月姫SS:翡翠side〜「日が当たる所へ出してください」

 

 それは、志貴様が私を夏祭りに連れて行って下さって間もなくの事だった。

 「翡翠、居るかい?」

 私と姉さんが夕食を済ませて部屋に戻った頃、志貴様が私の部屋に直接訪ねて来られたのだ。

 「はい、すぐ参ります」

 ドアを開けると志貴様が優しく微笑んで立っていた。モノトーンで統一された志貴様の姿に、私はつい胸を高鳴らせてしまう。

 「何か御用ですか?御着替えの方でしたらもうお部屋に…」

 「いや、そうじゃないんだ。ちょっとみんなで相談したい事があって…」

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 「翡翠…ああ、秋葉も琥珀さんもちょっといいかな?」

 志貴様は私をちらり、と見た後、ロビーで寛ぐ秋葉様と、秋葉様の側で控えている姉さんに声を掛けた。

 「あら、兄さん。こ、こんな時間に珍しいですね」

 「翡翠ちゃん?もうお部屋に戻ったと思ったのに。あ、もしかして志貴さんと?」

 秋葉様は複雑な表情でティーカップをテーブルに置き、姉さんは意味ありげな視線を私達に向ける。

 「あ、そ、そんなんじゃないんですよ。ちょっと家族みんなで遠くに足を伸ばしてみたいな、とか思ってね…」

 「家族で、ですか?」

 秋葉様の顔がにわかに和む。

 遠野家で起きた、あの忌まわしく後味の悪い事件…姉さんが琥珀から七夜になったあの事件からもうすぐ一年。槙久様が姉さんにした仕打ちが志貴様に知れ、秋葉様は唯一の遠野家の血筋として姉さんに対する負い目を感じ、私と志貴様の関係にもあまりいい気分ではないようで、何かと志貴さまに当たったり妙に気兼ねをされたりして、先が思い遣られてしまう。そんな秋葉様のご様子に志貴様も気を揉まれたようで、ある計画を思い付かれたそうだ。

 「今度の日曜に中央公園でフリーマーケットをするらしいんだ。日曜だし、家でこもっているよりはいいだろ?」

 「兄さん、それって遠出ではなくて散歩に近くありませんか?」

 秋葉様は呆れたように志貴様を見る。

 「あはー、そうですね。でもいいんじゃないでしょうか?秋葉様も最近ご気分が優れないようでしたし…」

 姉さんはふんわりとした笑顔で云った。

 「そこでだ秋葉。翡翠も七夜さんも一緒に行こうと思うんだ。ほら、七夜さんだってここに帰って来てまだ間もないし、この機会を上手く利用してそれぞれの親睦を深めんと、この兄さんが一計を案じたんだが…どうかな?」

 秋葉様はちらり、と姉さんを見て、溜め息をついた。いつも何かと志貴様にお小言を云われる秋葉様も、こう云うを云われてしまうと、志貴様に頭が上がらなくなってしまわれるらしい。

 私なら志貴様に見つめて頂けるだけで…

 「翡翠ちゃん?顔が赤いわよ。熱でもあるの?」

 「そ…そんなことありませんっ」

 不覚にも思っている事が顔に出てしまい、私は志貴様の後ろに立って、志貴様に顔が見えないようにした。

 時々思う事だけれど、姉さんは本当に記憶を失っているのかしら…。口元を隠してくっくっく、と笑う姉さんを見ていると、どうも疑いたくなってしまう。

 秋葉様はカップを傾け、息をつくと髪を掻き上げた。

 「そうですね、では日曜には仕事を片付けておきます。楽しみにしてますから…兄さん、寝坊なさらないようくれぐれもお願いしますね?」

 秋葉様が姉さんを引き連れてお部屋に戻られたのを見送った志貴様は、大山脈を征服した登山者のような、原稿の入稿を終えて編集者の猛攻を防ぎ切った作家のようなお顔で机に突っ伏されてしまった。

 「…何でこうも妹にお願いする度に、胃に穴が開きそうな思いしなきゃならんのよ。もっとこう…”強き兄”ってものを持たないとなあ」