『何がほしいの?』



 あかり、十才。今日はお母さんの買い物につきあって、ひさしぶりにデパートに来ていた。
 七階では婦人服のバーゲンセールをしている。お母さんは、夏の旅行に着て行く服を買うつもりだ。
 あかりはしばらく、お母さんの後をついて歩いていたが、あんまり人が多いので目が回ってしまった。
「お母さん、わたしレ ストランの方で待ってる」
 お母さんは山積みになったブラウスの、一番下に手をつっこんだところだ。ふりむかず、後ろ向きのままうんうん、とうなずいた。
 手当たりしだいに人間をひっつかんで投げこんだようなその場所を、あかりは泳ぐようにしてやっとぬけ出た。
 かみの毛をたばねていたゴムは半分ぬけ落ちるし、ブラウスのすそはショートパンツからはみ出るし、さんざんなありさまだ。
 あかりは胸にかかえた包みの無事をたしかめた。そこにはついさっき買ってもらった、ネコ のマスコットがついたシャープペンシルとシールブックが入っている。
 ふりかえるとお母さんの姿は、もうどこかにうもれて見えなかった。
「おとなになったら、あんなことも楽しかったりするのかな」
 きっとそうなんだろう、とあかりはつぶやく。
 たぶんおとなにならないとわからないステキなことがかくれているのだ。

                                    一

足をふまれても服のボタンが引きちぎれても、飛び込んでいきたいほど楽しいこと、いったいそれは何だろう。
 今のあかりにはレ ストランの入り口に飾ってある作り物の食べ物を見ることの方が、ずっとおもしろい。
 ケチャップがたっぷりかかったオムライスは、ふっくらとしてたった今焼きあがったばかりみたい。クリームシチューなんか湯気があがっていそう。にせもののふりしているけど、もしかすると本物かもしれない。
 あかりはその証拠を見つけようと、ガラスにおでこをくっつけてまじまじとそれらをながめた。
「あなた、ハンバーグが食べたい?」
 横に立った人が、ふいにそう言った。あかりはその人が、だれかほかの人に話しかけたのかと思った。だから知らん顔をしていると、その人がまた言った。
「オムライスもきっと好きなのでしょうね」
 あかりはふり向いてあたりを見回した。そこにはすらっと背ののびたおばあさんと、あかりしかいなかった。
 そのおばあさんはグレーのワンピースに、白いレースのカーディガン、少し時代遅れの形だけど、値段の高そうな靴をはいている。
「たぶん、スパゲッティなんかも好きでしょう」
 変なおばあさんだ、とあかりはきみわるくなってそろそろと後じさりした。
 すじのうきでた細い手をガラスにぴったりとおしあてて、おばあさんは中のいろんなソースのかかったスパゲッティに見入っている。
                                   二

「ここには本当にいろんな食べ物があるのねぇ。あなたには、どれもこれも食べたいものばかりなんでしょう」
 ほっと、おばあさんはため息をついた。
「うらやましいわ」
 そろそろと逃げ出そうとしていたあかりは、立ち止まった。
 うらやましい、ってどういうこと?
 あかりにはもちろん食べたい物がいっぱいある。でもそれは、本当に食べる事ができるわけじゃない。
「わたしはハンバーグもオムライスも大好きだよ。でもお母さんはいつも、ザルソバかきつねうどんにしなさい、って言うんだ。食べれるわけじゃないんだから、そんなのちっともうらやましくないでしょ」
 おばあさんはふり向いて、あかりを見た。
 すっきりととがった鼻、細筆でひと息にかいたような目、一面にこまかいしわがあるけど、あかりが思わずおひなさまの顔を思い出したぐらい、きれいなおばあさんだった。
「食べたいって思えるのは、幸せなことなのよ」
「おばあさんは食べたいものがないの?」
「そうなの。もう何年も前から、食べたい物がないの。ほしいな、と思うものもないのよ。その気になればなんだって手に入るのにね」

                                    三

「おばあさんって、お金持ち?」
 クックウとハトみたいな声で、おばあさんは笑った。
「さあ、どうでしょう。三ヶ月に一度くらいデパートに出かけて、何かほしい物を買うくらいのお金は持っているけど」
「じゃあ、今日は買いに来たのね」
「買いに来たのではなくて、さがしにきたの。ほしい物を」
 おばあさんはあかりがかかえているデパートの包装紙を指さした。
「あなた、ほしい物を買ったのねぇ」
 本当にうらやましそうにおばあさんは言った。
「ここみたいにいろんな物がある所なら、きっと一つくらいほしい物を見つけられるといつも思うんだけど」
「わたしもいっしょに探してあげようか。ぜったい見つかるよ」
 あかりはうんざりするくらいたくさんある、自分のほしい物のことを考えた。一つもないなんて、そんなこと考えられない。
 あかりはバーゲン会場の方を、背のびして見た。
 あかりのお母さんはまだまだ出てきやしないだろう。

