穴の掌話*手のひらの小説*


          その一
     ハナさんの庭

 ハナさんの庭は決して広くはない。ほんの三坪ほど。
 そこに山茶花の木が三本、アジサイが一株、南天の木が角にある。さらにわずかにあいた軒下に百合の球根や水仙や、季節によっては朝顔やひまわりが根をはる。
 ハナさんにとっては植物も家族で、朝はそれらに声をかけ、水を与え世話をする。
 だが今日はその庭で変わった物を見つけた。指の先でつついたような穴だ。真ん中の山茶花の木の下に。
「何かしら。蝉の抜け出た穴?」
 ハナさんはしゃがんでしげしげとそれを眺める。細い枝の折れたのを中に入れてみる。奥まで届かない。小さい穴なのに結構深そうだ。枝はすっぽりと中に入り、そのまま落ちて行った。
 そのまま何という事もなく、ハナさんは穴の事を忘れていた。老人会で日帰りの旅行があり、近くの神社で秋祭りがあり、孫の結婚式に呼ばれて二晩泊りで娘の家に行っていたり、何かと忙しかったのだ。一週間ぶりくらいでやっと一息つき、庭に出てみると山茶花の根元に握りこぶしが入るくらいの穴が開いていた。
「何、これ?」
 そう言えばたしか蝉の出たような穴があったのはここだ。今はとても蝉の穴とは思えない。
「モグラかしら」と、ハナさんはあわてた。
 モグラに山茶花の根を切られたら大変だ。

                                    一

 この山茶花は五年前に亡くなったハナさんの夫が植えた物だ。赤と白の絞りの花を毎年どっさり咲かせてくれる。
「どうしたらいいんだろう。老人会の広瀬さんに聞いてみよう」
 広瀬さんは昔造園業をしていた人で、もう九十を超えているが記憶は確かだ。
 早速出かけて聞いてみると、モグラは耳がいいそうでうるさい音を嫌うらしい。ペットボトルで風車を作って穴のそばに指しておくと、風が吹くたびカラカラ鳴るし、地面が揺れるので嫌がってどこかに逃げて行くと言う。風車の作り方も教えてもらい、ハナさんは穴のすぐそばに差し込んだ。
「これでひと安心」
 でもとりあえず、穴が開いたままなのはいやだったので、手ごろな大きさの石を上に乗せておいた。
 そろそろ山茶花のつぼみが出てくる。ハナさんは、一番先に咲いた花を仏壇に供えるのを楽しみにしていた。
 ハナさんの夫は花いじりが大好きだった。今、庭に植わっているのは全部ハナさんの夫が植えた物だ。きれいに咲くとハナさんを呼んで自慢した。自分が上手に手をかけるからこんなにきれいに咲くんだと。
 水遣りくらいならいいが、ハナさんがちょっと枝を切ったり肥料をやろうとすると、あからさまに嫌がった。おまえが触ると枯れる、と言うのだ。だからハナさんが庭弄りをしだしたのは夫が居なくなってからの事だ。
 きれいに花が咲くと、ハナさんは仏壇の中の夫にこう言ってやりたくなる。
「ほら、私がやってもきれいに咲くじゃないの」

                                    二

 あくる日、気をつけて山茶花の根元を見た。
 風車は勢いよく回っている。そんなに大きな音はしないが、でも地面はきっとゆれているだろう。
 モグラは怖がって遠くへ行ってしまったに違いない。穴の上に置いた石もそのままにある。安心してハナさんは水遣りをした。
 ところがその次の日だった。山茶花の根元に石がなかった。風車さえなかった。風で飛んだのかしらと、急いで履物をはいて庭に出てみた。どうしてか、穴がさらに大きくなっていた。今はもう、ハナさんの片足がすっぽり入るくらいだ。ぱっくり口を開けていて、奥は見えないほど深い。
 どう考えても、もうモグラの仕業とは思えない。
「どこかで排水でももれているのかしら。土がどこかへ流れて行ってるのかしら」
 ハナさんはあわてた。もしそうなら放っておいては大事になる。誰に聞こうか、どこに頼めばちゃんとしてくれるだろうか。ハナさんはすっかりうろたえて家に入ったり出たり、電話の受話器を持ち上げたりおろしたり。もうどうしていいか見当がつかない。
「とりあえず、埋めてみよう」
 結局そう思い決めて小さなバケツを手に取り、玄関あたりに敷き詰めてある細かい砂利を入れ、裏庭に運んだ。穴の中にザラザラと入れる。

