昇段日記
はじめに
主婦37歳。3人の子持ち(中2女・小5女・小4男)で、子供の頃から運動経験が全くない私が、柔道の初段に挑戦することになりました。
※ わが県の昇段ルール
{実技} 10点(三分間の試合を行い一人勝ちぬいて1点、引き分け0.5点で積算する。得点できない場合には、参加点0.5点を与える)
{形} 投げの形のうち手技・足技・腰技 柔の形第1教(女子のみ)
受験資格 1級を持つもの(どこか加盟団体に登録してあれば、ほぼ無条件でもらえる。)
14歳以上であること
一月
1
我が家では、5年前に3人の子供が、同時に柔道をはじめて以来、旦那も、昔とった杵柄とやらで柔道着をきるようになってしまった。
そんな家族の影響で、私も柔道を語らせれば、嘉納治五郎(柔道の父。講道館創始者。初代JOC委員長)もまっさおレベルまで向上した。試合や練習では、耳学問と豊富な観戦歴による知識を駆使して子供達を指導する。
しかし、奴らは「わからんのに言わんといて」「やったことないくせに…」「実際はそうはいかんの」などと私の指示を聞かない。
完璧な知識を生かそうと、柔道着を買ったのが2年前!「めざせ黒帯!!」。
練習を開始した。受け身・柔軟・打ち込みなどの準備運動で、早くも筋肉痛。柔道の練習は、何をしても痛いものである。私は、主に投げるだけの乱取りをすることにした。187cmの旦那を、投げるのは気持ちが良い。長女は、生意気にも抵抗するので「弁当作ったらへんよ」と耳元でささやく。
しかし主婦の悲しさ、雑用が多く思うように時間が取れない。練習に行けない日が続く……そして夏。暑くなると、もうアノむさくるしい柔道着に手を通したくない。いつしか柔道着は押入れの隅に…・。
そして季節は回る。20数年前から年令条件を、クリアしている私をさしおいて、長女が14歳になると同時に初段を取ってしまった。
2003年正月
やはり私には、黒帯が似合う!!
今から参加点を20回積み上げれば、40歳の誕生日には黒帯になれる。体力的にはラストチャンスである。私はやるときにはやる女。とりあえず、みんなに黒帯宣言をした。「40歳までに黒帯になる!」「そして、そのあと推薦で弐段をもらう!」。次女よりは先に黒帯になれるはずである。
1月は昇段試験が12日(日)稽古始めが5日(日)まだ受け身もろくに出来ないまま、昇段試験に立ち向かうことになった。
2
1月6日。久々に柔道着に手を通す。心なしか柔道着の、前の合わさり具合が浅い。正月のもちか、深夜の宅配ピザか・・…。鏡に向かい着こなし方を研究する私に、旦那が声をかける。「体重も武器やでええんちゃう」洞察力のない男である。公称152cm46kgの私。防寒のため、下にトレーナを着込んでいるだけである。
道場につくとTJ先生(地区の理事長でもあられる偉い先生)がもうすでに待って見えた。「奥さん、ハンコ持って見えた?これ書類。書いてください」入門申込書と、昇段試験の申込書。書き込み、4,600円を添えて、先生に提出する。忘れずに、組み合わせに、手心を加えてもらうようお願いする。当地区には、100kgを超える受験者までいる。危険な人物と、主婦とを戦わせてはいけない。しかし、先生の返事は「う〜ん…まあできるだけは…」(苦笑)。再度、よろしくお願いをする。
体操から準備運動・受け身と、キチンとこなしていく子供たちを横目に、いきなり、技の練習を開始するセオリー無視な夫婦。少ない体力を、いかに有効に使うかが問題である。
「体操からしたら体力が続かん」「投げられやんだら受け身は要らん」…旦那の指導方針らしい。
支え釣り込み足→大外刈り→左の背負い落とし。旦那が考えた必勝パターン。
「お母さん!腰曲げたらアカン!」「つま先伸ばして!」「そこで片方ヒザついてみ。」長女の声、旦那の声が、だんだん大きくなっていく。子供たちも、横目でちらちら見て、面白そうに笑っている。
およそ20分。右に、左にと、華麗に舞う私に「わかった。もうええ。大外刈り一本でいこ!」と旦那の声がかかる。
長女相手に、大外刈りから寝技に入る練習。「そうそう。そのまま胸を合わせて!」崩れ横四方固めというより、崩れしがみつき固め。私はやるからには、ボブ・サップのように、関節技が決めてみたい。「あほか!格好つけて、毎日練習しとる学生に勝てるか!」……だから…私は別に勝てなくていい。ケガをせずに20回行けば、目的は達成されるのだから。しかし、華麗には闘いたい。泥臭い柔道は、私に似合わない。
寝技の練習をしていて、良いことに気がついた。カメの姿勢で、じっと待っているのは楽だ!長女は、ウサギのように私の周りを飛び跳ねる。私は眠れるカメとなりじっと休憩に入る。
昇段試験まであと5日。
3
今日は練習がない。
私は子供のときから試験とか試合とかで、あがったことが一度もない。
緊張をしない。だから準備もあまりしない。しかし、なぜか、いつも好結果が出る。英検の時も珠算検定のときも、私より成績が良い人が落ちても、私は合格する。だからと言って、柔道の試合でまさか勝とうとは思っていない。ただ20回通うのみである。
