百の掌話  *手のひらの小説*


その一   百年目の祠

〈 山の中、道もない。大きくカーブした線路の脇に小さな広場。
 線路を背にして古びた祠。祠の前にずいぶん小さな鳥居がある。高さはせいぜい五・ 六十センチ〉

狐が鳥居をくぐり、祠にきれいに黄葉した葉っ ぱを供えた。狸が来た。きのこを供えた。
リスはドングリを。キツツキは小さくまるまった虫を。鹿は鳥居をくぐれず、脇から入って薄い木の皮を供えた。
「そろそろだろう?」と狐が言った。
「たぶん今日か明日」
「なにが」と狸がとぼける。
 狐は祠を鼻先で指す。
「ひいじいちゃんが、百年目の満月の夜だと言った」
「おまえのひいじいちゃんは百年も生きとらんだろう」
「ひいじいちゃんのひいじいちゃんのひいじいち んだ」と狐は言った。
「百年かどうかは知らないけど、なんだか近いと言う気がしてるの」
 鹿がそう言って落ち着かなげに足踏みをした。
 キツツキはは間違いないと言い張る。

                                    一

「クヌギの木に毎年しるしをつけてある。昨年でち うど九十九本。今年で百本」
 じっとして待っているのも退屈なので、祠の前の広場をめぐる。順番に輪になって。

 いつのまにかネズミも来る。キツツキは日が暮れ出したので、広場のそばの木に止まる。
 近くの木には雀やほかのいろんな鳥が来て、ジュンジュンジュルジュルとおしゃべりがつきない。
 狐の落ち葉を踏む足音、狸の落ち葉を踏む足音。リスの足音は小刻みにかすか。鹿はみんなを踏まないように少し外側を、ゆっくりと歩く。
 空はまだ明るい。広場はもう足もとが見えにくい。
「今日は本当に満月?」
 狸が誰にともなく聞いた。
「見てごらん。東の空。いつもより明るいから」
「もうそろそろ、あいつが通るよ。かくれなきゃ」
 猿が来てみんなに言う。耳をすませると、確かに遠い雷のような音がする。
 広場に集まっていたみんなは、周りの木立の間に隠れた。
 次第に大きな地響き。
 ゴゴルー ガガルー ググルー

                                    二

 静かな山の中をたくさんの光る眼を持った電車が、蛇のように体をくねらせ祠の後ろの道を走り抜けていく。
 みんなは首をすくめ、目を閉じて恐ろしさに耐える。いつもなら近づかないが、今日は特別の日だから、誰も逃げない。
「行ってしまった。もう当分は来ない」
「それに祠が守ってくれるから、大丈夫なはずなんだが、やっぱり怖い」
 どこからともなく、ほかの動物たちも集まり、広場は込み合う。みんなはおしくらまんじゅうのように押しあって、広場を回る。ほっほっほっ、と小さな声を合わせて。
小さな動物は一番内側の輪。中くらいのはその次、大きな動物は一番外。
「おっと、ごめん。足を踏んだ」
「いいよ、大丈夫。すこしも痛くなかった」
 あまりに増えすぎて、時々外側の木立で待っている物と交代する。
 ほっほっほっ ほっほほっ
電車がそれから五度通り過ぎて、やっと広場のみんなは力を抜いた。
「今夜はもう来ない。安心安心」
 猿はそういうことをよく知っている。

