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五分間チケッ ト
バスの中、蛍光ピンクの毛糸の帽子が一番前の座席の上から覗いている。目立つなぁ。ものすごい人ごみに紛れていたとしてもすぐに見つけられる。
迷子対策? ぼくはバスの座席から腰を浮かせて前の座席を覗き見た。帽子の先しか見えないからそう背が高い人ではないけど、迷子になりそうな子供じゃない。
バスは私鉄の駅前について、たくさんの人が下りた。蛍光ピンクの人はまだ乗っている。
どんな人がかぶっているのか、ちょ と見てみたい。どうでもいいことだけど。
ぼくは次の図書館前でおりる。下りるときに通りすがりに見てやろう。
降車ボタンを押す。
『次止まります』とバスの案内アナウンスが言う。
駅から図書館はそう離れていない。ぼくは隣の空いた座席に置いていた袋を持って、もう下りる準備をした。
「完全にバスが止まるまで立たないでください!」
運転手がほとんど叱責の口調で言った。ぼくの事かとあわてて浮かせた腰をおろす。でも前を見るとピンクの帽子の人が運転席わきに立っていて、知らん顔して外を見ていた。
ぼくは口をあんぐり開けて見とれた。蛍光ピンクの帽子、黄色と水色の太い横縞模様のウィンドブレーカーは大きすぎておしりの下まである。
一 |
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おまけに黒地に赤の花柄のスパッツと、小学校の男の子がはいているような鮮やかな色合いのスニーカー。取り合わせがむちゃくちゃで派手すぎなのはもちろんだけど、なんだかもっと『?』なのは帽子の下からひょろひょろとはみ出た白髪と、曲がった腰、その手に持つ杖だ。
バス停が見えた。もうすぐバスはブレーキをかける。危ない!
ぼくは前に走り出て、よろけかけたその人の肩をつかんだ。ぼくはその人と一緒に前につんのめりそうになった。必死に踏ん張って、何とかこらえたけれど。
張本人の派手な年寄りは素知らぬ顔で、首からひもでぶらさげていたパスを料金箱にかざしてさっさと下りていく。おいおい、ちょっと待てよ。とぼくは言いたい。でも言わない。ぼくはそんなことが言えるキャラではないので。
図書館の方へ歩いて行こうとしたぼくの前に杖が突き出てきた。
「ちょっと待ちな、兄ちゃん」
ええっと立ち止まったぼくの前で、その人はうつむいて腕の手提げ袋の中を探った。
角のすり切れた赤い財布を出して中をのぞき込んでいる。
えっ、もしかするとお礼にお金なんかくれたりするのかな。ぼくは浅ましい期待でつい胸が高鳴る。千円? もしかすると一万円だったりして。
二 |
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「あんた、年、いくつ」
「十四ですけど」
もうちょっとサバをよんだほうがよかったかな。十七歳だと一万円になるかも。
「二枚かな、一枚でいいか」
ええっ! 万札? 千円札? 本当にこんなうまい話があっていいんだろうか。
その人が顔をあげたのをよく見ると、間違いようがないくらい見事なおばあさんだった。
そのおばあさんは、財布からお札ではなく小さな紙切れを一枚出した。名札くらいの大きさ、画用紙の切れ端のようなもの。
「これ、何なんですか」
まるで小学校の一年坊主が作った肩たたき券のような、そのしろもの。青いクレヨンで『五分間』と書いてある。
「書いてあるだろ。五分間チケットだよ。五分間のプレゼントだよ」
おばあさんはニマッと笑った。
「意味がわかりません」
ぼくが言うと、「兄ちゃん、頭悪いな」と言い返された。
三 |
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「そのチケットを握りしめるとな、他の人にはない五分間をもらえるんだよ。すごく貴重な券だから落とすなよ」
突き返そうとしたけど、その派手なおばあさんは手でバイバイをするかわりに杖を振り回し去って行く。杖なんかいらないんじゃないか。なんて元気な年寄りだ。
丸めて捨ててしまおうかと思ったけど、ぼくは自分で言うのも何だけど意外と真面目で、道路にごみを捨てられない。とりあえずポケットに押し込み、さあ図書館に向かおうとした。
「しまった!」
バスの中に忘れてきた。返却予定の図書の本三冊が入った袋。ちゃんと手に持ってたのに、おばあさんが転びそうだったからあわてて、座席に置いてきてしまった。どうしよう。バス会社に電話か。電話番号はどこに書いてある? バス停に書いてあるかな。
