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手紙の掌話 *手のひらの小説*
その一
一日一通
「なあ、あんた。今日は誰に手紙書く?」
テーブルにひじをついて、正子さんが寛さんを見あげる。なんということもなしに立ったまま、コーヒーを飲んでいた寛さんが首をかしげる。
「そうやなぁ、きのうは誰に書いたっけ」
「ええっと、確か桃野さん」
「誰やそれ」
「忘れたんかいな。きのうのことやで」
そろそろここがあかんな、と頭を指さす正子さんに憮然として、寛さんは椅子に腰をおろした。
「ちょっと待て、四十歳の頃に住んでいたアパートの隣の人とちゃうかったか」
「そうや」
「あほ、あれは百田さん。おまえのここの方が怪しいわ」
今年で八十才になる同い年の二人は、もう六十年近く一緒に過ごす夫婦だ。八十才になってから、ボケ、いや認知症予防のために毎日誰かに手紙を書くことにした。おおかたは字の上手な寛さんがペンを取り、文章は共同作業である。
毎日書くというのは結構大変で、宛先を誰にするかを決めるだけで半日たつこともある。
一 |
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でも一日一通と決めたことは守らなければならない。まあええやないかと、ズルしてしまっては、せっかく始めた意味がないと寛さんは言い張る。
正子さんはまあええやないかと言う方だ。
相手を決めるのに長い間かかりすぎて、書く時間がなくなると、自然に手紙は簡単になる。
現にきのうの手紙は最短だった。
『百田さん。あげるわなと言うてたレコード、引っ越し荷物に入れてしもて、あげれなくてごめんな。まさかもう会われへんとは思わなんだわ。さよなら』
二番目に短いのは一昨日書いたので、去年寛さんが入院した時、同じ病室だった西野さん。
『西野さん、入院時にはとてもお世話になりました。そちらはどんな気候ですか。やっぱり、お花がいっぱい咲いていたりするんですか。まあそのうちお尋ねしたいと思っています。その節はまたよろしく』
この調子でいくと三日後くらいには『こんにちわ、さよなら』になるかも、と正子さんが笑う。
「今日書くのを入れると、もう九十八通や」
宏さんがちょっと興奮して言う。
「あんた数えてみたんか」
二 |
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正子さんがにらむと、あわてて寛さんが首を横に振る。
「いったん書いて仏壇に入れたやつは、絶対にさわってへん。わしはちゃんと今まで書いたのをメモしとるんや」
「あいかわらず、律儀な性分やな」
「あかんのか、律儀で」と、寛さんは言い返す。
「今日は九州のいとこの友達にするで」
「誰や、それ。私、知らんで」
「知らんやろな。わし、小さい頃九州のおじさんの家に遊びに行って、その時にいとことその友達と遊んだんやわ。楽しかったな」
正子さんはまだ肉付きのいい頬を、ぷっとふくらませた。
「そんなんあかん。私が知らん人は」
「そやけど、もうネタ切れやで」
寛さんはコーヒーのあてに、テーブルの上の切干大根の煮たのをつまむ。とたんにやめてぇな、と正子さんに手をはたかれた。
「手ぇでつままんといて。今晩のおかずやし」
おまえの煮物は名人級やな、と寛さんは上手に正子さんの機嫌を取る。
三 |
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正子さんは痛むひざをさすりながら立ち上がり、箸を取って寛さんに渡した。
「そんなら今日はその人でええわ。そのかわり明日は私が決めるからな」
寛さんはテーブルのコーヒーカップや煮物の鉢を押しのけ、便箋の束を出す。
「今日は横書きの、朝顔の絵がついたやつにする」
「なんで?」
「その人と会うたのが夏やったから。朝顔の柄のゆかた着ててな。一緒に盆踊りに行った」
「ちょっと待って、それ女か」
「なんや焼き餅か。今さら」
「違うがな、だれがそんなもん焼くかいな。卵焼く方がずっとええわ」
「今日はめざしとちゃ うねんな」と寛さんが茶々 を入れる。
「それよりその人の消息は知ってんのか。あんたより年下やろ」
寛さんはちょっと考えて、大丈夫と言う。
「わしが五才の頃や。いとこはわしより五つ年上で、その友達はその時いとこよりいくつか年上やっ た。きれいな人でいとこはその人に憧れとったんやろ。ひな子さん、言うたかなその人。わしのことをかわいいかわいい、って抱いてくれてな。いとこがむくれておもしろかった」
四 |
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「あほか。まああんたより十以上年が離れてると言うことは、今頃九十才は超えてるか。せやけど、ちょっと微妙やな」