                                    三

 数回運んだがまだ底は見えない。玄関の砂利がほとんどなくなった。それでも底は見えない。それどころか前より穴が広がった気がする。
 ハナさんは半分べそをかきながら、今度は家の脇に積んであった古い瓦を持って裏庭に行った。瓦は割らなくてもそのままの大きさで穴の中に落ちていった。
「もっと、大きい物を」
 ハナさんは玄関を出て、きょろきょろした。汗だくで、腕はしびれ、足元もふらついている。
 それを見て、通りかかった男の人が声をかけてきた。
「いったい、どうなさったんですか。大丈夫ですか?」
 茶色の毛糸の帽子を深くかぶった、小太りの男の人だった。腕も贅肉だか筋肉だかは分からないが、たっぷり太い。ハナさんは夢中ですがった。
「お願い、何か大きな石が欲しいの」
「石なんかどうされるんです?」
「裏庭に穴が……。どんどん大きくなって」
 男の人は、どれどれ見せてくださいと先に立って裏庭に入る。
「奥さん、これはだめだ」

                                    四

 ハナさんは思わず悲鳴を上げた。今や穴はハナさんの体がすっぽり入る位の大きさになっている。気のせいか見ているそばから、じわじわとあたりの土や草や、山茶花の根元までその中に取り込もうとしているようだ。
「中にいろんなものを入れたでしょう?」
 ハナさんはもう声も出せずうなずくと、男はやおら腕まくりをした。
「穴は奥さんが入れたものを食って大きくなっているんです。もうこうなったらこいつの大嫌いなものを入れるより方法がありません」
「大嫌いなものって?」
「ヨウカイです」
 男がごく自然にそう言ったので、ハナさんは理解できず考え込んだ。
 ヨウカイって、何かを溶かした物かしら。
「そうじゃありません」
 ハナさんの心を読んだように、男は言って笑った。
「妖しい、怪しいと書く妖怪です」
 男はニッと笑う。
 帽子の下の顔はあばただらけだ。しかもその口は耳まで裂けたような、「まさか」とハナさんはたじたじと後ろによろめき眼をこする。

                                    五

 男は穴の縁まで行き、両足をそろえてポンとそこに飛び込んだ。あっと思うまもなく頭の先まで消えてしまった。
「あらあら、あなた。そんな事して」
 ハナさんはびっくりして穴に近づき、おそるおそる覗き込んだが何も見えない。
「きっとあの人も食べられてしまったわ」
 ハナさんはどうしていいか分からず、へたへたと座り込んだ。そのまま数分が過ぎた頃、穴の中からゲッフと聞こえた。
 それから何度も、ゲッフ、ゲッフ、ゲッフ。
 いきなり穴から何かが飛び出た。ぽんと飛び出た鏡餅ほどもありそうな茶色い物が、ゲッフと口を開く。大きな口だ。
「ガマ蛙!」
 ハナさんはあんまり驚いたので、地面でのけぞってそのまま動けない。
 大きなガマ蛙はボッタン、ボッタンと飛び跳ね、ハナさんの庭から出て行った。
 穴はウエウエと声をたて、瓦やら、石やら、砂利やら、風車やら、ジャワジャワと吐き出した。ハナさんがやっと気を取り直してのぞいた時には、すっかり穴はふさがっていて、何事もなかったように風がそこを通り抜けていった。






                                               六

          その二
     魔法の本

 ぼくは学校の図書室で魔法の本を見つけた。
 まだ新しそうな青色の表紙の本で、魔法使いと言ったらだれもが思いつきそうな黒いとんがり帽子の魔女の絵が描いてあった。
 魔女は歯をむき出してニタニタ笑い、水晶玉に両手をかざしていた。うそっぽいなと思ったけれど、ひまだったのでその本を持って、椅子に腰かけた。
 近くに同じクラスのミカがいた。分厚い本を開いて、ノートに何か書き写している。ミカは啓太の持っている本をチラッと見て、フンと鼻でわらった。
 ぼくはかまわず、わざとミカの隣の椅子に移った。ミカはぼくが本を開くのをのぞきこむようにして「それ、マンガ?」と言った。
 いやなやつだ。ちょっと勉強ができるからって、いつもムカつく物言いをする。
 ぼくはかまわずページをくった。
 目次の一番最初に、『嫌いなやつをサルにする魔法』とある。ぼくは心の中でにんまりわらった。
 サルになってもそんな嫌みが言えるかな。
 それからわざとむずかしい顔をして、次のページをめくった。そこには『まずきらいなやつをじっと見つめる』と書いてある。 ぼくがジィーと見つめると、ミカは何だか急に顔を赤くして横を向いた。

