏道だと教えられ、長石谷に入ってきたため。
1964 9 6 鎌ヶ岳 久保 快晴 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-長石谷 途中、6,7人の大学生?女性を案内 アルプスの山々がきれいに見えた。 首筋をひどく日焼けした。
1964 9 27 御在所岳 久保・その友人 雨 湯の山温泉-裏道-?-湯の山温泉
1964 10 4 鎌ヶ岳〜御在所岳 なし 曇り 湯の山温泉(発9:00)-鎌ヶ岳(着11:30発13:15)-御在所(着14:30)-表道-湯の山温泉 鎌の頂上はガスが立ちこめて防寒着無しでは居られなかった。
1964 11 14 鎌ヶ岳 なし 晴れ 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-長石尾根-湯の山温泉 登りで二人の女性を道案内
1964 11 20 御在所岳 なし 晴れ/ガス 湯の山温泉-長石谷-一ノ谷-表道-御在所-表道-湯の山温泉 ガスが巻いてくると、木々の幹にも小枝にも見事な霧氷(エビのしっぽ)が見る間に成長していく美しさに見とれた。
1965 2 7 伊吹山(スキー) 団体 吹雪 前日半泊まり
1965 3 17 赤倉(スキー) 団体 17,18日
1965 5 11 鎌ヶ岳 なし 雪・あられ・強風 湯の山温泉-長石谷-鎌ヶ岳-?-湯の山温泉 風は20mを超えそうな強風。 途中アイゼンを付けた。 気分爽快
1965 4 18 御在所岳 兄・姪 曇り 湯の山温泉-武平峠-御在所-?-湯の山温泉 登り約2時間
1965 7 18 鎌ヶ岳 雨のち曇り 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-?-湯の山温泉 久しぶりの山歩き活力をもらう。 (自動車教習所通いや、勤務の繁忙が多い時期)
1965 7 25 愛知川 柄山 他 晴れ 朝明-羽鳥峰-白滝谷-愛知川-?-?-朝明 雨の後の増水で渡渉困難箇所多し
1965 9 5 朝明(キャンプ) 数人
1965 9 26 鎌ヶ岳 なし 晴れ 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-長石尾根(犬星の滝付近)から長石谷へ-湯の山温泉 山道の研究不足に反省
1965 10 3 入道ヶ岳〜イワクラ尾根 藤本 椿神社−北尾根-(145分)-入道岳-イワクラ尾根-(120分)水沢峠-(120分:30分休憩)-宮妻
1966 8 27 朝明(キャンプ) 栗本他4人 晴れ 27日〜28日
1966 10 16 鎌ヶ岳 なし 晴れ 湯の山温泉(発9:30)-(休憩40分)-鎌ヶ岳(着12:15発14:40)-宮妻口(着16:30) 鎌ヶ岳の頂上で松阪から来た人にミカンやリンゴを戴いた。
1967 3 21 御在所岳〜国見岳 服部 湯の山温泉-中道-御在所岳-国見岳-裏道-湯の山温泉 国見岳からの下りで焼く時間ほど道に迷った
1967 12 24 八方尾根(スキー) 会社の友人 24日依る出発 28日夜帰着 24日からは猛吹雪 28日のみ晴天 一応、チャンピオンコース→兎平→リーゼンコース→名木山 は滑った
1969 1 11 函館山 会社の友人 夜行バスで11日発12日着 昼食中仲間のスキーやストックを盗まれた 別の人のをチグハグに組んで置いておいたのに。 蓬莱山の頂上から転んでアイスバーンを背中で滑り降りて、立木に激突し、向こうずねを打撲:傷跡は未だに消えない。 リフトは90円とか60円
1969 1 26 鎌ヶ岳 会社の友人 晴れ 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-??-湯の山温泉 ガレ手前の長石尾根から富士山が見えた