                                    四

 あかりは、おばあさんの手を引っぱった。
「屋上に行こう。楽しいもの、いっぱいあるんだから」
屋上には、ペットショップとゲームセンターがある。
 エレベーターは七階までしか行かないので、あかりはおばあさんの手を引いて階段を登った。
 そこは小さなペットショップなのに、ちゃんと動物園のにおいがする。
 ひょうたんの形をしたプラスチックの池には金魚の大集団、ガラスばりの大きな水槽にはネオンサインみたいに光る魚が、ひらひら泳いでいる。
 積み上げられた鳥カゴには色さまざまな小鳥がいて、めいめいがそれぞれの声でさえずり、決して他の鳥の声に引きずられたりしない。
「『まあ、あなた。何て言ったって、羽の色は黄色にかぎりますわ。青い空にも似合うし、木の緑にも目立つでしょ』『わたし、卵を七個も産んだ』『だからあなたってだめ。それが何になるの』『みんな、かわいいヒナになったわ。当たり前じゃない』『いいえ、いいえ。だから、羽は黄色でなくては鳥に産まれた意味がないわ』『うちのヒナたちはみんな鳥よ。わたし魚は産まないわ』」
「あなたは鳥の言葉がわかるの?」とおばあさんは真剣な顔であかりを見た。
 ギャアッ、と別のカゴで真っ白なオウムがさけぶ。

                                    五

「わたし鳥より、こねこがほしいんだ。とっても。ものすごく。この白い、毛の長いのがすきなの。ウーッってうなりたくなるくらいかわいいもの。お母さんは値段を見て、だめだって言うの。こんな高いねこがもし死んじゃったら、かわいそうって言うより、もったいないって思ってしまいそうだからだって。それ、おかしくない? おばあさんはどう思う?」
 おばあさんはあかりの後ろで、レースのハンカチを鼻にあて後ずさりした。
「残念だけど、わたしはだめよ。かわいいことはかわいいけど、ほしいとは思えないわ」
「だいてみたいと思わない?」
「いいえ、引っかきそうだもの。鳥もだめよ。鳴いてほしくない時も鳴くでしょ」
 あかりはおばあさんの手を引いて、階段をおりた。
 レストランの前にまだお母さんが来ていないのを、ちらっと目のすみでたしかめた。
 六階はさっきあかりがシャープペンシルとシールを買ってもらった文具売り場だ。本売り場もある。あかりは本売り場によってみたかった。さっきはお母さんにせかされて、通りすぎてしまったからだ。
「おばあさんは本を読むとき、めがねをかける?」
 あかりはいなかにいる自分のおばあちゃんのことを思い出してそう聞いた。
「いいえ」と、おばあさんは細いまゆをしかめた。

                                    六

「めがねは大きらいなの。めがねをかけないと読めない本も大きらいなの」
 しかたがないので、六階は通りすぎることにした。
 五階はインテリア売り場だと、案内板に書いてある。家具やクッション、おナベやお皿なんかもあるらしい。あかりは自信を持って言った。
「おばあさん、きっとここで見つかるよ。わたしのお母さんなら、見るもの全部ほしいって言うに決まってる。わたしもあんな、大きなベッドがほしいんだけど、でもうちの家にはムリだってお母さんは言うだろうな。入らないもの。むりやりドアをつぶして中に入れても、そこから先も通れないからね。玄関を開けたらベッドで、そのまま上を歩いて裏口に出るしかなくなるよ。きっと」
 あかりは自分で言ったことが気に入って、体をよじってわらった。
「ベッドの上を歩くのって、楽しいんだよ。去年の夏に行った海のそばのホテルのベッドは、すごくはずんだよ」
「このベッドはどうかしらね」
 おばあさんはそばに置いてあるベッドを押さえて、はずむかどうかたしかめた。
「わたしがたしかめる」
 あかりはスルッとくつをぬいだ。
 大きなグリーンのマットの上で、初めは少しえんりょして軽い足ふみをした。
                                    七