                                    三

 すっ かり夜が更けて、満月は高く空に登った。動物たちは足を止めて空を見あげた。
「間違いない。今日がその日」
 広場を埋め尽くしていた動物たちは、後ろにそろそろと下がって、鳥居と祠の前を開けた。そして息をひそめた。
 足音は聞こえなかった。厚く積もった落ち葉はカサとも音をたてなかった。だのにいつの間にか、鳥居の前にまっ白の髪の毛を背中までたらした年寄りがいた。やはり白い髭も、胸までちりちりと流れている。
 小さな動物たちはおびえて、木の影に逃げ込んだ。
「人間だ」と、鹿が言った。
「大丈夫だ。逃げなくても」
 猿は自分に近い姿を持つ人間を、よく知っていた。
「あなたはどなたですか?」
 猿の問いに年寄りは笑った。歯のない口は月夜の中でも暗く、底なしの闇だった。
「おまえたちが待っていた者じゃないか」
 動物たちはそこここでささやき合い、小さな息がかすかな風を起こした。
「この姿が怖いか。これはただの入れ物。それに今、この鳥居をくぐるには大きすぎるな」

                                    四

 そう言うと、くるりとその姿を脱ぎ捨てた。
 中身は白い球。小さな満月のような、白く光をおびた物。よく見ると月そのままに表面に薄く浮かぶ影がある。影はぐるぐると球の中で形を変えている。
 その球は鳥居をくぐって、祠の前に来た。
 そしてそこで、また年寄りの入れ物を纏った。
「球のままでは、しゃべるにしても座るにしてもままならぬ」
 その者は祠の前の石に腰をおろした。
「さて、留守の間。無事であったか。だれもこの祠を超えて、向こうへは行かなんだか」
 狐が進み出て、恐れながらと頭を下げた。
「最近幼い鹿が一頭、生意気盛りの狐と、雷におびえた狸は一昨年に……」
「そうか。この祠ももう百年。力が衰えてきておるのだ」
 いったんおびえて隠れた者たちが、広場に戻ってくる。狭い広場は動物たちであふれる。 狸が一番前で頭をたれる。
「人間はなんであんな恐ろしい物を走らせるんでしょうか」
 狸は絞り出すように言葉を吐く。

                                    五

「最近祠を超えたのは私の息子でした。私はそばにいたのに、走り出したあの子を抱き留められなかっ た」
 動物たちは祠の向こうの、線路を見た。
「人間はきらいだ」と鹿がつぶやき、キツネやネズミたちも「あいつらさえいなければ」と同意した。
 年寄りはそんなみんなを悲し気に見渡した。
 それから祠を振り向いて、前に建つ小さな鳥居を指さした。
「これらを作ってここに置いたのは人間だ。お前たちが線路に入らないように。まちがって入ってしまって、命を失ったおまえたちの白い球を祭るために」
 動物たちはざわめいて、祠と鳥居を見た。
「鹿も狸も狐も猿も、鳥たちも虫たちも中にあるのは白い球だ。人間の中にも同じ物がある。人間の中にはそのことを知らないものがいる。おまえたちが知らなかったように」
 年寄りは天をあおいで息をつく。
「知らないと言うことは悲しいことだ」
 年寄りはまたそろそろと、人間の入れ物を脱ごうとしている。
「私は疲れたので、これから祠に入って眠る。しばらくして蘇ったら、また百年の旅に出る」
「また行かれてしまうのですか」

                                    六

 嘆く動物たちに微笑みかけて年寄りは言う。
「この国にある百の祠を巡るのだ。私を待っていてくれるものがいる限り、私は祠を巡る。小さな祠をつないで歩き、白い球をつなげて歩く」
 動物たちは年寄りの前で頭をたれた。
「わたしを崇めるな。わたしには何もできない。わたしは悲しむだけだ。悲しみながら歩くだけだ」
 年寄りはそう言いおいて、球になり祠に入った。
 それきり静まり返り、何事も起こりそうになかったので、動物たちは散り散りに帰って行った。
 七日は変わりがなかった。
 八日目、月が半分の形になったころ猿があわてふためいて、木立を走り抜けた。
「蘇られた!」と叫んでいる。動物たちは我先に祠の前に駆け付けた。
 そこには人間の赤ん坊が、親指を吸って眠っていた。年寄りが身に着けていた白い布にくるまれて、眠りながら微笑んでいた。動物たちはかわりばんこに寄り添って、赤ん坊を暖めた。
 あくる日には赤ん坊は広場を這いまわり、そのあくる日は立ち上がり、そのあくる日には歩き出し口を開いた。
「ぼく、もう行くよ」
 まだ幼い姿の人間は、動物たちにそう言ってニコニコと旅に出た。
「楽しいね、お日さまが照っているよ。うれしいね風が吹く。みんなまたね。また来るね」

