あき家のイチジク


 隣のあき家の庭が明るかった。
ぼくは二階の自分の部屋から見下ろしていた。隣は平屋で、広い庭には大きな木がたくさん植わっ ている。どの木も好き放題に伸びていて、二階から見ると庭も家の瓦屋根の大部分もすっぽり木の陰になっていた。その庭が木の枝越しに、ほうっと明るい。
 いつもなら僕は二階に上がってきたらすぐにベッドに入るので、たぶん気づかなかったろう。でも四年生になって新しく担任になった先生は、一学期はまだ少し三年生の気分でいてもいいけど、二学期からは五年生の気分になっ てもらいますと言い、最近は宿題をどっさり出す。そのせいで僕は、いつも眠る前に一時間机の前に座る。窓は机の左側にあるので、すぐに気づいた。きのうは真っ暗だったのに、今日はほんのりと明るかったので。
 ぼくは音がしないようにそっと窓を開けて、身を乗り出した。話し声だか人が動き回る時の物音だかは分からないけど、そんなかすかなざわめきが窓からぼくの部屋に入ってきた。
 誰かが引っ越してきたのだろうか。
 あくる朝お母さんに聞いたら、あの家に一人で住んでいたおばあさんは病気になっ て入院し、もう十年以上もあき家になっていると言う。学校に行く前に、隣の門の所まで行っ てみた。塀ごしに見える玄関の引き戸のガラスは割れているし、レールから外れているのか傾いているし、とても誰かが住んでいるようには見えなかった。

                                    一

 でもぼくが灯りを見たのは、夢じゃない。ちゃんと窓まで開けて見たんだから。
 ぼくは気になってしょうがなかった。次の日の夜も、窓を開けて隣を見下ろした。
 八時ごろはまだ暗かった。十時を過ぎたころだと思う。庭は少しずつ少しずつ、ぼんやりと明るくなってきた。
「気のせいじゃないよな」
 ぼくは何度かぎゅっと目をつぶって、また開けて見た。直接庭に明かりがついているのではなくて、どこかからもれてきた光のように見える。たとえば、家から。
 確かめてみたいけど、一人では気味が悪い。友達の卓也を誘っ てみようと思っ た。
 隣のあき家の庭には大きなイチジクの木がある。部屋から見ると、そろそろ食べごろのようだ。イチジクをとりに行こうと言えば、絶対に嫌とは言わないだろう。卓也は食べられるものなら何でも大好きな、クラスでも有名な食いしん坊だ。
「本当に黙って入ってもいいんか」
 卓也は門の前でためらった。ぼろぼろの門は針金で開かないようにしばってあったけど、それはとっくにさびて落ちている。その気になれば簡単に中に入れた。
 イチジクの木は庭の中で思い切り枝を広げていたので、門を入ったらすぐに見えた。卓也は目を輝かせて走りよった。ぼくはなるべく家の方は見ないようにして、卓也の後について裏庭に回った。

                                    二

「本当だ。うまそうに色づいてる」
 一つもいで早速皮をむこうとしている。ぼくはあまりイチジクを好きではない。それに初めからそれが目的で、ここに来たのではなかった。
 庭に面した縁側は、雨戸が閉めたてられている。でもその雨戸も古びて割れているし、自然に開いたのか最初からきちんと締めきられていなかったのか十センチばかりすき間が開いている。ここから光がもれていたんだろうか。
 そばまで行ってのぞいたら、中のようすは分かるだろう。でも何かへんな物が見えたらどうしよう。
 卓也がイチジクに夢中になっている間、ぼくは庭をうろうろした。怖いくせに雨戸のすき間から目が離せなかった。せっかく来たんだから、何もしないで帰ったら意味がない。思いきって雨戸に近寄り、すき間に目を当てた。最初は何も見えなかった。目が慣れてくると、次第に何かが見えてくる。家具の何もない座敷の真ん中に、ふとんがしいてあるようだ。ふとんはふくらんでいる。誰かが横になっているようだ。
「うっ !」
 ぼくは息をのんで後ずさっ た。
「どうかしたんか」
 いつから見てたのか卓也がすぐ後ろにいた。