旦那は違う。勝つことにこだわり、緊張し、研究する。今日も私が勝つためには、どうしたら良いかを仕事中も、考えていたに違いない。「やっぱし組ぎわに、朽木倒しや!!」と大声をあげて帰ってきた。礼のあといきなり足を取りに行く技らしい。「少年ルールは、いきなり足取りに行くのは禁止やで、中学生なら一発やで」。この人らしい卑怯さである。ルールとか約束には、口うるさいけれど、ルール内ならなんでもOKな人である。息子の試合のときに、審判から「待て」がかかっていないのに、お互いがなぜか寝技から立ちあがりかけた。後ろを向いた相手に「そこやなげろ!!」武道の精神なんか、あったものではない。明日私は、その技の練習をするらしい。
昇段試験まであと4日。
4
今日は、朽木倒しの練習。
試合開始の位置から礼をして、歩みより釣り手をつかんだ瞬間、左手で相手の右かかとを取る。意外に難しい。どうしても、相手のももあたりまでしかとれない。「違う違う!転がってくるボールを左手ですくいとるように取れ!」。私は子供の頃から運動神経はいいほうだ。しかしボール運動だけは苦手だ。右手と右足・左手と左足、どうしても同じ方が前に出てしまう悪癖がある。旦那が審判の役をする。「礼」「はじめ」いち・にぃ〜のさん・よいしょっと。「違う!!」。また大声になってきた。「ええか!こうするの!」旦那の手本。「っあ!」私の足を取りに来た旦那のほおに、私のつめが刺さった。意外に深い。「つめは切っとけって言うたやろ!」血を流しながら怒っている。私のほおに、あんな傷が出来たなら、一生柔道なんかしないであろう。
昇段試験まであと3日
5
今日は旦那が新年会でいない。静かである。彼はなぜかこの1週間、興奮状態で本を研究し、人に相談し懸命に、柔道に取り組んでいる。試合をするのが、私である事に気づいているのであろうか。
それはさておき、すこし身体が痛い。昨日乱取りをしすぎたのであろうか。1回目HY君(小5・やや太め)。私と乱取りをするのが恥ずかしそうだ。少年よ、ほれるなよ。美しさも時には罪になる。
休憩をはさみ2回目TK君(小5・ファイター)。彼には、いいように振り回される。本当に力が強い。バテバテになってしまったが、どうにか3分間立っていた。練習の最後に、息子の挑戦を受ける。彼は柔道の天才である。小4にして、今まで誰も(黒帯の先生でも)投げる事の出来なかった私を投げるのだから。
昇段試験まであと2日
6
今日はIT先生と乱取りをした。一番厳しい先生である。なかなか休ませてくれない。もう身体が痛い。結局、大外刈りだけで昇段試験に挑むことになったようだ。
IT先生は何度も同じ事を言う「ケガだけはしないで・ケガだけはしないで」私も気持ちは同じだ。しかしまだ受け身が出来ない。
昇段試験まであと1日
7
いよいよ明日は昇段試験だ。
連日の練習で身体が痛いので、今日は休養日に当てる。てきに勝つようにと、旦那が豚肉を、1キロも買ってきた。全部とんかつにして食べた。「体重も武器である」今日は旦那の意見を、採用しておこう。
8
朝からお祭り騒ぎである。「柔道着はこっちの方が硬いで」「スポーツドリンクは?」「あ!!ビデオ充電してない」「シップ持っていかんでもええやろか?」
私は主婦である。たとえ今日、命がけの試合でも、朝食を作り洗濯をしなければならない。私の試合が心配なら、せめて蒲団ぐらいは自分で上げてほしいものである。
M武道館。子供の試合でおなじみだ。思ったほどには寒くない。組み合わせも、恐れていたU中学の100kg超級とは、あたらない組み合わせになっている。やはり柔道協会も、主婦には気を使ってくれるのであろう。
1試合目。強豪のMD中学の48kg級だ。最初は優勢に進める。「もっと右手であおれ」「そこやいけ!」旦那の声も良く聞こえる。何度も崩すが、寝技を知らないから、抑えこめない。カメの練習はつんだけれども、自分が上になって責めることは、計画に入ってなかった。結局、ひとつ有効は、奪ったものの、あわせ技一本で、残り10秒くらいで負ける。思わず夢中で戦ったために、もう力も体力も、あさっての分まで使ってしまった感じである。
2試合目。S中学の44kg級。あっ!この子ぜんぜん力無い。いけるかなと思ったら、大外刈りで投げられてしまった。「一本!!」
そうだった。私はすでに、あさっての分まで、力を使ったあとだった。私設応援団の、拍手を浴びながら退場する。計画どおりの参加点である。あと19回行けば黒帯である。しかし、順番が反対なら勝てたかもしれない。わずか3日の練習で、これだけ出来る自分が怖い。ひょっとしたら、初勝利も遠くはないのではなかろうか。
次の昇段試験まであと20日。
二月
9
全身が筋肉痛である。しかし、充実感があふれている。柔道がこれほど面白いとは思わなかった。昨夜は何度もビデオを見た。旦那曰く「あとは受け身と寝技と足技やな」。じゃあ私は何が出来ているのであろうか?