                                    七

その二   不思議な百均

 ぼくは百均の店が大すきだ。いろんな物があるし、安いから。
 ぼくの小遣いは、月に五百円。学校でいるものは別に買ってもらえる。これはマンガや、家に置いてあるものじゃないお菓子が欲しいときに使う。貯めておけばおもちゃだって買える。あいにくぼくは弟と違って、毎月きれいに使ってしまうけど。
 去年は四百円だった。五年になった時五百円に値上げしてくれた。一年で百円増えるだけなんだ。少なすぎる。友達の中には三千円もらっている子だっている。お母さんにそう言ったら、その子はきっと洋服もご飯代も電気代も自分で払っているのよ、なんて言うんだ。
 ぼくにはいっぱいいっぱい、ほしい物がある。五百円ぽっちじゃ、買い物に一回行ったらなくなってしまう。
 そんなぼくの欲求不満を解消してくれるのが百均。少ないお金で、いる物からいらない物まで手に入るから。
 いつもは駅の近くの百均に行く。
 でも今日はおばあちゃんちの近くで、入ったことのない百均を見つけた。お母さんのお使いで、おばあちゃんちに届け物に来た帰りだ。駅まで近道をしようと思ってふだん通らない裏道を通ったら、その店はあった。
 ぼくのいつも行く百均ほど大きくはない。というか、小さい。ちょっとのぞいてみると、お客は一人もいないみたいだ。
 でも百均であることはまちがいない。入口の看板に書いてあるから。

                                    八

ということはぼくは入らないではおれない。
 いまどき自動ドアではない入口の戸を開け、中に入った。何だか電気代をけちっているのか、薄暗い店だ。
 入口に近い場所には文房具類がある。
 鉛筆買おうかなと思って、棚を見た。種類が少ない。黒と赤の鉛筆しかない。それも近くの百均なら四本くらい入っているのに、ここのはただ一本でおまけに長さが三センチくらいしかない。袋にはってあるシールを見ると、『きっ ちり百文字』と書いてある。
 どういうこと?
 レジ の前で半分居眠りしていたおばさんに聞いてみると、「書いてあるとおり」とめんどくさそうに言われた。
 百文字書いたら無くなるってことだろうか、とぼくは考えた。もっと持ちそうな気がする。
 ちょっと試してみたくなる。
 買おうかと思ったけど、ほかにもっと欲しい物があるかもしれないから、いちおう棚にもどした。
 消しゴムも隣にあったけど、飴玉くらいの大きさだったから、きっと百回消したら無くなるっていうんだろう。
 ノートもいやにうすっぺらいから、きっとおんなじだ。

                                    九

 その横にシール がある。見たところ普通のシールだ。数も少ないことはない。一シートに二十枚くらいの丸いシール。銀色で真ん中に100と印刷してある。
 百円玉のシール?
 ラベル を見ると、『うまくはれたら百円もらえる』と書いてある。
 ぼくはそのシール を持って、レジのおばさんの所に行った。おばさんはめんどくさそうにぼくをジロリとにらむ。
「あの、これってどういうことですか?」
「書いてあるとおり」
「もらえるって誰にですか?」
「はった人」
 意味がわからない。ぼくはシールを裏返して悩む。
 おばさんはぼくからシールを取り上げると、中身を取り出し、一枚めくってぼくのおでこにピタリと貼った。ぼくはあわてて、さいふを出した。ちょうど百円玉がある。つまんでおばさんに渡した。おばさんはそれをエ プロンのポケットに入れ、ニヤリとわらった。
 それからレジをピッピッと打ち「はい、百八円ね」と言って手を出した。

