全国地名辞典 三重版より転載 (平成13年5月29日)
ござ 御座 <志摩町>
古くは胡佐とも書いた。志摩半島最南端の通称先志摩半島の先端に位置し,南は熊野灘,北は英虞湾に面する。集落は主に南部に集まる。金比羅山北側の谷間に爪切不動があり,空海が巡錫の時に自然石に不動明王を爪刻したものと伝える。地内には城山または城の岬と呼ぶ地があり,御座源四郎が拠っていたといわれる。
〔中世〕胡佐荘 鎌倉期に見える荘園名。志摩国のうち。「神宮雑例集」に「志摩国胡佐庄内神田四町四段」と見えるが,他に所見なく未詳。
〔近世〕御座村 江戸期〜明治22年の村名。志摩国英虞郡のうち。鳥羽藩領。鵜方組に属す。村高は廷享3年および「天保郷帳」「旧高旧領」ともに185石余。廷享3年の浦役銀206匁,戸数80・人数416。寛政年間に美濃国の名僧霊源禅師が爪切不動に本堂と籠り堂を建てた。臨済宗南禅寺派梵海山潮音寺は元亀2年(1571年)の開山といわれる。西の海岸には石仏地蔵があり,腰から下の疾病に霊験があるといわれ,信仰が篤い。この地蔵は海中にあり,満潮の時にはわずかに頭部を現わすのみだが,干潮の時には全姿を現わす。縁日は毎月15日。のちに南禅寺派の管長となった勝峯大徹禅師は,森田利左衛門の長男として生まれ,伊勢朝熊山金剛証寺を明治維新の際の排仏の圧迫と官憲の攻撃から守った功績は大きい。鎮守は地内マサキにある日吉神社で,明治初年御座神社と改称。明治4年度会県,同9年三重県に所属。同22年市制町村制施行により単独で自治体を形成。
〔近代〕御座村 明治22年〜昭和29年の自治体名。はじめ英虞郡,明治29年からは志摩郡に所属。大字は編成せず。同41年の戸数191・人口1,064。御座神社は,明治40年に社宮司社・天真名井社・津島神社を合祀した。大正中期,爪切不動堂に通じる車道が御木本幸吉により寄進された。昭和29年志摩町の大字となる。
〔近代〕御座 昭和29年〜現在の志摩町の大字名。