雑記帳 2001 その3
2001年12月31日
「エミュレータ」
大分むかし、ゲームソフトを開発したことがある。シナリオ、マニュアル、マッピング、ゲームデザインもほとんど自力開発。それもアドベンチャーゲームを8ビットパソコン(PC-8801)用のオールアセンブラで…という、今考えれば無謀なものだ。若気の至りか、みようみまねのざるそば状態の機械語プログラミング。完成に至るまで死ぬほどしんどかったのは言うまでもない。周囲の人にもPSKのスタッフにも迷惑をかけた。
そのころは今のようにソフトがあり余っている時代ではなく、パソコンを買うということはソフトは自作する or 雑誌に掲載されているプログラムを自力で入力して遊ぶことを意味する時代でもあった。その懐かしの8ビットパソコンPC-8801も今では使われることもなく部屋の隅に追いやられ時代は過ぎていた。
先日、ネット上を散歩していると偶然にもM88というPC-8801のエミュレータ(Emulator:他種機用のソフトを実行することのできる方法)がフリーソフトとして公開されていることを知った。よろこんだ私はさっそくダウンロードして実行…動かない。よく考えてみれば当然だった。PC-8801のROMデータがなければ動くはずがない。パソコン本体のROMは著作物なので、どこにもあるわけがない。SHARPとちがってNECはROMを公開するというような粋なことをする会社とは思えないし実際していない。ということは自分のPC-8801からデータを吸い出すしかない。ここでは割愛するが、気の遠くなるような煩雑な作業を経てPC-8801本体やディスクのデータを吸い出し、ようやく画面に表示されたHow many files(0-15)?(知っている人だけが知っている)、感激の一瞬だ。
かくして昔なつかしい自作ゲームもちゃんと動作した。ただし自分のゲームは面白くない(あたりまえ)ので、あの中村光一氏の名作
というゲームにはまっている。というわけで今年も大掃除は省略。
2001年12月25日
「クリスマス」
今日は患者さんからお叱りを受けた。その訴えは甚だもっともなもので、「くすりのついての説明がなかった」というものだ。患者さんの言葉を借りれば「薬だけ渡してはい終わり…と感じた」これは我々にとって致命的なことで、返す言葉がない。
今日は珍しく薬局が混んだ。年末のかけ込みか、タチの悪いのが流行ってきたからか、ヒヤリハットが連続したからか…とにかく余裕のないことおびただしく、実際そのような状態がかなり続いた。時間をかけられないといけない結果が生じる見本のようなものだった。
いそがしい…漢字で書くと忙しい。文字どおり心が亡いと書いている。これは今日の状態をぴったり言い当てている。さて私はクリスチャンではないが今日はクリスマス。これをクリスマスプレゼントとしよう。指摘してくださる患者さんは氷山の一角だ。不満を感じた患者さんはほかにも多数あったと思う。こういう意味できっちりクレームを入れてくださる患者さんはありがたい。
2001年11月19日
「しし座流星群」
ひさしぶりに、心の底から湧き上がるものがあった。昨年は曇っていてペケ。一昨年も不発、3年前は母彗星であるテンペルタットル彗星が通過したあとで本命といわれていたのにもかかわらず、明け方4時ごろに雲の隙間から数個の流星をみただけだった。非常にガッカリしたと同時に気を入れて準備した自分がむなしかった。だが今回はちがう!ちがうはずだ!と言い聞かせることにした。細かいことはその筋のサイトにまかせるとして、とにかく今回はラストチャンス。次回は33年後、オラっちはすでに77歳、喜寿なのだ! いや、それ以前に、生きているかも怪しい。
カミさんの、すでに3回もソデにされてる性悪女に逢いに行くの?といわんばかりの冷ややかな視線に耐えながら、月曜日の早朝(1:00〜5:00)に高校3年の息子を筆頭に子供を3人も道連れにしたのだった。「子は親を選べない しかし 友達は選べるのだからこれから気をつけろ」 うーむ けだし名言。
原寸大では大きくて載せられない 写りがわるいのがちょっと寂しい
安原一式 G-ROKKOR 28mm F3.5開放 KODAK 400Gold 10min / 3:10