道場へ行くとお母さんがたの視線が熱い。ちょっとしたヒロインである。「本当に受けたの?」「怖くない?」「すごいね」「頑張ってね」みんな大人である。一応、応援はしてくれる。しかし私の「黒帯取得宣言」を、誰も本気にしていなかったようだ。私の運動神経と、度胸を見くびらないでほしい。
昇段試験を見ていてくれた先生も、誉めてくれる。「思ったより良かったです。」「もう少し練習すれば勝てますね」。いったい私のことを、どう思っていたのであろうか。そしてもう一度言う。つらい練習をしてまで勝たなくても良い。淡々と20回通うのみである。もちろん、疲れない程度の練習で勝てれば、それに越したことは無い。
身体の痛みで当分練習できそうも無い、昇段試験まであと19日。
10
早くも金曜日。昇段試験後五日目。激戦の疲れがようやくとれた。今日から練習再開だ。
今日からは、準備運動もきちんとすることにした。ただ体力の配分を考えなければならない。おおよそ子供たちの十分の一の回数をめどにする。腕立て30回→3回・スクワット50回→5回・足けり100回→10回などである。
休養十分で身体が軽い。開脚前転が25年ぶりで成功する。前まわり受け身もスムーズだ。旦那を四つん這いにして、飛び込み受け身。旦那は、わき腹を抑え痛そうにはしているが、ほぼ完璧な受け身である。一気に受け身開眼である。
乱取りも好調だ。まずはYRちゃん(小3・下半身安定型)。近くで乱取りしている息子の様子を、見る余裕がある。しかし投げる事が出来ない。彼女の下半身には、根っこが生えている。
次は、前回苦戦したTK君(小5・ファイター)。やはり実戦で鍛えてくると、相手の動きが良く見える。前回ほど振り回されない。思い切って大外刈りに行く。やや力づくではあるが倒せた。残念ながら投げたとは言えないが、やはり私は進化している。
昇段試験まであと15日
11
今日は月曜日である。昨日、柔道教室の指導者たちの新年会を、私の家でした。会費は2000円。朝から準備をした手料理で、みんなをもてなす。美食倶楽部もまっさおの、究極の料理である。次々に出す料理に、賛美の声が上がる。「牛スジのどて煮最高っす!!」「漬物ステーキっていうんですか。初めて食べました。めっちゃうまいですね」。安あがりな方々である。燗をつけるまもなく酒が空く。冷蔵庫を開くたびに、六本づつビールが消えていく。焼酎のビンが倒れる。さすがに柔道家はタフである。家中の食物とアルコールを、おなかに収めた先生がたが帰って行かれたのは、乾杯から8時間が過ぎ、日付も変わった今日の1時であった。
昇段試験まであと6日
12
今日は首が痛い。ただでさえ、毎日筋肉痛と戦っているのに、首までが寝違え状態である。柔道の練習をはじめてほぼ1ヶ月。ずいぶん上達した。子供たちとの乱取りも、続けて出きるようになった。しかし落とし穴が待っていた。遅れてきたKSちゃん(小4・上半身強化型)の、打ち込みの受けをしていたときのことである。柔道教室では1・2・3・4……・じゅう!で投げる。大外刈り、大内刈り、膝車と順調に進む。そして背負い投げ。横についていた旦那が「受け身できへんで、これだけは投げるの止めてもらえよ」。「1・2・3…・・」基本に忠実な私は、全身脱力状態で受けをする。「8・9・じっ!ギャ〜ァア」。どうやら投げない約束は、私と旦那の二人だけの秘密だったらしい。私の悲鳴に驚いた彼女は、背負い投げの途中で手を離した。パイルドライバ―のように、頭頂部から畳に激突。マンガをあなどってはならない。頭の周りを、星が飛ぶのは事実である。
受け身の練習の必要性を教えてくれたKSちゃんに感謝しなければならない。・…だろうか。
昇段試験は明日である。
13
やはり私は、柔道をするために生まれてきた女であった。練習をはじめて、わずか1ヶ月。早くも勝利の美酒を飲む。
S市武道館。家から1時間弱。はじめて訪れる。設備が充実している。ロッカーも美しい。私が着替えている間に、対戦相手をチェックした旦那。うれしそうだ。「めっちゃ小さい子。次女とかわらんで!」D中学の子が二人続いて、その後S高生。「ええか、あわてるな。勝てそうな相手のときは、相手に攻めさせて、返し技狙ったほうが確実やで」。相手を見て興奮しているのは旦那である。返し技狙えといっても、旦那が教えてくれたのは、大内返しだけである。都合よく大内刈りを掛けてくれるのであろうか。しかし、私も、彼女たちなら勝てそうな気がする。二人抜いて3人目のS高生とあたったら、投げられると危ないので、座りこみ、抑えこまれるところまでを計画する。
まずはD中学の40kgぐらいの子から。逃げ回る相手を組みとめる。相手はしきりに足技をかけてくる。それを大人の余裕で受けとめ、右釣り込み足。倒れこむところを抑えに行くが、うつぶせになられる。立ちあがり、力任せに仰向かせる。ここだ!崩れしがみつき固め。完璧に入る。30秒が過ぎ一本勝ちだ。おもわずVサイン。会場じゅうから拍手が起こる。そう今日は、私設応援団をあちらこちらにばら撒いておいたのである。今日の私設応援団は10人を超える。
勝ち残りの2試合目。さっきの子と双子のような小さな子である。初勝利をあげ、気力充実の私の相手ではない。左の小外押し倒しからまたもやの、崩れしがみつき固め。うまくしがみつけずに、ただ乗っているだけである。危うく逃げられそうではあったが、体重を利用して逃げ切る。どうにか30秒が過ぎた。柔道をはじめて1ヶ月。上昇したのは体力や技だけではない。「体重も武器である」
3試合目S高生。あいてが、大内刈りを掛けてくるのを利用して座りこむ。すぐに抑えられる。ここまでは計画どおりである。しかし、この子は困った子だ。無抵抗の私を、力いっぱい抑えてくる。そんなに力を入れなくていい。どちらにしても、私はもう動けない。ただ人目があるので、無意味に足を右左に動かす。ブザーの音が待ちどおしい。お昼はなにを食べようか…。
次の昇段試験まであと34日
三月
14
痛い。全身が痛い。特に左手の付け根が痛くて腕が上がらない。やはり乱取りと試合とでは、身体の使用量が違うようだ。前回の試合のときは、連休が取れたので1日休んでいた。しかし今日は仕事だ。休んでしまえば我が家の経済活動は破綻する。全身をギシギシ言わせながら朝食と弁当を作る。肩まで上がらない腕を振り回し洗濯をする。回らない首で、バックミラーを見ながら車を運転し仕事に出かける。身体なんか動かなくてもよい。タイムカードさえ打てれば、我が家は安泰である。
