ゴミの穴


「お母さん、ゴミの穴を掘るの? ぼくがやってあげるよ」
 スコップを手にしたお母さんに声をかけた。お母さんは、生ゴミの入ったバケツをぶらさげている。
「いいのよ。あんた、お勉強中でしょ」
「今日は日曜日だし、ちょっとひと休み。この頃、運動不足だしちょうどいいんだ」
 そうお、とお母さんは少しほっとした顔になってぼくにスコップを手渡した。
 ゴミなんか集積所に出してしまえば、週に二回も回収車が回ってくるんだ。なのにお母さんは台所で出る生ゴミは、全部穴を掘って埋めている。
「このあたりに、埋めていい?」
 お母さんは眠そうなぼうっとした目でうなずいて、開け放った窓のそばにすわりこんだ。
 ぼくは、スコップをザクッと土にさしこんだ。片足をかけて、もっと深くめりこませる。土がいいにおいをたて、スニーカーにこぼれ落ちた。
 二日前の雨がじゅうぶん土をしめらせたので、地面はまだやわらかい。それでも十二歳のわりに体の小さいぼくにとっては、大きなスコップは正直なところ持てあましぎみだ。
 汗が首に流れてきた。まだ四月というのに、夏みたいに暑い。体になじんだトレーナーが、ひどくうっとおしい。すっぽりぬいで、家の中になげこんだ。

                                    一

 ふと見ると、お母さんは壁にもたれて居眠り始めていた。きっと疲れているんだろう。今月からパートを辞めて、正社員になったからだ。その方がずっと給料がいいんだそうだけれど。
 ザクッ ザクッ ザクッ ザクッ ザクッ
 やっと三十センチばかりの深さになった。
 たぶんもっと、深くしたほうがいいんだろうな。
 土の色が赤っぽく変わってきている。小さな石もゴロゴロ出てきた。化石か、大昔の土器とかが出てきたらいいのに。抜け穴の入り口なんかが見つかると、もっとすごい。
 その穴が学校にまで通じていたりしたら、最高なんだけど。そこを通ると三十秒で学校に着いたりする。するとぼくは、今より三十分たくさん眠れるわけだ。
 胸がわくわくしてきた。生まれてからずっと住んでいる自分の家の庭でも、地面の下は未知の世界だもの。ぼくにとってはアフリカの奥地のジャングルや、月の裏側をのぞくのとそう変わらない。何が飛び出すのかわかりゃしない。そんな予感にぼくはゾクゾクふるえる。
 ようし、とぼくはそでをまくり上げた。
 うんと深く掘るぞ。
 何か固い物に行き当たった。
 ぼくはスコップを持ちかえ、かがんで少しずつ回りの土をくずしていった。何か木の棒のような物だ。

                                    二

 残念だけどそんなに古い物じゃない。
 掘り出して土をはらい落として、ぼくはそうっとお母さんの顔をぬすみ見た。お母さんはすっかり眠りこんでいる。
 出てきたのは、お母さんのテニスのラケットだった。それはとちゅうで乱暴にへし折られていた。
 お母さんが、家の近くのテニススクールをやめたのはいつだったろう。
 テニスをしている時のお母さんは、ぼくと年の変わらない少女のように見えた。うまく打てたと言ってはとびはねて喜び、失敗したと言っては顔を隠して恥ずかしがった。
 ぼくは一度だけこっそりと見学しに行った事があるのだ。
 お母さんが働くと言い出したのは、二年前の事だ。たぶんテニススクールを止めたのも、その頃だろう。
『四時間働くだけなのに、思ったよりたくさんお給料をくれるのよ。祐一の塾に払ってもまだまだ残るわ』
 お母さんはその頃はまだ、今みたいな顔で居眠りしたりはしなかった。
 ぼくはラケットを、穴からすくい出した土の山のかげに隠した。
 お母さんはまだ目をさましそうにない。息がつまるようなきゅうくつなかっこうで、眠りこけている。目がさめたら、きっと右腕がひどくしびれているだろう。
 ぼくはまたスコップを手にした。少し掘っただけで、また何かに行き当たった。それが何かひと目でわかった。

