セールスマン


 十一月の初め、風もなく暖かい日だった。 セールスマンは肩から下げた重い鞄をゆすり上げて、その日十七軒目に当たる家の前に立っていた。
 似たような門構えの家がずらっと並んだ通りの、一番端の家だ。狭い庭に、何も植わっていない植木鉢がいくつかころがっている。セールスマンは素早く自分の身だしなみを点検してから、チヤイムを押した。
 三回押した。
 しばらく待っても、ドアの向こうに身動ぎの気配もないので、もう次の家に移るつもりで、セールスマンは踵を返していた。
 その時、
「だれぇ」
 家の裏手のほうで声がして、ドスドスと重そうな足音が近づいてくる。
 セールスマンは、ほんの二秒で営業用の笑顔を作って待ちかまえていた。
「奥さん、お忙しいところすみませーん」
 彼はこの仕事を始めて、もう四年にもなる。 大学を出てすぐに入った大手の商社で上司と合わず、二ケ月で辞めてこの仕事を始めた。 
丸顔のおかげで年よりずっと若く見えた。 人によっては嫌がられるかもしれないそのなれなれしいしゃべり方も、そのせいで大分救われている所がある。

                                    一

 成績はトップとまではいかないが、いつも上位に食い込んでいた。競争相手はたったの五人しかいなかったとはいえ、自分はなかなかのやり手だと、彼が信じ込んでも悪いことはあるまい。よっこいしょとかけ声がし、ズルズルとはき物を引きずる音がする。
 ドアが細目に開いた。
 セールスマンはそのドアを素早く右手で押さえ、肩から下ろした鞄をその隙間に押し込んだ。
「今日は、暖かいねぇ。こんな仕事をしていると、気候のいいのが一番ありがたいな」
 水仕事の途中だったらしい主婦は、まくり上げた袖を下ろしたり、上げたりしている。
「奥さん、ごめんね。忙しいのに、手を止めさせて。でも、ほんの五分でいいんだ。話、聞いてくれる?」
 目尻も胸もたるんだ主婦は、わざとらしい身振りで後ろの時計を振り返った。
「本当に五分だけですって。ちょっと辛抱して聞いてよ。お願い。きっと後で得したなーって思うから。ねっ」
 ねっ、ねっと甘ったるい声で言いながら、さりげなくドアを押し広げる。      
「だってこれ、普通は値引きなんかする商品じゃないもの。でもできるだけ多くの皆様に、この値打ちを知っていただきたい、ということでね。日本全国、一都一道二府四十三県の中、選び出した四十七人の方に特別五十パーセント引きで、お分けすることになったんですよ」
 セールスマンはまだまだ、自分の売りにきたものの正体を明かさない。

                                    二

 好奇心にかられたらしく、ぶあいそうな顔をしていた主婦は思わず口を開いた。
「いったい、何を売るの」
「残念ながら、本物をお見せすることができません。写真です。ごめんね。なにしろ京都の由緒ある神社の神主さまが、御払いをなさった特別製の魔除けの壺だもの。もって歩くのも、恐れ多い。いや、ただ単に重いと言ってしまえばそれまでだけど」
 表情豊かに喋りながら、セールスマンは鞄から分厚いファイルを引き摺り出す。
「ちょっと、ごめん。奥さん、これ持っててくれる?」
 そのずっしり思いのを、ウムを言わさず主婦の手に押し付けた。自分はかがんで鞄の中をごそごそと探り回し、大きな色刷りパンフレットを腕一杯に広げる。
「ほら見て、この写真。立派でしょう」
 主婦は奥歯をかんで、片腕だけで重いファイルをささえていた。だが、そう長くは耐えられなかった。
 ずり落ちそうになったので、あわててドアをおさえていたもう片方の手を離し、両手でファイルをささげ持ってよろめき、後退した。
 セールスマンはちゅうちょせず鞄を引きずって、主婦が下がった分追い詰める。
「あの、せっかくだけど」
「まあ、奥さん。話だけでも聞いて損はないから。五分でいいんだもの。きっとこの五分が、将来千倍にも二千倍にもなって、返ってくることは保証付きだから」

