|
門の掌話 *手のひらの小説*
その一
門をくぐる
スーパーマーケットと息子のマンションは、広い大通りをまっすぐ七分の距離だった。早苗は息子の嫁と一緒に、その道を三度歩いた。
連休が終わって嫁は今朝から仕事に行ったので、早苗は初めて一人で行って、嫁に頼まれた食卓塩を一瓶買った。たぶん本当に食卓塩が必要だったわけじゃないだろうと、早苗は気づいている。嫁は早苗に買い物の練習をさせているつもりなのだ。
「いくら知らない土地だからって、買い物ぐらいはね」
嫁は決して意地悪な子ではないが、早苗としてはちょっと気分が悪い。買い物が終わっても、まっすぐに家に帰るのが少し悔しいような気がし、回り道をすることにした。町の西の方に小高い山があり、どうやら寺があるようだ。
「お参りしてこよう。これからずっとこの町で暮らすのだもの、挨拶しておかなくちゃ」
早苗はその山の方角へ流れる川に沿って歩いた。小さな川だ。コンクリートで固められた護岸沿いに続く道は静かで車もあまり通らない。 道沿いに植えられている木はどうやら桜で、ひと月ばかり前ならさぞかしいい眺めだろうと思われた。今は青々と葉が茂り、強くなりだした日差しをさえぎってくれる。
一 |
|
たいした距離でないように見えた山は、歩いても歩いても近づかなかった。
「私は足腰は丈夫だから」
早苗はひとりごとを言って笑う。
「八十まで三年もあるのよ。まだまだ一人でも暮らしていけるのに、寛人ったら」
ひと月半ばかりも前だった。早苗は銀行の用事をすませて帰り道に迷った。何時間も歩き続けて座り込んだところを巡回中の警察官に助けられた。
「あの時はおかしかった」
早苗はまたひとりごとを言ってクスクス笑った。
「寛人ったら大あわて。新幹線ですっ飛んで帰ってきた。いつも何だかんだ言ってちっとも帰ってこないくせに」
通りかかった自転車の女の人が、振り返って早苗を見た。早苗はにっこり笑って頭を下げる。
「ひとりごとばかり言ってるから変な人だと思ったのね。でもずっと一人で暮らしていると、たまにはこうやって声に出してしゃべらないと声の出し方を忘れちゃうのよ」
早苗は一人息子の寛人が家を出て行ってから、もう三十年以上も一人で暮らしていた。何でも一人でこなしてきたし、淋しいと思ったこともない。しっかり者で通っていたし、その銀行帰りの一件だって迷子なんかになったわけじゃないと、何度も寛人に言った。
二 |
|
「ほんの二・ 三日前はそこに大きなお屋敷があったの。それが壊されて更地になっていたの。すっかり景色が変わって見えたのよ」
でも寛人は何の相談もなく家を処分して、早苗の引越しを決めてしまった。 もっとも引越しだと気づいたのはつい一週間前だ。ただ遊びに来たつもりの息子の家で、和室の押入れをふと開けてしまった時、そこに早苗の荷物がぎっしりと詰め込まれているのを見てしまった。
まだ三十代の若さであの世に旅立ってしまった寛人の父親の写真が荷物の一番上に置かれてあった。それを見て、早苗は寛人を問い詰める気が失せた。
「だって、お父さんもここに来てるんだもの。しょうがないじゃない」
家並みが途切れていた。ずっと寄り添って流れていた川は、そこで何倍も大きな川へと流れ込んでいた。
お寺のある山は目の前にあり、道はその山裾に沿ってカーブしている。 木々が茂っているのでここからは寺の屋根も見えなかった。
今までずっとたどってきた道から枝分かれして山のほうへ行く道がある。その道を行けば寺へ行けるのかもしれない、と早苗は思った。
細い道だった。道の両側は広い梅林だった。
「さっきの道は桜でここは梅? すてきね。いい散歩道見つけたわ」
三 |
|