バス停に戻り、見る。書いてない。どうしよう。どこで聞けばいいんだ。そもそもあのバス会社、なんて所だったっけ。お母さんに電話して聞いてみようか。ああ、だめだ。お母さん、今日は仕事だった。スーパーの ジなので、仕事中に携帯なんか見られない。
あんなおばあさん、ほうっとけばよかった。
ぼくは後悔する。もう一度やり直せたら、絶対に助けてやらない。
四 |
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おばあさんはまだ少し先の歩道を、のんきにぶらぶらと歩いている。ぼくがこんなに困っているのに。
ぼくがおばあさんを追いかけたのは、ちょっと意地悪な気持ちがあったからだ。
「おばあさん!」
おばあさんは振り向いて、ぼくをジロリとにらんだ。
「まだ何か用があるのかい。私は急いでるんだよ」
「ねえ、この五分間はぼくだけの物なんでしょ。じゃ、ぼく以外の人たちのその五分間はどうなってるんですか」
「自分の頭で考えな。兄ちゃん、頭あるんだろ」
腹立つー。
「ただ余分の五分間ってだけじゃ、あんまりたいしたことじゃないですよね。何か他の使い道はないんですか。たとえば過ぎてしまった時間を取り戻せたりとか、できるならすごいと思うけど」
おばあさんはおちゃのこだよ、と言った。
「おちゃのこって何ですか? 意味が分かんない」
「もう知ってたけど、兄ちゃんやっぱり頭悪いな~」
「だってこんなチケット、普通はないじゃないですか。知らないのがあたりまえでしょう」
五 |
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「今から五分間余分に欲しい時はチケットを握りしめるだけでいい。過去に戻るやり方は裏技だ。だれにでも教えるわけじゃない。五分戻りたい時はいったん握りしめたチケットのしわを丁寧に伸ばして広げる」
けげんな顔のぼくに、おばあさんは舌打ちをする。
「いいか、よく見てみな。このひもが時間だとする」
首から下げたパスの吊りひもを横に伸ばした。
「右手の方が『未来』、左手が『過去』。真ん中が『今』だ。この『今』の所にループを作る。これが五分間チケット」
「ループって?」
「兄ちゃん、学校で英語習ってないのか。輪だよ。この輪がチケットを持っている人だけの時間。他の人の時間は今のまま、止まってるのと同じだ。五分の間、兄ちゃんは何してもいい。過去に行くのにその五分を使うなら、五分前の時間に兄ちゃ んは戻れる」
ぼくがポカンとしていると、おばあさんがクスクス笑い始めたので、きっとからかわれたと思った。おばあさんは変な鼻歌を歌いながら、唸りながら? 行ってしまう。
信じるわけないじゃん。小学生だってこんなチケット今どき作らないし。
「ばっかみたい」
六 |
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あまりに腹が立ったので、ぼくは『五分間チケット』を握りつぶして道端に捨てた。きれいに掃除されている歩道にそれは転がった。
ううー、やっぱりだめだ。ここには捨てられない。
おばあさんがもうこっちを見てないのを確かめてから、ぼくはあわててそれを拾って丸まったチケットを伸ばした。ぼくはもともと几帳面なので、手のひらに何度も押し当てて、これでもかというくらいきれいにしわを伸ばした。
ぐらっと頭がゆれて、ぼくは目を開けた。
あれ、バスの中だ。ぼくは眠ってたのか。なんだ、今のは夢だったんだ。変な夢だったな。
蛍光ピンクの帽子のおばあさんなんて、いるわけないじゃないか。
一人で笑って、前を見た。
蛍光ピンクだ。ええっ、と腰を浮かす。
嘘みたいな話だ。ぼくは本当に五分過去に戻ったんだろうか。
「完全にバスが止まるまで立たないでください!」
運転手がどなった。ぼくにじゃない。蛍光ピンクがもう立っている。図書館前のバス停が見える。
七 |
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無視しようと思った。でもその時バスがゆれて、ふらついた蛍光ピンクは手すりにつかまろうと手を伸ばした。
その手がするりとすべる。ぼくはたまらず飛び出していた。
何てことだ。
バスを降りて、ぼくは袋を持っていないことに気付いた。前より気づくのが早かった、なんて思っても忘れたことに変わりはない。
おばあさんはぼくの前で、財布に指を突っ込んでいる。
「あんた、年いくつ」
今度はサバをよんで十七歳と返事した。
「じゃあ、一枚な」
なんだ、年は関係ないのか。
「二枚、ください」
ぼくはとっさにそう言った。
「兄ちゃん、なかなかあつかましいな」
