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ガラスの星々
誠一郎さんは雨が降らない限り毎日散歩に出る。それはもう十年ばかり前からの習慣で、朝の洗面と同時に洗濯機を回すことと同じように一日の始まりのプロローグみたいなものだ。
いつも同じ道を歩くわけではなく、その日の気分によっ て公園まで歩いたり、線路沿いや川べりを歩いたりする。その日、気温は十二月相応に低かったが、風もなく空もきれいに晴れ渡っていた。千沙子さんが昔に編んでくれた毛糸の帽子をかぶり、愛用の杖を持つ。
まだ杖に頼らないでも歩けるが、誠一郎さんにとっ てその杖は散歩の相棒みたいなものでかかせない。
いつもなら三十分足らずで引き返すはずが、その日はつい足が伸びた。
線路沿いをたどっていた。歩くにつれて冷えていた体は、次第にほかほかと熱を帯びる。誠一郎さんは口をすぼめて、ホッホッと短く息を吐いた。
「考えてみると、自分の息が見えるってすごいことだ」
誠一郎さんはつぶやく。今度はできるだけ長くハァーッと吐いてみる。でも白い息は長くはならない。
犬を連れた通りすがりの人が、誠一郎さんを振り返って見た。立ち止まってしばらく誠一郎さんを眺めている。
「もしかして、僕が具合が悪いのかとでも思っ たのかな」
それで誠一郎さんは背すじを伸ばして、わざと元気よく歩いて見せた。いつもより歩幅も広くどんどん歩いた。次の信号までその調子で歩いた。
一
後ろを見ると、もうその人はいなかった。
「無理しちゃ いけないな。すっ かり息が切れた」
誠一郎さんは道路ぞいの看板を見ているふりをして休憩する。
「隣の駅まで歩いて、帰りは電車で帰ろう」
いつの間にか、隣の駅の方が近い場所まで歩いてきていた。誠一郎さんの住む町は、住宅街で駅前もさほど賑わいもないが、隣の駅は大きなデパートもあり、商店街も活気がある。歩く人の多さに誠一郎さんはあきれたが、考えてみれば今日はクリスマスだ。もっともそのことに気付いたのはたった今で、お菓子屋の前に詰まれたケーキの箱を見たからだ。
「人ごみは散歩には向かないと思う」
誠一郎さんは少し眉をしかめる。だが駅への最短距離はこの道だ。
誠一郎さんは通り沿いに並ぶ店には目もくれず歩いていたが、ふとコ ーヒーのいい香りに誘われて歩みを止めた。誠一郎さんはコ ーヒーにはこだわりがある。家でも必ず豆から挽いて、たっ ぷり時間をかけていれる。
「ここはまあまあ、いい豆を使っていそうだ。匂いが違う」
店の外観は喫茶店らしくない。通り沿いには大きなウィンドウがあり、様々な雑貨が飾られているのが見える。
「千沙子さんの好きそうな店だよ」
二
ひとり言に聞こえなかったらしく、通りすがりの女性がふり向いて見た。ちょっと格好が悪かったので、誠一郎さんはさりげない顔をして、その店に入った。どうやら喫茶店と雑貨を売る店が同居しているようだ。窓のそばの席につき誠一郎さんはコーヒーを注文して、飾られた様々な物を眺めた。
小さな陶器の人形がある。布で作っ た動物もいる。針金のような物を曲げて作った、何とも判別がつかない飾り物もある。ひととおり眺めているうちに、クリスマスツリーが目についた。
高さ三十センチほどの木で作られた物だ。薄い板をパズルのように組み合わせて作ってあるそのツリーに、小さなガラスの星がいくつもぶら下がっている。窓際に置かれたそれは、照明を落とし気味の店内へちらちらと様々な色の光を散らばしていた。
「プリズムみたいだな。これは絶対に千沙子さんの好みだ」
思った以上においしいコーヒーを味わいながら、誠一郎さんはそのツリーを買おうと決めた。
「考えてみたら今まで一度も、千沙子さんにクリスマスプレゼントをあげたことがなかった。これならきっと喜んでくれる」
レ ジに立っ てそのツリーが意外と高価であることに驚いた。
「これはとてもいい物ですよ」
値段を聞いて少しとまどった誠一郎さんに店員が言った。
三
「もうこれ一つしかないのです」
確かに財布の中は心もとないが、今年もあと一週間足らずだし、正月は娘の家に行くのだから食費もたいしていらない。
丁寧に包装をしてもらった包みを、誠一郎さんは大切に胸にかかえこんだ。
「電車は混んでいるかもしれないな」
駅前まで来て、誠一郎さんの気が変わっ た。
「せっかく買ったツリーがこわれては大変だ」
少し喫茶店で休んだおかげで、足の痛みもましになっている。結局帰りも歩くことにした。
だが家に着いた時はさすがにくたびれていた。いつもより倍は歩いたのだから、あたりまえだ。最後の方は結構杖に頼っ ていた。家に着いた時は何するより先に座り込みたかったはずなのに、誠一郎さんは座敷に立っていって声をかけた。
