雑記帳 2000
2000年12月28日
「21世紀」
21世紀というと…自家用エアスクーターが、そこいら中を飛びまわり、ビルとビルの間が透明なパイプでつながっている。テレポートも自由自在!(テレポートができるのなら、なぜパイプやエアスクーターが必要なのかが不明だがこの際そんな事は良しとしよう)。特にアーサー・C・クラーク氏の著明な作品「2001年宇宙の旅」でのHAL9000の行動…などが頭に浮かぶ。ところでHAL9000のHALは、「H」の1つ後のアルファベット=「I」、同じく「A」は「B」、「L」は「M」で、IBMのパロディになってる? いや偶然…脱線失礼。
世紀がかわって21世紀になると、われわれはどう変わるのだろうか。ただ年があければ「平成13年になる」と考えるに、何も変わらない自分がそこにあるだろうことは火をみるよりも明らか。
冒頭にあげたエアスクーターなどの近未来の光景は、22世紀のものだとしておこう。 おや?? ドラえもんは確か22世紀だったか…? まあいいや。
2000年11月8日
「冬布団」
最近めっきり涼しくなった。暑がりの私もそうそうランニングと短パンで寝るわけにもいくまい。つい先週のことだが、やっと長袖長ズボンのパジャマを着るようになった。家族は当然一足先にそうなっている。
この週初めに冬布団の用意ができた。というより冬布団が押し入れから出せる状態になったと言った方が正確かもしれない。せっかちの私は、早速ひきずり出し、くるまった。
その夜からが大変。目がかゆい・のどもかゆい!クシャミは連発!あわてて薬を飲むが、しょせんは泥縄。当然、翌朝はヘロヘロになって仕事に向かうことになる。
仕事では、アレルギー性鼻炎のある患者さんに季節の変わり目の布団や毛布の換え際にはちゃんとホコリ対策をしてからですよなどと、エラそうに「ハウスダスト対策」に薀蓄をたれる私であるが、なんともなさけない。
「先生、お風邪ですか? お大事にね」 と、患者さまからありがたいお言葉をいただいた私だった。
2000年10月26日
「井の中の蛙」
世の中に、いかにひどい薬剤師が多く、患者にとっていかに危険な仕事がされているかは常識だ。しかし、どうして、こういう薬剤師と呼ぶに値しない連中が存在しうるのかを理解しないといけない。こういう薬剤師が存在し、生存を続けられる環境が存在していることに重大な問題がある。
腕の悪い薬剤師は、普通は自分が腕が悪いと認識していない。自分の周囲の薬剤師と比較して同等だと、腕は良いと思い込む。世に溢れている情報に目を通せば、自分に不足の部分、やってはいけないことをやっていたことなどに気がつく筈だが、こういう輩は最初から情報を拒否し、自分またはグループの殻に閉じこもる。無競走で、全員平等の進歩のない世界に安住しがちだ。
もはや腕の悪い薬剤師に期待できることは何もない。あとは彼らを監視している上司が頼みの綱である。だが、どうも上司にどうしようもないのが多い。腕の悪い薬剤師でも、腕の良い仲間にもまれると徐々に腕を上げていくものだが、腕を上げることに対しての投資はなかなかしないものだ。
腕の悪い薬剤師には、どうせろくな仕事はできない。なんとかして彼らの腕を磨く努力をしてもらいたいものだ。そもそも、腕の良い薬剤師は能無しの上司の所にはいつまでもいない。能無しの上司の下には能無しの薬剤師が集まることになっている。
この茶色の文章の原文は、もともとコンピュータプログラマの内情についての愛読書、藤原博文氏著「(コ)の業界のオキテ:第2章 閉鎖社会 第2節井の中の蛙」の中の一部分である。著書の中では超上級プログラマ(著者)の目からみた業界の真実を淡々と語っている。
思い当たることがあり、ためしに「プログラマ」の記述を「薬剤師」と書き換えてみた。するとどうだろう、恐ろしいことだが、我々の業界において病院はおろか、街の薬局や調剤専門と呼ばれる薬局、漢方薬局やドラッグストア、雑貨屋然とした量販店など全て形態を問わずそのままあてはまる。
他の業界でも同じようなものかもしれないが、「能無し」と呼ばれないためにも患者さんの声を聞き情報をチェックし、地味に努力し続けるしかない。河口近くで泳いでいるようなもので、岸へ泳ぎ着くためには泳ぎつづけなければならない。ちょっと休むとどんどん岸から離れてしまう。話は飛ぶが、クレームを入れてくださる患者さんは大変ありがたい。自分の足りないところを指摘してもらえるからだ。
2000年10月12日
「ひさしぶりに望遠鏡を出した夜」
小学校6年生ぐらいからだったか…どういうわけか星に興味があり、よく空を見上げ星座早見板などを片手に、あれがこと座あれが白鳥座などと、のどかな土佐の田舎の夜空で私は少年時代をすごした。そのころの小学校は毎月学校へ郵便局員が訪問し貯金するという習慣があった(うちの小学校だけ?)。