                                    三

 そう言えばこの頃、ちっとも見ないと思っていた。
 彫刻刀の箱だ。本職の人が使うような上等な物よと、お母さんは言っていた。お父さんは鼻で笑っていたけど、ぼくのお母さんは木彫りがすごくうまいと思う。お父さんと結婚するよりもっと前から、お母さんは木彫りをしていたらしい。 
 木彫りを始めると、お母さんはすぐそばにいるぼくの事さえ忘れてしまうんだ。一生懸命に彫刻刀を使っているお母さんは何だかまぶしくて、いつものように背中にあまえることができなかった。それでもそんなお母さんを、ぼくはとても自慢に思っていたのに。
 このところちっとも木彫りをしていないのは知っていたけど、忙しいからだとばかり思っていた。
「捨てる事、ないじゃないか」
 ぼくは情けない思いで、箱についた泥をこすり落とした。
 ふり返るとお母さんはこわれた人形のように、体を折り曲げて床に横たわっている。ぼくは彫刻刀の箱も、土のかげに隠した。
 またスコップを手に取る。ひとすくいごとに、汗が背すじを伝う。それはすぐに冷えて、ぼくはふるえた。
ザクッ ザクッ ザクッ 

                                    四

 穴はもう、五十センチばかりの深さになった。深くなればなるほど、土をすくい出すのがむずかしくなる。
 ぼくは地面にひざをつき、スコップを穴の底に差し入れた。
 何かがスコップに引っかかって、せっかくすくった土があらかたくずれ落ちる。
 草の根? 虫? いやちがう。
 それは全部掘り出してみても、何なのかわからなかった。こわごわつまみあげてみた。太い糸のもつれたような物だ。色は何色ともいいようがない。
 かってに指にからみついてくるようだ。ぞっとしてぼくはそれをふり払った。
 地面に落ちたそれを、ぼくは足でつついてみた。それはほどけて、内側の色を見せた。桜の花のつぼみのような、やさしい桃色だった。
 どうやらただの毛糸玉らしい。それも使い残しなんかではなく、買ってきたそのままのものだ。
 なんだ。だれも発見していない新種の虫だとよかったのにな。
 ぼくはお母さんが編み物をしているところを、一度も見た事がない。でも押入れの奥の箱の中に、毛糸の小さな靴下と帽子が入っていることを知っている。お母さんにこれどうしたの? と聞くと自分で編んだのよと言った。だれの? と聞くとあんたのと言う。
 ぼくがお母さんのおなかの中で、虫みたいにピクピク動いた時に毛糸を三玉買ったそうだ。

                                    五

 男の子にちがいないという気がしたので、迷うことなく空色を買ったそうだ。
 それならこの桃色の毛糸は、ぼくの妹のための物だろう。
 実はおじいちゃんから聞いて、知っているんだ。ぼくには赤ちゃんになりそこねた妹がいたということを。
 ぼくはかがんで、ボロボロの毛糸玉を手に取った。
 ぼくが一歳の誕生日をむかえてすぐに、お母さんのおなかの中に次の赤ちゃんができた。
 ぼくは未熟児で産まれて、はいはいもなかなかじょうずにできなかったし、一歳三ヶ月になるまでつかまり立ちもできなかった。
 おまけに次から次へと病気ばかりしたので、お母さんはとてももう一人赤ちゃんを育てる自信がなかったそうだ。
「もしかしたら」
 ぼくは思い当たって、ふるえが止まらなくなった。
「ここにはお母さんが、ぼくのために捨てた物ばかりうまっているんじゃないだろうか」
 テニスを止めたのはぼくの塾にお金がかかるので、仕事を始めたから。木彫りをやめたのは、ぼくと遊ぶ時間がなくなるから。
 そう言えば小さいころのぼくは、お母さんの後ろで絵本をかかえて、お母さんがこっちを向いてくれるのをずっと待っていた。木彫りをしているお母さんには、ねえ絵本を読んでと言えなかったから。