「そうやろか」
「この頃百才なんかごろごろいてるしな」
ごろごろは大げさやで、、と寛さんは呆れる。
ふと口調を変えて、寛さんは正子さんから視線をはずしたままで言う。
「ほいで、あの子にはいつ書くんや」
それだけで通じたらしい。正子さんは戸をあけ放ったままの座敷をながめる。そこにある小さな仏壇を。
鬼籍に入った人だけに宛てて書いた手紙は、あの仏壇の引き出しに入れている。おかしなことに小さな引き出しはいつまでたってもいっぱいにならない。二人ともその不思議さに、気づかないふりをしている。それぞれが心の中で、手紙は本当に宛名の人に届いているのではないかと思っている。
「あの子には書かんのか」
聞こえなかったのかと、寛さんはもう一度正子さんに言う。
あの仏壇に一人だけ入っている子、三年しかこの世に留まらなかった、二人のたった一人の子供。本来なら一番先に手紙を書きたい相手だった。
一拍おいて、寛さんと目を合わさないまま正子さんは言う。
五 |
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「もう六十年前やで。あの子はとっくに生まれ変わって、まだどこかで生きてるわ」
そやからまだ書かん、と正子さんはつぶやいて、「明日は実家のタマにしよ」と言った。
「タマって、猫のか」
「頭ええ猫やったで、字くらい読むわ」と正子さんはケタケタ笑った。
その二
落とし物
こんなの拾った、と紀恵が二人に差し出した。まっ白な封筒だ。表にはちゃんと宛名が書いてある。
「ポストに入れに行く途中で落としたのね」
六 |
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里緒菜が封筒を手に取り宛名を読む。
「でも切手がはってないわ。郵便局に切手を買いに行く途中だったのかな」
ちょうど切手持ってるわ、とユキが通学カバンに手を入れる。
ちょっと待って、と紀恵がそれをとどめた。
「宛名見てみな。すぐ近くだよ。このまま持ってって、家の郵便受けに入れちまえばいいんだ」
そう言いながら紀恵は封筒を裏返す。
「でも、差出人が書いてないんだよね」
「いいじゃない、別に。書きたくなかったんじゃないの」
「切手をはらなかったのは、落とし主も家まで持って行くつもりだったのかしらね」
里緒奈は封筒を空に透かせて見る。
「きっと便箋一枚。セロ テープだといいのに、きっちり封は糊付けしてあるわ」
「セロテープだったら、はがしてみるつもりなの?」
ユキは呆れて里緒奈から封筒を取り上げる。
ユキの手から今度は紀恵が取り上げて、その封筒のにおいを嗅ぐ。
あまり熱心に嗅ぐので、何か匂うのと里緒奈が身を乗り出した。
七 |
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「かすかに線香の匂いがする」
どれどれ、と里緒奈とユキも封筒を鼻にあてる。
ユキは鼻をひくつかせて首をかしげ、封筒を里緒奈の鼻先につきつけた。
「線香の匂いなんかしないよ。トイレの芳香剤の匂いじゃない」と、里緒奈が汚さそうに封筒を指先でつまむと、紀恵は封筒を取り返した。
「この頃のトイレの芳香剤っていろんな匂いがあるんだよ。知ってる?」
「知ってるわよ。木の香りとか、リンゴの香りとか、ケーキの香り、どら焼きの香りなんてね」
「えっ、そんなのあるの?」
「ユキ、だまされてるよ。それはいつもの里緒奈のでたらめ。めんどくさいね。また拾った所に落しとこうか」と紀恵がため息をついた。
「ちょっと遠回りして帰ればいいじゃない。ひとつ向こうの通りでしょ。郵便受けに入れてあげましょうよ」
どうも気になるんだよね、と紀恵は言う。
「脅迫状じゃないかと思うんだ」
里緒奈がおもしろがって、どのあたりが気になるの、と聞くと紀恵は舌舐めずりせんばかりに身を乗り出した。
「このか細い字を見てみなよ。いかにも恨みがこもってそうだし、線香の匂いも怪しい。おそらくこの手紙の宛先の人は、殺人とまではいかなくても誰かの生き死に関係してる」
八 |
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「差出人の身内が亡くなったわけ? それは宛先の人のせいだった。それを恨みに思って脅迫状を書いた。切手をはらなかったのは、家の郵便受けに直接いれるつもりだったから……」
「ユキったら、そんなにかんたんにまとめないでくれる? わたしがこれから事細かに分析するつもりなのに」
でもちょっと変、と里緒奈が紀恵の言葉をさえぎる。
「直接入れるなら所番地まで書く? 名前だけでいいんじゃ ないの」
やっぱり切手の貼り忘れか、とユキが通学カバンに手を入れる。
「だから切手はいいって」
紀恵がユキの手を押さえて、あんた犯罪に手を貸すつもり? と言う。
