『おひな様のかんむり』



 またひな祭りがやってきた。私の大きらいなひな祭りが。お母さんは何も知らないから、二月の初め頃からそわそわし出して、座敷の床の間をかたづけ始める。そこがおひな様の居場所になるからだ。
 私の家のおひな様は、お母さんが自分のおばあちゃんからもらったものだ。
 男びなと女びなだけで、着物は色あせているし柄も古くさい。金びょうぶもぼんぼりもなく、お道具もなにひとつない。でも私がおひな様をきらいなのは、お道具や着物のせいじゃない。あのおひな様は、おとなしく床の間にすわっていないからいやなんだ。
 初めて見た時の事は覚えていない。たぶん幼稚園の頃だ。四歳くらい。
 真夜中にすごく泣いて、今そこにおひな様が来たって言ったらしい。お母さんが夢を見たのよって言うから、そうなのかなと思っていた。でもそれからまた見てしまった。三年前、六歳の時だった。それで昔の私が本当の事を言っていたんだって分かった。
 私の部屋は、床の間のある座敷と廊下をへだてた真向かいにある。夜中ふと目がさめるといつの間にかふすまが開いていて、ニ十センチばかりの縦に長い暗闇が見えていた。
 ぼうっとそこをながめていると、小さな白いものがスリスリと左から右へ通り過ぎていった。最初は何か分からなかった。いったん通り過ぎたそれが、また戻ってきて右から左へ。部屋の前まで来た時、立ち止まってこっちを見た。

                                    一

   真っ白な顔、線のように細い目とあまりに小さい口。ぼったりと重なった重い着物のすそを引きずり、行き過ぎる早さが変に本当ぽかった。
 また戻ってくるかもしれないと思うと、目も閉じれなかった。
 朝が来るまでふすまのすきまに目をすえたまま、息も押さえていた。
 苦しかった。
 次の年からひな祭りの夜には、なんだかんだ理由をつけてはお母さんの部屋で寝たり、仲良しの加奈ちゃんの家に泊まりに行ったりした。今年はどうしたらいいだろう。加奈ちゃんは去年の夏に引っ越ししてしまった。今さらお母さんの部屋で寝たい理由も思いつかない。
 いったいどうして、うちのおひな様はうろつきたがるのだろう。動けなくしておくいい方法はないのだろうか。
 お母さんが、おひな様を出し始めた。
「ねえ、お母さん。新しいおひな様買って」と言ってみた。
「可奈ちゃんのはとてもかわいかったよ。私もあんなのがほしい」
 お母さんは箱から出したおひな様をしみじみながめて言い返した。
「よく見てごらんなさい。こんなのはもうどこにも売ってないわ。私のおばあちゃんからもらった物なの。八十年くらいたってるかもしれない」

                                    二

「お母さん、そんならきっと高く売れるよ。売ろうよ。それでもっといいおひな様。買おう」
「だめよ、これは売れないわ」
「どうして」
「女びなをよく見て。かんむりがないの。あなたの生まれた頃はあったのよ。とてもいい冠だったのに。かんむりがなくちゃ、値打ちはずっ と下がるわ」
 どうやらお母さんも一度は売ろうと考えたことがあったらしい。
 おひな様はかざられた。今まで気づかなかったけど、その頭は何のかざりもなかった。可菜の家のにはたしか三本指をつきだしたような金色の小さなかんむりがあった。あんなのよりもっとすごいのだろうか。どんなだろう。
 お母さんに聞いてみたけど、はっきりしない。大きかったとか、いっぱいかざりがついてたとか言うばかりで、そんなんじゃ 全然想像できない。
「どうしてかんむりだけがなくなったのか、全然分からないの。いつも女びなのかざり物は一緒にして和紙でくるんで箱に入れていたのよ。扇子はあるのにね」
 今まで気づかなかったけど、たしかに着物がりっぱなのに何もない頭はさびしい。
「お母さんのおばあちゃんが大事にしてたのに、かんむりをなくしちゃった。あなたがお嫁にいく時、ちゃんとしたまま持って行かせたかったのに」

                                    三

 お母さんはくやしそうにくりかえし言った。
  
 そして、三月三日は来てしまった。私は九時を過ぎても自分の部屋に行かずに居間でテレビを見ていた。最初は優しく、「もう寝る時間よ」と言っていたお母さんはとうとうすごい勢いで立ち上がってテレビを消した。そして居間の電気も消して、私をそこに残したまま自分の部屋に行ってしまった。
「お母さーん」
 私は泣き声を出してお母さんの後を追った。
「今日一緒に寝てもいい?」
 お母さんがいいよ、と言うわけがなかった。
 私はそれでも自分の部屋に行かず、お母さんの部屋の前でぐずぐずしていた。お父さんはまだ仕事から帰らない。お父さんならきっと助けてくれるのに。
 お父さんが帰ってこないかと、玄関まで行ってみた。この頃仕事が忙しいのか、お父さんは遅い。まだまだ帰ってきそうにない。
 廊下の奥のほうで何か物音がした。私はすくみあがった。もしかして、もう動き出した? こんなところでおひな様と出会うのはいやだ。私は大あわてで自分の部屋にかけこんだ。そしてふすまをぴったり閉めた。