次の昇段試験まであと33日
15
「あれ?奥さん、なんか技ありましたっけ?」MY先生に、2点取った報告をしたら言われてしまった。しかし腹は立たない。MY先生は、きりっとした九州男児だ。人間見た目ほど大切なものはない。小柄だが柔道も強い。赤丸急上昇中のNG君(高二・183cm85kg)もぽんぽん投げる。あまり力が入っているようには見えないが、大きなNG君が何度も宙を舞う。華麗だ。
私のやりたかった柔道はこれだ!旦那の力まかせの泥臭い柔道とは決別し、華麗な柔道をめざす。
子供たちの練習終了後、すみやかに近づき教えを乞う。さすがに華麗な柔道は難しい。出きるどころか、言われていることさえ理解できない。しかし不出来な弟子を、丁寧に、静かに、根気良く、教えていただく。どっかの泥臭い先生とは、大違いだ。最初の先生の、選択を誤ったことを深く後悔をする。いや、伴侶を選んだ時からか…・・。
次の昇段試験まであと31日
16
柔道教室には、指導者と生徒以外にも二つのグループがある。旦那のように、再び柔道着を着る様になった親父達や、練習場に恵まれない柔道好きなおじさん達(30代から40代)の親父軍団。ここ4〜5年の間に形成された。最近は徐々に指導者面している。それに対する高校生軍団。柔道部には入っていないが、黒帯が取りたくてはじめた人や、その友人達(柔道教室OBも含む)。
小学生の練習が終了後、この2グループと中学生や高校生が混じり乱取りを行う。1年前は文句なく親父軍団が強く、高校生に丁寧に教えていた。しかし、昨年彼らが初段を取り、柔道の面白さに目覚めたときから状況が変わってきた。「イテテッ」「ちょっと待って」「まだやるの?」「俺がケガしたらローン払ってくれるんやろな」情けない親父連中である。
「KTさん、その掬い投げ教えやんといて…おれやばいわ」「TMさん、その釣り手の、落とし方教えるのだけはやめて」姑息な技で勝負をかける親父軍団には、沢山秘密があるらしい。
それでもたまに投げられている。「OK!OK!そうやって投げるんやで」そう言うのなら先に手本を見せるべきである。
次の昇段試験まであと20日
17
神よお許し下さい。私は悪魔を生み出してしまいました。
今日はK市カップ。子供達3人の試合だ。長男二回戦、次女1回戦と負けのんびりと昼食を取る。
長女が勝ち残ってはいるが、中学生女子は無差別の争いである。50kgそこそこの長女の出番はない筈である。しかし三回戦で105kgを破り、準決勝でも78kg超級を判定で下し、決勝まで進んでしまった。大きな相手と戦う長女は、会場も味方につけ、ラブリ−な天使顔であった。その仮面の下の悪魔が顔を出したのが決勝戦。背負いで有効を奪った直後である。
腰締めに入る。相手の足を制して回る。回る。回る。くるくる回るので、入っているのか、いないのか審判も判断に苦しんでいる。「待て!」の声がかかる。私は見てしまった。「待て」がかかった瞬間にもう一度力をこめて絞めなおしたのを。立ちあがり開始線に向かう長女の不敵な笑み。足元で海老のように大きく痙攣する少女。「一本!」審判の手が挙がる。ふらふらの相手を無視し、笑顔で手を振る長女。
再度ビデオで確認する。背負いからうまく左手が入り、腰締めの態勢になる。回る。回る。っあ!もう足が痙攣状態だ。長女は、すでに気絶した相手の首を引きずりまわし、とどめに、またもう一度絞めなおしている。これを悪魔の仕業と言わずなんと言うか。
しかし、悪魔の家族はお祭り騒ぎで、祝勝会にディナーを奢る。
次の昇段試験まで14日
18
難問発生である。私は、2ヶ月間順調に練習し、能力もUpした。最初は、小5相手からはじめた乱取りも、近頃は中学生白帯組の仲間に入る。もう昇段試験が待ち切れない気分である。
息子は、練習時の不真面目さがなくなり成長過程に入った。
次女も、一時のスランプを脱出し、小さな身体を目一杯使い練習に励んでいる。
そんな3人の試合日程が重なってしまったF町杯と昇段試験。
二人ともそろそろ結果が欲しい。私の指示なしで戦えるのか心配である。
しかし子供は、何時か自立しなければならない。自身の力だけで、どこまで戦えるのか、試してみてもよい。私は涙を飲んで昇段試験に向う決意をした。IT先生によくお願いし送迎も頼んだ。子供二人で、行かせるのはかわいそうだが、仕方がない。
旦那は、私を会場まで案内し荷物を運ばなければならない。長女は、私のビデオを撮らなければならない。みんな忙しい日なのである。
次の昇段試験まであと11日。
19
練習終了後。ストーブの前。失禁の話で盛り上がる指導者達。絞めで気絶したときによく起こるらしい。先輩の話・後輩の話・試合中での話。悲惨なのに少し笑いを含む。警告と憐憫。
結論は「よくあることです」「しかたがないことです」
あとから話にくわわった旦那。「自分でしたのを、自分で拭かなければならなかった時の、惨めな気持ちは一生忘れません」……経験者は一人だけだったようだ。
次の昇段試験まであと8日。
20
不調である。花粉症に加え、昨夜から猛烈な下痢に襲われている。敗因は前日の花見団子である。あぶないかなと思いつつも、2本とも晩酌のつまみにしてしまった。鼻水、涙、くしゃみ、そしてウ○チ。全身垂れ流し状態である。
K高校武道館。一面しか取れない狭い会場。畳の下のスプリングも入っていない。古いせいか、やや暗い会場である。当然のように更衣室もないので、車の中で着替える。貼るホッカイロをおなかに貼り、下痢に備える。今日絞められたら、道場を悲惨な場に変えることだろう。
旦那が対戦表を見てきた「あかんわ。弱いのみんなこっちや」。劣悪な会場に体調不良。そして手ごわい対戦相手。ヒロインには、いつも過酷な環境が与えられるものである。勝っても負けても1分以内。それ以上は体力が持たないのですべてを、開始直後にかける。
まずS中。52kg級ぐらい。開始と同時に組みとめ、一気に、右小外押し倒し。「有効!」そのまま崩れしがみつき固め。きっちりと1分以内に、私の、勝利の方程式にはめる。
続いては前回負けたS高生。よし!また右小外押し倒し。「有効!有効!」旦那の声。あんたがいくら叫んでも、ポイントにはならない。審判の声は、無い。抑えこみに行こうとするが、絡まれた足が抜けない。長い寝技の攻防で体力を使い果たす。何度か追いこみ、優勢には進める。しかし、ポイントはない。そして終了間際、私は、飛・ん・だ!