                                    三

「さっきから、何やってんだよ。中に何かあるのか」
 何のためらいもなく、卓也は雨戸のすき間に眼を当てる。
「なーんにもないじゃないか。つまんね」
 卓也はイチジクの皮をぷっと吹き捨てる。
 えっ、とぼくはもう一度雨戸に目を当てた。
 さっきと違う。ただのあき家だ。座敷なんてものはなく、畳はみんな上げられていて、むき出しの床板に厚くほこりが積もっている。
 所々はずれた板の間から、枯れた雑草がひょろひょろと伸びてた。こわい、こわいと思っていたから見間違えたのかもしれない。
 その時、後ろで草を踏む音がした。振り向くと小さな女の子がいる。見たことのない子だ。ぼくたちがここに入ったのを見ていて、ついて来たのだろうか。
「あたしにもイチジク、とって」と言った。卓也がとってやるだろうと知らん顔をしていたら、女の子はぼくの方を見てイチジクとってと繰り返す。
 卓也は食べるのに夢中で、女の子のほうを見もしない。
「おい、イチジクとってやれば」

                                    四

 卓也はやっと振り向き、何だよとぶあいそうに言い捨てた。卓也はあきるだけ食べたら、今度は持ってきた袋にもいだイチジクをいっぱいつめていた。
「欲しければ自分でとれよ」
 ぼくは仕方なしに手近なイチジクをもいだ。
 女の子はうれしそうに受け取り皮をむき始めた。
「君、一人で来たの?」と聞くと、肩の所できれいに切りそろえた髪の毛をふって、お父さんとお母さんとお兄ちゃんと、と言う。家族の人数を聞かれたと思ったのだろうか。
「そんなもん、おいしいかい?」
 ぼくは自分が嫌いなもので、いかにもおいしそうにしゃぶりつく女の子に嫌がらせを言った。女の子は口の周りをべたべたにして、おいしい、もっととってと言った。
 女の子は二個目を食べた。それを見ていて、妙な気がした。何かがおかしい。
 この子大きくなってないか? 気のせいか? そんなことあるわけないよな。
 じろじろ見ていると、女の子はうつむいて、お父さんがいなくなった、と言った。ぼくはびっりして、辺りを見回した。本当に家族みんなでこの庭に入っ てきたのかと思っ たので。 でもそんなようすはない。時おり庭の木に降りた小鳥のさえずる声が聞こえるほかは、しんと静かだ。

                                    五

 女の子はもっとほしいと言い、三個目を食べた。
「そんなに食べるとお腹こわすぞ」
 ぼくは言い、女の子から目が離せなくなっていた。
 白いまる襟のシャツの上に、オレンジ色にいろんな色が混ざった格子模様のスカート、ジャ ンバースカートって言うんだっ たか、僕には女の子の服の事はよく分からないけれど。スカートの裾は短めで、ちょっと変わった服だと思っ た。
 一体どこの子だろう。それにやっぱり気のせいなんかじゃなく、その子は大きくなっていた。
 最初に見たときは三歳くらいかと思った。でも今は小学校の一年生くらいに見える。
 ぽっちゃりしていた小さな手が、新しいイチジクを渡そうとしたらほっそりとした少女らしい手になっていた。ぼくは手がぶるぶるふるえた。
「本当にずっと食べたかったの。この庭のイチジクが。小さい時から大の好物なの」
 五個目を渡した時、女の子はぼくと変わらないくらい背が高くなっていた。最初の子のお姉ちゃんなのだろうか。いつの間にか入れ替わって、ぼくをからかっているのだろうか。
「お母さんもいなくなったわ」と、その子はぽつりと言っ た。さらさらの髪の毛は肩にたれて、木漏れ日に輝いている。