                                    十

「今百円渡したから、あと八円でいいですか」
と言ったら、あの百円は頭が悪いあんたのために実演して見せてあげたんだ、と言う。
 ムカッときたけど、まあいいや。
 シールはあと十九枚あるし。全部うまくいったら、千九百円だ。
 うきうきして家に帰って、お母さんのおでこにシールをはろうとしたら「なにするの!」とすごく怒られてしまった。
 あきらめて弟にはろうとしたら、取り上げられて反対にほっぺたにはられてしまった。なんで百円もらえるのか分からないまま、弟は大喜びしている。
 お父さんに試そうとして、シールを手に持ってうろうろしてたらつかまえられた。
「どうだ。この頃。がんばってるか?」
 後ろから腕ごとだきしめられたので、手が動かない。
 お父さんはそのうち、ぼくの持ったシールに気づいた。
「なんだ、こりゃ」
 ビニール 袋にはってあるラベルをじっくりと読む。ぼくはふくれっつらで、「書いてあるとおりだよ」と言った。

                                    十一

「百円もらえるって、誰にだ?」
「シールをはった人」
 お父さんは頭をひねって悩んでいる。僕と同じだ。意味がよくわからないらしい。
 ぼくはそのすきに、お父さんのおでこにシールをピタッとはりつけた。
 やった!
「そうかそうか。そういうことか」
 お父さんはポケットからさいふを出し、百円玉をぼくに渡した。
「おもしろいな。お父さんも誰かにためしてみよう。ありがとう」って?
 お父さんはうれしそうに、ぼくのシール を全部持ってってしまった。
 おかしいな。ぼく、損しているよね。




                                    十二

その三  砂糖壺の下

土曜日の午後、三人は通学路の途中にある喫茶店にいた。
 いつも川土手で立ち止まるか、せいぜい公園のベンチとかでしゃべっ ていたので、こんな本物の喫茶店に入るのは初めてだ。
 もう高校卒業も秒読みだし、 三人とも進路は決まっているし、何も気が引けることはないのに慣れないせいで落ち着かない。
 里緒菜はカフェオレを頼み、ユキはレモンティー、紀恵はコーヒーを頼んで、いつもブラックですからとミルクを断った。そのあげく「苦っ」と顔をしかめている。
 ユキに笑われ、砂糖を二個入れて今度は「甘っ」と唇をゆがめている。
 紀恵は甘くなりすぎたコーヒーを、里緒菜に差し出した。
「あげる」
 里緒菜は紀恵のコーヒーを一口飲み、黙って角砂糖をさらに二個追加した。

「友達百人できるかなって歌、あったよね」

                                    十三

 里緒奈が唐突に話題を変える。
「『一年生になったら』って歌でしょ ?」とユキは答え「私、あの歌怖かったのよ。昔ね」と言った。
 どうしてよ? と紀恵が目をむく。
「百人も友達が作れると思えなかったし、もし本当に作れてしまったらどうしたらいいんだろうって、六歳の私は考えたのよね」
 けげんな顔の二人に、ユキは笑いだしながら言った。
「学校に行ったら百人に「おはよう」って挨拶しないといけないのよ。遊びに行くのに百人も誘わないといけないし」
「別にいっせいに百人の友達がユ キの目の前に現れるわけじゃないのに?」
「ユキって変な子だったのね」
 里緒菜に変な子って言われるなんて、とユキは複雑な顔をした。

