元駐タイ大使 岡崎 久彦 氏 (12.10.25.)
・・・直接の原因は、日本の左翼、マスコミが、一九八〇年代に入ってから主として反体制的な意図の下に、証拠の信憑性を問わず、日本の戦時中の行為を暴(あば)き立てて、近隣諸国の批判的反響を引き出そうと努めて来た事に端を発する。それは全ての事例について実例を以って証明できるが、逆の証明として、戦後一世代を経過した今から二十年前の一九八〇年という年一年を取って見て、日本の戦争中の過去や謝罪を論じた言説や記事が、日本、中国、米国、韓国などの新聞、雑誌などに一つでもあっただろうか? あれば見たいが、私の知る限り皆無と断言できる。
すべては一九八二年の教科書問題−−それも誤報−−以降の言説である。中国各地に建立、展示されていると聞く日本の残虐の記念碑も、書店の本棚を埋めている反日の書籍も、それ以前のものはほとんど無いと言って良い。
1982年の誤報 : 『高校社会科の教科書を検定する中で、「侵略」を「進出」に書き換えさせた』、という報道がなされ真偽が確認できない間に「近隣諸国条項」が発表されて今日に至っている。(後に誤報と判明)
と思っていたら、
13年2月24日の毎日新聞夕刊では
・・・国際的に政治問題化した82年の教科書問題は、旧文部省の検定によって高校社会科教科書の日本による戦争の記述が「侵略」から「進出」に書き換えさせられたことからはじまった。
と、まるで誤報であったということが欠落した記事が掲載された。
どうなってるの?毎日新聞に確認中
13.2.26. 毎日新聞・夕刊デスクから回答
・参議院での文部省答弁では、当時10年以上前から「侵略」という表現には改善指導を行ってきた。
・検定の中で修正と改善があるが、改善は口頭で指導するだけで文書として残らない。
・82年の検定では、「侵略」を「進入」「進行」と変えた教科書はある。
・「侵略」を「進出」と変えた教科書は見つかってない。
・82年当時は、この問題で代表取材を行っており教科書会社別に各新聞社が分けて担当したことも問題を複雑にした原因である。
・肝心な部分で灰色の部分が残る。
・「侵略」が「進出」に書き換えさせられたことは無いという産経の報道は、一部分をとらえている。
う〜ん、これは産経新聞社にも聞いてみる必要ありだ。
関連して・・・
南京事件 高山正之の異見自在(13.2.24.)
南京事件というのがある。日本軍が無辜(むこ)の市民を三十万人も殺した、残虐日本人のステレオタイプ像を産み出した原点である。
この虐殺を証言したのは、ニューヨーク・タイムズのダーディン記者、ベイツ南京大教授ら三人の米国人と、ドイツ人商社マンのラーベの四人である。
いずれも日本人が弱い白人で一流紙記者も学者もいる。つい信用してしまいそうだが、たとえばダーディン記者は上海に脱出後に伝聞をまとめて書いただけだ。
ラーベは南京にいて、「昨晩は千人もの女性が強姦された。女性の避難場所だった金陵女子大では百人以上が強姦された」と日記に書き、それが今の通説の根拠を形作っている。しかし、彼は実は蒋介石軍に武器を納入していた男である。だから南京が陥落したあと、日本軍に追われる中国軍幹部を複数かくまい、後に自分の使用人と偽って逃がしてもいる。
おまけに彼が日本軍の暴行があったという金陵女子大を管理していたボーリントン女史は日本軍が「秩序を守った」と、ラーベの夜な夜な女性の悲鳴が聞こえたという説を全面的に否定する。
ベイツ教授はそれらをまとめて「四万二千人が殺された。大半が一般市民だった」と記録した。エドガー・スノーはこれを元にして人数はそのままに「一般市民」を「婦女子」に書き換えた。
背景を洗えば、どうも信用度に疑問符がつきそうだが、でも信頼度抜群のニューヨーク・タイムズがそう書いているじゃないか、という反論もある。
そうだろうか。同紙の昨年八月にC・スミス記者の「中国人の対日敵意」という記事がある。「日本は中国に戦争の謝罪もしない」どころか、「中国に戦犯を祭る靖国神社を建て、森首相は公式参拝もしている」と。
同紙の前東京特派員、N・クリストフは旧軍人の老人をだまして「日本人は中国の子供を殺してその肉を食った」といったでっち上げ記事を五年間も書き続けた。
そういう傾向をもった新聞が果たして信じられるだろうか。
ちなみにベイツは東京裁判に出て四万二千人説を証言した。中国もここで初めて「二十八万人」説を出し、ウエッブ裁判長は二つの証言とは別に「二十万人」という数字にした。原爆被害者よりなぜか大きい数字になった。