『なくしたカサ』



 ぼくはまたカサをなくしてしまった。学校を出る時はたしかにあった。家の前まで来て、持っていないことに気づいた。
 ぼくはおおあわてで、道を引き返した。
 学校を出てすぐ、ノボル君の家に寄った。ノボル君の家は学校の裏だ。新しく買ったゲームソフトを見せてやると言うので、ちょっと寄っただけだ。家に上がりはしなかった。
 そのあと、商店街の本屋に寄った。店の中には入っていない。前に積んである雑誌を、ペラペラとめくってみただけ。その時横にカサをたてかけたかもしれない。
 そこでなければ、神田橋の所だ。橋の上からしばらく川を見た。川はきのうからの雨で増水して、すごい勢いで流れていた。
 ぼくがよく遊ぶ河原は、すっかり川の中にしずんで見えなくなっていた。カサを欄干の上に置いただろうか。
 昼から雨がやみそうだから、学校にカサをわすれちゃだめよと、今朝お母さんに何度も言われた。だからちゃんと気をつけていたのに。
 ぼくはなさけなくなってため息を連発しながら、いそぎ足で歩いた。
 神田橋が見えた。遠くからでもその上にカサがないのはもうわかる。まだ新しい青いカサだ。川の中に落ちただろうかと、橋の上から下を見た。もし落ちていたら、もうとっくに海まで流れていってると、ぼくは思った。

                                    一

 海と同じ色のカサだから、きっともうだれにも見つけられないだろう。
 本屋にあるかもしれない。ぼくは商店街まで走った。でもそこにもなかった。五年生になってから、何本目のカサだったろう。三本目か、いや四本目だ。
 このカサをなくしたらもうぜったいに買ってあげないからねと、お母さんに言われたのだ。
 商店街の中をうろうろしていたら、目のすみに青い色が写った。
「あっ、あった!」
 ぼくの青いカサが他のいろんな色のカサと入りまじって、店先の丸い輪にぶらさがっている。それを手に取ってから、値ふだがついているのに気づいた。
 がっかりしてまたもとの場所にもどしかけた。その時、値ふだの数字に目が行った。
「三百円!」
 ぼくはズボンのポケットをさぐった。そこに五百円入っている。ぼくの今週分のおこづかいだ。きのうもらったばかりだから、まだまるまる残っている。
 カサをひっつかんで店の中に入ろうとして、急にぼくは不安になった。たった三百円で本当にカサが買えるだろうか。
 その時三人のおばさんがやって来て、カサのかかっている輪をぐるぐる回した。

                                    二

安い安いと言い合っては、かたっぱしから手に取ったカサを広げて見ている。そのあげくめいめいが四・ 五本も腕にかかえて店に入って行った。
 ぼくはもとにもどそうとしたカサをあわててにぎり直して、店に入っていった。
 お菓子とか文房具でないものを一人で買うのは初めてだ。それじゃあ買えないわとか、お母さんといらっしゃいとか言われないだろうか。
 ぼくはドキドキして、店のおばさんに五百円玉を差し出した。おばさんは何も言わず、ただニコニコして細く切った包装紙をカサにまこうとした。
「紙は巻かないで。ぼく、すぐに使うから」
 おばさんは変な顔して、店の外を見た。
「また雨降りだした?」
 ぼくは店を出てすぐに、カサを広げた。本当にぼくのなくしたのと同じ色だ。お母さんは気づかないにちがいない。
 頭の上でカサを回したら、つうっと水の匂いが腕を伝っておちてきた。カサをはずして空を見上げると、灰色の雲はもうきれぎれで色あせたような色の青空があちこちに見えている。
 今度は勢いをつけて、ブンブン回した。さっきよりもっと深い水の匂いがする。

                                    三

 何だか回りの景色がにじんで見えてきた。まるでどしゃぶりの雨を通してみるように。
 ぼくはカサを回すのをやめた。でも変わってしまった景色は、もとにはもどらない。ぼくのいる場所はもう、商店街ではなかった。
 どこだかはすぐに分かった。市立図書館だ。
 図書館は電車でふた駅むこうにある。商店街から一瞬で行けるわけはない。それにすっかりやんでいたはずなのに、このどしゃぶりの雨は何だろう。
 ぼくはすごい降りの雨の中で、図書館の玄関に向かって立っていた。
 その玄関で身をすくませて雨を見ている人がいる。中学生くらいのお姉さんだ。カサを持っていないらしい。いそぐ用でもあるのか時々腕時計を見ながら、あんまりひどい降りようにぼうぜんと立ちすくんでいる。
 その時図書館の中からおばさんが出てきた。
 ぼくはあの人をよく知っている。図書館に勤めている人だ。それに手に持っている、緑色のカサは…。
「忘れ物のカサだけど、もう半年も持ちぬしが現れないの。使ってちょうだい」
 そうだ、ぼくは思い出した。五年になったばかりの頃、あの図書館に行った。新しく担任になった先生が、教科書にはのっていない事について宿題を出したからだ。
 天気予報が雨だったので、お母さんがカサを持って行けと聞かなかった。