右一本背負い。気がつけば天井を見ていた。完璧な受け身で会場を沸かす。
約30分の休憩後、2順目が回ってきた。S中57kg級。とりあえず得意の、右小外押し倒しで「技あり」を奪う。旦那の指示は、逃げ切りだが、残念ながら3分間立っている自信がない。秘密兵器を繰り出す。「足もってダッシュ」だ。相手の右足をつかんで前へ走る。「技あり!あわせて一本」。もう全力を出し切った。続く相手は、今日の一試合目で、秒殺した相手だが、もう立っていることすら難しい。ふらふらと抑えこまれ、ただ時間の経過を待つのみである。
柔道着を脱ぐと、戦闘モードが解除される。戦士の顔から慈母の顔に戻り、子供たちの試合の応援にF町へ向かう。次女の試合には間に合った。しかし、相手は老け顔で70kg。強いばかりが女じゃない。息子は3位に入賞したらしい。
試合場には沢山の先生がみえる。柔道を通じ、知り合いになった友人がいる。私は、皆さんに今日の昇段試験の報告をするのに忙しい。この過酷な環境の中で、私は、今日も、二人勝った。逆境に打ち勝つヒロインは常に、美しいものである。
次の昇段試験まであと34日
四月
21
いつものように全身筋肉痛。どれだけ練習しても、試合はやっぱり別のようだ。今日は練習ができそうもない。昨日までの全試合のビデオを見る。繰り返し見る。何度も見る。確実にうまくなっている。体力さえあれば、今までの相手なら全員に勝てる事を確信する。
しかし何かが違う。なにかが……っあ!いつのまにか、完全に泥臭いパワー系の柔道になっている。小外押し倒し!崩れしがみつき固め!足もってダッシュ!なんなんだこれは!
私の目指していた華麗な柔道とは全く違う。一本背負い・巴投げ・内股・袖釣りと、華麗な技の数々が目に浮かぶ。しかし、私は、一度も、それらの技を教えてもらってさえいない。私としたことが、うかつだった。勝利第一主義者との生活が、私を盲目にしていた。まんまと旦那の策略に乗せられ、泥臭い柔道家になる所であった。
やはり私は、華麗な柔道を目指す。足の長い私には、吉田選手のような、内股がにあう。大柄な敵に備えては、俊敏な野村選手のような背負いだ。華麗な投げ技で、汗もかかずに、一本を取る。私は内股と背負い投げで、一本を取る。
次の昇段試験まであと33日
22
やっと筋肉痛がとれて来た金曜日。旦那は、また飲み会に行ってしまった。しかし私は、練習をする。
小学生相手の乱取り。内股を掛ける。内股。また内股。IT先生が近寄ってきて指導してくれる。「畳から足の先を離さないように」???「大きく右足を回して」???「相手と胸を合わせて」????私が掛けているのは内股である。しかし、なぜかIT先生は大内刈りの指導をする。
「奥さん。得意技を作りましょう」とMY先生。それならばと、MY先生得意の、背負い投げの指導を希望する。「無理です!!奥さんは身体が回りませんから!」冷たい返事である。結局また、大外刈りの指導を受ける。
なぜかどの先生も、私を泥臭いところに止めたいらしい。それでも私は、吉田選手のような内股を掛け続ける。
次の昇段試験まであと29日
23
土曜日。中高生の月に一度の地区合同練習会。主婦は参加できない。長女の練習を見に行くフリをして、ライバル達の見学に行く。黒帯を締めている子は、対象外だ。昇段試験であたった子を基準に判断する。来月から受ける子などに、細かくチェックを入れる。ウン、大丈夫である。私に勝てそうな者はいない。しかし、彼女達の体力には恐れ入る。「ハ〜イ。とりあえず打ちこみ100本」……・「じゃあ乱取り3分10本」……延々と続く練習メニュ−。こんなに身体を使って大丈夫なのであろうか。運動部経験の無い私は、見ているだけで全身筋肉痛に襲われそうになる。
それにしても、男子の乱取りは凄まじい。80kg90kgがポンポン空を飛ぶ。やはり柔道の華は、投げ技である。中でもC工高のMS君(推定178cm・100kg)。パワー系も極めれば華。100kg級の子が片手でフッ飛ぶ。しかも顔がいい。キリリとした男前だ。強いだけならいくらでもいる。人間、顔が大切だ。ひそかに、私のお気に入りに追加する。
次の昇段試験まであと28日。
24
KS君は刑事さん。パワー系ぞろいの親父軍団の中では、異色のワザ師。年令もまだ30歳と少し。小柄な身体で100kg超級も軽々投げる。人柄も誠実である。急の事件で参加出来なくなった飲み会に、一升瓶を持って挨拶にくる。私の知人の中で、唯一の警察関係者である。それなのに、まだ、一度もコネクションを使っていないのに転勤である。私が事故をしたときも、旦那が飲酒運転でつかまったときも、まだ友人ではなかった。警察関係者とせっかく仲良くなったのに、非常に残念である。誰か替わりの人を紹介してもらうよう手紙を書こう。
次の昇段試験まであと25日。
25
小学校県大会。ひそかに優勝を狙う親父たち。
青い顔をして、緊張しているのはHTさん。試合するのは、息子だよ。今日は運転手兼監督のKTさん、どこか微妙なスーツ姿。感想は避ける。SK先生とTMさんが戦況を分析している。理論派と理屈派の対談だ。旦那は長男と、陰でなにかしている。柔道教室では教えない、姑息なワザの確認作業か。
試合が始まる。予選敗退のBチーム。次女がエースでは仕方ない。よくやったと誉めておく。