梅林の中の道をたどりながら振り向くと、広い川の対岸の家並みがかすんで見える。いいながめだ、と早苗はそこで立ち止る。
「住めば都と言うわ。きっとここでの暮らしも捨てたものでもないわよ」
元気が出て、ずい分長い間歩いていたにもかかわらず早苗はしゃきしゃきと道をたどった。そしてその道で見つけたのが、門だった。 唐突にそれはあった。そんな場所にあるはずのないものに思えた。古びていたがそれは立派だった。自然石を積み上げた上に古風な屋根が乗っていて、変わっていたが風格があった。 早苗は立ち止まって見入った。自然石は苔むしていて、もう何十年とそこに鎮座しているように見えた。カヤで葺かれた屋根の下は、くまなく日にさらされた辺りの風景の中で、区切られた別の場所のように違う空気がたまっているようだ。
普通なら門の中にはそれ相応に立派な建物があるはずだったが、奇妙な事に門の中には何もなかった。何もなかったという言い方はおかしいだろうか。だが本当に何もないのだ。広々とした野原にぽつんと門のみがあるだけで、建物どころか門につながる塀もない。早苗は門を通らず、横から中の野原を見渡した。 草原である。所々に庭石のような大きな石があるほかは。
「昔は大きな屋敷でもあったのかしら」
四 |
|
もしかすると庭がとてつもなく広いので、中の建物が見えないのかもしれないと思い、早苗は門をくぐってみようとした。
すると確かに敷地の中に建物が見える。
なんだかかすんで見えるが、早苗は自分の目のせいだと思ってちょっとこすってみた。確かに建物だ。それもどこかで見たことのあるような。
「あれ? あれは銀行の裏手にあったお屋敷に似ている。取り壊されてしまったあの大きな家にそっくり」
まさか、と身を引いて道に戻り、そのまま歩いて行ってしまおうとしたがどうも気になる。本当に取り壊された家に似ていた。あの家を早苗は好きだった。学校のような板壁で西洋風の屋根に憧れた。
「二階には露台があった。今風のベランダじゃなくて露台なのよ」
さっきの建物はどうだったかしら、と早苗は足を止め今度は門からでなく横手から敷地の中をのぞきこんだ。するとそこはただの野っぱらでしかなく、雑草の茂みの中から小さな鳥が飛び立つばかりだ。早苗は混乱して目が回りそうな思いに、門の石に手を突いた。
おそるおそる門の中をのぞく。するとやはり建物が見える。しかもさっきよりずっとはっきりとして。
「やっぱりそう。あれは私の好きなお屋敷。どうしてここにあるのかしら。私と一緒にここに引っ越してきたの?」
早苗は迷いもせず、門をくぐった。お屋敷の前には見慣れた通りがある。
五 |
|
「ここからなら簡単。家に帰れるわ」
早苗は歩き出した。お屋敷を右に見ながら日の照る道を歩いていく。もう少し歩くと文房具屋がある。寛人が一年生になった時、ここで鉛筆を一ダース買ったら三本鉛筆をおまけしてくれたっけ。
早苗は喜々として道をたどる。何だか体が軽くなったようだ。
「早く帰らなきゃ。寛人がもう学校から帰って来る」
後ろで鳥が飛び立ったらしい。羽音が空気を振るわせる。早苗は何か大事なものを忘れた気がして一瞬振り返った。だがきっと何か取るに足りないものだ、と思いなおし走るようにして家路をたどる。
初夏を思わせる日差しの中、門の外にスーパーの袋に入った食卓塩だけが残されていた。
六 |
|
その二
路地の鳥居
その路地が行き止まりなのを、亘は知っていた。中学校の通学路の途中にあり、狭くて薄暗いその通路がどこに通じているのかと、好奇心にかられて入ってみた事がある。
片側は三階建てのアパートで、その路地側には窓がなかった。
もう片方は古い商店で裏口が一つあったが、使用されていないらしくカビだらけのドアはノブが壊れたままだ。