そう言いながらも二枚くれて、蛍光ピンクの帽子のおばあさんは行ってしまった。今度は追いかけない。使い方は分かっているし、二枚もある。
八 |
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よく考えて使おう。一枚はバスの中でのやり直し。もう一枚はどうやって使おうかな。
テストの時間を伸ばそうか。でもたった五分延ばしてもあんまり変わらないな。五分ぽっち朝寝坊しても何の足しにもならないし。
もっと長い時間だといいのにな。一時間くらいあると楽しいな。今度はおばあさんに『一時間チケット』はないのか、と聞いてみよう。一時間あっ たら、何に使うかな。ゲームしまくり? ゲームなら一時間じゃ足りない。まるまる一日っていうのがあるといいな。テスト勉強だって他のやつらより、一日余分にできるわけだし。テスト中に遊びに行ったりしても、大丈夫だ。余分の一日なんだし。
そんなのあったら絶対欲しい。今度聞いてみよう。
ええっと、まず『五分間チケット』を丸める。それからまたしわを伸ばすんだったな。丁寧に。
バスの中にいた。すごい! どうやってこんなチケットが作れるんだ? あのおばあさんはいったい何者だ。神様か。いや神様には見えない。どっちかというと妖怪のたぐいだ。
「完全にバスが止まるまで立たないでください!」
運転手が言う。蛍光ピンクのおばあさんは知らん顔して、運転席のそばに立っている。
もうすぐバスがゆれるぞ。
ぼくは袋をしっかり持って、立つ準備をした。今度は大丈夫だ。
九 |
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おばあさんがふらついた。手すりをつかんだ。あれ? 大丈夫かな。助けにいかなくても。
バス停だ。運転手がブレーキをかけた。おばあさんは手すりから手を離して、首にかけたパスケースのひもをたぐっている。まだ完全に止まってないのに。おばあさんの体が前につんのめる。ぼくは夢中で走り、おばあさんを後ろから抱き留めた。
危なかっ た。一瞬遅かったら、おばあさんは転げ落ちていた。
「いいかげんにしてよ。おばあさん。ぼく、心臓が止まるかと思った」
ぼくは言わずにはおられない。
「何度も立ってはだめと言われたのに」
おばあさんはけげんな顔をする。
「だれがそんなこと言った?」
「運転手さんがバスが止まるまで座って、と言ってたじゃない」
おばあさんはわざとらしく耳をほじった。
そして手提げ袋に手を入れる。
「兄ちゃん」
「ぼくは十四歳」
十 |
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「だれが兄ちゃんの年なんか聞いた?」
「聞かないの? 前と同じじゃないんだね」
おばあさんは変な顔をして、ぼくの手に『五分間チケッ ト』を乗せた。
「兄ちゃん、これはな……」
「五分間のループでしょう?」
「前に会ったことがあるかい? 兄ちゃん」
じゃ あ使い方はわかるな、とおばあさんは行っしまおうとした。
「おばあさん、もっと長い時間のチケットはないの?」
答えないでおばあさんは杖をバイバイ、と振り回す。
「もしかして、未来へも行けたりする裏技がある?」
「いったん丸めたチケッ トのしわが、まっさらみたいに伸ばせたらな」
おばあさんは行ってしまった。もう一枚もらえばよかったと気づいた時にはおばあさんの姿はどこにも見えなくなっていた。
困ったな。あわてておばあさんを抱き留めたとき、持っていた袋がどっかに吹っ飛んだんだ。道には落ちてないから、きっとバスの中で落としたんだろう。もう一回、戻らないと。
十一 |
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そしてぼくは、バスの中にいた。
図書館の本が入った袋は、隣の空いた座席に置いてある。それをひざに取って、しっかりかかえこんだ。一番前の座席を確かめる。蛍光ピンクの帽子が見える。今はまだちゃんと座席に座っている。バスは駅前について、ほとんどの人が降りた。
「あわてて前に走るから失敗する」
初めから予想して準備しておけばいいんだ。 駅前からバスが発車する前にぼくは立ちあがり、前の方の席に移動した。おばあさんの後ろの席がちょうど空いている。ここならすぐにおばあさんをつかまえられる。もしかするとそれより先に、席を立たないように止めておけるかもしれない。
バスが走り出した。
「次は図書館前、図書館前です」
録音された車内アナウンスを聞いて、ぼくは片手に袋をかかえ、右手を前の座席に伸ばす。おばあさんが立とうとしたら、その時に止めるつもりだ。身構えているとなかなか立たない。ずっ と緊張し続けているととても疲れるもんだな。