                                    四

「可奈ちゃ んみたいな部屋だったら、ドアだしカギかかるしよかったのに」
 半泣きで部屋中を見渡し、定規でふすまにつっかえ棒をしようとしたけど、短すぎて役に立たなかった。私はしいてあるふとんにもぐった。何があっても何が聞こえても絶対にここから出ない、と決心して。
 そのうちいつの間にか眠っていたらしい。
トイレに行きたくて目がさめた。すっかりおひな様のことを忘れていて、私はふすまを開け廊下に出た。半分眠りながらトイレに入り、出てきたところだった。
それは目の前を通り過ぎた。重い着物のすそをぼったりぼったり引きずって、女びなが歩いていく。
 女びなは居間をのぞきこんでいる。開いていた障子戸からもこもこと中に入り込んだ。
「なんであんなとこに入るの。居間に何か用があるのかな」
 それが気になってきて、怖さに勝った。私は足音をしのばせて居間の前に行き、そうっと障子戸から中をのぞきこんだ。女びなは居間の戸棚の前を行ったり来たりしていた。そうっと戸棚の戸に手をかけ、力を入れているようだが、何しろ私の小指の先より小さな手だ。
 すぐにあきらめて女びなは、息をつく。情けなさそうに肩を落として振り向いた。そこに私の姿を見つけ凍りついたように動きを止める。あわてたそぶりで、最初から少しも動いていなかったとでもいうようにいつものポーズをつけて澄ましかえった。

                                    五

 それがおかしかったので、私は少し笑った。とても怖いはずなのに、笑うなんてとどうかしてると、心のどこかで考えてはいた。
 笑われて女びなはポーズをといて、小さなため息をついた。虫の足音みたいな小さな声で何か言っている。
「何! しゃべったの? あんた動くだけじゃなくてしゃべれるの?」
 いつでも逃げ出せるように身構えながら、私は思わずそう言った。
「あたりまえよ。体が動くんだから、口だって動くでしょ」
「えっ、何? 聞こえない」
 もうっ、と怒ったように言うのははっきり聞こえた。女びなは見るからに重そうな着物のすそを引きずり、私の方に近づいてくる。
「もっと近くに来てくれれば聞こえるのよ。それが分からないの」
「えっ、何? 何なの?」
 私は思わずかがんで、女びなの近くに顔をよせた。
「ばかみたいに突っ立ってないで、困っている人を助けようと思わないの」
「だっ て、あんた人じゃないもの」

                                    六

 あんまりえらそうに言われたので、私は少し腹が立った。
「人形でしょ、なのに何でそんなにいばってるの。お母さんに言いつけるわよ」
 女びなはあわてて小さな手をふった。
「だめだめ。それだけはだめ。大変なことになるわ」
 弱点をつかんだ、と私は思った。もう怖くない。何かされそうになったら、お母さんに言いつけると言えばいいんだ。
「動くなんてことがわかったら、おまけにしゃべれるってわかったらテレビの取材が来るわ。こんなかっこうでテレビに出れると思うの?」
「べつにおひな様なんだから、そのかっこうでいいんじゃないの」
 だめよ、とさけんで女びなは顔を手でおおった。
「かんむりがないのよ。こんなぶかっこうな頭で人前に出られないわ。由緒ある家がらの私が、そんなことできると思う?」
 私はそこに座り込んで、しみじみと女びなをながめた。
 いつもは怖いのでじっくり見たことがなかった。お母さんは八十年も前の物だと言っていた。
 可奈ちゃんちのおひな様ならわかる。でものっぺりした白い顔の線のような細い目の、この小さな口で、テレビだって? 取材だって?

                                    七

「あんた大昔の人形なんでしょ。何でそんな今どきのしゃべり方をするの? テレビなんか何で知ってるの。昔はそんな物なかったでしょ」
「知ってるわよ、それぐらい。八十年、まわりをしっかり見て、聞いていればね。おまけにあんた相手にしゃべるのに、ワラワのツムリノカブリモノガ……なんて言 たって、通じないでしょうが」
「それで、かんむりをさがしていたのね」
「やっと話がつうじたようね。さっさとあそこの扉を開けてちょうだい」
 女びなは戸棚を指さした。
「あたしは三月三日の夜しか動けないのよ。今年はこの部屋を探して、見つからなければまた来年まで待たなけりゃならない」
「来年はどこを探すの?」
 ふと気になって、私は女びなに聞いた。
「あんたのへや」
「私が探す」
 あわてて私はそう言った。
「だから絶対に私の部屋には入らないで」

