電車の中の夢


 列車がどこかの駅に着いた。眠っていた私は頭の下になってしびれた腕をさすり、それでもまだ目を閉じたまま駅のさまざまな音を聞いていた。
「どこまで行かれますか」
 大人の男の人の声。普通のしゃべり方ではない。仕事の声だ。てきぱきとした、丁寧なものの言い方。
 たぶん駅員だ。薄目を開けて見る。ここからじゃ姿は見えない。
「終点まで」
 そう答えた人がいる。少し若い声。
「たぶん、迎えが来ています」
 あまり自信がなさそうにそう言った。その声のあとに、ゴロゴロと重い音。何の音だろう。車? 重いものを乗せている。
 そして駅のアナウンス。
「○○行き、まもなく発車です。ドアにご注意下さい」
 ドアの閉まる音。私は目を閉じたまま身じろぎし、もう一度眠る態勢を整える。さっき訪れていた夢が、ふわぁっと戻ってきそうな気配だ。暖かな車内、心地よいゆれ、適度な込み具合の電車の中は、静かでもなく騒がしくもない。

                                    一

 夢は私を二年前の教室に運んだ。中学生になったばかりの私は、小学校時代からの友達と窓際にいる。
 友達は笑っている。私も笑おうとしている。でもうまくいかない。友達が変な顔をする。私はあわててもっとおかしそうに笑おうとしている。難しい。顔がゆがむばかりだ。
 夢の中か現実か分からないところで、笑い声が聞こえた。ひそひそと言葉を交わし、声を殺して笑っている。何とはなしにいやな笑い方だ。
 そうだ。あの時の事を思い出した。友達は隣のクラスの男の子の事を指差して笑ったのだ。
 岡田君という子だ。彼は少し足に障害がある。普通に歩いていると大して目立たないが、走ると引きつるように体が揺れる。でも彼はそれを気にするふうもなく、よく走った。明るい光を放つ目で笑い、よく通る声で友達の名を呼んだ。
 私は校庭に来る鳩を眺めるふりをして、彼を見ていた。その時そばに友達が来て、「見て、あの子の走り方。壊れたバネが入ってるみたい」と言って笑った。岡田君はみんなの手を離れたボールを追って走っていた。
 現実の私はその時、友達と一緒に笑ったのだ。しかも笑い出すと止まらなくて、顔が引きつって涙がにじんだ。いやな顔だと自分でも思った。その顔を誰かに見られている、と気づいて急に夢が遠のいた。
「邪魔だな。危ないじゃないか!」
 荒々しい声が、平穏な車内の空気を乱した。

                                    二

 車両の隅に、車椅子があった。私とそう年の違わない少年がそこに座っている。ほっそりとしてはいるけど、ひ弱そうでもない。
 怒鳴り声を上げたのは、仕事の途中らしい男の人だ。高そうなスーツをすっきり着こなした背の高い人。電車が揺れた拍子に車椅子に足をぶつけたらしい。車椅子は定められた場所にブレーキをかけて止まっている。怒鳴られるいわれはない。車椅子の少年は抗議もせず軽く頭を下げてうつむいたけれど、その車内にいた乗客のほとんどはスーツの青年に非難の視線を浴びせた。青年は居心地悪そうに、別の車両に移っていった。
 車椅子の少年はずっとうつむいたままだ。
 電車は次の駅に着き、そしてまた走り始める。車内に日がさし、また陰る。いつも揺れる場所で揺れ、そこを過ぎるとスピードを上げる。
少年は顔を上げ、私と視線を合わす。私はその時に気づく。夢の中の視線の人が彼だったことに。
 顔が赤らむ。私はどんな顔をして眠っていたのだろう。笑っていたのだろうか、泣いていたのだろうか。
 夢の中まで見透かされた気がして、いたたまれなくなった。彼の視線をさえぎろうと膝のかばんを開け閉めしたりして、かえって注意を引いているに違いない。仕方なく目を硬く閉じて、眠ったふりをする。きっとそうは見えないだろうけど。

                                    三

 いくつか駅を過ぎ、車内の人は入れ替わり、車椅子にいっとき目を止めた人も、そのうち膝の本に目を落とし、また目を閉じる。
 いつの間にか、電車は終点に着いていた。車内に残っていた人がみんな降りていく。
 車椅子の少年は、気遣わしげに外を見る。ホームを駅員が一人、走ってくるのが見える。他には誰もいない。
「お迎えの方は?」
 駅員は困惑した顔でホームの先を見透かす。
「遅れてるみたいです」
 周りには赤ん坊を連れた若い母親と、年寄りしかいない。若い人たちは電車が止まると同時に走って出て行った。私はあわてて席を立ってそばに行った。私が役に立つものだろうか、と不安に思いながら。
 思い切って声をかけようとした時、改札を走って入ってくる人が見えた。車椅子の少年は、ホッとした顔で手をふっている。
 その脇をすり抜け、ホームを歩いた。終点の小さな駅だ。
 ホームの端から階段を下りて反対側のホームに上がる。時刻表を見上げると、十五分待たないと電車は来なかった。三駅戻らないといけない。でも何の不都合もない。
 春かと思うような二月の終わり、頭痛を理由に早引けしてしまった。本当に少しは頭が痛かったはずだけれど。

                                    四

彼はどこに行くのだろうかと、考えた。きれいな人だったと思った。少し岡田君に似ていた。
 彼はこの駅からどこかに行ったのだろうか。もしそうならここで待っていれば、もう一度会えるかもしれない。
 そう考えると、そんな自分が馬鹿らしくもあり、ちょっと切なくもあり泣けそうになった。
 電車が入ってきた。私は何事もなかったようにガラガラの車内に入り、隅っこの座席を選んで座った。
 卒業式まで、あと二週間しかなかった。









                                    五


本棚に戻す