                                    七

「気がちる。あっちに行ってよ」
 嫌なら自分が行けばいいのにと思いながら、次の行を読む。
『見えないように自分の右手の親指と左手の親指を重ねる』
 よし、重ねた。次は…。
『呪文をとなえる。●カガ●ルサ●ノ●ツ、これを続けて三回』
 えっ? 何だって。
 ぼくは本を持ち上げて、そのページを何度もめくりかえした。
 穴があいている! その短い呪文の中に四つも。きれいにまん丸な穴。その部分の文字は全然読めない。
 なんだ、これ。わざと? それとももしかするとこの部分は読まなくていいのかな。
 しかたなく、カガルサノツカガルサノツカガルサノツととなえてみる。ミカは見ていた本とノートを閉じると立ち上がった。
「バーカ」とひとこと言いすてて、行ってしまった。
 くやしい!
 そのまま本を元にもどすのも腹が立つ。ぼくは本をかかえて、借り出しの手続きをすると、とっとと家に帰ることにした。
 
                                    八

 家に帰って本は机の上に放り出し、テレビゲームを始めた。今年の正月に買ってもらったやつ。
 もうとっくに最後までクリアして、ちょっと飽きてきている。でも他にするものがない。
「ああ、新しいの欲しいなぁ」
 テレビでCMしてるやつ、すごく絵がきれいだし、出てくる女の子が強い上にとってもかわいい。
 小遣いは毎月千五百円ぽっちだし、毎月いつもたりないし。プレゼントにせがむにしてもぼくの誕生日は二月だし、クリスマスも正月もまだふた月も先だ。
 やりかけのゲームを途中で放り出して、寝ころぶ。いきおいよく寝っころがったので振動で机の上の本が頭の上に落ちてきた。頭をさすりながら起きてみると、今日借りてきた本じゃないか。読めと言われたようで、開いてみた。
 豚の呪文の後に、『欲しい物を手に入れる魔法』とある。
 ぼくは昼間の事を思い出したにもかかわらず、ちょっと期待して読んでみることにした。
『まず欲しい物を心に思い浮かべる』

 僕はテレビのCMを思い浮かべた。
『自分の胸に手を当てる』
 だれも見ていないのですなおにそうした。

                                    九

『ナラヌ●●●ン、ス●ガカンニ●。ブシ●●ワネド、タカ●ウジ』
「何なんだよ!」
 ぼくはがっかりして本を放り投げる。また穴だ。それも八つも。最初のと同じようにきれいに切り取られた丸。
「だれだ。こんなことするの」
 いたずらにしてはあまりにきれいに切り取られた穴だ。もしかすると最初からあいていたのか。だとしたらなぜだ。
 穴のあいたページの裏を見た。そこには魔女の絵がある。そしてその絵の所々には穴があいている。いくらながめてもその穴の場所に意味があるようには思えなかった。

 本当につまらない一日だったと、ぼくはベッドに入ってつぶやいた。何かもっとわくわくするようなおもしろいことないかなぁ。
 あの本に穴があいていなくて、もし本当に魔法がつかえたらどんなに楽しいだろう。目次にはまだもっといろんな魔法が書いてあった。最後まで見たほうがいいかな。
もしかすると後のほうは穴があいていないかもしれない。
 いつもならベッドに入ったとたんに、眠ってしまうのに何だかちっとも眠くならなかった。そのせいだ。もう一度あの本を見てみようと思ったのは。

                                    十

 ぼくはベッドから出て、机の上の本を手に取った。机の引き出しを開けて、ペンライトを取り出す。去年お祭りで買ってもらったやつだ。青色だけどけっこう明るい。
 ふとんにもぐってその中で本を広げ、ペンライトをつけた。
『すぐに眠れる魔法』
 ぼくはいったん本を閉じて、表紙の魔女を見る。
 この本何だ。僕の事を見ているのか?
 青いペンライトで見る魔女は、何だかあやしい。今にも動き出しそうだ。
 ぼくはちょっとこの本を見直す。もしかするとすごい本なのかもしれない。
『まず、あお向けに寝ころぶ』
 ぼくは本とペンライトを持ったままあお向いて寝ころぶ。
『目を閉じて呪文をとなえる』
 目を閉じては呪文が見えないから、おぼえなくては。
『●●ジガ●ピキヒ●●ガ●ヒキ●ツ●ガ三ヒキ……』
 ぼくは目を閉じるどころではなく、本を持ったままふとんの上にすわりこんだ。
 何だって! これ知ってるよ。いくら●がならんだってわかる。ぼくじゃなくったってわかる。ひつじが一ぴき、ひつじが二ひきだろ。