                                    八

 私は居間の戸棚を開けた。ここにはぎっしりと何かが詰まっている。ティッシュペーパーの買い置き、電池、蛍光灯、電球、電話帳、いろんな辞書、賞状の入った筒、古いゲーム盤、何かの景品の飾り物、アルバム、大工道具セット、ネジクギのいっ ぱい入っ た缶、捨てるつもりの物なのか古着が詰まった袋。
「ここにはないよ!」
 私はつい大きな声を出した。女びながシッ、と細い指を立てる。
「今、何時だと思ってるの。午前二時よ。だれかに聞かれたらどうするの」
「だって、こんなとこには絶対にないよ。あんたが入ってたのは座敷の押入れでしょ。落ちてるとしたらそこだよ」
「いちばーん先に探しました」
 女びなは嫌味たっぷりに言っ た。
「じゃあ、あとはどこ」
「だから、言ったでしょ。ここにないなら、あんたの部屋」
「今から私が自分で探す。あんたは来ないで。自分の場所に帰って」
 私はさっさと自分の部屋に戻った。後ろも振り向かず。そして入口をしっかりと閉めて、息をついた。そのころになってぞわぞわと背中がふるえた。
 こういう時にするべきことを思いついて、自分の指でほおをつねった。

                                    九

ちゃんと開いているつもりの目を閉じて、もう一回思いっきり大きく開けてみた。
「夢じゃない。本当におひな様が動いてた」
 入口がしっかり閉まってるのをもう一回確かめる。
「おまけにしゃべった」
 廊下に耳を澄ます。女びなは座敷にもどったろうか。まだ居間にいるのだろうか。
「探さなきゃ」
 でないと来年は私の部屋にやってくる。
最初は机の引き出しの中を探した。途中からこんな所にあるはずがないと気づいた。
 女びながかんむりを探して動き回り始めたのは、私が三つか四つの頃だ。そのころには当然まだこの机はなかった。
 部屋にあるタンスや本棚は赤ちゃんの頃からここにある。だからあるとしたら、机ではなくてそっちの方だ。でも見た感じ本棚にはありそうにない。
 ぎっしりとマンガ本がつまってるし。
 タンスはどうだろう。あるかもしれない。かんむりがひなまつりに着た服とかにひっかかって一緒にタンスに入りこんだとか。

                                    十

 そこまで考えてタンスに手をかけた私は動きを止めた。
 やっ ぱりそれもありえない。服はお母さんが洗濯してタンスにしまう。この頃は私が自分で片づけるけれど、去年まではお母さんが全部きちんとしまっていた。じゃあ、あとは押入れだ。
 押入れには扇風機やもらい物の食器とかタオルの箱とか、そんなものがいっぱい入っている。私の物は下の段の左端だけ。昔のおもちゃや、幼稚園や学校で描いた絵とか工作とか、もう捨ててもいいような物もたくさんある。
「こんなとこにあるかなぁ」
 おもちゃ入れの段ボール箱を引き出した。人形や、ぬいぐるみ、人形の家の細かい道具や、人形のアクセサリーまでばらばらにつっこんである。
 ふとんのそばに持ってきてしばらくごそごそやっていたけど気がついたらいつの間にか朝で、私はななめにふとんに体をつっ こんで眠っていた。
 時計を見ると六時半だ。いそいで着替えないとお母さんが呼びに来る。
おもちゃ入れは机の下に突っこんで、大あわてで学校の用意をした。
 
「きのうひな祭り、何かした?」と、学校で恵美ちゃんに聞かれた。うっかりおひな様と探し物したと言いそうになった。そんなこと言ったら、変な子だとばかにされる。恵美ちゃんは近所の仲良しの子とパーティしたんだって。

                                    十一

 私だって可奈ちゃんが引っ越す前まではした。甘酒のんで、おすし食べて、ケーキ食べて、ゲームして夕方まで遊んだ。今年は夜にケーキ食べただけ。他には何にもなしだった。
 恵美ちゃんとは学校でけっこう仲良しなのにパーティに誘ってくれなかったのは、可奈ちゃんとパーティした時に誘ってあげなかったからかもしれない。
 うちの動くおひな様のことを話したら、来年のおひな様には私の家に来てくれるかもと思う。迷ったけど、言わなかった。
 何だか今になってみるときのうの夜のことが自分でもうそっぽく思える。やっぱり夢だったかもしれない。

