>

     『右へ行く道』


 想像してみる。私がこの道をまっすぐに行かず、右に曲がるところを。
 右の道は川をこえて、一面の田の中を抜けていく。田は今、休眠中。下に何をたくわえているのか、今はそぶりにさえ見せず冬枯れている。
 まっすぐに行く道は、高校の正門へと続く。二年足らず、通いつづけた。友だちの家も私鉄の駅も、この道の途中にある。だからこの道は私にとって、必要不可欠のもの。
 右へ行く道はそうではない。
 私は想像してみた、右の道へ行く自分を。一面の田の中を、歩いていく私を。
 人家は遠い。人通りはない。自動車も通らない。そろそろ授業が始まろうという時刻に、この道を学生が歩いているという事を、不審に思う者はない。だから私はこの道をずっと先までたどり、そして行き着く。道の果てに。 右へ行く道は次第に登り坂となり、山あいへと入り、茂った雑木の中に埋もれてしまうから。実際にその道をたどった事などないはずだのに、私はその事を知っている。なぜだろう。わからない。
 曖昧に道が消えていくあたりの、枯れた背の高い草の折り重なって倒れているようすまで目に浮かぶ。少し離れた茂みの陰に小さな流れのある事も、それのたてる水音さえこの耳に蘇る。なぜこんなにもはっきりと、浮かぶのだ。わからない。この頃どうも私は変だ。知らないはずの事を知っていて、知っているはずの事が思い出せない。

                                    一

 中学校からの友だち、智可がきのう言った宏ちゃんの事やっぱり思い出せなかった。中一の時同じクラスだったらしいのだけれど、私にはさっぱり記憶にないのだ。
 知らないはずないよ、と智可は少し腹をたてた声になった。なんでもその子は野球部の部長で、クラスでもとても目立ってかっこいい子だったらしい。私がその子のことを、一時期好きだったはずだとまで、智可は言った。それはきっと智可の勘違いだ。だれかほかの人とまちがえているのだと思う。でもそれにしても同じクラスだったその子が、思い出せないのは変だ。
 実はきのう、中学校の卒業アルバムを引っ張り出しまでしたのだ。どこに片付けたか忘れてしまっていたので、大騒動だった。
 私の出た中学はマンモス校で、一学年に十二クラスもあった。アルバムの最初の方はそのクラス別の写真でうまっている。ああ、どうしよう。私は動揺している。このまま知らん顔して、いつものように高校の門をくぐれない。だから立ち止まったままだ。 この分かれ道で。右へ行く道とまっすぐ行く道のきわで。
 私は中学の自分のクラスさえ忘れていた。しかたなしに一ページずつめくって、やっと自分のクラスを見つけた。智可の顔はちゃんと覚えている。でもほかの子たちは、クラスのほかの子たちはだれ一人として見覚えはなかった。わたしは本当にここにいたのだろうか。この見知らぬ子たちと、一年を過ごしたのだろうか。
 写真の上にかぶせられた薄紙には、写真そのままの人型に名前が書かれている。

                                    二

 名前と写真を照らし合わせてみても、よみがえるものはない。アルバムのページを繰ってみた。中学校の三年間の様々なイベントのスナップ写真。入学式から始まって、遠足、キャンプ、体育祭、文化祭、たくさんのクラブ活動の写真。
 私は自分が何のクラブに所属していたかさえ、記憶になかった。怖くなりとてもそれ以上アルバムのページをめくれなかった。今いるここが、本当は自分のいるべき場所では無いんじゃないかと思えた。
 だから今日は右へ行って見る。向こうに本当の居場所があるのかもしれないから。
 私は右に曲がった。田んぼの中の一本道を歩き、山あいに入りなおも歩いて行った。そのうち道が途切れるはずだ。怖いようであり、潔いようで誇らしい思いもあった。
 切れそうで切れない道は次第にきつい登りになり、太い根っこをこえ、大きな石もよじ登った。道はそれでも細々と続いていた。
 やっと登りきった。そこには思いもよらない眺めが合った。人家があり、田があり、畑があった。道は次第に広くなり、舗装されていて、そこを制服を来た学生が何人も歩いていく。
「○○ちゃん、おはよう」
 いきなり知らない名前で呼ばれた。
「聞いた? 先輩、クラブ辞めるんだって」

                                    三

「えっ? 先輩って?」
「松田さんじゃない。私、ものすごくショック!」
 私は松田さんをたぶん知っていると思う。
 美術部の先輩で、私たちなんかとはけた違いに絵がうまく、きっと将来は絵を職業にしていくんじゃないかなと思える人だ。あの人が辞めるって?
「えっ、どうして辞めるんだろ。幸ちゃん、そのわけ知ってるの?」
「絵に飽きたんだって。サッカー部に入るらしいよ」
「ええーっ、もったいない」
 私と幸ちゃんは声を合わせる。幸ちゃんと私はよく気が合う。幼稚園からの友達だもの。
 心の奥底で、本当に? と自分が言っているけど無視する。ここでは決して、昔のアルバムなんか見るまいと決心している。



                                     四


本棚に戻す