ああ、バス停が見えてきた。きっともう立つぞ。ぼくは腰を浮かせて手を前の座席に伸ばす。
「完全にバスが止まるまで立たないでください!」
十二 |
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ぼくの手はおばあさんをつかみそこねた。
でも肩にぼくの手が触れたので、おばあさんは振り向いてぼくを見た。
「何か用かい」
一番前の座席で立ち上がったまま、後ろ向きになってぼくを見ている。それは運転席のそばに立つより、もっともっと危ない。
「止まるから、手すりをつかんで」
「何が止まるの」
「だから、バスが!」
バスが止まった。おばあさんの体が後ろにのけぞる。ぼくは両手を伸ばし、おばあさんのウィンドブレーカーの前をつかんだ。
おばあさんは「あんたが急に私の肩をたたくからだよ」とぼくを非難した。
運転手さんにむかって、「ねえ」と同意を求めまでした。そしてバスを降りて行った。バスは発車する。ぼくはバスに乗ったままだ。本の入った袋は手元にあるけれど、ぼくは図書館前で降りそこねてしまった。
後で考えれば、その次のバス停で降りて引き返せばよかったんだ。だのにぼくはあわててしまって、『五分間チケット』を使ってしまった。
十三 |
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バスのなかにいた。もう余分の『五分間チケット』はない。
今度はおばあさんが転ぼうがどうしようが無視して、ちゃんと本の入った袋を持って、バスを降りるんだ。
おばあさんは頭をバスの前のウィンドウにぶつけて、大けがするかもしれない。もし打ち所が悪かったら、もっと大変なことになるかもしれない。バスはここで止まって救急車、を待つだろう。そんな中、ぼくは知らん顔して図書館に行けるのか? たぶん無理だ。
じゃ 確実におばあさんが立たないように止めて、しかもぼくはこの袋を忘れないようにしなければ。本、ディバッグに入れてくればよかったな。背負ってたら絶対に忘れないのに。出かけるときについ手近にあった巾着型の袋に入れてきてしまった。
そうだ。この入れ口をしばったひもを手に巻き付けておこう。ぼくはそうした。ひもが食い込んでちょっと痛いけど。
「完全にバスが止まるまで立たないでください!」
運転手がどなったけれど、手すりを伝いながらおばあさんの席に行き、隣に腰をおろした。おばあさんは迷惑そうに体を窓際に寄せて、ぼくを見た。取られると思ったのか、手提げ袋をしっかりと胸にかかえこんだ。
ぼくはまっすぐ前を見る。図書館前のバス停が見えてきた。おばあさんは立ちたそうに、座席の上でもぞもぞした。ぼくはどっしりと座り込んで、前を通れないように足を突き出している。
十四 |
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バス停に着いた。バスが完全に止まった。
やれやれ、やっ と成功した。ぼくはほっとして口元がゆるむ。本の重みが手首にくいこむけどがまんして、ズボンのポケットから小銭を出そうとする。おばあさんが待ちきれず、ぼくを押しのけてパスを料金箱にかざそうとする。前に立ちはだかったぼくがじゃまで、おばあさんの足元がふらつき、ステップのほうへ体が傾いた。
「危ない!」
ぼくは手を伸ばす。ポケットから出した小銭があたり一面に散らばる。
おばあさんは何とか持ちこたえ、さっさとバスを降りて行った。ついて降りて行ってもおばあさんはチケットをくれないだろう。ぼくが助けてくれたとは思ってないだろうし。
むしろじゃまをされたと怒っているかも。
運転手さんはぼくをちらっと見ただけで、バスを発車させてしまった。ぼくはしゃがみこんで、目についただけの小銭を拾った。
発車するバスの窓から見ると、蛍光ピンクの帽子のおばあさんの後ろ姿が見えた。杖を振り回している。前に回ったら舌を出して、にんまり笑っている気がする。
誰に言っても、「それ、夢だよ」と笑われるだろう。でも蛍光ピンクの帽子のおばあさんは確かにいた。
ぼくはバスに乗るたび、おばあさんを探すだろうし、今度こそ一日チケッ トを要求するんだ。
もし一日チケットもらったら、といろいろ想像してたら、バス一駅分くらいはアッという間に歩けてしまった。
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十五
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