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岩屋堂公園の紅葉(11・19) 七五三・陽ちゃん(11・18) 皇帝ダリアとくるみ(11・18)
東京散歩3・東京都庭園美術館 2018・12・15(土)
 東京都庭園美術館は東京都港区白金台にある。武蔵野の面影を残す国立自然教育園に隣接した同館は、香淳皇后の叔父にあたる朝香宮鳩彦王が1947年の皇籍離脱まで暮らした邸宅。館内にはいろいろ珍しいものがあり、時間を忘れて回った。
 美術館の横には紅葉が見事な庭園はある。関東在住のY君とNさんは前にも美術館に来たことがあるというので、見学する間、館の前で待ってくれていた。
  

               東京都庭園美術館
  
                   庭 園
  
                   美術館前
昔のブログ・118 2018・12・14(金)
ポーズフィラー2 2015・9・3(木)
 ポーズフィラー(会話のスキマを埋める「あー」「ええと」など)について6月3日にふれた。その後、若手や名跡を継いだ中堅の落語家の噺を聞いていてあることに気がついた。
 枕ではポーズフィラーが多いのに本題に入ると全く無く、落語そのものは及第、あるいは見事なのだ。これはなんだろうと考えていてこう結論付けてみた。即興に近い枕では、癖や間をとるためにポーズフィラーが出る。ところが本題では長年練習し鍛え上げた(あるいは丸々暗記した)ので、ポーズフィラーが入る余地が無いのだ。
 話術で大事なのは絶妙の間である。柳家小三治前落語協会会長の間は素晴らしい。早口で間が無く一本調子の落語家の噺は聞くに堪えない。
 また、ポーズフィラーが全く悪いのではない。適度な間を取るための適切なものは耳に快い。タイミングと頻度の問題だと思う。
 9月6日、四日市出身の林家菊丸が1年に及ぶ襲名披露公演の最後を四日市で行う。1年の経験で大化けした姿を見たいものだ。
東京散歩2・泉岳寺 2018・12・13(木)
 若い頃に東京で過したことがあるが、今回の場所はさっぱりわからない。品川駅で6人が合流、関東組に誘導されて港区高輪の赤穂浪士で有名な泉岳寺に出かけた。浅野長矩と赤穂浪士の墓に参り、赤穂義士記念館と義士木像館を見学した。
 子供のころから「忠臣蔵」はよく知っていたし、歌舞伎でもいろいろ見てきたが、実際に墓やいろいろな品を見てもなかなか実感がわかなかった。
 東京散歩1で掲載した写真には兵庫県三次市(みよしし)の人が3人写っている。三次市は浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の正室である阿久利姫(後の瑤泉院 ようぜんいん)の出身地だという。
   
                  泉岳寺  正面
納得できないが(いわせてもらお) 2018・12・12(水)

 半分ぐらい白髪の私は、学童クラブに勤めています。ある日、小学1年生の男の子に腕をつかまれ、「ねえ、ねえ、どうしておばあちゃんになったの?」と聞かれました。ウーンと考え「玉手箱を開けたのかな」と答えました。    (東京都日野市・苦しまぎれ・72歳)

 今度、子供に聞かれたらそう答えよう。ほぼ白髪なので近くに白い短い毛が落ちていると自分のだとすぐわかる。

東京散歩1 2018・12・11(火)
 12月8日、関東在住3人、三重在住3人で東京を散策した。5人は同級生、1人はこの企画を立ててくれた地元の人。コースは泉岳寺、東京都庭園美術館、白金台のプラチナ通りで昼食、武蔵小山商店街、戸越銀座。
 四日市から同級生Oさんと2人で出発、共に白髪なので近鉄急行ですぐに席を譲られた。名古屋駅プラットホームの待合室でも席を譲られたのにはびっくりした。Oさんは慣れていると言っていたが、普段、電車に乗らない素空はびっくり、だけど遠慮しないで座らせてもらった。
 2014年12月に同級生Qちゃんと満員の地下鉄に乗ったとき、譲られているのに気が付かず、逃げたのを思い出した。
 品川駅で全員合流、その後泉岳寺へ。(仲間4人、白髪は誰かな?)
  

