手品師

ミントノママ

アスファルトの道路が、かぶと虫の甲のように、てかてかしている夏の午後。黒いフロックコートに、黒いシルクハットの若い男の人が、コツコツと歩いています。「たしか、このへんのはずだ。あの人の家は・・・」額の汗を白いハンカチで拭いながら、いくつのも露地を抜け、やっと見つけました。赤い屋根の小さな家でした。「洋服リフォーム」と書かれた看板が掛かっています。

 白い扉を開けると「チリン、チリン」と音がしました・ぶらさげてあった金魚の風鈴が鳴ったのです。

 「はぁーい」

かわいい声がして、出て来たのはピンクのリボンをつけた女の子でした。

「あの・・・、お母さんは、近所に買い物に出かけているんです。すぐに戻るから、お客さんが来たら、待っててもらってって言ってました」

「そう。それなら、待たせてもらうよ」

小さなカウンターと、丸椅子がひとつあるだけのこじんまりとした店でした。若い男の人は、円椅子に腰掛ました。扇風機が、アブラゼミのようにジージー鳴きながら回っています。本当に暑い日です。

「麦茶です。どうぞ」

 女の子が、カウンターの上にグラスを置きました。

「ありがとう。ひとりで店番しているなんて、えらいね。名前は、何ていうのかな。」

 「めぐみです。星野めぐみ」

 めぐみは、まじまじと奇妙な格好の男の人を眺めました。見れば見るほど変です。この人暑いのに黒ずくめの格好で、これではまるで闇夜のふくろうです。

 あっ、そうだ! めぐみは思い出しました。いつだったか、お父さんに手品を見に連れて行ってもらったことがありました。

(あの時に見た手品師も、この人みたいな格好をしていたっけ)

 めぐみは、思いきって訊いてみました。

 「おにいさんは、手品師なんでしょ?」

 「そうだよ。よくわかったね。」

 若い男の人は白い歯を見せて笑うと、シルクハットを脱ぎました。シルクハットの中には、赤やオレンジのビー玉がいくつも入っています。

 「わぁー! きれい」

 若い手品師は 「ほら、手を出してみて」と、めぐみの両手一杯にビー玉をのせました。

 「僕も、子供の頃にはよく遊んだものさ」

 手品師はカウンターに肘をついて、無邪気に喜んでいるめぐみを、じっと見つめました。

(私が小さい頃『高い高い』をしてくれたお父さんに、この人、少し似ているみたい)

 めぐみは、お母さんと二人で暮らしています。めぐみがまだ幼稚園に通っていた時、お父さんは突然いなくなってしまったのです。

お父さんがいなくなってからすぐに、恐そうな男の人が何人も家に来て、お母さんが泣いているのをめぐみは見ました。それから暫くして、二人は今の家に引っ越したのです。

 前に住んでいた家では、きれいな服やアクセサリーを売っていました。ブティックという店だということ、お父さんはいくつものブティックを持っていたのだけれど、悪い人に騙されて手放さなくてはならなかったと聞かされたのは、めぐみが小学生になって、暫くしてからでした。

 債権者に追われるようになり、お父さんは突然蒸発してしまったのでした。洋裁ができるお母さんは、洋服を直したりする仕事をして、めぐみを育てています。

 風もないのに、金魚の風鈴がチリンチリンと鳴りました。

 「手品師って、魔法も使えるの?」

 「手品と魔法は違うよ。手品師は『タネも仕掛けもありません』って言うだろ。だけど、ちゃんとタネも仕掛けもあるのさ。魔法にはタネなんかないし、それに第一、僕は魔法使いじゃない。」

 「ふうん・・・。じゃあ、だめかぁ。魔法で、ペットを出してもらえたらなっておもったの。それも普通のペットじゃなくて、人間の言葉を喋るペットがほしいの。お母さんは仕事が忙しくて、話しかけても面倒臭そうにするんだもん」

 実際、そうでした。昨日だって、満月を見ためぐみが

 「ねえ、お母さん。お月様ってなんにも食べないのに、どうして太ったりするのかしら」と訊いた時も、お母さんはめぐみの話を聞いていませんでした。

 「えっ、なあに? 今、忙しいのよ。明日までに、仕上げないといけない仕事をしているの。おなかがすいたら、クルミパンがバスケットの中に入ってたでしょ。それを食べててね」

