雪割草
ミントママ
今日はホワイトクリスマス。ぼくの家のまわりも、降り積もった雪で真っ白だ。
屋根の雪かきをしていたおじいちゃんの髭にも、
毛糸の帽子にも、雪が張り付いている。
おじいちゃんは、どうやら腰を痛めたらしい。
(こんな時に、父さんがいてくれたらな。雪かきは、いつも父さんの仕事だったんだ)
この頃は、母さんもおじいちゃんも、父さんの話をしなくなっている。
父さんは、消防署で働いていた。去年おととしの春のことだ。
雪深いこの村にも、土筆の子が頭を出し始めた頃、山火事がおきたんだ。
火を消しに行った父さんは、それきっり帰ってこなかった。
誰も父さんの姿を見た人はいない。
みんなは、父さんはもう帰ってこないとあきらめているみたいだ。
母さんはしばらくの間、毎日泣いていたけれど、
今は近くのパン屋さんで元気に働いている。
夜になると、母さんはケーキを焼いてくれた。
働いているパン屋さんで、もらってきたバターやクリームで作ってくれたんだ。
「はい、これは母さんからのクリスマスプレゼントよ。
あつしも、来年は五年生になるよね。頑張って勉強してね」
母さんからのクリスマスプレゼントは植物図鑑だった。
「ありがとう。大事にするよ」
ずっとほしかったものなので、とても嬉しかった。
二階のぼくの部屋で、窓から雪景色を眺めていた。
月が出ていないのに、雪のせいであたりは明るい。シャリ、シャリ、シャリ。
誰かが、雪の上を歩く音がする。気のせいだろうか。
こんな雪の積もった夜更けに、人が訪ねてくるわけないや。
シャリ、シャリ、シャリ。気のせいじゃない!
誰かが、ゆっくり外を歩いている。
窓にほっぺたをくっつけて、のぞいてみても誰の姿も見えなかった。
足音は玄関の前で、ぴたりと止まった。
ぼくは玄関へといそいだ。扉を少しだけ開けて、恐る恐る外をのぞいた。
そこにいたのは、きれいな女の子だった。
粉雪のような、透き通った頬をしていた。
白いコートを着て、白いブーツをはいている。
「ぼくんちに、何か用なの?」
女の子は赤い唇から白い息を吐き、鈴がなるような声で答えた。
「あたし、寒くて・・・・。ここまで来るのに、おなかがすいちゃった」
よく見ると、女の子の長いまつげには、うっすらと雪が付いている。
それは、まるで銀のしずくみたいだ。
「母さんが作ったケーキがあるよ」
家の中へ入るように手招きした。女の子は、そっとブーツを脱いだ。
ブーツには雪がたくさん付いていて、
ずいぶんと遠いところから歩いてきたみたいだった。
冷蔵庫からケーキを取り出すと、テーブルの上に置いた。
「おいしい」
女の子はケーキを一口食べると、嬉しそうにほほえんだ。
「君は、ひとりでここへ来たの?」
女の子は、こっくりと頷いた。
それから、コートのポケットに手をつっこんで、ごそごそと何かを取り出した。
それを見たぼくは、ものすごくびっくりしたんだ。
ポケットから出されたのは、一個のキーホルダーなんだけど、
ぼくには見覚えがあるものだった。
その木彫りのキーホルダーは、ぼくが図工の授業で作ったものだ。
父さんの誕生日に、プレゼントしたんだ。
父さんはとても喜んでくれて、
仕事に行く時だっていつもキーホルダーを大事に持っていた。
「これを、どうして君が持ってるんだい!?」
ぼくはどきどきしながら尋ねた。
「あなたのお父さんが言ってたの。
大切なものだから、息子に渡してほしいって」
ぼくの心臓のどきどきは、さらに大きくなった。
喉がからからだ。
「どこで会ったの、父さんに!?父さんは、生きているの?」
女の子は黙ったまま、ぼくの目を見つめた。
それから、ちょっと困ったような顔をしてうつむいた。
「ズドン」という鈍い音がする。屋根の雪が、地面へ落ちた音だ。
「あなたのお父さんは、山であたしを見つけたの。
雪の中にいるあたしに話しかけてきたのよ。
あたしは・・・・・、あなたのお父さんの最後の言葉を聞いたの」
「最後の言葉だって・・・!?」
ぼく達は、しばらく見つめ合っていた。
「ちょっと待ってて。母さんを起こしてくるから」
ぼくは椅子から立ち上がると、いそいで母さんの寝室へ行った。
「母さん、母さん、大変だ!起きてよー」
眠けまなこの母さんを、台所へ引っぱっていくと、女の子はいなくなっていた。
玄関へ走っていく。白いブーツもなくなっている。
どこへ行ってしまったんだ、あの子は・・・。