  
                  赤穂義士の墓
枕草子(九十八段)・中納言まゐり給(たまひ)て  
             2018・12・10(月)
 中宮の弟、中納言隆家が扇の骨を自慢して「誰も見たことがない」と言ったので、清少納言が「それならクラゲの骨ね」と言う。これが気に入った隆家は「その言葉を私が言ったことにしよう」と言った。このことは自慢話になるから、片腹痛いがと言って紹介している。
(九十八段・原文)
 中納言まゐり給(たまひ)て、御扇たてまつらせたまふに、「隆家(たかいへ)こそいみじき骨はえて侍れ。それを張(は)らせてまい(ゐ)らせんとするに、おぼろけの紙(かみ)はえ張(は)るまじければ、もとめ侍(はべる)なり」と申給(まうしたまふ)。「いかやうにかある」ととひ聞こえさせたまへば、「すべていみじう侍り。『更に、まだ見ぬ骨(ほね)のさまなり』となむ人々申す。まことにかばかりのはみえざりつ」と言(こと)たかくの給(たま)へば、「さては扇(あふぎ)のにはあらで、海月(くらげ)のななり」と聞ゆれば、「これは隆家(たかいへ)が言にしてむ」とて、笑ひ給ふ。かやうの事こそは、かたはらいたき事のうちにいれつべけれど、「ひとつなおとしそ」といへばいかがはせむ。
(九十八段・口語訳)
 中納言隆家が中宮様のところに参上して、御扇を献上なさる時に、「この隆家が、とても素晴らしい扇の骨を手に入れました。それに紙を張らせて差し上げようと思うのですが、普通の紙では釣り合わず、張ることができませんので、ふさわしい紙を探しているところです」と申し上げた。「どのような骨なのですか」と中宮様がご質問になると、「それは非常に素晴らしいものです。『全く、今まで見たことのない骨の様子だ』と家来の者たちも申しています。本当にこれほどの物は見たことがありません」と、声高におっしゃられるので、「それでは、扇の骨ではなくて、海月(くらげ)の骨なのでしょうね」と清少納言が申し上げると、「これは隆家の言葉(秀句)にするとしましょう」と言ってお笑いになる。このような事は、「かたはらいたきこと(傍から見て聞き苦しいこと・気の毒なこと)」の中に入れるべき話だろうが、「一事も書き落とすな」と人が言うので、どうしたものか。
竹の子童児(日本の昔ばなし・熊本県球磨郡)
              
2018・12・9(日)
 「竹の子童児」は日本の昔ばなしで初めて知った。小僧が竹に閉じ込められた子供(天の人)を助けたら、その子供に7つの願いを聞いてやると言われた。それで侍になりたいという願いをかなえてもらい旅に出て行った。そこで終わっていて後の6つの願いは書いてない。
 岩波文庫・日本の昔ばなし(Ⅱ)にあるが、6つの願いが書いてないので話になっていない。かぐや姫に似ているなと思ったら、ネットに「かぐや姫の原型になったはなしのひとつでは、と言われています」
と書いてあった。
 知らない話も多い日本の昔ばなしだ。   竹の子童子へ
仏の顔も…(つれあいにモノ申す) 2018・12・8(土)

 いつもはどんな話も「うん、うん」と穏やかに聞いている私。先日、夫が朝からブツブツ言っているのでとうとう「もおー! うるさい!」と一喝した。夫は驚いて「おまえは怒るとホントに怖いよな。鬼だ、鬼」。あなた、仏の顔も三度までよ。(いつもは仏の妻・51歳)