                                    十四

「その時にはそう思えたの。今なら『百』はたくさんって意味で使われたんだってわかるけど」
「可愛さ余って憎さ百倍、もきっとそうよね」
「百聞は一見にしかず、とか? お風呂で首まで漬かって百数えろって、よくおばあちゃんに言われた」
 お風呂の百は違うでしょ、とユ キは紀恵に言った。
「でも変ね。たくさんって言う意味で使うなら百より千でしょう? 万でもいいわけだけど」
 里緒菜がそう言うと、ユキが「きっと手ごろな《 たくさん 》だからよ」と笑った。
「手ごろなたくさんってどういうこと?」
 紀恵はまた別なものを頼むらしく、メニューを開きながら言った。
「私たち一般庶民にでも手が届きそうな、てことじゃないの? そうでしょ、ユキ」
「そうね、お百度参りならちょっとがんばればできそうだけど、お千度参りだったらやるまえにあきらめちゃ うわね」
「そうか、百人力なら人間だけど、千人力ならもう機械の領域だとか」
「この喫茶店って、できてから百年ぐらいたってるかしら」
 カフェオレと甘いコーヒーを交互に飲みながら、里緒菜がつぶやいた。
 ユキは店内を見渡し「確かに古いことは古いけど、百年は経ってないわよ」と言っ た。

                                    十五

 何を頼むか決めたらしく、紀恵がマスターを呼ぶ。カウンターの中であくびをしていたマスターがいそいそと出てきて、命令をされるのを待つ犬みたいに紀恵の顔を見る。
「あのね、もう一回コ ーヒー、少し薄いやつください」
「アメリカン?」
 細面で白髪を肩まで伸ばしているマスターは、本当に年老いた洋犬みたいに見える。
「そう、それ。それから関係ないけど、この店って何年ぐらいやってるんですか?」
「私がやりだしてからは五十年。でもこの店はその前から喫茶店だったよ」
「ひょっとしたら百年ぐらいたってます?」
 里緒奈が聞くと、マスターは「さあ、それはないと思うけど」と苦笑いしながらカウンターの中に戻った。
「里緒菜は なんでさっきからそんなに『百』にこだわってるの」
 ユキが聞くと、里緒奈はテーブルの隅の砂糖壺を持ち上げてその下を指で指す。
「これ」
 何? 何? とユキと紀恵が身を乗り出す。
 よく磨かれてはいるが、古びたテーブルの隅には傷がある。
 何か固いものでつけたと思われる傷、少々いびつだが漢字のように見える。

                                    十六

「古い傷だね」
 紀恵はそれを指でなぞる。
「そう深い傷じゃない。コ ーヒースプーンかなんかでつけたのかも」
「『百』って書いてあるでしょ」
 里緒奈が言うと、ユキは首をかしげて『一日』じゃないの?」と反論する。
「ちがうわよ。ほら少し離れすぎてるけど、ここに『ノ』があるもの」
「字の向きから考えると、今の里緒奈の席から彫ってるね」
 里緒奈の隣に座っているユキは、「私には『一日』と読めると言い張る。
「きっ と会えなかった人への伝言よ。今度はきっと一日に来てね、って」
「彼だか彼女だかは、いつもこの席で会っていたってわけ。ユキはそういうメッセージ系の話、好きだね」
「絶対百だってば。きっと何かの呪文よ」
と里緒奈が言った。
マスターが持ってきたアメリカンは口に合ったらしく、紀恵は満足してすすっていたが、里緒奈の言葉に思わずむせ返った。
「いったい何の呪文?」