                                    三

 逃げ腰だった主婦が、それを聞いてにわかに向き直った。
「ほんとね、本当に返してくれるのね」
「もちろんです。私を信じてくださいよ、奥さん」
 セールスマンは主婦の言った事を、ろくろく聞きもせず、やたらに愛想良く返事をした。口では何とでも言える。要は、契約書にハンをつかせれば言いのだ。
 その壺のおかげでいろんな災難からのがれた人の体験談を、身振り手振り、声色まで使っておもしろおかしく主婦の心を捕らえる。しっかりからめとったところで、さりげなく話の流れを契約の方向に向けていく。何度も踏んできた手順だ。
「五分ってあんた言ったけど、もう二十分もたったわよ」
 いきなり主婦が、セールスマンの話をさえぎった。
「さっき千倍、二千倍にして返すって言ったでしょ。もう止めといた方が、身のためよ」
「奥さん。そりゃ五十万というのは、高いと思われるでしょう。でもね、考えてみてくださいよ。普通に買えば百万ですよ。現にきのうとなり町のお客さんに、私は百万で売ったんですからね。まあ、どうしても高すぎるって事でしたら、そのお持ちいただいているファイルの中に、もう少しお安い分の写真も載っていますがね。魔除けの達磨とか、魔除けのトラの掛け軸とか。見てみますか」
「いいえ、それは結構よ」         
と主婦は言い、急に今までの不機嫌な顔を改めてニンマリ笑った。

                                    四

 じゃあ五十万の方で決まりかな、と思ったセールスマンは胸ポケットのボールペンを抜き取り、パンフレットと重ねて持っていた契約書を取り出そうとした。
 その時急にひどいめまいが、セールスマンをおそった。ふらついてドアにもたれたが、背中がそのドアをすべった。足元の鞄につまづき、危ういところで鞄を飛びこえ、何とかドアの外で踏みとどまった。
 主婦はそのスキをのがさず、分厚いファイルをセールスマンの鞄の上に乗せた。
 そしてあろうことか足で、ズルズルとセールスマンの鞄をドアの外に押し出した。
「悪いわね。おかげで、思う存分昼寝ができるわ」
 ニマッと笑って、ドアを閉めた。
 クソッと思うが、セールスマンは口には出さない。そのかわりできるだけ声を張り上げて、ドアの中に言う。
「残念ですね。でもそんなご事情があるんじゃ、こんな高価な物をおすすめできません。またの機会に、よろしく」
 五・六軒先まで聞こえたな、とセールスマンはほくそえむ。
どんな事情かと、しばらく井戸端会議はにぎやかに取り沙汰することだろう。
 通りに出ると、待ちかねていたように北風が走った。
 セールスマンは首をすくめて、その風に小さな雪の破片を見た。
「初雪だ。今日は暖かい日だと思ったんだがな」

                                    五

 もう今日はこれでお終いにしようと、セールスマンは思った。会社に電話を入れて、このまま家に帰ると連絡することにしよう。
 シヤッターの降りた散髪屋の前に、公衆電話を見つけた。せわしくダイアルを回す。呼びだし音を聞きながら、セールスマンは降りたシヤッターを眺め回した。
「あれ、さっきここ通った時、開いていたと思ったけど。急な用でもできて閉めちゃったのかな」
 呼びだし音が、五回、六回。たった一人の事務員の女の子は、居眠りでもしているのか、なかなか出ない。
 七回、八回、九回。
『はい』
 やっと出た。
「あっ、ぼく。また寝てたんじゃない? 出るのおそいよ」              
北風が、足元をすくうようにふき過ぎる
『あんた、だれよ』
「だれって。いやだな、ねぼけてんの。戸田だよ。今日、このまま帰るからさ。社長にうまく言っといてくれる?」
『戸田さん?!』
 事務員は、とっぴょうしもない声で叫んだ。
『今ごろ何言ってんのよ。二ケ月も無断欠勤しといて。あんたとっくに、クビになってるわよ』

                                    六

 セールスマンは呆然として、電話を切った。
 にわかに体の力がぬけ、足がふらつく思いをする。
「さっきの、ばばあだ。ぼくの時間を取りやがった。おまけにたっぷり、取り過ぎてやがる」
 セールスマンは憤然として、また道を戻った。ずっしり重い鞄は公衆電話の下に残されたままだ。
 風はますます強く、雪は自分よりさらに冷たい雨のしずくをともなって、セールスマンの背中にふきつけた。





                                    七


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