私には猫は捨てられない

ミントのママ

父が死んで一年目の春

母は弟夫婦が住むマンションへ行ってしまった。

「ここでは猫は飼えないんだ捨ててもいいよ」

弟の言葉に「うん」と返事はしたものの自分ではわかっている

私には、捨てられないことを

私が妊婦だった頃、猫はもらわれてきた

雑種の血が混じった小さなシャム猫

猫は誰にもなつこうとしなかった

洗濯機の横に置かれたプラスチックケース そこが唯一の寝ぐらだった

 

私に娘が生まれて

翌年には息子も生まれた

子供たちは尻尾を引っ張ったりしたけれど猫は嫌がるそぶりも見せない

ただじっと目を閉じていた

 

父の病気が悪化して、救急車が来た時も

狼狽する家族を冷ややかに見ていただけだ

住人のいなくなった家で

今日も猫は待っている

私が運ぶ餌を、じっと待っているだけの日

新しい生命の誕生も

死にいく者への悲しみも

超越したところに猫はいる

あるがままにいきているその姿に

私は軽い嫉妬を覚える

 

運命を切り開いていくのに私は疲れた時

いろいろなものへの執着からとかれたい時

猫が そこにいてくれるだけでいい

私には猫は捨てられない

 


そばにいてあげる

ミントのママ

おかあちゃん こわい夢をみたよ

大きな蜘蛛がやってくるの

あっちゃんをつかまえにくるよ

 

あつゆきは私の手をぎゅっと握る

 

ふうん そうなの

あっちゃんはこわかったんやね

大丈夫やで

蜘蛛なんかおかあちゃんが追っ払ってあげる

 

何日か前に布団の近くにいた蜘蛛

小さな女郎蜘蛛も子供の世界では

巨大なモンスターに変身してしまう

 

おかあちゃんは夢を見るの?

赤くてまあるいほっぺたに

くちびるをつけてみる

 

うん おかあちゃんも夢をみるんやけど

朝になったら忘れてしまうことが多いの

こわい夢も楽しい夢もいっぱいみるけど

あっちゃんを保育園へ送っていく頃には

覚えてへんの

 

あわただしい朝は

夢の余韻を残してはくれない

いつのまにかおとなになって、主婦になって、母になっていた

 

この現実が夢のようで

醒めていない夢のようで・・・・

あつゆきを抱きしめて

そっと抱きしめて

夢ではないことをゆっくりと

ゆっくりと、たしかめてみる


日本海のすい星

ミントのママ

日本海へ行こうと彼が言う

ヘール・ボップすい星の写真を撮りに行くんだと

瞳を輝かせている彼をちらっと見て

私は洗いかけの皿をゴシゴシこする

― この時期に日本海はまだ寒いわ

ここからだってすい星は見れるじゃないの

― 四千二百年に一度しか見れないすい星なんだ

日本海からでないと、いい写真はとれないよ

― それなら四千二百年後に、また私たち生まれ変わってきましょうよ

そうしていっしょに日本海へ行きましょう

 

とうとう彼は黙ってしまい

天体望遠鏡を車につめこもうとしている

(ねえ、あなた この地球に生まれて私たちは夫婦になった

悠久の時を共に生きたいと願ってもふたりの時間は限られている

私たちにいつか死が訪れて

それでもヘール・ボップすい星は宇宙を周回するのね)

 

夕食の後片づけが終わって

いつもと同じ一日が過ぎていく

彼の心に少しでも近づきたくて

日本海へついて行くことにした

四千二百年に一度っきりの織姫と彦星

星のロマンをわかちあうために

私たちは日本海へ行く

早春の日本海へと


いそがしい春

ミントのママ

アスファルトの道路に

少女がかがみこんでいる

ずっとその姿勢で動こうとしない

「ちーちゃん、なにしてるの おうちへ入っておいで」

「まだよ おかあさん 蟻さんにパンをあげるから」

少女はパンのかけらを路面に置いて

蟻が来るのを待っている

桜の花びらがちぎり絵のように舞い

少女の頬や耳のあたりをかすめていく

 

春うらら 一匹の蟻がやって来た

蟻の触角がぶるるんと震える

― おお、すごいごちそうだ

仲間の蟻たちに伝えよう

蟻はくるりと向きを変えて

自分の巣へ歩き出す

少女の目は、まばたきもしないで

蟻を追い続けている

「ちーちゃん、早くしなさい ごはんの時間よ」

母親がせわしなく少女を家へ引っぱって行く

大人は時間の世界の住人だ

子供の持つ無限の時間なんてわからない

 

ごはんを食べて、少女はすぐに外に出てみた

そこにはもうパンのかけらはあとかたもなくなっている

隣のおばさんがさっさとほうきで掃除してしまったのだ

がっかりしたのは少女だけではない

パンを求めてぞろぞろとやって来た蟻たちのあいだにため息がもれる

春のいそぎの風が吹く

人間界はいそがしい


雪虫

ミントのママ

冬になると私の体で雪虫がうずきだす

雪の日には羽音がうるさく

私は思わず悲鳴をあげる

ブーン ブーン ブーン

家事をするのも、子供を育てるのも、やめてしまいたくなる

「ナマケモノ オマエハ ナマケモノナンダ」

闇の仕掛け人が私にささやく

「ワタシハ ナマケモノナンカジャナイ ガンバレルノヨ」

 