めぐみはクルミパンをかじりながら

 「生活していくのって大変ですわ。馬車馬みたいに働く毎日ですのよ」

と、お母さんがお得意さんの客に話しているのを聞いていました。

 (馬車馬って、どんな馬なのかな。メリーゴーランドの馬みたいなかたちをしているのかも・・・・)

小学二年生の頭の中には、いろいろな不思議がつまっています。「渡り鳥は、迷子にならないの」とか「ユキウサギは、どうして春になると茶色くなるの」とか・・・。

手品師は、さっきからカウンターの隅に飾ってあるサボテンを見ています。そのサボテンには、小さなピンクの花が咲いていました。

「ほら、そこにサボテンがあるだろう。ちょっと、こっちに渡してくれないかい」

めぐみがサボテンの鉢を渡すと、手品師はシルクハットを、すっぽりとサボテンに被せてしまいました。

「チチンプイプイのプイ! へんしーん」

手品師がいたずらなネズミのようにそう言って、シルクハットをひょいと上げると、サボテンはハリネズミになってしまいました。めぐみは、満月の時のお月様よりも目をまん丸くしてびっくりしています。ハリネズミの頭のてっぺんには、めぐみと同じようなピンクのリボンがちょこんとのっかっています。

「私、知っているわ。この子はハリネズミでしょ。動物図鑑でみたもの」

めぐみが弾んだ声でそう言うと

「今日から私、あなたの友達よ。ねえ、私に名前をつけてくれない」

ハリネズミが話しかけて着ました。

「リリー、リリーがいいわ!」

なんてすてきな手品師なの、とめぐみはどきどきしています。

「リリーね・・・。気にいったわ、その名前。なんだか、おなかがすいちゃった。もうすぐお母さんが、買い物から帰ってくるでしょ。果物を買ってきたら、私にくれる?」

「リリーは果物が好きなの?」

「ええ。あとは木の実とか、ミミズやヘビも好物よ」 

ミミズならつかまえられるけど、ヘビは苦手だな、とめぐみは思いました。にこにこしながら、めぐみとリリーが話をするのを聞いていた手品師が言いました。

「そろそろ、めぐみちゃんのお母さんが帰ってくるんじゃないかな。リリー、体を丸めてごらん」

ハリネズミのリリーが体を丸めると、もとのサボテンに戻ってしまいました。ピンクのリボンも、ピンクの花に変わりました。手品師は、シルクハットをめぐみに渡しました。

「これをきみにプレゼントするよ。リリーと話がしたい時は、このシルクハットをサボテンに被せるんだ。そうすれば、いつでもハリネズミに変身するよ」

金魚の風鈴が、チリンチリンと鳴りました。

「あら、ごめんなさい。お待たせしちゃったかしら」

買い物袋には野菜やフランスパンの他に、リンゴも入っています。

(あのリンゴは、後でリリーにあげよう)

リンゴに気をとられていためぐみは、この時気付きませんでした。お母さんの姿を見た手品師の顔が、朝陽に照らされた少年の顔のように、ぱっと明るくなったのを。お母さんも手品師を見た時に、不思議な気持ちになりました。なんだか懐かしくて、甘ずっぱいような気持ち・・・。子供の頃、大好きだった果実を食べたような気持ちに似ていました。

「・・・・・フロックコートを直していただけないでしょうか。内ポケットがいくつもついているんですけど、随分とほころびましてね。あとは、襟のところが少し破れているので、かけつぎをしてほしいのです」

手品師はフロックコートを脱ぐと、お母さんに手渡しました。お母さんは、コートから花の香りがしたように感じました。

(何かしら!? この花の香りは・・・。ライラック、そう、ライラックの花の香りだわ)手品師は、じっとお母さんを見つめています。白いワイシャツ姿になった手品師は、はにかみやの少年のように見えました。