期待のAチーム。予選リーグ、決勝トーナメント1回戦と順調に勝ちあがる。準々決勝。気合十二分の親父たち。ウチのチームが投げる。「ヤーッ」。相手が投げる。「ない!ない!」不思議に声がそろう。「いけ!いけ!」「足からや!」こんなところまで合唱している。
この親父たち、20数年前には、鉢巻巻いて「える・おー・ぶぅい・いー・せ・い・こ!」などと叫んでいたのではないだろうか。
武運つたなくベスト8で負ける。息子よ泣けばいい。涙は青春の汗だ。母が、抱きしめてあげよう。
…・しかし、なぜか、息子は逃げる。
次の昇段試験まであと22日。
26
今日、昇段試験である。ずいぶん長く、書くことが出来なかった。練習は、順調に積んだけれども、ナーバスな自分を、持て余したためである。緊張・不安。かつて、私の辞書に無かったこの文字を、柔道は、勝利の味と共に、教えてくれた。
S市武道館。初勝利をあげた、縁起の良い会場である。いつものように、旦那の対戦相手チェック。「ええんちゃう。強そうなんおらんで。」それでも、なんか不安。いったい私は、どうなってしまったのか。応援の父兄と、雑談で気を紛らわす。
まずは、U中学あんこ型。相手の足技をかわしつつ、左小外押し倒しから、崩れしがみつき固め。1分で勝利の方程式にはめる。やはり、私は、強い。畳の上で、一気に、復活である。
続くもU中学。みっしり筋肉質。57kgくらいか。力対力の戦いである。今だ!左小外押し倒し。「有効!」。息子が、時計係の背後に走りよる。「お母さん。あと20秒!」なんて気がきく子だ。無事に逃げ込む。
三試合目。体力の限界で、本来なら、すばやく負けてしまうところだ。しかし、相手は44kgぐらい。えい!もう一人行ってしまえ。残り少ない体力を使い、攻める。攻める。攻める。息が切れる。「頭、あげろ!」。旦那の声は聞こえるが、もう身体が動かない。あっ!チャンス!相手が大内刈りにきた足を取り、足もってダッシュ!「技あり!」息子が、時計係りの後ろへ、すばやく走る。「お母さん。あと1分!」えっ!長い。今の私には、あまりにも長い。息も絶え絶えになりながら、残り1分を過ごす。
4試合目。S中学、背の高い子。165cmくらいか。「はじめ!」の声と共にがっぷり組む。審判に聞こえないよう距離を取り、相手に、大外刈りを、掛けるよう指示をする。今だ!思いっきり左手で畳をたたく。「一本!」 大外刈りの受け身は、私の裏の得意技である。試合を演出するのは、常に、わ・た・し・だ。やっと休憩ができる。
えっ!耳を疑う。まだ私は座ったばかりなのに、審判員が呼ぶ。なぜだ?第2試合は、さっきと逆の順番でするらしい。名簿の最後だった私は、なんと、最初の試合。女性審判員の目にも、憐憫が浮かぶ。同情は要らないが、少しでも時間が欲しい。しかし、ルールどおりに試合が始まる。もう立っているだけで精一杯である。しかし、相手もなぜか私を恐れ、技を掛けてこない。二人とも、クルクルポン(教育的指導)を取られながらも、ダンスのような三分間が過ぎた。引き分けである。勝ち残りを、じゃんけんで決めなけれならない。立っているのもつらい私は、笑顔で勝ち残りを辞退する。しかし女性審判員に、私の笑顔は通じない。結局、じゃんけんに勝ち、勝ち残りである。仕方がないから次の試合は、すばやく抑えこまれ、敗戦をする。
力まかせに押し倒す。足を取る。しがみつく。ポイントを取ったら、時間まで逃げる。すばらしい事だ。試合は、勝つために全知全能を尽くすものである。敗者に喜びはない。嫁いで15年。私も、旦那家の家風に染まる。黒帯まであと1.5点。
次の昇段試験まであと27日。
五月
27
愛知県武道館。今日は皇后杯である。女子無差別級の戦いだ。昨年に引き続き観戦にくる。駐車場が満車の為、遠く離れた公園の、駐車場に止める。歩く。歩く。歩く。「あっ!アトムボーイ」長女が歌う。ちょうど試合開始の時間だが仕方ない。「なんでも100円」の旗につられて席につく。長女多食、息子小食、次女欠席で3千円。旦那のビールは余分だ。
IT先生にいただいた招待券で、長女は試合会場に入れる。息子も、長女の後ろにそしらぬ顔でついていき入場する。旦那と私は、2F席である。ちょうど2回戦のはじまりだ。大きな女性達が、機敏に動く。KM先生がよく言われた「動けるデブ」とは彼女達のことか…・。
2回戦と3回戦の間の休憩。みんなが、弁当を買いに走る。トイレに行った旦那も、サンドイッチを買ってきた。このど素人!昨年、2時から弁当が、すべて半額になっていたのを忘れたのか。黙って、1つしかない卵サンドを、取り上げほおばる。塚田選手の三回戦がはじまった。小外押し倒しからの、崩れしがみつき固め。1分で、勝利の方程式にはめる。きっと、私のビデオで研究したのであろう。しかし、みんな勝つことに貪欲である。「足持ってダッシュ」なんか、普通の技だ。倒れこんだ位置からでも、相手のかかとを掬う。しかも、それでも、倒れない。緊迫した戦いの連続だ。自分で試合を経験したので、昨年よりずっと面白い。ポイントを取った後の残り時間。抑えこまれた30秒。試合中の選手の、気持ちがよくわかる。
ベスト4が出そろう。そろそろ弁当の半額時間だ。ロビーに走る。しかし、なぜか、すでに、弁当屋の姿がない。
空腹を抱え、優勝の塚田選手に拍手を贈る。
次の昇段試験まであと20日。
28