 それから思い切って飛んでみる。
プヨーンプヨーン
 体が浮き上がる。気持ちはうっかり下に残されて、大あわてしてる。そんな感じ。
プヨッププヨップ
「うん、少しこつをつかんだぞ」
 あかりは満足してうなずいた。
 体が浮き上がる。ちゃんと気持ちもついて上がる。
プヨップヨップ
 あかりは走って、となりに置いてあるベッドに飛び移った。胸がギュッとちぢこまって、体中がワクワクする。
「おばあさんもやってみて」
 あかりがおばあさんに手を差し出した時、そばに店員さんが来た。きちっとネクタイをしめた男の人だ。
 その人は、コ フッとせきばらいをして口のはしを上にあげた。そう、上げただけ。あれはぜったいに、笑顔じゃない。
「あちらの方に、もう少しお小さいベッドもございますよ。おマゴさんのベッドでございますか?」
 おばあさんの方に向いてそう言い、めがねの下からあかりのくつしたを見た。

                                    八

 ぬいだくつの形だけ白いくつしたが、たぶん気に入らないんだろう。
「おかわいらしいおじょうさんですね。幼稚園ですか? あぶないですよ。さあ、おりましょう。おりこうですね」
 ブツブツ鳥はだが立つ気分、こういうのをねこなで声って言うんだ。あかりはおばあさんの手を引っぱって、大あわてでにげだした。
「あの人、わざと言ったんだよ。わたしがいくらチビでも、幼稚園に見えるわけないもん」
 おばあさんはあかりについてくるのに必死で、返事もできない。
 エスカレーターを見つけたので、それに乗ってまた下におりた。そこは四階、紳士用品売り場だ。
「おばあさん、お父さんはいるの?」
 あかりがニコ ニコ とおばあさんを見上げる。
「お父さん? ええっと、わたしの父親の事じゃないわね。夫のことかしら。どちらにしろ、二人ともとっくの昔にいなくなってしまったのよ」
「今はいなくても、いつか会えるかもしれない。こんな服の似合う人に」
 あかりは、背の高いマネキンを見上げて言った。
「わたしのお父さんはすごくふとっているので、とてもこんな服は着られないんだよ。でもまだ一度も会ったことないけど、いとこのお兄さんには似合うかもしれない」

                                    九

 あかりはちょっとおませにわらった。
「マコ トっていうんだ、その人。アメリカに住んでいるんだよ」
 あかりはマネキンの、明るいチェックのブレザーを見上げた。おばあさんもその横でじっくりと見た。栗色のかみの毛のマネキンは、少し首をかしげて片手をあげている。
『やあ、待った?』と、陽気な声が聞こえてきそうだ。胸が高鳴るお誘いだろうか。
「どこに出かけるのでしょう。外にはきっと赤い車が待っているのね。シートには、大きな花束が置いてあるのかしら」
 おばあさんは自分で言ったくせに、照れて顔を赤らめた。
「だめだめ、そんなことは昔のことよ」

 三階、婦人服売り場だ。
「ここならある」
 あかりは自信たっぷりに言った。
 すぐにあざやかなピンクのワンピースを見つけて走りよる。ふわふわで鳥の羽みたいな、幅広のリボンが腰に結んである。足首までとどく、たっぷりとしたスカート、胸もとに重なるフリルがゆれる。

                                    十

「ねえ、おばあさん。お姫さまみたいな服ね。こんなの、着てみたいな。でもわたしには大きすぎるよね」
 着られないとわかっていても、あかりはさわってみずにはいられない。そしてほんの少し指先をふれただけなのに、たちまちどこかの服のかげから、魔法みたいに店員さんがあらわれた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お召しになってみてください」
 うっかりそう言ってしまってから、あかりとおばあさんを見て、店員さんはしまったという顔をした。
「そうだね。わたしには大きすぎるけど、おばあさんなら着られるよ」
 おばあさんはギョッと目をむいて後ずさりした。
 ねえいいでしょ、とあかりは店員さんの方を向いて言った。店員さんは顔ではこまります、と言ったが口ではどうぞと言うよりほかなかった。
 おばあさんははにかみながら、試着室に入っていった。
 何度もあくびをかみころして、あかりは待った。おばあさんはおそらく、五回は着たりぬいだりをくりかえしたにちがいない。そうでなければ、そんなに時間がかかるはずがないもの。
 カーテンのはしがゆらいだ。ねえ、とおばあさんが小さな声であかりをよんでいる。
 あかりは走りよって、おもいきりよくカーテンを引き開けた。
 あかりのそばを動かなかった店員さんの、しかめたまゆが大きく弓なりに上がった。

