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知らない人たち
玄関にかかとをふみつけた大きなくつが、三足ちらばっている。ひとつはお兄ちゃんのだ。
「うふふ、帰ってる。帰ってる」
お兄ちゃんのくつだけきちんとそろえてあげ、いそいそと二階に上がる。
中学二年のお兄ちゃんはいつもはクラブで、帰ってくるのは暗くなってからだ。今日早いのはテスト前だから。
いつもはお母さんが仕事から帰るまで、わたし一人でるすばんしている。今日はお兄ちゃんがいると思うと、遊んでくれなくたってやっぱりうれしい。
友達と一緒にテスト勉強してるんだろうか。 ジュースでも持っていってあげようと思いついて、いそいそと上等のコップを出す。
部屋の前で、声をかけた。それが聞こえなかったとは思えない。部屋の中は、本当に三人もいるのかと思うくらい静かだったのだから。
ドアを開けた。開けたとたんに、スッと血の気が引いた。
六畳の和室で輪になって座った三人の男の子、三人が三人ともまったく同じ目つきでわたしをにらんでいた。一瞬、そこにはお兄ちゃんがいないように見えた。まばたきして見直すと確かにお兄ちゃんはいて、ニコ リともせずにわたしをにらんでいた。まるで虫か何かを見るような目で。
体がふるえた。
一 |
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わたしは回れ右して、ジュースを持ったまま息をつめて階段をおりた。
時間がたつにつれて、胸のドキドキはおさまるどころかますますはげしくなる。
あそこにいたのは、お兄ちゃんじゃない。お兄ちゃんに見えたけど、わたしにはわかる。あれはぜったいに、お兄ちゃんじゃない。
本当のお兄ちゃんはどうしたろう。あの子はお兄ちゃんのふりして、いったい何をするつもりなのだろう。
こわくて家の中にいられず、なわとびするふりをして家の前でお母さんの帰るのを待った。
大きな自動車が前の道に入ってきたので、わたしはあわてて庭に逃げた。前の道はせまい。大きな自動車なら、ほとんど道はばいっぱいになってしまう。
その自動車は通りすぎていかないで、家の前でとまった。 おりてきたのはお母さんで、運転台から身を乗り出して手をふる若い男の人にむかって、ニ コ ニ コと手をふりかえしている。
お母さんは見慣れないきれいな青のスーツを着ていた。わたしはおかえりなさいも言えないで、庭のすみに立っていた。わたしを見つけたお母さんも、ただいまとも言わなかった。 わたしは、足がふるえてしょうがなかった。 あの人もお母さんの顔をしているけれど、お母さんではなかったからだ。
二 |
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もう、しかたがない。家には入れない。駅に行って、お父さんを待っていよう。
駅は人であふれていた。知らない人たちの流れがうずを巻き、わたしの回りを過ぎていった。
名前をよばれた気がして、顔を上げた。前の大きなガラスに、だれかの姿が写っている。 肩までのまっすぐな髪、二重のまるい目と少し小さめの鼻。ドナルドダックのTシャツに黄色のキュ ロットスカート。
短いスカートをはくには、少し大人びた長い足だ。
すそを引っ張って、下にのばす。
何だ。あのガラスに写っているのは、わたしじゃないの。
「さとみ、むかえに来てくれたのか」
すぐ後ろで声がし、わたしはふりむいた。 お父さんと言おうとして、不安になりその声を飲み込んだ。
お父さんだろうか。いや、ちがうかもしれない。
「まさかむかえに来てくれるなんて思わなかった。さっき、まるで知らない子のように見えたよ」
そうか。わたしもいつのまにか、知らないだれかになっていたのか。
わたしはガラスの中のわたしをもう一度よくながめ、お父さんらしい人の手をにぎった。 そして気づかないふりをしようと、心の中で思い決めた。
何も変わっていない。もとのまま。そうすればこの先もきっと、今までのようにわらっていられるだろうから。
三 |