                                    十一

 ということはサルにする呪文も欲しい物を手に入れる呪文も、きっと何か意味のあることばなんだ。
 うーん。
 ぼくはますます眠れなくなってしまった。
 もしかするとこれは、魔法の本じゃなくて、クイズの本だった?





         その三
     壁の穴

「校舎の裏にある木造の建物は何なのか知ってる?」
 里緒菜がユキに聞いた。
「物置かなんかじゃないの」

                                    十二

「もしかしてあれも、藩校時代からの建物?」
 紀恵が聞くとユキはまさか、と笑った。
「そんなに古いものじゃないわよ。せいぜい昭和四十年代だわ」
「本当? ユキは物知りね」
「本気にしないでね。勘だから」
「私この頃、だんだんユキのこと分かってきた」
 紀恵が笑った。
「あんたって物の言いようで賢く見えるだけなんだ」
「私も紀恵の事分かってきたわ。すごくきつい事をさりげなく言うのね」
「でね、その建物の横の壁にね。穴があるの。昨日見つけたとこなんだけど、ちょうど、目の位置の高さに」
 里緒菜はそう言いながら建物の方に歩き出す。
「まあ、見てよ。とても気になる穴だから」
「で、里緒菜はほとんど人の言ってることを聞いてない」
 紀恵が言うと、ユキもただちに賛成した。
「そうね、自分を中心に世界が回ってるのよ。それは入学式の時にもう気づいてたけど」

                                    十三

 三人は里緒菜について、校舎の裏に回った。
 そこはほとんど誰も来ないひっそりとした空間であまり日も差さない。木立ちの陰に木造の平屋があった。
 さほど大きくない。どう見ても倉庫としか思えない。窓はあったが、中から板でふさがれているようだ。入り口の戸にも何の表示もなく、長年人の出入りもないらしく戸口の前の石段も苔で覆われている。
「ほら、こっち」と、里緒菜はその建物の脇に入り込む。
 そこには確かに穴があったが紀恵とユキはその穴よりも、里緒菜がどうしてこんな所に入ってみたのかという事の方が気になった。
 たまたまこの場所を見つけたとしても、植え込みをかきわけるようにしてこの建物の脇に入ろうとは、誰も思わないに違いない。
「こんな所で里緒菜は何をしようと思ったの?」
 疑問があればまずそれを解明したいのが紀恵である。でも何だかそれを聞くのは失礼な気がしたのはユキだった。でも里緒菜はあっさり答えた。
「だって急におしっ…」
 ええっ、と声に出して紀恵とユキは足元を確かめる。
「あんたね、小学生じゃないんだから!」

                                    十四

「何言ってるの? 紀恵、勘違いしてない? 私はあんたと違って、人前でお尻なんかかけないの」
「なぁんだ。お尻がかゆかっただけなの?」
 ユキが耐え切れず吹き出す。
「で、里緒菜はのぞいて見たの?」
 紀恵が聞くと、理緒菜は首を横にふる。
「ううん、何だか向こうからのぞかれているみたいで、気味悪かったから。のぞいて、目が見えたら嫌でしょ」
「じゃ、お尻もかけなかったわけだ」
「少し、かいたけど」
 だれが先にのぞく? と紀恵が聞いた。私は後、とすぐに里緒菜が言う。
「あんたたちがのぞいて安全だったら、それから私がのぞく」
 どうってことない壁の節穴だ。
 立て付けの悪そうな引き戸も頑丈な鍵がついていたし、窓もふさがれているし中に誰かがいることは絶対にない。だのに三人とも、じゃあ私がとは言わない。
「ただの物置でしょ」とユキが言う。
「ただの物置にしては頑丈すぎる鍵じゃなかった?」と、紀恵が言う。