「たとえばこれが犯罪の予告の手紙だったらどうする? いや、予告ってより呼び出しだ。自分の身内の死におまえがかかわっていることを知っている。誰にも知られたくなかったら今日の夜神社の境内に来い、とか書いてあったりして。それでのこのこ出かけたら、殺されちゃうわけだ。死体のポケットからはこの封筒が出てくる。警察はそりゃ徹底的に調べるよ。封筒の指紋はもちろん、筆跡やら封筒便箋の種類まで。切手だって調べるよ。舌でなめて貼ったりしたら、DNA鑑定とかして、ユキが脅迫状書いた犯人にされてしまうかも」
「警察が調べたら、一番先に封筒にべったりついてる紀恵の指紋に気がつくわよ。私はこれは脅迫状ではないと思うわ」
じゃあ、何よと紀恵がすごむ。
九 |
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「これは女の人の書いた字よね。女の人が男の人に宛てて書いているとすると、普通に考えると、やっぱりアレ関係じゃ ない?」
またアレ? と里緒奈が笑い出す。
「この間、ユキはたしか別れた恋人に対するメッセージの話したわよね。青いTシャツをベランダに干しっぱなしにするやつよ」
「ああ、思い出した。彼氏が別の星に里帰りした話だ。じゃあ今度は彼女が別の星に帰るんだ。これはお別れの手紙だね」
笑い転げる紀恵と里緒奈をにらんで、ユキは憤然と言い返す。
「ちがうわ。よく見てよ。この封筒の宛先の名前。遠野茂三郎様。いかにも年寄り臭い名前でしょう? それに線香臭いと、紀恵は言ったでしょう。ということはこの手紙は仏壇に置かれていたのよ。なぜか想像できる? この手紙は最近亡くなったおばあちゃんが書いた物なの。若い頃の初恋の人にあててね。おばあちゃんは投函する勇気がなくて、ずっと仏壇の引き出しにしまいこんでいたの。遺品整理をしていた孫娘がそれを見つけて……」
「ちょっと、待った!」
紀恵が大きな声を出した。
「何よ」
「おばあちゃんなんだろ。初恋って言ったらもう何十年も昔のことじゃない。ずっと仏壇の引き出しに入れていたら、こんなにまっ白なきれいな封筒のわけないよ」
十 |
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「そうよ。私が線香の匂いじゃないと言ったでしょ」
里緒奈が口出す。
「これはトイレ の芳香剤。彼女は、誰にも見られたくなくて、トイレに隠れてこれを書いたの」
「なんで?」
「なんでだよ!」
ユキと紀恵が声をそろえる。
「これは密告の手紙だから。すべてに完璧な親友を貶めるための。美人で頭が良くて、料理もプロ並みの腕。よく気がつくしスタイル抜群の彼女。でもこの手紙を書いた人は知っているの。その美人の趣味を。すべての美点をだいなしにするほどの悪癖を」
「どんな悪癖?」
ユキと紀恵がまた声をそろえる。
「まあそれはさておいて」
「なんでよ!」
「この手紙の宛先はその美人の婚約者の父なの。婚約者本人に送らず、その父にあてて美人の悪癖を暴露する差出人の気持ち、分かるかなあんたたちに……」
十一 |
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その時後ろからだれかが三人に声をかけた。
「ちょっと」
振り向いた里緒奈の手から、白い封筒が引き抜かれる。
「それ私の」
封筒を取り返したその人は、ダウンジャケットにジーンズの、ユキたちとそう年もかわらないような女。拾ってもらっ たお礼を言うでなし、そのまま身をひるがえして行ってしまおうとする。
「ちょっと待ってよ、あんた」
紀恵が後を追う。
「何か言うことあるんじゃないの! 黙って行くつもり?」
その女の人は立ちどまらず、それどころか走って逃げだした。
「待ちなさいよ。ちょっと、聞きたい事があるんだってば」
里緒奈が逃げる人に同情して言う。
「あんな形相で追いかけたら、普通逃げるわよね」
「でも、気になるわ。脅迫状か密告か」
「おばあちゃんのラブレターかもしれないよね」
せっかくのかわいい顔を台無しにして、里緒奈が大口開けて笑いこけた。
十二 |
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その三
なぞとき手紙
お年寄りに手紙を書いてみましょう、と先生が言った。
「この前の授業では手紙の書き方について勉強しました。おぼえたことはすぐやってみるとわすれません」
町にある老人ホームのおじいさん、おばあさんにあてて書くのだ、と先生は言った。あて名は三人のお年よりで、だれにするかは自分でえらんでいいと言われた。
七十五さいのおばあちゃんと、八十二さいのおじいちゃん、それから九十七さいのおばあちゃん。
星矢は一ばん年よりのおばあさんに書くことにした。