小学校卒業のとき貯金をおろし天体望遠鏡を買った。ちょうど中学1年の夏ごろだったか水星の日面経過という比較的めずらしい天文現象や、そのほか火星の大接近、皆既月食、ベネット彗星やコホーテク彗星などの大彗星が地球の近所まできたのを覚えている。
前置きはまあいい。昨晩はひさしぶりに5年前に買ったもののほとんど片隅に追いやられていた望遠鏡をかつぎ出し、月・土星・木星を観た。最近はデジカメという便利なものがあり、結構まともに撮れるものである。子供たちからは宿題やら試験中やらで一緒の時間を過ごすことができなかったが、ひさしぶりに時を忘れさせてくれる夜だった。季節はずれのやぶ蚊に刺されてブクブクに腫れた足が無残であった。
撮影共通データ:Meade LX200-25 f=10, PLOSSL 12.4mm, Nikon E990 (collimate)
木星 2000-10-11 23:14:41 1/4Sec
土星 2000-10-11 22:59:46 1/2Sec
2000年9月12日
「大雨」
時間雨量110ミリ、当局発表の数字だ。昨日午後四日市に降った雨は強烈だった。みるまに道路の両側にある側溝があふれ道は川となった。時を経ずして薬局の待合室が水没したのは言うまでもない。まず漏電ブレーカーが作動し停電。電話線端子が水没し電話は不通となった。しばらくはなすすべもなく水面を見つめるしかなかったが、重要な書類と薬は避難が間に合った。調剤室は床から10cmくらい上がったところにあったため調剤室の水没という最悪のケースは免れた。
しばらくして携帯電話が鳴った。子供からだった。何かと思えば交通機関がマヒしているため学校で動きが取れなくなっているので迎えをたのむという。その後一家総出で薬局の後始末をした。一夜あけた現在、腰痛に苦しめられている。
2000年9月4日
「なつやすみの友」
やっと長い夏休みが終わった。といっても子供の話である。今ごろになって「読書感想文の書きかた」などをきいてくるところをみると宿題は終わっていないのだろう。血は争えぬと思うが、まあそんなことはよしとしよう。
「なつやすみの友」という名前を聞いてピンとくる人は、かなり年代が近いと思う。記憶が途切れ途切れだが、たしか夏休みに入る直前にもらったと思う。結構薄い(厚みは7mmくらいだっか?)ので「こんなものはあっというまに終わるだろう」とつい思ってしまう。しかしこの油断が命取りで、夏休み終了間際の48時間で仕上げるには結構な分量である。当然のことながら私の交友関係でまともにやってる者など皆無に近い。また今のように友達どうし分担を決めてこなすという組織的な事はするはずもない。とどのつまり最後の最後に血を見ることになり、その苦しさゆえ来年にむけて「固い決意」が生まれるのだが…1年という歳月は子供にとってはあまりにも長すぎる。よって毎年同じ事を繰り返すことになるのである。
いま、わが子がその状態であるのを見るにつけ、間違いなく自分の血がそこにあることにある種の安堵感を感じるのである。蛇足になるが私にとってあの小冊子は「友」でもなんでもなかった事を付け加えておきたい。
2000年8月12日
「スカイダイビング」
ここのところ気になるチラシがある。「スカイダイビング in 鳥羽・思いっきり飛ぼう!空から見る鳥羽は感動だ!」というタイトルだ。さらに「タンデムダイビング料金は消費税込み38000円・16歳以上で体重100Kg以下に限る」とある。この38000円がお値打ちかどうかは、残念ながら相場知れずのため判断できない。まあ「そんなもんか」と思うしかないが、なんとも魅力である。さっそく家族にそれとなく話を持ちかけてみた。
「こわい」そうである。パラシュートが開かんわけないし、もし開かなくても痛くも何ともないし地元新聞にはきっと写真入りで載るだろうからいいじゃん…と言ってみたが反応は総じて冷ややかであった。数キロメートルの上空から飛び降り、超スピードを体験したあと、落下傘でゆっくり降下。きっと爽快に違いない。
現在、行き場を失ったチラシは仕事場のパソコンのキーボードの下にひっそりと置かれている。「ふっ、おんな子供にはわからんぜ」と言いたかったが、カミさんには他にもおねだりしなくてはならないものが控えているため黙っていたことは言うまでもない。
2000年8月11日
「熱帯夜」
我が家の寝屋は暑い。特に昨晩は地獄だった。耳もとに蚊の羽音がピーピー聞こえてくると最悪である。おもむろにおきあがり蚊に刺されブクブクに腫れあがった手で蚊取りマットをセットするのだが、当然のことながらほとんど手遅れである。おきあがり動き回っているうちに、忘れかけていたかゆみも復活してくる。「これは冷やすが一番」などと風呂場へ直行し水シャワーをあびる。かゆみもやわらぐかわりに目もさめる。時計は2時半、やめとけばいいものを麦茶なんか飲むもんだから、うつらうつらしたかと思うとトイレにおきる。かくなるわけで翌日は仕事にならないのである。家族は私の方をみて言う。あほやなぁ。