その奥はコンクリートの高い塀でふさがれており、どこにも行き場がない。なのに今日、その路地へ入っていく人がいる。少し頭の毛が薄くなった男の人で、いかにも用事ありげに入って行った。
亘は自動販売機で買った缶コーヒーを飲んでいるところだったので、しばらく見るともなくその路地を眺めながら立っていた。行き止まりである事に気づいてすぐに出てくるだろうと思ったのにちっともそんな気配がない。 缶コーヒーを持ったまま、路地の入り口をのぞいてみた。昼間でも薄暗い路地の壁に蛍光色の赤で描かれた鳥居が、浮いて見える。それがどういう意味を持つものなのか、亘は知っている。
神社の入り口に立つ鳥居は、神様の世界と人間の世界との境に立つ門だ。ここから先は神様の領分なのでそれに対して無礼な事、例えば立小便とか、をすればバチがあたるぞという警告だ。さっきの男の人は、その警告を無視するつもりなのだと思ったけれど、今こうして見る限り路地には誰の姿もない。
「もしかして行き止まりじゃないのかな」
あるいは気づかなかっただけで、通り抜けられる場所があるのかもしれないと亘は思った。
七 |
|
路地は晴れ渡った日でも湿っぽい。風が通り抜けられないからだろうか。両側の壁の下の方はどす黒いカビでおおわれている。
そして真っ赤な鳥居の形。以前に見たときは二・ 三個しか描いてなかったのに、どうやら数が増えている。奥へ向かって五つもあった。しかも一番奥のはずい分大きい。高さが五・ 六十センチはある。
誰が描いたのだろうか。アパートの壁なので、たぶんそこの管理人だろう。
壁の下のほうに描くためには、この汚い地面にしゃがみこまなければならないはずだ。
亘は一番大きな鳥居をしげしげと眺めた。
結構繊細に描きこまれている。立派と言っていい仕上がりだった。他の鳥居はぞんざいに、線だけで描かれているのに。
亘は一番奥まで歩いた。やはりコンクリートの塀で行き止まりだ。 この間は気づかなかったが、アパートの壁との間にはわずかなすき間があった。でもとても人間が通れるほどの幅ではない。のぞいてみるとそこには一筋の光も差しこまず、ネコさえ通るのをはばかるだろうと思えた。他に考えられるのは商店の壁にある裏口だが、この前見たときはドアノブがぐらぐらして取れそうになっていた。もしかして修繕して使えるようにしたかもしれない。亘はドアの所に戻って、そうっとノブをつかんでみた。やはり壊れている。いったいあの男はどこに消えたんだろう。
「おい」
亘はその場で五十センチは飛び上がった。思わず、小さく叫び声をあげたかしれない。
八 |
|
後ろから亘に声をかけたのはさっきの髪の毛の薄い男で、その手に空き缶を持っている。
「これは空き缶入れに捨てろ」
あの大きい鳥居を観賞した時、つい地面に置いてしまった亘の飲んだコーヒー缶だった。
亘は言い訳どころか返事さえできず、その缶を受け取ると路地を飛び出て逃げた。
いったいあの男はどこから出てきたんだ。狭い路地だ。亘に気づかれずにそばを通り抜けられるはずがない。奥まで行って戻ってきた亘の後ろにあの男はいた。あの路地で亘より奥にあったのはあの大きな鳥居だけなのだ。
それから日にちがたつにつれて、まさかな、という思いが強くなった。気づかなかった通り道がきっとあったんだ、と亘は自分を納得させた。そうするより他はない。言葉で説明できる事ではなかった。
時々、通りすがりに亘は路地を覗き込む。怖いもの見たさと言うやつだ。
ますます暗くなるように見えるその場所に、日毎に鳥居が増えていく。大きいのも小さいのも取り混ぜて、行き止まりの塀までびっちりと。
九 |
|
その三
校門を通る