                                    十五

「それにどうして窓までふさいであるの?」
 里緒菜は少し穴から遠ざかりさえする。
「中にだれかが閉じ込められているのかな」
 紀恵が考える。
「もしかすると閉じこめられているのじゃなくて、かくまわれているのかもしれない」
 誰が? とユキが聞くと紀恵は物語の中の探偵みたいにわざとらしくあごをひねった。
「時効間近の殺人犯。きっと後一年を切ったか切ってないかっていうぐらいの」
「誰かかくまっている人がいるのね。それは誰よ」
「ここの教師の誰か。殺人犯は彼の親友だったんだね。きっと」
 ユキは建物の脇から外へ出て、入り口のあたりを見ている。戻ってきて紀恵に言った。
「それはないわよ。だって入り口の石段は苔だらけで、もう何年も人が入った形跡はないわ。かくまってるなら、食料とか届けないといけないでしょ」
「あまいね、ユキは。殺人犯をかくまってる男が表の入り口から出入りすると思う?」
 紀恵は節穴からもう少し奥にある窓を指さした。

                                    十六

「あの窓をふさいだ板が一部分はずれるようになってるの。この穴は中にいる殺人者がやって来た人を確認するための穴よ。やって来たのが、間違いなく自分を支援してくれている教師かを確かめるため」
 いつの間にか紀恵は声をひそめている。本当に中に殺人者がいて、聞き耳を立ててでもいるかのように。里緒菜もユキもあわてて植え込みをかきわけ、外に出た。
「嫌ねぇ、紀恵。何だか本当に怖くなってきたわ」
「私ねぇ、一人で来た時」
 里緒菜が言った。
「本当に視線を感じたの。あれって、何か感じるものでしょ」
「うん、感じる。私、このごろ特に教室で後ろの席から。どうも彼、私に気があるんじゃないかと思うんだよね」
 紀恵が言うとユキが吹き出した。
「野崎君が? まさか。あんたの自意識過剰よ」
「ああ」と、里緒菜が笑って言う。
「私、聞いたことあるの。彼はね、ずっと前から気になってしょうがないみたいよ」
 紀恵が、本当! と里緒菜の腕をつかんだ。
「うん、本当。彼はね、席が紀恵の後ろになった時からずっと、あなたの首にあるイボが……」

                                    十七

「ええ! 私、イボなんか」と首に手をやり、紀恵は顔を赤らめた。
「こんなの小っちゃいじゃない。髪の毛で見えないよ」
「その見えそうで見えないとこが気になるらしいのね」
「もう! その話は終わり。里緒菜はじゃあ、この物置の中にいったい誰がいると思うの?」
「目だけ」と、里緒菜はきっぱりとうなずいた。
「うん、きっとそう」
「中にいっぱい目があるの?」と、ユキが恐る恐る確認する。
「だって見て。この穴、わざとらしくない。いかにもどうぞのぞいてくださいと言わんばかりでしょ。この位置といい、大きさといい」
「そうは思わないけど」
「確かにユキにはね。背伸びしても無理だよね」
「本当に失礼な人達。私、入学してからもう一・ 五センチ伸びたのよ。今年中にはあんたたちを追い越すわ」
「これはね、正当な好奇心を持った学生の目を奪うための穴なのよ」
 里緒菜は紀恵の呆れた声を無視して続ける。

                                    十八

「何それ」
「すべてが好奇心を刺激するセットなの。この建物の古さ加減も、植え込みも」
「だいたい正当な好奇心って何なの」
 里緒菜はユキの言葉にも取り合わない。
「危なかった。もしのぞいていたら、私も奪われるところだった」
 里緒菜は、さあ行こうと二人の手を引っぱる。
「あんたたちも気をつけてね。ここに近づいてはだめ」
 呆れ顔でそれでもユキと紀恵は、里緒菜に従った。
「私はあの中には、ダンボール箱とか古いマットとか、壊れた草刈り機とかがあるとしか想像できなかった」
 ユキが言った。
「あんたたちって、すごいね。私、尊敬する」
「それって皮肉?」
 紀恵が真面目な顔で聞く。
「うん、思い切り皮肉」
「ちょっとのぞきたくなってきたでしょ?」と里緒菜がふりかえって笑う。

                                    十九

 ユキは首を横にふるが、本当は少し心がひかれている。でものぞいてしまったら、きっと落胆するとユキは思う。
 だからあわてて里緒菜のあとを追った。後ろから紀恵が「殺人者に見られてるぅ!」と大声を出して二人を追い越して行く。
 三人はキャアキャアわめきながら、我先に走り出した。校庭は初夏の光にあふれ、一瞬三人の目をくらませる。










                                    二十


本棚に戻す