2000年7月26日
「誕生日」
本日、酉年の私はめでたく43歳となった。そういえばその昔、初めて父親の年齢を意識したとき、父親は38歳であったことを覚えている。なぜ意識したのかはすでに忘却のかなただが、すでにその年齢を超えている自分に、いささか驚いている。自分にとって父親は、はるか彼方にある大きな壁のような存在であり、超えらそうれないものであったが、今もその感覚はまるで変化なしである。まったく甲斐性のない息子というべきであろうか、なさけない。ちなみに自分にも子供がいるが、どういう感覚で親を見ているのか、興味津々である。
2000年6月26日
「清き一票」
昨日選挙があった。もともとへそ曲がりなのか選挙権を得てからというもの、いわゆる「その時代の与党」に投票したことがない。したがって私が入れる候補者はよく落選する。ところが、今回は珍しく清き一票を投じた候補者が当選した。なんとも不覚であった。
選挙というものは参加すると面白いもので、どれもこれも同じような内容の開票速報をえんえんとみてしまうのである。おかげで睡眠不足。
日本には600兆円をこえる借金があるという。これを1億2000万(人口)で割ると500万円。私には子供が4人いるが、将来この子達がかえすことになる借金を考えると、ちょっと暗い気持ちになってしまう。オレにはとてもかえせない、一生懸命働いてくれよ。子は親を選べないのである。ちょっと気の毒。
2000年6月19日
「アジサイその後」
先の白アジサイの件であるが、先日期限切れのアスピリン錠を根元に100錠ほどふりまいた。驚いたことにアジサイの花の色がピンク、ブルー、白とカラフルなものになってしまったのである。これにははっきり言って驚いた。白いアジサイが気に入っていたうちのカミさんは、たいそう機嫌が悪い。さっそくアジサイの根元に乾燥剤をふりまいたのは言うまでもない。
2000年6月6日
「アジサイ」
薬局の入り口のところにアジサイがある。いや、正確に言えば「生えている」と言ったほうが正確かもしれない。いつ植えたのかも覚えていないのが正直なところである。当然のことながら手入れなどするはずもなく、「ほったらかし状態」である。ところが困ったことに最近このアジサイが白い花をつけるのである。道を歩く人々は「珍しいですね」「どうやってお手入れをしていらっしゃるのですか?」と口々に言う。これには大変困っている。なにも特別なことはしていないし…。そういえば薬のフタの裏についている乾燥剤をアジサイの根元にばらまいた事があるが、それが原因かは定かではない。とにかく、この「白」アジサイを誉めて下さった方には遠慮なく枝を切って持って行っていただいている次第である。はたして嫁ぎ先でも白い花が咲くのであろうか?
2000年6月1日
「中学星? の夜」
数年前から地元の博物館の天文ボランティアをしている。いままでサボり気味であまり参加していなかったが、今日はやっと都合がついたので、お茶の産地で有名な水沢町(すいざわと読む:みずさわではない)にある「星の広場」という空き地で観望会(観測会ではない:観測はデータをとる事が必須だが観望はただ見て楽しむだけ)があった。
そこには中学生が200名以上いた。暗闇のアスファルトの上に体育座りした中学生が一種異様な光景であった。なかなか元気な私語が聞こえてくる。ううむなんという会話だ…!。やんちゃな子もたくさんいたが、星を見ているときは何か感じることもあるのだろうか、やけに素直である。子供の犯罪が多いご時世、みょうに感心と同時に安心した夜だった。
2000年5月31日
「レセプト」
今日はレセプト(調剤報酬請求事務)の締めの夜である。もともとずぼらな自分には、めんどくさい事おびただしい。だが、これは自分の給料の請求作業にもあたる重要な仕事であるからサボることもできない。まあ当然である。
われわれ医療の業界にはその作業をサポートする専用のコンピューターで「レセコン」という便利なものがある。だがこの「レセコン」というのがくせもので、結構なお値段もさることながら(ハードは普通のパソコンなのだが)、これに頼ってしまうと、いままで頭の中に入っていた、保険請求のしくみや技術料の単価などを忘れてしまうのである。本来できていた事ができなくなってしまう‥ちょうどワープロを使い出すと「漢字が読めるが書けなくなる」と同じような状況におちいてしまっている自分がそこにある。
うーむ、こまった。でも先月と同じようにレセコンに頼った請求事務をはじめている自分がそこにある。ほんとうにこまった。