                                    四

 でも結局は降らなくて、そしてぼくはカサを忘れた。どこでわすれたかわからないとおかあさんには言ったけど、図書館だろうと思っていた。電車に乗ってまで取りにいくのがめんどうだったので、うそをついてしまった。
「ぼくのカサ、まだ図書館にあったんだ。」
 それぼくの…と言いかけたけど、お姉さんがあんまりうれしそうに受け取ったので、言えなかった。
 あの緑のカサは、二回しかさしてなかった。まだ新品みたいだ。        
 ぼくはお姉さんのあとをつけた。どしゃぶりの雨の中を、緑のカサがファタファタといそがしくゆれて繁華街の方へ行く。デパートの入り口の近くの電話ボックスの影で、お姉さんは立ち止まった。きっと誰かと待ち合わせだ。
 そこで待ち合わせする人は多い。お姉さんの視線の先に、すらっとしたメガネの男の人がいる。高校生くらいに見えるけど、お姉さんと年は変わらないのかもしれない。あれがお姉さんの待ち合わせの相手か、と思ったらちがった。別の女の人が来たんだ。肩をたたかれた男の人はうれしそうに振り向いた。
 でもお姉さんの視線の先は、やはりまちがいなくその男の人だった。緑のカサをたてに身をかくすようにして、お姉さんはその人を見つめ続けている。その人が連れの女の人と手をつないだ時、やっとお姉さんは目をそらした。
 いつの間にか雨は上がっている。でもお姉さんはカサをさしたまま。少しかたむけて、体を半分かくしたまま、さっき来た道を戻っていく。

                                    五

 図書館の前に帰ってきた。さっきカサを貸してくれたおばさんが、ビラをはりに外に出てきた。お姉さんはさしたままだったカサをたたみ、おばさんにさしだした。
「わたしの家、ここから遠いんです。もうここまでくる事がないと思うので、今カサをお返ししていいですか」
 手渡そうとしたカサからしずくがたれた。
 お姉さんはハッと気づいて、カサを引っこめた。
「ごめんなさい。かわかしてからお返しするべきですよね」
 おばさんは、いいのいいのと言ってカサを取り上げた。
「ちょっと広げとけばすぐにかわくから。いいお天気になってきたから、何だってすぐにかわいちゃうわ。だいじょうぶ」
 そしてぼくのカサは、図書館の玄関のわきに広げておかれた。
 ぼくは帰っていくお姉さんの後ろ姿を見ながら、何となしにまたカサを回した。

 バシャバシャ!
 危うく突き飛ばされるところだった。後ろから走ってきたおじさんは、頭に新聞紙をのっけてつい前にあるスーパーの入り口に走りこんだ。

                                    六

 そうだ。つい先にあるのは家のすぐ近くにあるいつも行くスーパーだ。いつの間にここにきたんだろう。
 ぼくは三百円のカサを見上げた。これのせいだろうか。今日はおかしな事が起きる。
 スーパーの入り口にはカサ立てがある。おじさんはそこから黒いカサをヒョイとぬいた。そしてそのままスーパーには入らず、そのカサをさしてぼくのわきを通り過ぎた。ぼくはあっ!と出た声を手で押さえ込んだ。いまのはぼくのカサかもしれない。カサのふちに、お母さんがぬってくれたイニシャルの刺繍が見えた気がする。よく目立つようにと、白糸でN.Kと。
 あのカサはとても気に入っていた。わりと大きめで、子供っぽくなくてかっこよかった。
 あれはたしか六月頃だった。ぼくは盗まれたと言ったのに、おかあさんはどこかにおきわすれたんでしょと、信じてくれなかった。 
 あれから四か月もたっている。その間ずっと、スーパーにぼくのカサがあったとは思えない。
 もしかして、ぼくの方が四か月前にもどってきているのかもしれない。
 雨はますますひどくなってきていた。カサをたたく雨の音はうるさいくらいだ。尾行するにはつごうがいいけど。すぐ後ろを歩いてたって、気づかれない。
 カサどろぼうは駅に向かっている。ぼくはポケットに二百円しかないのを思い出した。
 電車に乗られたら、とても追いかけていけない。

