知らない町


 それは人ひとりのはばで、いっぱいになってしまうほどせまい道だった。通学路のとちゅう、家と家のブロック塀の間を西にのびている。まっすぐでなく、かたむくように少しだけカーブしているので先が見えない。
 もしかすると行き止まりなのかもしれない。その道に入っていく人を見かけたことはなかったし、出てくる人も見たことがなかった。
 だがある日、みのりは小学校からの帰り道に、そこで男の人に出くわした。みのりのお父さんくらいの年に見える。
 走るようにしてその道から出てきたので、はちあわせしそうになった。
「あっ、ごめん」と、そのおじさんは言った。それからあたりを見回し、深い息をはいた。安心したようにも見え、がっかりしたようでもある。肩をおとして、小学校の方へ消えていった。
 みのりはその道をのぞいた。
 みのりの家はとなりの校区との境にあるので、通学に二十分あまりもかかる。学校の行き帰りは通学路を通るのが決まりだけど、この道を行けばいつもの半分の時間で家に帰れるかもしれない。道ののびる方向から考えても、それはありそうな気がした。
 みのりはふり向いた。すぐ後ろを帰ってきた二人の上級生をやりすごし、細い道にすべりこむように入って行った。

                                    一

 道の左側の塀はすぐにとぎれて生垣にかわったのに、右側はこの道に入ってからずっと同じブロック塀が続いている。塀は高いし、中には大きな木が茂っていて、中のようすは見えなかった。
「工場かな、何かの会社かな」
 歩くのにちょっとたいくつしてきて、みのりはひとりごとを言う。
「美術館かな、動物園かな」
 そんなものが学校の近くにあると聞いたことがない。
 ブロック塀がやっととぎれたそこに、大きな門があった。
「タ ・タ・ ラ・ 心・ 理・ 研・ 究・ 所」
 一つずつ指で押さえて、みのりは大きな表札の文字を読んだ。すぐ横にもう一つ表札がある。
「何とかかんとか、クラブ」
『何とかかんとか』と書いてあるのではなく、クラブの上の二つの漢字がみのりには読めなかった。
「やっぱりふつうの家じゃないんだ」
 真っ白で四角い建物が、広い庭の向こうに見えている。のぞきこみながらみのりはそこを通りすぎた。まだその先もブロック塀は続いている。
 道はやがて古いアパートの壁につきあたったが行き止まりではなく、直角に折れ曲がって右に続いていた。

                                    二

建物と高いブロック塀にはさまれたうす暗い道が、その先ではすっきりと明かるい。右側はタタラ心理研究所の塀だったが、反対側は広々と遠くまで見わたせた。
 運動場だ。境に張られたフェンスに手をかけて、みのりはながめた。
 運動場のすみにはブランコがあり、鉄棒がある。のぼり棒があり、砂場があった。運動場の向こうには四階建ての校舎が見えた。校舎の壁には時計があり、三時十五分をさしている。
 みのりの小学校に、とてもよく似ていた。でもどこかちがっていた。どことは言えないが、ブランコのある場所や校舎の前に立つ木など、どうもみのりの小学校とはようすがちがうように思えた。
 いつのまにか、となりの町まで来てしまったのかもしれない。
 運動場では、何人かの男の子が遊んでいる。フェンスにくっついているみのりを見ると、一人の男の子が近よってきた。
「何、見てんだよ」と、その子は言った。名札に一年一組、小田としやとある。
 自分より三つも年下の子だとわかったので、みのりは少しお姉さんの顔になった。
「ここは何小学校なの?」
「そんなことも知らないのかぁ」
 その子はみのりのことをお姉さんとは思わなかったらしく、えらそうに言った。

                                    三

「知ってるわよ。朝田小学校でしょ」
 みのりはあてずっぼうにとなり町の小学校の名前を言った。
「ちーがった。ぺっ!」
 その子はいやなしかめ面をした。
 だから男の子はきらいと、みのりは思う。
 後ひと月ほどで、みのりは一人っ子でなくなる。最初は楽しみでしかたがなかったが、お母さんのおなかがふくらんでくると怖くなった。
「ほら、さわってごらん。今、ここをけっているわよ」
 お母さんはみのりの手をお腹にあてようとしたが、服をとおしてもわかるほどボコボコとつき出るお腹は気味わるかった。
「元気がいいから、男の子かしら」
 お母さんはうっとりとして、おなかをさする。
「女の子じゃなきゃだめよ。もし男の子だったら、いらないから返してね」
 みのりがそう言うと、お母さんは今まで見たことがないほどこわい顔になった。
「もうすぐ九才にもなるくせに、ばかなこと言わないで」

