秘密


 夏休みあけに転校してきた佳乃子は、私に秘密をうちあけてくれようとした。
 とってもすごい秘密だから聞いてしまったら、ぜったいに自分と友だちにならなければいけないと、佳乃子は言った。それなら聞かないと言うと、口をとがらせて怒った。
「あなたは私に秘密があるということを、もう聞いてしまったじゃない。だから今さら聞かないなんてことはできないわ」
 そう言うのだ。そんな無茶なと私は思ったけど、佳乃子は首をがんこに横にふった。
 佳乃子はこのいなか町にはめずらしい転校生だった。教科書が前の学校と違うかもしれないと思って、声をかけたのが始まりだ。いつもは知らない子に話しかけたりなんかしないのに、その時に限ってどうしてそんなことをしたのだろう。
 私はベタベタする友だち関係は苦手だった。本を読みたい休み時間に、べちゃくちゃとそばでくだらない話をされるといらいらする。なのに佳乃子は、典型的なくだらない話をする子だった。なんの実りもない、毒にも薬にもならない時間つぶしの話だ。
 休み時間ならまだ許せる。そのうち佳乃子は授業時間中に、私の背中をつっつくようになった。間のわるい事に、佳乃子の席は私の後ろだ。彼女が転校してくるまでは、私が一番後ろだったのだ。
「ねえねえ。先生の顔って、どう見ても爬虫類系じゃない」

                                    一

 さほど低めもしない声で言う。
 私はひや汗かいて振り向き、佳乃子に向かってシッと口に指をあてた。
向き直ってふと気づくと、教室中の空気が凍りついていた。先生がこっちに向かって歩いてくる。
 コッコッコッと、尖って攻撃的な靴音が耳を刺す。
 叱られるのは佳乃子だと思うから、私はなるべく巻き添えをくわないようにうつむいていた。なのに先生の靴音は、私の側で止まった。顔を上げると、先生は私の机の側に立っていた。
「ナニヲシテイマシタ?」
 もちろん先生は日本人だけど、その時の声はどうしてもカタカナで書きたい。
「先生、違います」
 先生は佳乃子が言ったことばを、私が言ったと勘違いしていると思った。
「私じゃないんです」
 先生は私の抗議の声をまるっきり無視して、手にしたテキストを丸めた物を私の机にたたきつけた。激しい音がした。
「そんなに後ろが見たいなら、授業が終わるまで後ろを向いて立ってなさい」
 そうか、先生には佳乃子の声は聞こえなかったのだ。ただ後ろを向いてシッとやった私が見えただけだった。

                                    二

他の子たちが私に向けているだろう嘲笑が、見えないだけによけいはっきり感じられる。また佳乃子はうつむいていればいいものを、私を見上げて優しくあわれむのだ。
 佳乃子が私以外のだれかと友だちになればいいと思って、無視したことがある。でも佳乃子は少しもめげずに私の側を離れなかった。転校してきてもう二ケ月たつが、私以外のだれかとしやべっているのを見たことがない。
 二年生の十月には登山がある。それは毎年恒例の行事だ。
 学校からバスで、一時間半ほどかかる標高千メートルを超える山だ。二年になったばかりの頃から、それが嫌で嫌でしょうがなかった。新しいクラスに慣れるのに必死でしばらく忘れていたけど、二学期が始まったころから私は切羽詰まっていた。十月十日と、もう日まで決まっている。
 何でそんなに嫌かというと、まず私には体力がなかった。おまけに人一倍怖がりときている。直接誰かに聞いたわけじゃないけれど、私たちが登るのはいくつかある登山道の中で二番目にきついのだそうだ。鎖を伝って上ったり、一抱えもあるような岩を乗り越えたり、幅が二十センチしかないような細い道があったりするのだとか。
 十日の一週間前になると、考えまいとしても頭の中は登山のことだらけになった。毎晩のように夢を見た。皆についていけなくて置いていかれた夢。木につかまって登ろうとしたらその木が根元からごっそりと抜けてしまったり、足を滑らせて斜面を滑り落ちる夢。またその斜面は終わりがなく、いつまでも延々と滑り落ち続けるのだ。

                                    三

 佳乃子のおしゃべりも、いつもはイライラしても我慢して一応聞くふりをする。でもこの時はできなかった。先生が登山の日の説明をしている。
「口を閉じてよ。先生の話が聞こえない」
 私は今まで誰に対しても、そんな風な物言いをしたことはなかった。
佳乃子はひるまなかった。
「登山なんか行きたくないんでしょ」
「うるさいわね。もうあんたのおしゃべりにはうんざり」
 背中を向けたままの、押しころした私の叫びに佳乃子が息を飲むのがわかった。前の席の私の方に身を乗り出すようにしていた彼女が、体をすうっと後ろに引くのを感じた。
「えー、当日は二台の貸し切りバスで行きます」
 先生の声が耳に戻った。
「一時間ばかりのことでもあるし、席順は今回は決めません。ただし酔う人には優先的に前の席を・・・」
 教室がざわめく。あちこちで合図し合って、一緒に座る約束を交わしているクラスメイトたちが見える。
 一瞬不安に陥ったが、私には佳乃子がいると思った。たった今彼女に自分が何を言ったのか忘れたわけじゃなかったけれど、佳乃子は私以外に友達がいないのだ。

                                    四

 当日、私がバスに乗り込む頃にはあいている席は先生の後ろの席だけだった。
 前から二番目だ。ディバッグを抱えて窓際に腰を下ろした。
 先生が席に着いて、ガイドさんがドアを閉めた頃になって、私の横にそっと佳乃子が腰を下ろした。
「お休みかと思った」
 声が弾んでしまったかもしれない。とたんに佳乃子の顔がパッと輝いた。
「内田さんが行くのに、私が休むわけないじゃない」
 軽く肩をぶつけてくる。
「ねえ内田さん。これから下の名前で呼んでもいい?」
 私が返事をしないと、その次からは早速奈美と呼びすてにしだした。
「奈美、私の秘密教えてあげる」
「いらない」
 いくら断っても、事あるごとに佳乃子は繰り返した。そのたびに拒否するのにも疲れて、ある時返事をしなかった。佳乃子の心底嬉しそうな笑顔を、目の隅で捕らえた時にはもう遅かったのだ。
「私は存在していないのよ。奈美、それが私の秘密」
 私は耳をふさごうとした。でも佳乃子の声は頭の中に響いてきた。
「これであなたと私は友達ね」
「私はあなたのたった一人の友達。そして私はいないの。ここにも、ここ以外のどこにも」
 佳乃子のまなざしが、紗がかかるようにうすれて消えようとしている。私は引き止めようと、空しく手を宙に泳がせた。

                                     五


本棚に戻す