                                    七

 でも運のいい事に、カサどろぼうは駅前のコンビニに寄り道した。ぼくのカサをもとから自分の物のように何気なく、コンビニの入り口のわきに立てかけて。
 ぼくはそっと店の中をのぞきこんだ。カサどろぼうは入り口から見えない奥の棚の方に行く。
 チャンスだ!
 ぼくは自分のカサに手をかけた。心臓がドドドドドとものすごく早うちしている。どうしてだろう。ぼくはどろぼうするわけじゃない。これはぼくのなんだから。手に取ってまで見たお母さんの刺繍は、見まちがいようがないんだから。
 自分に何度言い聞かせたって、胸は静まらない。手までふるえてくる。コンビニの中をのぞくと、カサどろぼうがレジの方にやってくるのが見えた。ぼくはつい逃げ出していた。まるでぼくの方がどろぼうのように。
 そしてふしぎなカサを回して、別の場所へ別の時間へ移動した。

 ここはどこだか分からない。見た事がない場所だ。
 公園か、どこかの庭か。幼稚園児くらいの女の子が、ピンク色の小さなカサを差している。木の茂みのそばにかがみ込んで何かしている。ぼくはそっと女の子の手元が見える位置に動いた。女の子は足もとにおいてあった自分のよりか大きいカサを苦労して開いた。

                                    八

 それを木の茂みの下に立てかける。小さな土もりがあってそこにはボール紙の札がさしてあった。
 女の子が行ってしまってから、僕はその場所を見た。ボール紙には、『ジィジィセミさんのおはか』と書いてあった。
 そこに立てかけられたカサは、ぼくのものだった。青色に漫画のキャラクターが書かれたカサは、ぼくは好きではなかった。いやだと言ったのに、こういうカサはなくしにくいとお母さんは言いはった。
 覚えている。ぼくはこのカサをわざとこわしたんだ。ぶつけて骨を二本折った。ほら、ここが折れている。
 こわれたので捨ててきたと言ったら、お母さんは、拾ってくるまで家に入れないと怒った。ぼくはしかたなくまた探しにいった。捨てたはずの場所にカサはなかった。お母さんは本気で怒っていて、なかったと言ってもゆるしてくれなかった。
 一度やんだ雨がまた降り出して、カサなしのぼくはパンツまでぬれた。
 空き地の草むらや、公園のごみ箱を見た。せまい露地を歩き、歩道橋を上って下りて、また上った。郵便局の中を通り過ぎ、駅の待合室を歩いた。ぼくのカサはなかったけれど、いろんなものを見た。
 へしゃげた段ボール箱、古新聞、紙袋、片方だけのサンダルもあった。麦わら帽子、Tシャツ、ハンカチ、ゴミのようでそうではなさそうなものもあった。
 ぼくのカサは、自分の事をごみだとは思ってないにちがいない。どこかでぼくを待ってるのかもしれない。

                                    九

うす暗くなりだした町で、もう一生家に帰れないんだろうかと考えて泣いているかもしれない。
 泣いているのはぼくだった。かっこわるかった。通りの向こうに大きなカサをさしたお母さんがいて、ぼくを呼んでいた。
 小さな墓に立てかけられたカサは、見るまにどろでよごれていく。でも女の子の書いたボール紙のふだは、しっかりと雨から守られていた。
 カサを回して、別の場所に行きたくなった。

 今度は自分ちの玄関にいた。
「おかえりなさい」
 ぐあいのわるいことに、お母さんがそこにいる。しかもぼくの青いカサを手にして。
「ノボル君が持ってきてくれたわよ。門の柵にひっかけてあったって」
 ぼくは自分の青いカサをしっかりとにぎりしめた。なくした三本のカサは、チャンスはあったのにどれも取り返せなかった。でもこの四本目のカサだけはぼくの所にもどってきた。
 本当にこの色、ぼくの買った三百円のカサとそっくり同じだ。ならべてくらべてみようと思って、ふと気づいた時にはもうひとつのカサはどこにもなかった。

                                    十

ぼくは自分のぐるりを何度も見回し、玄関の外も、道まで左右見渡した。夢でもみてたかと思って、ポケットの中身までたしかめた。でも二百円しか入っていない。ぼくが三百円のカサを買ったのはまちがいなかった。
 手ににぎった四本目のカサのにおいをかぐと、かすかに水のにおいがしている。ぼくはカサを広げて、頭の上で回してみようとして思いとどまった。
 もうそんな必要はなかった。ぼくのなくした三本のカサは不思議なもう一本の青いカサと一緒に、このカサにしっかりと記憶されていたからだ。青空の下でカサを広げて、ぼくはそれに見入っていた。







                                   十一


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