東日本大震災、犠牲となった多くの御霊を弔い、東北の元気を発信、一日も早い復興を願って「頑張ろう・東北」を心に夏祭りが開催され、夏の夜を彩る夏祭りに酔いしれました。 


  青森ねぶたの起源は定かではなく、七夕・灯篭流しの変形と言われているようです。 秋の収穫期を前に農作業が一段落した時期眠気を払う行事で「眠たい」が語源?
一台のねぶたの製作日数は約三か月、制作運行にかかかる費用は2千万、祭りが終わると賞を受賞した作品は保存されますが、後は壊してしまうらしい。
日が落ちると運行が始まり、巨大な人形ねぶたの後には囃子方・「ラッセラ〜ラッセラ〜」と跳人が一団となって歓喜乱舞!
その迫力、華麗さに圧倒されます。


  竿燈の始まりは江戸中期、お盆を前に邪気を祓い清め、五穀豊穣を祈る風習が原型と言われているようです。
大太鼓、笛、お囃子の音色が響く中、合図と共に一斉に竿燈が真夏の夜空に立ち上がり、手のひら、肩、腰、と50kgの重みをものともせず「ドッコイショ・ドッコイショ」と、この日のために磨いてきた技が披露されると観客から歓声が!
会場で見物するだけでなく本番後はふれあいの時間も設けられ竿燈にじかに触れることもできます。
 
 
 
 


 
  りの歴史は新しく、蔵王夏祭りのイベントの一つから昭和40年から単独の山形花笠まつりとなったようです。
 華やかに彩られた山車を先頭に、グループごとに統一された衣装、紅花をあしらった花笠を手に、「ヤツショ、マカショ」の掛け声でメインストリートを踊り進みます。以前は一糸乱れぬ集団美が山形花笠まつりの醍醐味だったようですが、今は趣向を凝らした創作踊りなど、多彩な踊りが披露されます
観客参加の時間帯もあります。。


 
  江戸時代、伊達正宗によって始められたとされ、色あざやかな吹き流しや、くす玉などの七夕飾りが通りを埋め尽くし 豪華絢爛。
飾りにはそれぞれ学問・書道の上達・商売繁盛・健康長寿・五穀豊穣などの願いが込められています。
心配なのは雨、わたしたちが見物し終わって、昼食をとっているとき突然の大雨、ほとんどはアーケードの中ですがどこも慌ててしまうそうです。だいじょうぶだったのかしら?


  平成5年に世界自然遺産として登録された白神山地、広大なブナ林は世界的にも最大級とか。ブナ林を一時間ほど散策しました。