                                    十七

「何かをこのテーブルにおびき寄せるための。たとえば……。そうだ、百目とか」
「何? また里緒奈は変なこと言い出したよ」
「百目、百の目を持つ人」
 百も目があったら、顔中目だらけよ、とユ キが笑った。
「まあ、聞いて」と里緒奈は舌なめずりせんばかりの顔で、椅子の上でもぞもぞと座りなおす。
「目は顔だけにあるとは限らないわ。むしろ顔には通常の二つしかないのよ。だから自分が百目だとは気づかない人もいるの」
「じゃ あ、どこにあるの」
 紀恵が聞くと、里緒奈はまず頭を指さして髪の毛の中と言う。
「それも後頭部とかに多いの。首の後ろとか背中の真ん中あたりとか、おしり、太ももの後ろ、足の裏」
「つまり本人には見えにくい場所ね」
「おしりにあったら嫌だね。一体何が見えるんだろ」
「体の目はたいていは閉じてるの。時々 開く。そうしたら見えるわけよね。何だかわけのわからないものが。髪の毛のわさわさとはえた根元のあたりとか、服の裏側だとか。一瞬なので本人は目の錯覚かと思ってあまり気にしないの」

                                    十八

「でも何のために、このテーブルに百目をおびきよせてるの」
 ユキが聞くと、里緒奈は「それよ」と紀恵のコーヒーを指さす。
「百目の目はね、特殊な苦み成分があるの。コーヒー豆と一緒に炒って挽くといっそうおいしくなるの」
 ここで里緒奈は声を潜めた。
「このテーブルの百の文字には百目を挽いた粉がぬりこんであるの。百目の人は自分でそのことに気づいていなくても、かすかな香りに惹かれてこのテーブルに座るの」
「というと、私たちの中に百目がいるかもということなの?」
「そうね。でも体の中の目って取りにくいわよね。だからマスターは頭とか首とかの目をよく取るのよ」
「それって、簡単に取れる物なの」とユキが聞くと、里緒奈は目の前の紀恵を見つめてフフッと笑う。
「見た目はイボのように見えるのよ。体の目って」
「何! それは私が百目だってこと?」
「紀恵って、首にイボあるわよね」
「紀恵、さわってみなさい。まだちゃんとついてる?」
「これはきっと目印だってば」
 紀恵は考えながら言い出した。
「例えば何かを受け渡しするときの。ちょっとやばい品物とか」

                                    十九

「大変! 品物を受け取るためには店に入って全部のテーブルの砂糖壺の下を確かめなきゃ」と里緒奈が茶化したとき、どうやら聞こえたらしく「砂糖壺がどうかした?」と、カウンターの中からマスターが会話に割り込んだ。三人は一斉に「いえいえ、何でも」と首を横に振り、しばらくは口を閉じてそれぞれの飲み物を味わう素振りをする。
「ずっと昔から、このテーブルはその品物の受け渡しに使われていたんだよ。品物を渡す人と受け取る人は決して顔を合わせない。だから危険は少なかった」
「もしかして、そのやばい品物って……」
「やっぱり法に触れる類の物なの」
 紀恵は口をつぐんでコーヒーをすする。
 どうやら今からそのやばい品物の中身を考えるらしい。
「そりゃあ、百っていう目印があるくらいだから、百と関係ある品物だね」
 ユキと里緒菜に見つめられて、紀恵は苦し紛れに『百薬の長』と言い放つ。
「お酒?!」
「密造酒だよ」
「無理ね」と里緒奈が言う。

                                    二十

「瓶をテーブルに置くんでしょ。すぐにマスターに見つかるじゃない」
「小瓶だもの。スパイスの瓶ぐらいの。砂糖壺の影に隠れる。少量だけどそんじょそこらにない強烈なお酒なんだ。一口で天国に行った気分になれる」
「テーブルを片づけるときに気づかれるわよ」
 ふふん、と紀恵は鼻で笑う。
「あんたたち、あいかわらず観察不足。ここのマスターは客が帰ったあと、テーブルの真ん中を布巾でちょろっと撫でまわすだけだよ。絶対気づかないね」
 マスターがこっちをちらっと見たので、三人は首をすくめ、もう空っぽになったカップに口をつけた。
「お酒って百毒の長ともいうらしいわよ」とユキがひそひそ声で付け加える。
 それよりね、とユ キは続けて言う。
「これは名前かもしれない」
「ヒャクさん?」
「ももと読むの。机とかに好きな人の名前を刻んだりってしない?」
「自分の持ち物でない物に傷をつけるなんて、犯罪行為だよ」
「彼はこの喫茶店の常連なの。ここのコーヒーを飲みながら本を読むのが、唯一の楽しみだったの」