「千沙子さん、プレゼントだよ」
大切にかかえてきた包みを、急いで開ける。
「千沙子さん、こんなの好きだろう? 知ってたかい? 今日はクリスマスなんだ。窓際に置くと、きっと光を受けてきれいだよ」
四
誠一郎さんは出窓にそれを置く。風が出てきたようで、窓ガラスがカタカタと鳴った。せっかくのツリーが倒れてはと、誠一郎さんは窓がちゃんと閉まっているか確認する。それからソファーに座って、ゆっくり眺めた。
「いいな、きれいだ」
その時ツリーに下がった星々がチリンとかすかな音をたて、次の瞬間いっ せいに白く輝いた。白い炎があがったようだっ た。誠一郎さんはびっくりして立ち上がり、窓のそばまで行った。
「何だろう」
レースのカーテンを開けてみると、風に乗っ て雪が舞っ ていた。朝の晴天がうそのように、いつの間にか空は厚い雲でおおわれている。最初のうちは風に乗って花びらのように散っていたのに、そのうち庭の向こうの隣の家が見えなくなるほどの勢いで雪が降り出した。
「こりゃあ、積るな。千沙子さん、もう庭が真っ白になった」
見る間に地面の雪は厚みを増していく。
どこにも出かける用がなければ、雪は楽しいと誠一郎さんは思う。子どもに戻ったように胸がわくわくする。
「千沙子さん、もう雪だるまが作れるぐらい積もったよ」
誠一郎さんは引き出しから定規を取り出すと、玄関へ向かっ た。
「何センチ積ったか計っ てこよう。大丈夫だよ。すべらないように気をつけるから」
五
誠一郎さんは雪がついた定規を部屋に持って入って報告する。
「十三センチ積っていた。でも何だか止みそうな気配だ。残念だな。もっと積ればいいのに。ほら、いつか三十センチ積もった事があったね。どこにも行けなくて二日間ずっと、二人で家に閉じこもっていたっけ。あれ結構楽しかった」
また窓際のツリーがチリンと鳴った。誠一郎さんはそちらへ目を向けた。
ガラスの星が茜色に輝いている。
「どうしたんだろう、千沙子さん。このツリーは何だか不思議だね」
誠一郎さんはそっとツリーに手を触れた。ツリーの向こうのカーテンも茜色だ。
「夕焼けだ。千沙子さん、もう雲が切れて夕陽が差している。雪も茜色だ」
誠一郎さんは窓のそばに椅子を持ってきて、カーテンを開け放ち、すっかり空の色がさめるまで外を眺めていた。
そんなに長い間のことではなかった。色は褪せ、街は薄い闇におおわれていく。
ふいに玄関のチャイムが鳴った。誠一郎さんは少しうとうとしていたようで、びっくりして椅子からころげ落ちそうになった。
チャイムを鳴らしておきながら勝手に玄関を開けて入ってきた娘のヒカリが、あわてて走り寄ってくる。
六
「お父さん、危ないじゃないの。そんな椅子で眠ってたの?」
「いや、眠っ てやしない。夕焼けを眺めてたんだ。おまえこそ、どうしたんだ。こんな時間に」
「この雪でしょう。お父さん買い物に行けなくて不自由してるんじゃないかと思って」
テーブルの上にスーパーで買っ て来た惣菜のパックを並べる。クリスマスらしく煮物のニンジンが星の形だ。果物のサラダ、鶏ささみのフライにはクリスマスツリーに見立てたパセリが飾ってある。
「手作りじゃなくてごめんね。仕事帰りにあわてて寄ったから」
それからこれ、と何やら差し出す。まっ 赤な色がこぼれる。
「ポインセチア。いい色でしょう。クリスマスだから部屋の彩りに」
仕事場から、自分の家と反対方向の誠一郎さんちに寄ってくれたのだ。自分の家の夕食の準備もあるだろう。腰さえおろさず、しゃべりながらあわただしく帰っていった。
「あいつはまるで台風だな。家の中でぐるっと走り回っ て消えて行っ た。冬の台風だよ、千沙子さん」
誠一郎さんは笑う。静まり返った部屋の中で、笑い声はすぐに立ち消える。十年ばかりも一人でいて慣れたはずなのに。
誠一郎さんは思い切りよく立ち上がり、クリスマスツリーのそばにポインセチアの鉢を置いた。それを眺めながら、夕食を食べた。ヒカリの買ってきてくれた惣菜は、どれもまあそれなりにおいしかった。
七
ゆっくり食後のお茶を飲む。開けたままのカーテンから外を見ると、暮れ切った空はすっかり晴れ渡っていた。月が冴え冴えと庭を照らしている。
誠一郎さんは部屋の明かりを消し、また出窓の前に座った。月光に輝く雪の庭をじっくりながめようと思ったからだ。
チリンと音がした。ツリーのガラスの星が全部金色に輝いている。
「千沙子さん、見てごらん。今度は金色だよ」
静まり返った部屋の中にかすかな空気のゆらぎがあって、「そうね、誠一郎さん」と返事があった。
八
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