金曜日。子供たちを、KN柔道教室に、出稽古に連れて行く。SK先生の本拠地である。御巫さんになったNZちゃん(元県高校チャンプ)長女のあこがれである。少しやせて、きれいになった。しかし、強い。やっぱり強い。長女が、子供扱いである。あの体さばきは、神楽の舞いか。
私のお気に入りに追加した、C工高MS君も、少年の指導をしている。
ここでMS君評を入れる。
「柔道着でなら、メンズnonnoの表紙を飾れる」byNG君(高3)
「そうですか?僕は好みじゃありませんね」…あなたは男でしょSK先生。
「おい!でぶ!」……さすがは、NZちゃん。
MD中学の白帯が二人、練習にきた。昇段試験候補者だ。よく観察する。私よりは、少し大きい。打ちこみを見る。技のキレはなさそうだ。乱取りを観察する。小学生相手では、実力がはかりにくい。私の柔道着は車の中。練習をしてみたい。しかし、今、手のうちを、見せるわけにはいかない。私と実力伯仲の息子を使う。中学生に、手加減無用の指示をする。息子のケガを怖れてはいけない。今は、実力を測ることが大切である。大きく動く中学生。息子が小外を掛ける。大きく転がる。息子が背負う。又転がる。面白いように技がかかる。
練習終了後、来月の昇段試験を受けるように強く、勧める。
次の昇段試験まであと15日。
29
あと1.5点。試合の前日まで、練習するのは初めてだ。大内刈りから支え釣り込み足。小外刈り。朽木倒し。双手刈り。持てる技の総復習だ。ひそかに覚えた、一本背負いからの横落としも試してみる。
なにも決まらない。なにも出来ない。もうパニック状態だ。勝ちたい。心の底から思う。これがプレッシャーと言うものか。これが緊張感か。
柔道教室の方々にとっては、他人事である。気楽に声をかけてくれる。「大丈夫ですよ」「楽勝楽勝」「いよいよですね」「いけますに」「黒帯買いに行かなあきませんね。」
私をなめるでない。準備は出来ている。東洋のGマーク¥5000の黒帯には、もうネームが入っている。・…旦那の帯は¥2300…
さあ!明日である。
30
緊張だ。プレッシャーだ。とは言うものの、「眠れない」などと言うことは、私には無い。朝食も旦那の目を盗みひそかに、おかわりをする。体重も武器である。この言葉も、明日からは、使えないのであろうか。
試合場は、M武道館。新中2が、受験始めで、今までになく受験者が多い。旦那が、いつものように相手チェック。今日の作戦は、一試合目に、なんとしても勝って9.5点。二試合目は、すみやかに負けて次の試合に黒帯をかける。もし、ここで負けても6月には形の審査だ。
一試合目。まずい。意外に強い。しかも、積極的に攻めてこられる。激しい攻防が続く。私は、勝たなければいけない。旦那の指示の声も、焦り気味だ。こんなときこそ、的確な指示が必要なのになさけない。「お母さん、あと30秒」息子の声。あっ!今だ!足払いにきた相手の体勢が崩れる。左足払いが、ツバメ返しにきまる。「有効!」抑えに行くが逃げられる。ラスト20秒。無事に逃げ切り9.5点。
二試合目は、強豪MD中学の二年生のエースだ。さすがに強い。私が負けてあげる前に、投げられてしまった。私以降も勝ちぬき、あっという間に10人ぬいて、立ち去った。呆然である。
充分の休憩後。三試合目。めちゃくちゃ大きい相手である。開始直前、旦那が小声で言う「相手も9.5点や」ささやき作戦の指示か。しかし、最後の試合である。勝っても負けても良い。思いっきり闘う決意だ。試合開始。どうも今日は、強い相手ばかりだ。振り回される。しかし私は、果敢に攻める。もてる技術のすべてを尽くす。足持ってダッシュ!「有効!有効!」旦那の声だ。どうも女性審判員は、私には合わない。「お母さん!ラスト1分!」息子の声。まだ1分もあるのか。ここからは、引き分け狙いに切りかえる。もう攻めずに、時間の経過を祈るだけ。まだか、まだか、まだなのか。生涯最長の1分間である。「時間です!」やった!10点だ!ガッツポーズが思わず出る。自然に出る喜びの姿は美しいものだ。相手と健闘を称えあい握手をする。あれッ?意外に小さい。私とあまり変わらない。165cmは超えていると思っていた。極度の緊張と、怯えが、相手を大きく見せたのか。
「たいしたもんです」「ようやった。ようやった。」「おめでとう」「がんばったね」祝福の声が続く。黙ってポンポンと肩をたたいてくれた、TJ先生は、やっぱりダンディーである。皆さんのおかげです。感謝しています。謙虚な心で皆さんに感謝する。
名前を知らない先生が寄って来て、私に組み手の指導をする。黒帯の私に、指導出きるとは、元世界チャンプに違いない。
31
最終章である。形の審査が残ってはいる。しかし、もうドラマはない。二ヵ年計画であったはずが、わずか半年で終了してしまった。楽しかった。柔道が、これほど私に、むいているとは思わなかった。指導者の方々ありがとう。闘ってくれた中高生にも感謝する。もっと早く柔道と出会いたかった。中学からはじめていたら、世界チャンプぐらいにはなっていただろう。
勝つことだけにこだわった半年を捨て去り、これからは柔道の基礎を学ぶ。正しい礼法。受け身。打ちこみ。初心者や低学年の子供たちには、おばさん先生のほうがなじみやすいであろう。そうやって年功を積み推薦で弐段をめざす。
目標!家族で10段!