                                    二十一

「そうか、ほかに何の楽しみもない人なのね」
 もう、とユキがむくれる。
「ふたりとも、やめてよ。黙って聞いて。彼はいつもこの席に座ってたの。まあこんな店だから満席になることはなくて、かれはほかの席に座っ たことは一度もなかった。ところがある日、彼の席に誰かが座っていたの」
 それがももちゃん?」と紀恵が聞く。
「その子は彼の席で本を読んでいたの。しかたなく彼は隣の席に座った。今どき珍しく漆黒の髪の毛を肩までたらしている。うつむいたまつ毛が長い。もちろん自然な自分のまつ毛よ。鼻筋は優しくすっきりと通り、唇はふっくらと柔らかそう」
「ユキ、それ私を見て言ってる?」
「里緒奈はどう見ても漆黒の髪じゃないよ」紀恵がすかさず言い放つ。
「頼んだカフェオレが来て、その子は本を脇に置いた」
「やっぱり、私ね。飲んでる物が一緒だし」
「その子はゆっくり味わって飲んでいたけど、どうやらポケットで携帯がブルブルしたらしく、それを出して」

                                    二十二

 ユ キはそこで水を飲んで二人をじらしてから「あわてて、店を出て行ったの」と言い、「読んでいた本を忘れて」と続ける。
「その本に名前が書いてあったわけ?」
「でないとその彼には、彼女の名前が分からないものね」
「そう。裏表紙に書いてあったの。『百』とね」
「それが、どうして名前だと分かったの?」と疑わし気に紀恵が聞く。
「彼はそう思い込んだのよ。本当は違うかもね」
「その本、古本屋で買ったんでしょ。だから『百』は値段よね」
 ユキは答えず、笑い出す。
「残念ね。恋が始まるかと思ったのにな」
 紀恵がため息をつく。
「私、高校生活でとうとう彼氏ができなかったよ」
「お互いさま」
「右に同じ」
「ユキは大学生活でがんばりなよ」

                                    二十三

「紀恵だってそうでしょ」
「私は女子ばかりの短大だもん」
 店のドアが開く音がした。常連の客らしく、マスターが「おお、今日は遅いな」と声をかける。
 里緒菜が顔をあげちらっとそっちを見て、またあわてて顔をふせた。いつもになくささやくような声で言う。
「私、できるかも」
「何が?」
「オトコ」
「何言ってるのよ、あんたいつの間に!」
 シーッ、シッ ーと里緒奈は柄にもなく顔を赤らめる。
「里緒奈は進学しないんでしょ。まさか、結婚とか……」
 里緒奈はユ キの口を手でふさいだ。
「違うってば。私は父の仕事を手伝うの。何度も言ったでしょ。町のペンキ屋さんになるのが子供のころからの私の夢だって」
それに「できたでなくって、できるかもと言 たでしょ」と里緒奈は言い、いきなり立ち上がるとユキを押しのけさっさと店を出て行った。

                                    二十四

 紀恵はあわててその後を追う。訳がわからないまま、ユキは三人分の代金を立て替え店を走り出た。
 里緒奈と紀恵は外の窓から店の中をのぞき込んでいる。
「ははあ、確かに」と紀恵がうなづいている。
 店のレシートを片手にユキが「なにが、ははあよ!」と怒鳴ると、二人に店の横の路地に引き込まれた。
「さっき店に入ってきた人、見た?」
「見ない」
 そおっと見てきな、と紀恵に背中を押される。
「めちゃめちゃ 、いい感じだから」
 何が、と納得できないユキに里緒奈と紀恵は声をそろえる。
「オ・ト・コ」


















                                   二十五


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