                                    四

 お母さんは分かってない、とみのりは思う。
 今お母さんがここにいて、フェンスにサルみたいにしがみついている男の子を見たらいいのに。
「ばーか」
 と、男の子は言っている。
「朝田小学校なんかじゃあるもんか。そんな小学校はどこにもないぞーだ」
 みのりはフェンスから離れると来た道をもどり始めた。みのりは思ったよりずっと遠くへ来てしまったのかもしれない。
 どうも変だと思い始めたのは、しばらく歩いてからだった。どう考えてもさっき通って来た道じゃない。ブロック塀は続いていたがいくら歩いてもついさっき通りすぎた研究所の門に行き着かない。
 道の右側は小さな公園だった。春の日差しの中で、ひなたぼっこしているようにブランコが二つならんでいる。こんな所は通らなかった。
 勘違いして反対側に来てしまったのかもしれないと思い、みのりはまた引き返した。まだフェンスのそばにいてあっかんべぇーをしている男の子から顔をそむけて、急ぎ足でみのりは歩いた。
 いやな予感でドキドキする。
 反対側の道は、静まり返った住宅街に入りこんでいた。

                                    五

 道が長い下り坂なので、遠くの家並みまで見わたせた。見たこともない、知らない町だ。
 タタラ研究所のブロック塀はすぐ先で右に曲がり、その先にはもうない。
「こっちでもない」
 みのりの耳は熱を持ち、ぶわっとふくらんでくるようだ。さっき通って来た道はどこに消えたのだろう。
 また引き返した道で、さっきの男の子がへたな口笛でみのりの注意を引いた。
「何やってんだ。さっきから」
 みのりは返事をせず、わざと平気な顔をしてそこを通り過ぎた。心の中は『迷子、迷子』という言葉で、ざわざわしている。
 公園を通り過ぎた。その先のアパートも通り過ぎた。
「公園は知らないけど、アパートはさっきもあった」
 ついひとり言が出た。
「でもこのアパートじゃなかった。もっと小さくて古かった」
 道が二つに別れている。まっすぐ行くのと、ブロック塀ぞいに左に曲がるのと。さっきそんな分かれ道なんかぜったいになかったと、みのりは思う。でもしかたがないから、とりあえずみのりは左に曲がった。するとそこに門があった。

                                    六

 みのりは門の表札を読んだ。『タタラ心理研究所』、そして『何とかかんとかクラブ』、まちがいない。
「ここ、通ってきたとこだ」
 道の反対側は生垣にかこまれた小さな庭だ。
 植えられたチューリップが開きすぎて、花びらがたれさがっている。来る時にそんなものがあったかどうかはおぼえてない。でもこの門に気をとられていて、見のがしたのかもしれない。
 庭の向こう、家の屋根が続くもっと向こうに鉄塔が見えた。みのりの家の裏からもあんな鉄塔が見える。
「おんなじ鉄塔かな」
 もしそうならこの先の分かれ道を右に行ったほうが早く帰れるかもしれない。
 いったんそっちに行きかけて、ふとみのりは立ち止まった。鉄塔はこのあたりならどこからでも見えるのだ。
 思いなおしてみのりは戻った。タタラ研究所のブロック塀から離れちゃいけない気がした。
この横道に入った時からこのブロック塀はあったのだから、たどっていけば必ずもとの場所に帰れる。
 しばらく歩くと、門があった。背の高いりっぱな門、表札もかかっている。
「また同じ道をもどってきちゃったのかな」
 さっき門を通りすぎたばかりだから、そう思うのはあたりまえだ。
 みのりはあわてて引き返し、さっき曲がった角をもどった。小さな公園、そしてその前に大きな門がある。
 中をのぞく。植木越しに白い建物が見える。

                                    七

 よく確かめてから、みのりはまた道をもどった。角を曲がってそこにも同じ門があるのをたしかめた。
 中をのぞく。まるっきり同じだ。白い建物、窓の位置も、植木の枝のはりぐあいも、何一つ変わらない。
「なんで同じ門が二つあるの」
 別に門はいくつあってもいいけれど、そっくり同じなのはやっぱり変だ。
 どうしていいかわからなくなりみのりはかけだした。
 続くブロック塀、細い道の右側は小さな公園だ。
 その先で道はつきあたって右に曲がっている。そして曲がったところに、小学校の運動場があった。
 みのりの頭の中は、公園やらアパートのかべやら、何やかやでごちゃまぜになった。どっちの方向から来て、どっちへ行こうとしているのかもうわからない。
 小学校の校舎の時計は、三時十六分をさしている。ずいぶん行ったり来たりしているのに、さっきから一分しかたっていない。それなのに運動場には、もうだれもいなくなっていた。  あのいじわるな男の子でもいてくれたらよかったのに、とみのりはにじんだ涙を手でこすった。
「迷子になっちゃった」
 でも小さな子みたいにわあわあ泣いたら恥ずかしい。
 みのりは一生懸命がまんして歩いた。