                                    六

「右の枝の先にある、大きいのを取って。あれはきっと一番大きいわ」
 ぼくは言われた通りそのイチジクをもいだが、女の子の方を振り返る勇気がなかった。
 まだ夢中でイチジクをもいでいる卓也に声もかけず逃げ帰った。
 ぼくが帰った後、女の子は卓也に取ってとたのんだろうか。六個目を食べ、七個目を食べたら、女の子は一体どうなったろうか。
 明くる日、卓也にどうして一人で帰ったんだと責められた。
 お腹が痛くなったんだと言うと、あんなにたくさんイチジクを食べるからだと言われた。
「次から次へともいでたじゃないか」
「ぼくは食べないよ。女の子にもいでやったんだ」
 女の子? と卓也は変な顔をした。ぼくはそれ以上聞くのが、怖くなって黙ってしまった。
 それからというもの、ぼくは宿題を居間でやった。自分の部屋のカーテンは、まだ明るいうちにきっちり閉めておいた。
 もしあの女の子がぼくの部屋の窓からのぞいて、もっとイチジクほしかったのになんて言ったらどうしようと思う。怖くて、カーテン越しにでも窓のほうは見られない。
 最後にもいだイチジクは、紙に包んで引き出しに入れてある。捨ててしまうのも、何だか嫌だ。もし女の子が 窓にあらわれた時、渡すものがなかったらと考えるともっと怖かったので。

                                    七

 それからしばらくたったある日、学校から帰ると隣の家がなくなっていた。さびた門も家も、庭木まで一本残らず消えうせていた。イチジクを取りに行った日の事を思い出して、これもあの時の女の子みたいに何か魔法みたいなものか、と考えた。
家に帰るとお母さんが「ひどいでしょう」と、となりを指差した。
「庭木はつぶさないで掘り起こしてくれたらいいのに、パワーショベルであっという間に全滅よ」
「イチジクの木とか?」
「そう、よくおとなりのおばあちゃんが持っ てきてくれた。お母さん、嫌いだっ て言えなくて。毎年たくさん貰っ たわ」
 お母さんは嫌いなイチジクをどう始末したんだろう、とぼくは考えた。
「おばあちゃん、帰ってきたかったでしょ うね。長い間一人きりで病院にいて。身寄りもなかったからね。一度お見舞いに行っ たけど、それからすぐに病院を変わってしまって、どこに行かれたのか分からなくなってしまったの」

 お母さんの声が少し涙声になっている。
「もっと、ちゃんと探して行ってあげたらよかった。おばあちゃん、少し前に亡くなってしまったらしいの」
「おばあちゃ んっ て、どんな人だっ た?」

                                    八

「すらっとして白髪のきれいな人だった。ずいぶんお年なのに、束ねないで肩までたらしておられてね。それが良く似合うの。あんたが産まれた時にはもう、いなかったものね」
「おばあさんには、お兄ちゃんがいた?」
「どうして知ってるの? 昔はお兄ちゃんと二人だけで暮らしていたって聞いた事があるけど」

 ぼくは自分の部屋で、引き出しから出したイチジクを眺めている。
これをどうしたらいいのだろう。大きかったイチジクの実は、皮がシワシワになって少し小さくなっていた。
 土に埋めたら、もしかしてまたイチジクの木になるだろうか。そうしたらまたあの女の子は出てくるだろうか。
 もしまた会えたら、今度は女の子がほしがるだけイチジクを渡してやりたい、とぼくは思った。白髪のきれいなおばあさんになってしまうまで何個でもだ。きっとおばあさんもそうしてほしかったはずだ。途中で逃げ帰ってしまった自分が、恥ずかしくてならなかった。
 窓の外を見る。隣は暗い。掘り返された土のにおいが、二階にまで届いてくる






                                    九


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