6月
32
最終章の次の章である。ドラマは続きそうだ。身体の痛みを忘れ、黒帯の封を切る。ローカル・ルールで、実技合格から黒帯で練習が出きる。道場につくと子供たちから「おめでとう」の声がかかる。ありがとう、君達のおかげだ。これからは、私が指導してあげるから安心しなさい。
形の練習を開始する。柔の形は、ひそかに受けた講習会で自信がある。なにを隠そう、私は元フォークダンス部だ。投げの形の練習、まずは「受け」からだ。旦那が「取り」。浮き落とし。いち・にぃのさんで、前まわり受け身。???どちらの手で受け身をすれば良いのか?一人で前まわり受け身をしてみて確認。もう一度浮き落とし。いち・にぃのさん!・…できない…・前に邪魔者がいて、スムーズに前まわり受け身が出来ない。
まあいい一日一個、覚えていこう。
形の審査まであと27日
33
以前にも書いたが、私には右足と右手・左足と左手がどうしても同じ方が前に出てしまう悪癖がある。形の練習をしていると、これが大変邪魔だ。旦那曰く、江戸時代までの日本人は、右足と右手・左足と左手をそろえて歩いていた。だから、相撲とか剣道とか、日本の武道はそう言う歩み方をする。だから、私は武道向きらしい。あやしげな講釈が、好きな男である。それならば、なぜ形の練習に、私が苦しむのだ。何度しても背負い投げのときに、この悪癖が邪魔をする。私はまだ、最初の浮き落とししかできない。
形の審査まであと21日
34
親不孝もの誕生である。長女が形の練習を拒否するのだ。
昨日は、中学校の体重別選手権であった。鈍い運動神経を補う為に、一生懸命練習した長女は、柔道着を着ていた時間なら県下最長であろう。豊富な練習量にものを言わせ順調に勝ちあがった。決勝戦。長女は、眠らないカメだが、相手はウサギ。一年生のときは8秒で一本負けだった。運良く、有効を奪う。ラスト30秒。逃げようと後ろに下がった長女に、右大外刈り「一本!!」。先生に報告後、道場の片隅で泣く長女。もらい泣きする私。二人で、7月の大会までに巻き返すことを誓う。
そして今日。「おかあさんの練習に、つきあっとる時間無い」とひたすら練習をする長女。仕方なく旦那相手に、浮き落としの練習をする。背負い投げはまだ出来ない。
形の審査まであと19日
35
M武道館。今日の日に備え、一人210円を払い、3回も通った。どの位置に審判が来ても良い様に、練習した。広い道場で、旦那と二人、西向いて、東向いて、北も南も大丈夫だ。しかし、最後まで受け身は出来ない。投げの形の「受け」だけはやりたくない。柔の形、投げの形の「取り」は完璧である。
実技からである。私はすでに10点ある。しかし、今日、旦那はごみ当番に行かせた。他の先生も見えていない。本来なら、自分の形の練習をしたいが仕方ない。長女の通うK中生に指導できるのは、私しかいない。多少、はしたないが、大声で指導する。私の的確な指示のおかげで、RS君が三点を取り実技を合格した。間違い無く、旦那より私のほうが指導力もあるようだ。
しまった!ここだけは練習しなかった。赤畳が無い。しかも、畳が縦に並んでいる。しかも、しかも、本部席の前。お偉い先生方が居並ぶ。私はどこに立てば良いのだ????パニックになりながらも、柔の形をはじめる。私の「取り」だ。右手をゆっくり上げながら進む。あっ!あの馬鹿!長女が正面から、同じように右手をあげながら進んでくる。大声で言い争う親子。間違っていたのは私らしい。そうか、進むほうが「受け」だったのか。過ちは素直に認め皆さんに形を披露する。「おい!早すぎる!」本部席から声がかかる。ひょぇ〜ゆっくりしようと思うと、リズムで覚えた為、つまらないミスが出る。自信満万で挑んだ審査が、冷や汗いっぱいで終わる。「お疲れ様でした」「よく練習してきたね」いろいろな先生から声がかかる。本当ならもっとうまく出来たのに・・…悔しいけれどこれですべて終了。主婦37才の講道館初段誕生である。
36
講道館インターネットショップで段証書用額を3個注文した。旦那と私と長女の分である。一個7350円。旦那の会社は、不況で残業は減り、ボーナスも減額支給である。居間に5個並べて飾るんだと熱く語る旦那は、この夏はビール抜きになったことを知っているのだろうか。
およそ6年前。旦那の強引な説得で柔道をはじめた息子。
身体が小さく不器用で、打ち込みなんか見てはいられない。勝つときは優勢勝ち、負けるときは一本負け。しかし、勝利への執着心と柔道の知識は誰にも負けない。いつのまにか、いろいろいろな大会で上位入賞をするようになった。今年は、県の強化選手にも選ばれた。
息子だけ強くなり、兄弟ゲンカで負けることを怖れて、柔道をはじめた娘達。
次女。持ち前の運動神経で、はじめた頃は強かった。しかし、学年があがるにつれ、身体が小さいのと男の子に負けるので一時、嫌になっていたようだ。最近は、体重別・男女別になる中学に向けて気持ちを切りかえたようだ。毎朝マラソンをし、柔道のない夜も旦那をつかまえ練習している。まだ30kgそこそこしかないので44kg級でもかなり厳しいと思うが、必ず中学にいるうちに結果が出せるだろう。
長女。こいつが一番意外だった。柔道をはじめるまでは新体操。華奢な身体で心配したもんだ。それが今では男の子顔負けの腕をしている。どんくさい。本当にどんくさいが、柔道着を来ている時間は、県下最長だろう。せめてその半分でも勉強を…と思うのが私も親。のろまなカメも県三位・県二位と順調に成績を上げてきた。この夏の大会には優勝して北海道での全国大会に出て欲しいものだ。
IT先生、TJ先生の暖かい勧めで再び柔道着に袖を通した旦那。
今度は審判服が欲しいと言う。新しい柔道着を買ったばかりだが仕方ない。この夏はビールを飲まないのであろう。柔道着に審判服。子供たちが卒業してもずっと柔道に携わっていく決意の現れか。
そして、見ているだけでは、歯がゆくて柔道をはじめた私。
試合が面白いので、続けて2段戦に挑戦しようと思った。しかし、旦那の必死の説得で思いとどまる。考えれば長女のような選手達とでは、いくら私でも危険だ。当分技を磨きつつ、低学年の面倒でも見よう。これからの子供たちの少しでも役に立ちたいと思う。
気がつけば5人そろって、ずっと柔道に携わっていたいと考えている。柔道のおかげで、いつも5人そろって行動している。家庭での会話も弾む。精力善用・自他共栄にもう1つ加えたい。家庭円満。
運動経験もなく、身体も小さい私がこんなに早く、初段になれるとは思わなかった。緊張・不安そして勝利の喜びなど、いろいろなことを柔道で学んだ。そしてなにより、この充実感と達成感。「柔道は努力のスポーツです」IT先生のお言葉。「練習は裏切らない」長女が好きな言葉。体力があまりないので、道場でも見ているだけの時間が長いが、この半年間全力を出しきった。見ているだけのお母さん、ぜひいっしょにやりましょう。子供が変わる。世界が変わる。そして自分が一番変わる。
柔道、この素晴らしいスポーツを生み出した、日本と嘉納治五郎先生に感謝。
教えていただいき励ましていただいた柔道教室の先生方に感謝。
相手をしてくれた柔道教室の小中生に感謝。
審判をしてくれた先生や声をかけていただいた先生に感謝。
試合してくれた中高生に感謝。
そして最愛の家族に感謝。