 家に帰ってみるとまだおひな様は座敷にいた。それになぜか後ろを向いている。もしかして昨日の夜あわてて帰って行って、向きをまちがえたのだろうか。ということはやっぱりきのうのことは夢じゃなかったのかな。
「お母さん、お母さん大変だよ。おひな様が反対向けにすわってる。きのうあわててまちがえたんだね。きっと」
「いやねお母さん、まちがえてないわよ。今日は天気が悪くてかたづけられないから、ちょっと後ろを向いていただいたの」
 あんたがお嫁に行きおくれると困るからねと、お母さんは言って笑っ た。
 私は座敷にもどって、後ろからそおっと女びなの顔をのぞいた。女びなは澄ましかえって、もちろんしゃべったりしない。

                                    十二

「やっぱり夢だったのかな」
 でも、なんか変だ。なんだろう。
 小さな手が、胸元で何だかさびしそうにそろえられている。
「あんた、扇どうしたのよ」
 私は思わず話しかけていた。女びなは、その手になにも持っていなかったから。
「きのうの夜も持ってなかったわよね。探しに行くのにじゃまでどっかに置いたままなんでしょ」
「ほら、ちゃんと持ってなさい。きっとかんむりもあんたがそうやってなくしたのよ。ぜったいに来年、私の部屋には来ないでね。あそこにはあるはずないから」
 気のせいか女びなは悲しそうな顔をした。 
 自分のへやに入ると、机の下におもちゃ入れの箱がある。夜中に意味なくおもちゃ入れの箱を出すはずがないから、やっぱり夢なんかじゃ ない。
 私はランドセルを机の上に置くと、おもちゃ入れのふたを開けた。中身を一つずつ出していく。
「あっ、これ大好きだったやつだ」
 私は人形のドレッサーを出した。大きな鏡にたくさんの引き出し、ピンクのスツール。
引き出しを開けてみる。小さなヘアブラシ、ピン、ヘアゴム、髪かざり。

                                    十三

「人形はどこかな」
 箱の中をかき回した。人形の冷蔵庫は扉が半開きになったまま、そこになつかしい人形は片足をつっこんでいた。
「ひさしぶりー、ちこちゃ ん」
 私は思わず呼びかける。そう、ちこちゃんという名前をつけていた。髪の毛はピンクで肩より少し長い。長さがそろってないのは、私が散髪したから。本当はおしりに届くくらい長かった。
 ちょっとヘアブラシでとかしてあげる。髪かざりもつけようかな。
 私は箱の中をかきまわした。箱の底にキラッと光るものが見えた。つまんで引き出してみると、それはずいぶん小さな物なのに思ったより重かった。どうやら人形のアクセサリーのようだ。
「でもちょっとしゅみわるい。かざりをつけすぎ」
 私はちこちゃんの頭にかぶせてみようとした。
ちこちゃんの頭には小さすぎた。でも下にひもがついているから頭の上にのせて、それでむすぶのかもしれない。
 私は金色のちゃらちゃらしたかざりを横に置いて、箱の中に手をつっこんだ。金色のティアラ、緑の大きな石と透明の小さな石がいっぱいついたの。

「あーっ、これだ。ちこちゃんの」

                                    十四

 ちこちゃんの頭にのせてみた。よく似合う。
「これにあうドレスを着せてあげなくちゃ」
 私はまた箱の中をかきまわした。
 ドレスを探しているうちに、ふと気づいた。さっきのかざり、何だかちがう。ちこちゃんのかざりはどれも軽い。あれは変に重かった。箱からつぎつぎに出した、いろんな物の下に埋もれていたかざりを引き出す。いちおう金色だけどくすんでそんなにきれいではない。
 頭にのせる所は小指の先くらいのつつで、上の方は花びらみたいにきりこみが入って開いている。その上から細い金属で作っ た木の枝みたいな物が伸びて、先っぽにいろんなかざりがついたものがぶらさがっている。石みたいな玉や金でできた花の形をしたもの。小さいのに細かく作ってある。
「これって、もしかしておひなさまの……」
 私はあわててそれを持って、座敷に走っ た。
 そして女びなの顔の前にそれをさし出した。
「ねえ、もしかしてこれがあんたの」
 女びなは知らん顔ですましかえっている。今日はもう三月四日だから、動けないのだ。
私はかまわずそのかんむりを女びなの頭にのせた。ひもをあごの下で結ぶのはむずかしか たが、何とか落ちないように止められた。

                                    十五

「よかったね。もう来年はおとなしく座っていられるよね」
 明日お母さんがおひな様を片づけるとき、かんむりが戻っているのを見つけたら、どうするだろう。

これで売ることができるって思うのかな。でも来年のおひな様までは売らないでほしい。本当にもう動かないか、たしかめたいし。
 来年のおひな様には恵美ちゃんをさそってみようかな。うちのおひな様は動くんだよって教えてあげたい。ということは来年もできたら動いてみてほしいな。
 私は女びなのかんむりをまたとりはずした。
「これ、来年まであずかっとく」
 そう言うと女びなが細い目を見開いた。




                                    十六


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