雪虫と闘いながら

朝がくると夫のために弁当を作る

もう何千回もこうして弁当を作っている

夫は今日ものっぺりとした顔をして弁当を食べるのだろう

私の中に雪虫が棲んでいることを知らない

本当は気づいてもらいたいのだけれど・・・

雪虫のなまえは―ウツ

 

春がふくらむと、少しずつ羽音は小さくなっていく

それは泣きたくなるくらいうれしいことだ

木の芽の香りを思いきり肺に吸いこんで

これからも生きていこうと決意する


夢の残像

ミントのママ

旅に出る前日

眠っては醒め また眠っては醒めた

同じ夢を繰り返し見ていたのだ

何人もの少年達が掘の前に立っている

あどけなさの残る彼らの瞳が

最期に見たものは何だったのだろう

やがて銃声がして

やわらかな肢体に弾丸が打ちこまれていく

一適の血も流さず

ネジの切れた人形のように

ひとりずつ倒れていった

その中のひとりは私だった

夢の世界で、私は若い兵士だったのだ

 

景福宮 朝鮮王朝の王宮の前で

観光バスは停まった

私達はぞろぞろとバスから降りて

ソウルの桃源郷を見物に行く

庭園をまわり、池のほとりを散策し

石塔の前に立ったりした

ある殿堂へ来た時

ぴたりと足が止まってしまった

見てしまったのだ、ゆうべの夢の残像を

壬辰の乱がおこり、大火災と兵火によって

焼失してしまったという数百棟の殿堂

今、見ているのは再建された殿堂だが

夢の中の殿堂は、十四世紀のものだった

魂は輪廻するというのは本当なのだろうか

日本に生まれて主婦となった私の中に

銃に倒れた兵士の魂のかけらを見たのは、錯覚にすぎないのだろうか

 

「バスが出ますよ 集合してください」

ガイドさんの声で

私の心は現実にひき戻された

景福宮をあとにして、ついにバスは発車した

さよなら 歴史の波に翻弄された若き兵士たち

魂が永遠のものならば

彼らは今もどこかで生きている

 

いつしかバスはソウルの繁華街を走っていた

茶髪の若者 孫の手を引く老人

日本人と似ていて どこか異なる風景だ

またいつかこの地を訪れよう

空気が風が五千年の歴史を語っている


もう恋の歌は詠めないけれど・・・・

ミントのママ

あまねく光の中で

娘と息子は水と戯れる

ビニールプールに太陽が毬藻のように

かわいらしく浮かびあがり

金魚の水着を着て

ふたりはあっぷあっぷと呼吸する

水遊びをさせている間に

私は台所で米を研ぎ野菜をきざむ

青臭い玉ねぎにちょっぴり泣かせながら

ごはんのしたくをする

主婦を何年間もやっているうちに

せつなさという感情は牡蠣殻の中で

朽ち果ててしまっている

家事と育児の合間に

歌集をめくってみるのだが

恋の歌を詠んでいる歌人の歌は新緑を運んでくる

少女のこころを持ち続けているかのようだ

私も歌を詠んでいる

私も詩を書いている

でも、もう恋の歌は詠めない

もしかしたら情熱の赤いバラは

私の中にまだ咲いているのかもしれないけれど

私はオニユリの模様の浴衣を着て

凜とした大人の女のふりをする

「お祭りはまだ始まらへんの お母さん」

「ぼく、かき氷を食べたいなあ」

子供達の濡れた体をタオルで拭いていると

ああ 今年も村祭りの太鼓が聞こえる

夫の車が田んぼ道をつっ走り家へ帰って来た

私が娘の手を夫が息子の手をひいて

家族で祭りに出かける夕べ

子供達は無邪気にはしゃぎ

私達夫婦は終始無言のままだ

それでも子供という宝石を

私たちは慈しんでいる

恋の終わった関係は穏やかで平和だ

刻はゆるやかに流れて

平凡という幸せを私は手にいれた

私に話しかけてくることも少なくなった夫の代わりに

ペットの錢亀が時々声をかけてくる

「奥さん 甘いものばかり食べとってはあきまへんで 

最近ぽっちゃりしとりますな」

中年のセールスマンのようなおせっかいなこの亀を

夏の終わるまでに逃がしてやろう

子供達に見つからないようにこっそりと

川へ逃がしてやろう

そう思っている


ふるさとの川

ミントのママ

アキアカネがわが家の裏庭にやってきた日

私は訊いてみた

「おまえも生まれた水辺に帰るの?」

琥珀色の羽根 朱色の胴体

おまえはトンボのなかでも最も美しい

夢幻の世界から突然の訪問者だ

おまえに触れようと手を伸ばすと

きゃしゃな体をするりとかわして

夕焼け空へ飛んでいってしまった

 

私はアキアカネを追うように

ふるさとの川へ歩いて行った

流れは淀みかけている

誰かが捨てていったあき缶が転がり

それでも水はまっすぐに流れている

私が子供の頃にはもっと水かさが多かった

泳ぐことだってできたのに

「昔はよかったなんて言うのは 進歩についていけない人の言葉だよ」

そんなことを言う人もいるけれど

ノスタルジアを求めるのは

私が私であるあかし

ふるさとの川ならわかってくれるから

やっぱりこの川が好きだ

 

水辺に漂うしとげない葦の中に

小さな生きもの達が卵を産みつける

新しいいのちはここにも孵化しようとしているのだ