「ねえねえ、お母さん。このおにいさんね、手品師なのよ。すごい手品をするの。サボテンを、ハリネズミに変えたりできるのだから」

「まあ、そうなの。ほんとにすごいわね」

お母さんは微笑みました。サボテンがハリネズミに変わってしまったなんて、てんで信じていないようです。

「わかりましたわ。ニ、三日で仕上がると思います。このコート、たしかにお預かりします。代金は、後でけっこうですので」

手品師は軽くおじぎをすると、白い扉を開けて帰って行きました。金魚の風鈴がチリンチリンと鳴る時に、もう一度ちらりとお母さんのほうを見ました。コツコツという足音が遠ざかっていきます。お母さんは、ちょっと首を傾げると

「さあ、仕事、仕事。晩ごはん、少し遅くなるから、リンゴでも食べててね」

そう言って、仕事部屋へ行きました。

 

たくさんたまった仕事を片付けて、その日の夜にフロックコートを直すことにしました。

ほころびれた内ポケットに手を入れた時

「冷たい!」

思わずてをひっこめました。

(ポケットに、一体何がはいっているかしら?)

フロックコートを裏返して、そっと振ってみました。途端に小さい氷の結晶が、ユキウサギのように勢いよく飛び出してきたのです。氷の結晶は、窓から漏れている月の光をあびてきらきらと輝き、あっというまに部屋中に広がっていきました。

「な、なんてことなの!? これは・・・・ダイヤモンドダストだわ」

お母さんは呟きました。ダイヤモンドダストというのは、小さな氷の結晶が空気中をゆっくり落ちたり、浮かんだりしながら、太陽にきらきら輝くことからそう呼ばれています。

今、見ているダイヤモンドダストは太陽ではなく、月に向かって昇っていっているかのようです。きらきら降る雪の天使の中で、誰かがお母さんを呼んでいます。

「ゆりあ、ゆりあ」

懐かしい声です。優しい声です。

「まもる・・・・、まもるなの!?」

町中が、ミルクの中にすっぽり入ってしまったような情景が浮かんできました。若い恋人が、樹氷に姿を変えた大きな木にもたれています。

「ねえ、ゆりあ。氷点下五十度になると人の吐く息も凍ってしまうんだ。息は微かな音になって、耳に届くんだよ。それをなんて呼ぶか知っているかい?」

「わからないわ。息が凍るなんて信じられない」

「『星のささやき』っていうのさ。ああ、星空はめまいがするほど果てしないよ」

「まもるはロマンチックね」

ゆりあは、しなやかなまもるの手をそっと取り、自分の頬にあてました。北の町で、二人は幼なじみでした。子供の頃はそりに乗って遊び、大人になってからは雪景色を眺めながら、散歩するのが好きでした。

遅い春が町に訪れる頃には、ライラックが町のいたるところで咲きました。まもるはゆりあのために、いつもライラックを摘んでくれました。

「お兄ちゃん、ほら見て」

おもちゃのステッキを手にもった男の子が、どこからか現れて、ビー玉を見せています。

「なんだ、すばる。またビー玉で遊んでいたのか?」

「うん。きれいだろう。大きくなったら、僕は手品師になるんだ。ビー玉を、手品で何倍にでも増やしてみせるよ」

 すばると呼ばれた男の子は、ステッキを振りかざして手品師のまねをしています。

それを見て、まもるもゆりあも顔を見合わせて笑いました。

 けれども、まもるとゆりあの恋に終わりがこようとしていました。都会の大学を卒業して、北の町に帰ってきた青年に、ゆりあは心ひかれるようになったのです。

 「僕といっしょにこの町を出よう。都会に行って、僕はきっと実業家として成功してみせる。ゆりあを幸せにするよ」

ゆりあの手を、青年の大きな手が包みます。

まもるのしなやかな手と、ゆりあは比べていました。青年は、ペパーミントの香りを漂わせていました。

(すてきなコロンの香りだわ。この町の男の人は、花や土の匂いしかしないっていうのに・・・・)

ゆりあが青年と町を出る時、まもるは姿をみせませんでした。北の町の小さな駅のホームに、男の子がぽつんと立っています。ゆりあが、弟のようにかわいがっていたすばるでした。