                                   十一

 まあ、という声さえ聞こえた。
 あまりにもあざやかなピンクは、自分で光を生み出すものらしい。その光はおばあさんの色の白さを引き立て、さらに顔の細かなしわが作るかげさえ消し去った。一本のみだれもなくかきあげられた真っ白の髪の毛は、負けじと金髪のようにかがやいた。
「おばあさん、本当のお姫さまみたい」
 あかりがそう言うと、おばあさんはとんでもない、と首をふった。
「おばあさん、この服買うでしょ。ねっ、自分でもよくにあってると思うでしょ」
「そうね、五十年も前なら、どんなにかほしいと思った事でしょう」
 おばあさんは細い指でうっとりとドレスをなぜた。
「今はだめなの? どうして!」
「だれも見せる人がいないもの」
「わたしが見てあげるのではだめなの」
 おばあさんは答えずに、試着室のカーテンを閉めた。
 あかりとおばあさんは、もうひとつ下の階におりた。
 この階も婦人服売り場だ。おばあさんはだまって、つかれた顔で首を横にふった。

                                   十二

 二人は下りのエスカレーターに足を乗せる。
 そしてそこはもう一階、アクセサリィとバッ グ売り場だ。
「もう、いいのよ。やっぱりほしい物なんか、見つからないんだわ」
 おばあさんはそこであかりと別れるつもりか、手を差し出した。
「つきあってくれてありがとう」
「だめ、あきらめちゃ」
 あかりはきっぱりと言いきった。他にはなくてもここにはある。
 だってどう見ても、ここは宝箱の中だった。しかもとびきり大きな、ガラス張りの宝箱だ。
「やっと、見つけたんだよ。ねえ、そういうことにしない?」
 えっ、とおばあさんはけげんな顔になる。
「わたしたち、ずっと宝箱を探していたんだよ。でもちっとも見つけられなかった。見つけられないはずだよね。自分たちが大きな宝箱の中にいるのに、それに気づかないでもっと小さいのばかり探してたんだから」
 あかりはおばあさんだけに聞こえるような声で、やったぁと歓声をあげた。
 金のバラ、銀のユリ、真珠のつぶ、海が中にある石、火が燃えている石もある。
 おばあさんもつぶやく。

                                   十三

 極楽鳥の羽、生き物のようにすべり落ちてにげるシルクのスカーフ、金貨、銀貨、宝貝。目の前の手をのばせばとどく所にそれらがあって、望めばいくらでも自分の物になる。
「でも、気をつけて。おばあさん」
 あかりは手にとった金の星のかみかざりを、棚の上にもどした。そうっとだれにも気づかれないように置いたのに、キラキラと音がして、光が四方八方にちらばってしまった。
 指輪の箱の前にいた店員さんが、顔をあげてこっちを見た。おばあさん知らん顔して、とあかりが声をひそめた。
「あれは宝を守っているミイラの番人だよ」 
 おばあさんは一生懸命知らん顔をしていたけど、やっぱりちらっと店員さんを見てしまった。
 とたんに息ができなくなるくらいの、笑いのかたまりがおばあさんをおそった。
 棒っきれみたいにやせたその人は、真っ白に顔をぬりたくっていて、もうしぶんなくりっぱなミイラに見えたからだ。
 おばあさんはここ何十年か、こんなにわらったことがなかった。おなかの皮がいたくなったほどだ。
「こんなに楽しかったのはひさしぶり」
 デパートを出たおばあさんの前に車が止まった。

                                   十四

 赤い車ではなかったけれど、きちんと紺色のスーツを着た運転手さんがおりてきて、おばあさんのためにドアを開けた。おばあさんは後ろのシートにすわり、そしてあかりに手を差し出した。
「わたし、とうとうおばあさんのほしい物を見つけてあげられなかったね」
 あかりがそう言うと、おばあさんはほほえんで首を横にふった。
「いいえ、ちゃんと見つけてくれたわ」
 えっ、と目をむいたあかりの腕をおばあさんはしっかりとつかんだ。
その手はしわだらけだけど、見かけよりずっと力が強い。
 たおれまいとして、あかりはしっかり足をふんばった。
「おばあさんは……」
 あかりはえんりょがちに、おばあさんの手を引きはがそうとしている。
「おばあさんのほしい物って、なあに?」
 おばあさんはうっとりとして笑った。
「ほしい物があるってことは、本当に幸せなことね」
 そしていっきにあかりを車の中に引きずりこんでしまった。
 あかりには何がおこったのかわからない。

                                   十五

 ぼうぜんとしておばあさんのひざの上にたおれたまま、起き上がることもできない。
 そしてもう車は、走り出している。
 おばあさんは何の苦もなくほしい物、この生き生きとした子供を手に入れてしまった。

 それなのにあかりの腕をあとが残るくらい強くつかんだまま、おばあさんの顔からはみるみるうちにほほえみが消えていく。
「何て、つまらないの」
 おばあさんはつぶやいた。
「またほしい物がなくなってしまったわ」







                                    十六


本棚に戻す