*ユキ
ユキはその校門を母と通った。その春は暖かかったので校庭の桜は満開を通り越して、もう散り始めていた。
ユキは母親と分かれて、張り出されたクラス分けの名簿を見ていた。同じ中学校の出身者は、ユキの振り分けられた三組には男子が二人だけだった。もともとこの高校に入学する子達はほとんどがこの近くの城西中学校の生徒で、ユキの卒業した中学校からは十数人しか入学していない。それにしてももっと均等に振り分けてくれたらいいのに、とユキは知らない顔ばかりが並ぶ列に入り込んだ。 列の前にはどうやら担任になるらしい神経質そうな若い男性教師が立っている。入学式場である体育館に入る前にクラス別に整列するようにと、しきりに繰り返している。だがまわりがざわざわしているのでほとんど聞き取れない。
並ぶ順番はどうでもいいのかしら、とユキは不安にかられ前後の子達をそれとなく眺めた。
前の女の子が振り返ってユキを見た。そしてずっと前からの知り合いのように、ユキに向かってニッと笑顔を作る。
十 |
|
「私、野々村里緒菜。全部漢字。六文字。うちの親の名前の付け方ってどうかと思うわ」
そう言ったかと思うと、別にユキの返事は期待していないようですぐ前に向き直ってしまった。
ユキはその子の後姿をしげしげと眺めた。少し茶色っぽい髪の毛を二つに結んでいる。
どこかおかしなところがある、とユキは思った。髪の毛だ。それを束ねている物。ユキはその子の、髪の毛をしばったゴムをしげしげとながめた。
( パンツのゴム?)
まさか、と思うが何度見てもそれは幅広の白いゴムだ。おまけに輪にするためにしばった端がぴょんと飛び出ている。
( えっ、これっていいの? まさか、今のはやりとか?)
何だかいろんな事が心もとなくなり、ユキは後ろを振り向いた。列のずっと後ろにいる母親の姿を探すようなふりをして、ちらっと後ろに並んでいる子も観察する。
体格のいい子だ。ユキより頭一つ分背が高い。目が合ってしまったので、あわてて前に向き直ろうとすると、「ねえ」と声をかけてきた。
「今日の朝刊、読んだ?」
「いいえ、今日は忙しかったので」
十一 |
|
その子は獲物を見つけた獣のような顔をする。
「隣町でコンビニ強盗があったんだ。その強盗は手をあげろって、上着のポケットにつっこんだ何かを店主に向かって、ねらいをつけた。ばかだろ、そいつ」
そう言って、さして声もひそめずケラケラと笑う。幸いにもまわりもざわついていたのでだれもユキたちの方は見ない。
「ばかって、どういうふうに?」
「その男、白い薄手のウィンドブレーカーを着てたんだよ。まる見えだよ。ポケットの中で指を指してるだけなのが。おまけに今どき『手をあげろ』だなんて」
またケラケラと笑う。どう反応していいか分からず、ユキは前に並んでいる子の真似をした。
「私、波多野ユキ。名前はカタカナ、きっと漢字を考えるのがめんどうだったから。うちの親ってどうかと思うでしょ」
「私、藤紀恵。ねえ、ニュースの続き聞きたい? その強盗、どうなったと思う?」
(どうしてこんな変な子達の間に並んでしまったんだろう)
ユキは聞きたくないとも言えず、とまどっていると、具合のいい事に先生のマイクの声が聞こえてきた。入学式が始まるので、並んでいる列のまま体育館に入るようにと言っている。
十二 |
|
ちょっとほっとして前に向き直ると、今度はまたパンツのゴムの女の子が、話しかけてきた。
「ねえ、私さっきからずっと担任の先生が誰かに似ていると思って考えてたのよね。やっと今、思いついた」
*里緒菜
里緒菜は校門で立ち止った。
「みんな、お母さんと来てるんだ」
今朝新しい制服を着て起きていくと、里緒菜の母は「あら、今日は何だった?」と言った。