 同じミスを何度もしたので連れ合いにどなられた。ごめんと誤ってから「その顔は鬼そっくり!」と言ったら、急に仏の顔になった。鬼とは言われたくないよね。

印象・第1首(会津八一) 2018・12・7(金)  
      懐瑯琊二釈子  韋応物
     白雲埋大壑 陰崖滴夜泉
     応居西石室 月照山蒼然

  つくよ よし たに を うづむる しらくも の
               な が いはむろ に つゆ と ながれむ

         瑯琊ノ二釈子ヲ懐フ  
        白雲ハ大壑ヲ埋メ、
        陰崖ハ夜泉ヲ滴ラス。
        応ニ西ノ石室ニ居ルベシ。
        月照ヲシテ山ハ蒼然。           歌の解説
昔のブログ・117 2018・12・6(木)
小泉八雲と3男・清 2015・8・28(金)
 「怪談」の著者としてしか知らなかった小泉八雲・ラフカディオ=ハーン(1850~1904)の随筆「知られざる日本の面影」の解説をテレビで見た。そこで初めて生い立ちその他を知った。
 アイルランド人の父と、ギリシャ人の母との間に生まれたが、父母の離婚により、アイルランドに住む大叔母の元へ。16歳の時に左目を失明(このため彼の写真は右からの横顔しかない)、大叔母の破産などの不幸の後、19歳でアメリカへ。新聞記者や翻訳などを手がける。1890年に来日、日本が気にいり定住し、妻・セツとの間に4人の子供をもうけた。島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師を皮きりに、1896年に東京大学、1904年3月に早稲田大学に勤務したが同年9月に狭心症で亡くなる(54歳)。
 また、八雲は会津八一とも関連があった。そのことは會津八一記念館に簡単に紹介されているが、補足すると東大を追われるように退官した八雲を他の教師たちと運動して早大に招聘したのは八一だった。また、子供達の教師(早稲田中学時代)として八雲亡き後も面倒を見たのは八一である。とりわけ3男・清(画家)は八一を師と仰いだ。
 テレビから八一や小泉清の事を思い出したが、八一の死(1956年)の6年後糟糠の妻・静子(1961年死亡)の後を追うように清はガス自殺する。遺書にある「血が複雑すぎたのだろう」から八雲の生い立ちを想った。
 「浅草の善光寺でもどこでもよいから骨は、ママと一緒に葬ってくれ。意志の力ではどうにでも出来ないわたしのことについて、何も弁解することはできないのだ。要するにアブノーマルな男としての自分の生涯だけであった。これはどうにもならぬ宿命だった。血が複雑すぎたのだろう。みんな生き抜く立派な力を以って、らん子、閏、一枝、ゴーディ、仲よく愛し合って人生を肯定して生きてくれ。この上もない迷惑ばかりかけつづけた」
「あなた誰」 2018・12・5(水)
 「あなた誰」と言われたショックそのままに
                病室を出て涙ぐむ吾

   (名古屋市) 川面 得英   中日歌壇・12月3日
 昨日、101歳の叔母の見舞いに兄と一緒に訪れた。甥である兄と素空を識別できない叔母をこの歌を思い出しながら見舞った。「涙ぐむ」まで行かないが、小さい時から可愛がってくれた叔母とのいろいろが思い出されて心が痛んだ。
 見舞いする前に叔母の一番下の娘(従妹)に電話して、彼女がいるときに病室に行った。飲み物をちょうだい、食べ物を欲しいという叔母に従妹は優しく与えていた。兄は叔母の手を握りながら何度も話しかけていた。たった一人の叔母の回復を心から願っている。 
日録 20世紀(1965・昭和40年) 2018・12・4(火)
 1965年のグラビアは
  ・ベトナムに米軍直接介入!
  ・「ジャルパック」大ヒット!“海外旅行時代”に
  ・遊び心に市民権、深夜番組「11PM」スタート
  ・非常戒厳令下、日韓条約調印!
 写真は沢田 教一(さわだ きょういち)がベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』。ハーグ第9回世界報道写真コンテスト大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。衝撃的な写真で印象深い。この戦争を契機に反戦運動に参加した。
  
信号のない横断歩道 2018・12・3(月)
 近所の子供たちを連れていた時、信号のない横断歩道で
車が止まらないし、無理に渡ろうとした素空の直前で止まり、因縁をつけかけた運転手のことを書いた。(2017年1月21日
 中日新聞三重版(11月30日)に三重県は一時停止するのはわずか1.4%、全国ワースト3位と出ていた。三重県人としてはとてもなさけない。普段、自転車で動いているがほとんど車は止まってくれない。車の運転席に座って自在に走らせることが出来る事で、ワンランク上にいるように勘違いしている人が多い。誤れば車は人を殺す凶器になることを十分自覚して安全運転をして欲しい。
骨粗鬆(しょう)症58・危険因子 2018・12・2(日)
 生活習慣で改善できる危険因子
   ・カルシウム不足 ・食塩の取り過ぎ ・無理なダイエット
   ・喫煙 ・お酒の飲みすぎ
 これらは、バランスの良い食事、運動、減塩、禁煙、適度な酒量で取り除ける。
 自分で除去できないものもある。
   ・高齢 ・女性である ・閉経が早い ・血縁に骨粗鬆症患者
 最近は酒の飲みすぎ、反省!!
12月の始めに 2018・12・1(土)
 時のたつのは早い。もう12月だ。今年は何をしたんだろうと思うけど、たいしたことはしていない。のほほんと生きてきたのかな?ただ、12月はなんとなく忙しい。月初めからいろいろと予定が入ってきている。もちろん大掃除もある。
 近くのスキー場は人工雪でもうじきすべてオープンする。12月のノブ君ハイキングはスキー、弟の浪人生活も終わったので気にせず「滑り」に行ける。ただ、年齢とともにスキー仲間が引退するので、新しい仲間が欲しいが、なかなか難しい。仲間募集中!!