この前の授業で書いたノートを開いてみる。
一番先に書くのはあいさつ。
『こんにちは』
でもおばあちゃんが昼間に読むか夜に読むかわからない。
『こんばんは』かな。
先生は天気のこととか季節のことを書けばいいとか言ってた。
『今日はくもりです』
『あ、でもちょっと青空も見えます』
『今は春です。でももうちょっと暑くなってきました』
十三 |
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あいさつのつぎは、手紙を書いたわけを書く。初めての人に出すときは自己紹介をする。
『手紙は授業でならったことをわすれないために、すぐやってみるために書きました』
『自己紹介はぼくは林星矢です。せいやと読みます。ほしやではありません。年は九さいです』
もう書くことがない。星矢はえんぴつの後ろをガリガリかんだ。
もう終わっていいのかな。さようならでいいのかな、と考えている。
手をあげて先生に聞いてみる。
「先生、自己紹介のあとは何か書きますか?」
「おばあちゃんがよろこんでくれそうな、おもしろいことが書けるかな。おへんじもらえるかどうかはわからないけど、おばあちゃんにしつもんしてもいいのよ」
星矢はまたえんぴつの後ろをガリガリかむ。
『しつもんです。おばあちゃんは九十七さいです。どうしてそんなに長く生きれたのですか? 顔はたくさんしわがありますか? ぼくはまだしわがありません』
『おばあちゃんはどんなことがおもしろいですか? いつもなにをしてあそびますか?』
もういいだろうか。
十四 |
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『さようなら』
あてなは先生のお手本をみながら書いた。家から持ってきた切手をはって、学校のすぐそばにポストがあるので、みんなといっしょに出しに行った。
それから三か月ほどすぎた日、学校から帰ったら、星矢あてに手紙が来ていた。
そんなことは生まれて初めてだったから、お母さんだけでなくとなりのおばさんや犬のラビにまで封筒を見せた。
封筒には、林星矢さまとちゃんと書いてある。差出人は本田カメさん。
『カメから手紙が来た!』
星矢は携帯で、クラスの鳴人にメールを打った。
星矢は携帯を持っないので、お母さんのを借りて打った。 もっとだれかに教えたいけど、メールアドレスは鳴人のしか知らない。
カメさんの住所は町にある老人ホームになっていた。春に授業で書いた手紙の返事が今ごろ来たらしい。
いそいで国語のノー トをランドセルから出した。
老人ホームに出した手紙の下書きを、ノートに書いたのを思い出したからだ。
十五 |
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なんでわざわざノートを見たかというと、カメさんの返事がさっぱりわけのわからないものだったからだ。
『カメからの手紙、わけわかんねー』
鳴人からはメー ルの返事がなかったのでまた送っ た。
だけど「もう携帯返して」とお母さんに取り上げられてしまっ た。
しかたなく、カメさんからの手紙をもう一度ひろげた。鳴人にたよれないので、自分で考えるよりしようがない。
『はちにんこ。はんばんこ』
自分が書いた手紙と見くらべると、これはさかさ言葉だとすぐにわかっ た。
そのあとは『わたしはカメなので人とくらべると、全部が一つ分遅れます』わかるのはそこだけだ。その後はさっぱりわけがわからない。
『うみひ、やえ、くそてひ、いくな、にるみすち。かとぎむ、えろすきてちどせ』
昔の言葉かなぁ、と星矢は頭をひねる。
「うみへいくなってことかなぁ」
手紙をさかさにしてみたり、ななめにしてみたり、裏側からすかしてみたり、いろいろためしてみたけれどやっぱり意味不明。
『くむひ、をきうきり、すをぎ、にうはひ、いちるみお。をちすひ、すをぢりこ。をちすひ、にだなくぎ、ぢうせく。くむ
ぬひ、なこれきに? へへへ。しらえにり』
十六 |
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ギブアップしてお母さんに聞いてみたら、ろくろく読まないで、お父さんに聞いてみたらと言われた。
星矢はお父さんの帰りを待って、手紙を見せた。
「これはとてもかんたんな暗号だ。しかもヒントもある。自分の頭で考えなさい」と言われた。
「さんざん考えたんだよ」と星矢が言うと、
「おまけのヒントをやる」とお父さんは言った。
「一番終わりの言葉が暗号を解く第二のヒントだ。普通は最後になんと書く? 星矢はおばあさんあての手紙の最後になんと書いた?」
最後のことば、星矢は『さようなら』と書いた。
おばあさんの手紙の最後は『しらえにり』だ。
さあ、星矢には解けただろうか? 君はどう?
十七 |