「入学式だと思うけど」
まだパジャマの母は少しあわてたそぶりをして、「私も行くべき?」と聞いた。
「いいわよ。もう高校生だもの。みんな一人で行くと思う」
そう言い切って、里緒奈は一人で出かけてきた。
予想に反して意外と大勢の親がそこやかしこにたむろしていた。中学生の頃は高校生というのはすごく大人で、もう親は余り関係しないのでは、と思っていた里緒菜は少しばかり不安になった。
でもどっちにしろ、里緒菜の母親は来ないだろう。朝が弱く、いつも昼前にならないと体だけでなく頭も働かない人なのだから。
十三 |
|
里緒菜はクラス分けの名簿を見て、その列に並んだ。一番前に三組と書いた札を持った先生が立っている。あれは担任になる先生だろうか。
( 誰かに似ている )と、里緒菜は頭をひねる。確かにその先生は誰かにとてもよく似ていた。
( あのあごの細い感じ、それからやせて骨ばってるところなんか)
親戚の人でもない。友達のお兄さんとかでもない。テレビによく出る人かもしれない。
考え出すとすごく気になってきた。
( 芸能人かな。俳優とかではなさそう)
頭を捻りながら何となく振り向くと、後ろに並んでいた小柄な子と目が合った。その子はあきらかに里緒菜を見たのに、その視線をはずすのでもなく、といって何もアクションを起こさず、息を詰めてこちらの出方を待っている。 葉っぱの先に止まったてんとう虫みたい、と里緒菜は思った。それは久しぶりにぴったりきた思い付きでうれしくなった。
とりあえず自己紹介し、心の中でてんとう虫ちゃん、よろしくねと挨拶して前に向き直った。
先生のマイクの声が聞こえてきた。入学式が始まるので、並んでいる列のまま体育館に入るようにと言っている。列の前で担任の教師がこっちへ、と手を振り上げている。そのとたんひらめいた。
十四 |
|
( 分かった。誰に似ているのか)となると里緒菜はその思い付きを披露せずにはおられない。それでまた振り向き、その子に話しかける。
「ねえ、私さっきからずっと担任の先生が誰かに似ていると思って考えてたのよね。やっと今、思いついた」
「えっ?」
後ろの子は真ん丸い目をさらに丸くする。
「カマキリ! ねっ、そう思わない?」
その子はそうっと前の先生を眺め、それからウッ、と息を呑んで両手で口を押さえた。顔が真っ赤になる。
おもしろい! 彼女の反応に、里緒菜は感激する。近頃誰もこんな風に反応してくれなかったから。
「ちょっと、野々村さん。私語は慎みましょう」
てんとう虫ちゃんの後ろから口を挟んだのは、これもどこかで見た顔だ。
( ううん、カブトムシ? ちょっと違うか)
「私、藤紀恵。中一の時に同じクラスだったじゃん。忘れたの?」
「あっ、思い出した。ソフトボールやってたでしょ」
「そうそう」
十五 |
|
*紀恵
紀恵はさっさとひとりで校門をくぐった。
母は後ろで、知り合いのお母さん方としゃべりっぱなしだ。
しょっちゅう会っている近所の人なのによく話題に困らないものだ。 自分たちだってくだらないおしゃべりはするが母たちのはさらにくだらない気がする。
クラス分けの名簿を見た。三組だ。三組と書いた札を持った先生の列に並ぶ。 前に並んだ子が落ち着かなさそうに、きょろきょろしている。
もしかしてこの子、中学校と間違えて入ってきたんじゃないかなと紀恵は心配になった。昨日まで小学生でしたと言ってもいいくらい、小柄な子だった。
中学校は隣だよ、と教えてやろうかと身を乗り出した時、その子が振り向いた。
「ねえ」
と声をかけてから、気づいた。その子の着ている制服はどう見ても紀恵と同じだ。あせるあまり、今日の朝刊読んだ? などと言ってしまった。余計に変な顔をされる。