1969 1 29 かかと骨折 番外 会社の屋上約2mから飛び降り、着地が遅れた右足かかとの骨にひびが入った。 当分スキーも山もお預け状態
1969 3 9 死に損ない 番外
約3週間前に2万円で譲り受けた「スバル360」1万7千円掛けて全塗装 初めてのツーリングに出掛けた。 国道42号線をひた走り鬼ヶ城へと・・ 途中の矢ノ川峠の下りカーブを曲がりきれず、2回側転し続いて1回前転。 天井(金属ではなくて、圧縮木質:ハードボード)が抜けると大変と思い、バンザイをして支えた。 起き上がったときには腕で天井を突き破っていたのと。固定座席の背もたれがリクライニングが如くひん曲がっていた。(火事場のバカ力とはこのことか?) 腕にかすり傷を負ったのみで済んだが、ポケットの中身まで車中に散乱していた。 ハンドルが数センチせり出していたが、帰りに拾ってそのまま運転して四日市までたどり着いた。 車は5千円で買って貰った。
1969 4 20 鎌ヶ岳 会社の友人 岳峠から上は強風 湯の山温泉-長石谷-鎌ヶ岳-カズラ谷-宮妻 同行者に足の弱い人が居てスロ−ペース
1969 5 1 御在所岳 会社の友人 晴れ 湯の山温泉-表道-御在所岳-中道-裏道-湯の山温泉 中道下山中に1名が先行し、行方不明で北谷方面まで探しに出掛けたが見つからず。 結局は湯の山温泉にいた。
1969 5 9 羽鳥峰 会社の友人 晴れ 朝明-羽鳥峰-ヒロ沢-愛知川-大瀞-中峠-朝明 愛知川では木綿針を曲げてウインナーソーセージを餌に魚を釣って遊んだ。(このときはてっきりイワナだと思っていたが、実はアブラハエだった様だ。
1969 5 18 竜ヶ岳 会社の友人 雨上がりの五月晴れ 宇賀渓(発10:00)-裏道(ホタカ谷)-別れ滝(11:25)-尾根分岐(着12:15発12:40)-竜ヶ岳(着12:55発13:35)-石榑峠(14:20)-小峠(着14:35発16:00)-宇賀渓(16:50)
1969 8 腎臓結石 番外 どうも腰の辺りがウジウジと気分が悪い。マッサージをしても良くならない。 一週間位してから、出勤して間もなく背中に激痛が走りどの様な姿勢をとっても兎に角痛く、吐き気を催してゲロッ。 何が起きたのか全く分からず不安になる一方。 医者に飛び込んだが折悪しく医師は手術室に入るところで、痛いまま約3時間のたうち回った。 結局は腎臓(尿路)結石であることが分かり、「命には別状無い」と分かって一安心。 しかし、これは慢性化してしまい1981年まで苦しむことになった。 途中、1×2mm程度の石を摘出して貰ったが、藻屑みたいな物まで引っかかる。 医師曰く「尿管が非常に細く(退化している)普通の人なら何でもなく排せつされる物までがつまりの原因になる。」とのこと。 言われてみれば、一日中山歩きをしていても水は1Lも飲まなかったし、お茶も食事の後以外には飲まない生活習慣であった。 入院中は飲めないビールをベッドで一生懸命に飲もうとしたものだった。同室の別患者は飲み助でだが「痔」なのでアルコールは御法度。なんと神様の悪戯か!
腎臓結石が直ったのは「糖尿病」が発症したからだ。口が渇き、喋るのも困難なので仕事机にはいつも大きな湯飲みが置いてあり、ガブガブ飲み続け。当然の事ながらトイレにも足繁く通うのは当然である。
1969 10 10 鎌ヶ岳 会社の友人 湯の山温泉-三ッ口谷-鎌ヶ岳-武平峠-湯の山温泉 入院後の足慣らし
1969 10 19 結納の儀 番外
1970 1 25 舟山(スキー) 会社の友人 夜行日帰り どうにかパラレルが出来るようになった。
1970 2 4 赤倉(スキー) 会社の友人 4日夜出発−7日帰宅

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