                                    六

 ぼくはまたスコップを手にした。おさえようがないくらい手がふるえる。
 妹が赤ちゃんになれなかったのもぼくのせいなの? 
 いやだ! そんな事、ぼく頼みやしなかった。ひどいよ、お母さん。
 ぼくのために、何も捨ててほしくなんかなかったのに。
 スコップを穴の中に、思い切り力をこめて投げ入れた。脇の方の土がくずれて、ぽっかりと横穴が開いた。どうやらこの穴のすぐ横にも、最近お母さんが掘ったゴミの穴があるようだ。
 ぼくはスコップをひろいあげようと、手をのばした。
「もう、穴掘りなんかやめだ」
 そうつぶやきながら、目はぽっかりと土の落ちた横穴に向かって走っている。
 そこには靴があった。泥にまみれたその靴に、見覚えがあった。
 見覚えがなくてどうしよう。それは毎日、うちの玄関にぬぎ散らかされていた物だ。
 朝、学校に出かけようとするといやでも目に入る。お母さんはいつもあわてて玄関に降り、裏返ったその靴を直す。
「お父さん、きのうの夜また遅かったのよ。ひどく酔っ払って、うるさかったでしょう」と言いながら。
 そう、それはお父さんの靴だ。靴だけ? それともその中にお父さんの足も入ってるのだろうか。

                                    七

 毎晩おそく帰ってきて、すっかり寝入ったぼくを起こしてしまうから。まさかお母さんはぼくのために、お父さんまで……!
 お父さんはきのうから、会社の旅行のはずだった。ぼくはこわばった首を苦労して回して、お母さんを見た。
 まだ眠っている。魂を抜かれてしまったように、息する音もたてずに。
 お願い、お母さんを眠らせておいて。
 ぼくはありとあらゆる者たちに祈った。
 そのうちに。そうだ、急いでやってしまわなくちゃ。
 スコップの柄をしっかりとにぎりしめた。毛糸玉も彫刻刀も、テニスラケットもみんなもと通りに埋め戻す。汗がその穴の中にポトポトと落ち、ぼくの心臓はのどから飛び出そうになる。
 黒々とした土が、みんな飲みこんでしまった。
 ほっと息をついて手を止めた時だった。
「祐一、何してるの」
 ふいをつかれてぼくはスコップを取り落とした。お母さんはいつの間にか目をさましていて、けげんな顔でぼくを見ている。
「さっきから見てたんだけど、ぼうっとしてどうしたの。スコップにもたれて眠ってるのかと思った」

                                    八

 ぼくは手のひらで、ひたいの汗をぬぐった。そこは冷たく乾いていた。ぶるっと身ぶるいがきた。
「疲れてるんじゃないの。勉強するのはいいけど、夜はちゃんと眠らなきゃだめ。ほら、スコップ貸しなさい。やっぱりお母さんがやるわ」
 抵抗したけど、スコップはうばい取られた。ひと眠りしたお母さんは、元気を取りもどしていて、勢いよくサクサクと掘りすすむ。ぼくは息を止めて見守ったが、いくら掘ってもラケットも彫刻刀も出てこない。毛糸玉もお父さんの靴も出てこない。
 掘りあげて汗をぬぐい、お母さんは穴の中にゴミを投げ入れた。  夏からまよいこんできたように、ハエが二・三匹あらわれた。
 お母さんは大急ぎで、ゴミの上に土を落とす。
「くさいものにはフタ、だね」とぼくが言うと、お母さんはかぶりをふった.
「いい土になるのよ」
「土?」
「そう、ゴミは生き返るの。新しい形になって、新しい命を得るの。何て、すごい事!」
 お母さんは晴れ晴れとした顔で笑う。
 いったいあれは何だったんだろう。ぼくの見た夢?

 それともお母さんの掘った穴と、わずかにずれた位置で、あれらは埋もれているのかな。そしてあれらもいい土になるんだろうか。
 ぼくの家の庭の下で……。

                                    九


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