( だがここで引き下がったら、ばかみたいだ。ええい、勢いで言ってしまえ)
今日、新聞で読んだコンビニ強盗の話をする。そのうちについ熱がこもる。紀恵の悪い癖だ。
十六 |
|
「ねえ、どうなったか聞きたい?」
その時、先生のマイクの声が聞こえてきた。入学式が始まるので、並んでいる列のまま体育館に入るようにと言っている。小柄な子はそれをきっかけに前に向き直ってしまった。
( あれ、何だ。その前に並んでいるのは、野々村里緒菜じゃない)
中学校で、一年のときに同じクラスだった。絵が上手で授業中に先生の似顔絵を描いては、みんなに回していた。先生もそれを承知していて最後に僕に回してくれ、と手を出していた。見たそのまま描くのではなく、ちょっとした特徴をうまくとらえているのでおもしろかった。
体育館に向かってそろそろと列が動き出しているのに、野々村里緒菜が前の小柄な子に向かってうれしそうに何かしゃべっている。もう友達こさえたの、とやっかみもあって口を出した。
「ちょっと、野々村さん。私語はつつしみましょう」
式が終わって校門を出ると、朝方はまだ残っていた桜がほとんど散ってしまっていた。
路面で花びらは風の吹くまま散らばり、隅の方に深く溜まって、手ですくい上げれるほどだ。里緒菜とユキと紀恵は立ち止まって、それを眺めた。
「昔、ままごとでご飯にしたよね。あれ」
「私は、あまりままごとはしなかった。いつも兄と走り回って遊んでいたから」
十七 |
|
「明日も来るでしょ」
「何で急に話題が変わるのか分からないけど、あたりまえだよ。明日もあさってもずっとだよ。野々村さん」
紀恵が呆れて、でもどこか楽しそうにユキを見やる。
「波多野さん、この子こんなだから巻き込まれないよう気をつけてよ。って言うか、あんた達の苗字長過ぎ。まだるっこしい」
ユキは心の中でパンツのゴムさんとか、三面記事さんとか呼んでいたので、口に出す前に確認する。
( ええっと、紀恵さんだった)
「私は名前で呼んでもらってもかまわないけど。紀恵さん」
「じゃあ早速呼ぶけど、ユキさんは謎よね。里緒菜は中一の時に同じクラスだったから、ある程度の事は知ってるんだけど」
「ユキさんはどうしてこの高校を選んだの。中学校の友達と一緒の所に行こうと思わなかったのはなぜ?」
「あのね、ここの校門が好きだったから」
「ええっ、校門!」
「歴史がある感じが気に入ったの。昔は藩校だったのでしょ。門はほとんど当時のままと聞いたわ」
「ふうーん、ハンコー?」
十八 |
|
里緒菜が校門を振り返る。どうやら意味が分かってないようだ。
「校門で高校選ぶって、変わってない? こんなのってただの飾りかと思ってた」
「飾りってことはないでしょうよ」
紀恵がケラケラと笑う。ユキはそんなふうに開けっぴろげに笑う事がないのでちょっと見とれてしまった。
「何のためにあるんだろ」
「区切りでしょう。外と中の」
「ふうん、聞いてみれば確かにそうだけど、ユキさんって頭いい?」
「どうして?」
「しゃべり方がさ。でもいちいち顔、赤くなるよね」
( あなた達と付き合ってると、そのうち青くなりそうな気がする)
心の中でそう言って、ユキは校門を見上げた。建物と見まがうような瓦屋根の校門は、格式ある寺のそれにも見え、今朝方ユキはその威圧感に心がへしゃげそうになった。今までこの前を通るたびに立ち止まり、憧れて眺め入っていたのにもかかわらずだ。だがこれからは毎日この門をくぐる事になる。里緒菜と紀恵には単なる外と中の区切りだと気負って言い捨てたけれど、きっとそのうちそんな事さえも考えないでここを通るのだろうなとユキは思った。
十九 |