女の子の食べたケーキ皿のそばに、キーホルダーがぽつんと置かれていた。
その夜、ぼくは夢を見た。
山の木かげに、父さんとあの女の子が立っている。
父さんは、白い羽根の付いた服を着ている。
女の子は淡い紫色の服を着ていて、服の色と同じ色の小さな花が、
あたり一面に咲いている。
風がそよぐ。琥珀色の蝶が舞っている。
父さんは、女の子にキーホルダーを手渡した。
女の子はこっくりと頷いて、すうっと消えていき、淡い紫色の光になった。
その光はあっというまに、大きな光の輪となって、
小さな花の上で、きらきらと輝いている。
光があまりにもまぶしいので、とうとう父さんの姿も見えなくなってしまった。
ここで夢から醒めた。
とても不思議な夢だった。
ぼくはベットから起き上がって、勉強机の引き出しを開けてみる。
大切なキーホルダーをしまっておいたんだ。
キーホルダーの上に、涙がぽつんと落ちた。
父さんは、もうぼくのところへ帰ってこないんだ。
(泣くもんか。ぼくは男だから、母さんを守っていくんだ。
おじいちゃんを助けていくんだ。泣くもんか)
ぼくは心の中で、呪文のように自分自身を励まし続けていた。
朝になった。パンの焼けた匂いが、ぼくの部屋までしている。
おなかの虫が鳴いた。
「おはよう、あつし。ちょうどパンが焼けたところよ。
早く顔を洗ってらっしゃい」
エプロン姿の母さんが、ぼくにほほ笑んだ。
パンを食べてから外に出てみると、おじいちゃんはもう起きて、
屋根の雪かきをしている。
「ぼくも手伝うよ。今日から冬休みなんだ」
おじいちゃんは目を細めて
「おお、そうか。たのもしいことだ」
と嬉しそうに言った。
ぼくは小さなスコップを持って、はしごを伝い、屋根に上がった。
「すべって落ちんように気をつけろ」
ぼくの初めての雪かきに、おじいちゃんはちょっぴり心配そうだ。
「大丈夫だよ。この村は毎年、雪が降るしね。
ぼくも、雪かきの練習をしておくよ」
雪かきが終わってから、ぼくは自分の部屋に戻った。
母さんがプレゼントしてくれた植物図鑑を見るためだ。
もしかしたら、夢の中で見た淡い紫色の花が載っているかもしれないと思ったんだ。
一枚ずつページをめくっていくと
「あった!」
夢の中で見た花だ。
花の名前は「三角草」と書いてある。花の説明を読んでみた。
『葉が三つに裂け、先がとがっていることから三角草と呼ばれるようになった。
別名を雪割草といい、これは早春に雪を割って花を咲かせるところからの命名である。
生育地は山の木かげ、落葉樹林の中など』
女の子がぼくに言っていた言葉が、ぐるぐる回った。
「あなたのお父さんは、山であたしを見つけたの。
雪の中にいるあたしに話しかけてきたのよ」
山にはきっとまだ雪が残っていたんだ。
父さんは、雪を割って咲いている花を見つけた。
あの女の子は、雪割草の妖精だったんだ!
父さんの最後の願いを叶えるために、クリスマスの夜にやって来た。
春の初めに咲く花の妖精だから、雪の中を来るのは寒かっただろうな。
女の子の白いコートや、白いブーツを思い出した。
ぼくは、また外へ飛び出していった。
あの子の足跡が、まだ雪の中に残っているかもしれないと思ったんだ。
だけど、どこにも小さな足跡を見つけることはできなかった。
長い長い冬が終わった。
ぼくの家のまわりでも、雪溶けの音が聞こえ始めた。
ぼくは、山に行ってみたくなった。
妖精が届けてくれたキーホルダーをポケットに入れて、
山の奥へと行ってみることにした。
山道をどんどん進んで行くと、山火事があったあたりにやって来た。
焼けこげた木々の幹から、新しい木の芽が顔を出している。
ぼくの胸は、じーんと熱くなった。
(いのちってすごいや。
こんところからでも、新しいいのちは生まれてくるんだ)
ぼくは目を閉じて、柔らかい木の芽の香りにくるまれていた。
「こっちよ。こっちへ来て」
どこからかそんな声が聞こえてきた。
はっと目をあけて、声のするほうをふりむいた。
そこには淡い紫色の服を着た、あの女の子が立っていた。
「きみは・・・、あの時の・・・!」
ぼくが女の子のそばまで来ると、
女の子は陽炎のようにすーっと消えてしまった。
女の子が立っていた地面には、春のまだ浅い日差しの中で、
雪割草がいくつも咲いていた。
花びらは、ぼくの小指の爪の大きさくらいしかない。
花びらが落ちないように、そっとそっと触れてみる。
透き通った頬のようだった。