「すばる・・・・、元気でね。私、幸せになるから。まもるに伝えてほしいの。私のことは早く忘れてって。ごめんね・・・」

 すばるの口は真一文字に結んで、きっとした眼でゆりあを見つめました。まもなく、汽車は風のように走り出しました。すばるの姿が小さな小さな点になって、ゆりあの視界から消えていきました。

 

「すばる! あの人はすばるだったんだわ!!」

手品師と、まだ子供だったすばるの面影が重なり合いました。胸がどきどきしてきました。

気がつくと、部屋はいくつもの仕事部屋に戻っています。ダイヤモンドダストは、跡形もなく消えていたのです。

それからというもの、金魚の風鈴がチリンチリンと鳴るたびに、お母さんははっと息をのんで扉のほうを見ました。二日たっても三日たっても、手品師は店に来ませんでした。

 いつしか、つくつくぼうしの鳴き声も聞かなくなり、夏も終わろうとしていました。

 お母さんはひどくがっかりしていました。それでも、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。気を取り直して、前にも増して仕事に励みました。

(初恋の思い出にひたっている余裕なんかないわ。若い娘の頃に帰ったような気持ちになっていたけど・・・。今は生活していくのに精一杯なんだから)

 まもるは、いつも夢をいだいているような少年のような人でした。ゆりあが去ってからもずっと思い続け、新しい恋人をつくることなど考えもしなかったのです。

弟のすばるは大人になって、念願の手品師になりました。手品師になる修行のために、北の町をずっと離れていたのですが、帰郷してみると、まもるは不治も病にかかっていました。

 「ゆりあは幸せだろうか・・・・」

 亡くなる前に呟いた兄の言葉が耳に焼き付いて、ずっとすばるはゆりあのゆくえを捜していたのでした。兄の死を告げる代わりに、フロックコートにある仕掛けをしたのです。

めぐみは、ハリネズミのリリーと話をするのが一番の楽しみになっていました。お母さんが自分にかまってくれないことも、もう気になりません。

「やっぱりこのシルクハットは、魔法の帽子よね。あのおにいさんは『手品ならタネも仕掛けもある』って言ってくれたけど、どこを見てもタネも仕掛けも見つからないもの」

リリーは、くすくす笑いました。

「めぐみも、いつか魔法にかかる日が来るわ・・・。もっと大きくなってからの話だけどね」

「私に魔法が!?」

「恋に落ちる日が来るのよ。それはある日突然やって来るか、気が付いたら恋に落ちているか、まあふたつにひとつね」

「こい・・・・?」

その時は、恋の意味もわからない、めぐみでした。

 

月日が流れて、めぐみは美しい娘に成長しました。いつかリリーの言っていたことが、本当だとわかりました。恋人ができて、愛し合うことを覚えてしまったのです。恋人の腕の中で眠っている時が、一番幸せでした。

いつしかリリーと話をする回数も減っていき、この頃はサボテンのリリーでいることが多くなっていました。サボテンの花が枯れてしまったのも、めぐみは気付きませんでした。

冬がそこまで来ているある日のこと。めぐみは、恋人とテレビを見ていました。テレビの画面には、何年も前に店を訪れた手品師が映っていました。

手品師は、あの時と同じようにフロックコートを着て、シルクハットを被っています。

もう若い手品師ではありません。落ちついた大人の男の人になっていました。

手品師がして見せたのは「星のささやき」という手品でした。ステッキをくるりと一回転させて、フロックコートをさっと脱ぎ、高く放り上げます。宙に舞ったコートからは、小さな氷の結晶がきらきら輝きながら、あたり一面に飛び散っていきました。

 「すごい!まるで雪の花みたい!」

めぐみは興奮して叫びましたが、横にいた恋人はつまらなそうに欠伸をしただけでした。

その日の夜、めぐみは久しぶりにハリネズミのリリーに会ってみたくなりました。押し入れの中で、ほこりにまみれていたシルクハットを取り出して、サボテンに被せました。

胸を弾ませながら、シルクハットをさっと持ち上げましたが、リリーはサボテンのままです。何回繰り返しても、ハリネズミのリリーは現れませんでした。

 (手品のタネが、消えてしまったんだわ)

めぐみはがっかりして、シルクハットをまた押し入れの中にしまいました。

 サボテンの花は枯れたまま。二度と花をつけることはありませんでした。