                                    八

 門の前に来た。のぞきこむと建物の中からだれかが出てくるのが見えた。
 お医者さんのような白衣を着た人だ。長い髪の毛をくるくると上にまきあげているので、よけいに背が高く見えた。
 その人は門の前につっ立ったみのりのそばをすりぬけて、どこかに行ってしまおうとした。
「すみません……」
 みのりの声にその人は立ち止まった。とたんにみのりは涙があふれ、もうどうにもがまんしようがない。
「どうしたの」 
 女の人はあわてて、ポケットからハンカチを出した。
「道が、変なんです。どっちに行ったら、いいのか、わからなくって」
 女の人は長い首をかしげてみのりを見つめた。
「あなた、まさかホウコ ウクラブの会員じゃないわよね」
「えっ?」
「カード、持ってる? 銀色に青い文字の」 
 みのりが首を横にふると、そうよね持ってるわけがないわよね、とつぶやいた。
 持ってるわけがないなら、なんでそんなことを聞くんだろうとみのりは思った。

                                    九

「あなたみたいな子供の会員がいるって、聞いた事ないもの。ホウコ ウクラブって、ほとんどおとなの、どっちかって言うと少し年取った人のほうが多いし」
 みのりは涙をのみこみ、やっと声を出した。
「わたし、その何とかっていうクラブなんか知りません」
「ホウコ ウクラブ。ここに書いてあるでしょう」
 女の人は門の小さな方の表札を指さした。
「ちょっとむずかしい漢字だけど、彷徨と読むの。さまようとか、うろつくとかいう意味があるわ」
 みのりは鼻をすすりあげて、女の人を見上げた。女の人は少し考えてから言った。
「つまりかんたんに言うと、これは迷子になることを楽しむクラブなのよ」
「迷子って楽しいの?」
「知ってる町ばかり歩くのが、時々つまらなくなったりするの。そんな人たちに知らない町を作ってあげるのが、この彷徨クラブ」
 女の人はさぐる目でみのりの体を見おろした。
「あなた、だれかにカードをもらったり、拾ったりしなかった?」

「いいえ」
                                    十

「大変!」
 女の人は小さくさけぶと、門の中に戻っていこうとした。
「待って」
 みのりは女の人の白衣をつかんだ。
「コ ンピューターが故障しているのかもしれないの。早く調べてみないと大変なことになるわ」
「わたし、家に帰りたいの」
 みのりはまたなみだが出そうになった。
「あのね、彷徨クラブの会員はみんなカードを持っていてね。町の所々につけてある探知機がそのカードをチェックして、ここのコ ンピューターに指令を送るの」
 女の人は少しいらいらして、早口で言った。
「指令を受けたコ ンピューターは、ある種の電波を出して、カードの持ち主だけに錯覚を起こさせるの。ここはあなたのよく知っている町なのよ。コ ンピューターの誤作動で、つまりコ ンピューターがまちがってあなたにここを知らない町だと思いこませているだけ」
 女の人は急がなくっちゃとつぶやき、みのりの指から白衣のすそを引きぬいた。
「すぐにコ ンピューターの電源を落とすから、つまりスイッチを切ってくるから、だいじょうぶ。もう少ししたら、どっちにでもすきな方に歩いて行きなさい」

                                   十一

「もう少しって、どのぐらい?」
「百ほど数えてみれば」
 女の人は走って、建物の中に消えてしまった。みのりはわけがわからないまま、門の前で百数えた。ねんのためもう五十数えた。
 女の人はもう出てきそうにない。
 後ろをふりかえりながら、みのりは門から左に行った。つきあたりを右に曲がると小学校がある。
 ブランコ、鉄棒、のぼり棒、砂場。四階だての校舎、かべの時計。
「あれ?!」
 みのりはそのままずっとフェンスぞいに走り、住宅街をぬけて校門にたどりついた。和田山小学校、と声に出して門の文字を読む。
「私の小学校だ」
 正門前の円形花だん、鯉のいる池、何もちがっていない。今こっちに歩いて来る人は用務員のおじさんにまちがいなく、みのりにバイバイと手をふってくれた。
 みのりはいつもの通学路を家に向かって歩いた。わき道を見もせず、通りすぎた。幼稚園のころから歩いて通った道だった。

                                   十二

 なのに、なぜかおかしい。みのりの家は本当にこっちの方向だったろうか。でも今、目の前にあるのはみのりの家でガレージにはみのりの自転車もある。
 みのりは門を入って、玄関ドアを引っぱった。開かない。カギがかかっているようだ。
 いつもみのりが帰るころにはお母さんはどこにも出かけず、玄関は開けておいてくれるのに。
 今までずっとそうだったのに。
 むねがギュッとちぢこまり、息がしにくくなる。みのりはチャイムに指をかけた。

 ピンポン ピンポン
「はぁい、どなた!」
 それは、お母さんの声じゃなかった。




                                   十三


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