若き頃の日記を見ていたら、所々にに書いてあった。
何となく自分の過去が未だに変化していないことを感じつつ
恥ずかしながらも・・・・・・
1963年(19歳) 山で死ぬことは ロマンチックな事だろうか。 そのような考えを持つ者を 山は決して歓迎しないだろう。 また、山を恐れず 「自分は決して山で命を落さない。」 と考えている人も同様だ。 我々は山に親しみを持ち、遊び、 登る度に生活の糧になる 何かを見出し学び、 そして身に付けなけねばならない。 それが山男のモットーだと思う。 |
1963年(19歳) 寂しがりやの山は 往々にして友を獲得する。 山が友を作るのか、我々が友となるのか? 今年も多くの人々が帰らぬ山の友となり、 大自然の中で永久に生活をすることになった。 山は毎年この友達を増やすのを喜んでいるだろうか? 山との付き合いは難しい。 しかし、それは我々の少しの不注意により容易になる。 山に人間の友は不要なのだ。 また、友となる人々があってはならないのだ。 山は一生寂しがりやのままで過ごすのが一番だ。 |
1963年(19歳) 雄大なる山にありて 小さき我が命 雄大な山に挑みて 我勝利を得る 山に向かう我、小さき身体 自然に溶け込み 自然に親しみ 山と話し、山に遊ぶ 山は大きい 私はいつも彼に抱かれる 彼の胸は 時には暖かく/時には冷たい 彼の涙は私を困らせる 私は話し掛ける…・ |
長石谷にて 1963年(19歳) 谷川の水はいつも石とぶつかり合い挨拶をし、 何かささやきを交わして下流へと向かっている。 彼等は、幾度も幾度も 数えることが出来ない程多くの石と出会い ささやきを交わしているのだ。 そのささやきは私にとっては優しく 時にはうるさく また時には恐ろしく感じられる。 今日の水音は非常に優しく 僕のいらだっている今の気分を慰めてくれる。 そして私はその音で気分をほぐし それを彼等が他の水と混ぜ合わせて、 どこか分からない遠くへ流し運び去ってくれる。 (長石谷を下る途中で、三角岩に足を滑らせて左太股に大怪我をして帰った。 山に出掛けるとき、母はいつも「気を付けてな!」と言って送り出してくれたが、この日に限ってそれが無かった。 何かの事前予告であったか?) |
ギターを片手に (一応は曲を付けました) 1964年(20歳) 人が山に登るのは そこに山があるからと言う けれど、僕は山と友達だからさ 母は山を恐れてる 山は厳しい世界だからだと けれど、僕は山と友達だからさ ときに山は寂しがり 永久の友を作りたがる けれど、僕はいつも友達だからさ もしも山がなかったら 今の僕は無いだろう やはり、僕は山と友達なのだ もしも山で死んだなら 他人は僕を笑うだろ けれど、僕は山と友達だからさ |
四季の山 1964年(20歳) 春の山は十八娘 頭の先からつま先まで 若葉と花で着飾って 若者達を待っている まるでフィアンセ捜すよに 夏の山はキチガイ息子 お天道さまが近づいて 雷様と喧嘩する 夕立までが加勢して まるで十七歳の反抗期 秋の山は新婚夫婦 二人の心は日本晴れ よくよく見れば紅葉が 頬を染めて寄り添って まるで今でも夏のよう 冬の山は持てない男 心の中を寒い風 口笛ならして吹き抜ける 日の目も拝めず白い顔 まるでこの世が闇のよう |
1998年5月 湯の山温泉のマス釣り大会にて 毎年のように参加している。 同じように参加している小学生(5,6年生くらい)二人がぎくしゃくした手つきで針を結んでいた。 声を掛けた。「今日はどこからどうやって来たの?」「桜(近く)から電車に乗って来て、湯の山温泉駅からはタクシーで」「針の結び方はこうするのだよ。 おじさんが余分に結んだ針を持っているから上げるよ」と糸巻きに巻いたのを6本あげた。 子供達は餌箱にブドウ虫を50匹以上入れて持っていたので、「3匹くれる?」と言ってかえっこをした。 すると子供達は「おじさん!何でそんなに親切なの?」 私は返事が出来なかった。 心の中で<君たちも世のため・人のために成るように頑張れよ!>と言いながら別れた。 |
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雪解けの谷 2003年3月26日 良い天気に恵まれ朝明キャンプ場から羽鳥峰へと登り、滋賀県側の谷に下った。 別の谷を登り返し、釈迦の足下の尾根に這い上がった。 谷の源流域はまだ多くの雪が残ってはいるものの、まさに「春の気配」雪解け水は雫となってせせらぎを作る。 ブナ林にどっかと腰を下ろして握り飯をほおばる。 尾根の方ではしかの子供が盛んに母親を呼ぶ鳴き声が聞こえる。 周りを見れば、雪解けの下からは鮮やかな緑色の苔が花を付けている。 その周りではイワウチワの葉が褐色から緑に変身しつつある。 ああ春がそこまで来ている。 実感だ! |