『う~と』


「ぼく、グラタン。マカロニの入ったやつ」
 メニューを見もしないで、透がさけぶ。
 ひさしぶりのファミリーレストランだ。
「ぼくはね、ピラフかスパゲッティ」
 兄の和人は長い間考えたあげくにやっと言った。
そう言ったかと思ったら「あのね、う~と。やっぱりハンバーグにしようかな」とあせってまたメニュ ーのページをめくる。
「早くしないと、あんたの分はたのまないわよ」
 お母さんがそう言うと、和人はベソをかきそうになった。
「そんなにかんたんに、決められないもの」
「五年生にもなって何よ。みっともない。どれでもおなかに入ったら同じでしょ。目をつむって、えいっと決めちゃいなさい」
「じゃあ、スパゲッティ」
「スパゲッティでいいのね」
「ハンバーグにする」

                                    一

「ハンバーグなの?」
「グラタンがいい」
「ええ?!」
 お母さんはギョッとして、向かいのシートにこしかけた子供たちを見た。  弟の透は窓ぎわにすわり、外の道を走る車に見とれている。その横に体をよせあうようにして、和人がたしかに三人。
「スパゲッティだよ」と右はしの和人が言えば、ハンバーグと真ん中のが続けて、左はしのがグラタンとつけたす。
 お母さんは口をあんぐりと開けたまま、三人の和人をながめた。
 細くてやわらかなかみの毛、うすいマユ、茶色っぽい大きな目。二才年下の透より背は四・五センチ高かったが、手足の太さは変わらない。
 どの和人もそっくり同じで、見分けがつかなかった。
 お母さんはあんまりびっくりしたもので、おろおろと立ったり、すわったりした。でもどう見ても、全部自分の子供であるにはちがいなかったから、知らん顔もできない。
 あわててバッグに手を入れ、さいふをのぞいた。四人の子供に好きなものを食べさせるには、その中身は少しばかり心細かった。

                                            二

 お母さんは透の手をつかんで、レストランを飛び出た。
 三人の和人はまだそれぞれにスパゲッティ、ハンバーグ、グラタンと言いながら、後を追ってくる。
 お母さんは、ためいきをついた。
 食べそこねたグラタンのせいできげんのわるかった透は、出前でたのんだ天丼をたいらげて満足しテレビの前にいる。
「ねえ、お兄ちゃん。テレビ見る? それともゲームする?」
 まだ食卓で丼をかかえこんでいる三人の兄に向かって透が言った。
「う~と」
 右はしの和人が、首をひねる。
「テレビ見ようかな」
「ゲームでもいいや」
 どちらも和人の声だ。
 いやな予感がしてお母さんがふり向くと、台所の和人が四人になっていた。
「わかった。そうやってふえるのね」
 お母さんは、ブルッとふるえた。

                                            三

 和人は一日のうちに、何回『う~と』とまようだろう。
「とにかく、これ以上ふやさないようにしなけりゃ。お父さんが出張から帰ってきても、すわる所さえなくなっちゃうじゃないの」
 でもお母さんの思い通りには、なかなかいかない。あくる日には何と、和人は十六人にもふえていたのだから。
 台所に四人、居間に五人、子供べやに六人の和人がいる。一人はトイレらしい。
 お母さんは目が回りそうだ。
 3LDKのマンション中を行ったり来たり、和人たちを見張っている。知らない所でまたふえてはかなわない。
「お兄ちゃんに、何も聞いてはだめよ」と、透にも念をおした。それなのにまた、どこかで二人ほどふえたようだ。
 その時、玄関のチャイムが鳴った。
「ああ! もう、こんな時に!」
 お母さんは足音高く玄関に向かい、ドアを開けた。そこには少しくたびれた背広のおじさんがいた。
 もちろん見たこともない人だ。小さめの顔の中で目がぐるっとまるい。うすくて大きな口は、はりつけたような笑顔を作っている。やはりくたびれたぼうしを取り、ていねいなおじぎをした。
「どなたですか」
 お母さんはいらいらしているので、せかせかと言った。

                                            四

「わたくしは決っして……」
と、おじさんは力を入れて言った。
「わたくしは決っして、あやしいものではございません」
 お母さんはすぐにその人をあやしい人にちがいないと決めつけた。それであわててドアを閉めようとした。でもおじさんは長い腕をのばして、すばやくそのドアを押さえてしまった。
「ご用はございませんか?」
 お母さんはしりごみしながらも、何のご用ですかと聞いた。
「不用人のご用です。ただ今、不用人の引取りのご用をうかがいにまいっておるのです」
「今、不用品はありません。古新聞はおととい出したばかりです」
 お母さんは、何とかドアを閉めようとやっきになった。
「いえ、ちがいます。不用品ではございません。不用人です。二人につき、ティッシュ ペーパー一箱と交換いたしております」
 やっと閉めることに成功しかけていたのに、お母さんはそのドアをまた大きく開けた。
「今、不用人って言われましたか」
「はい、たしかに」

                                            五

「二人で、ティッシュ 一箱ですって?」
「はい、たしかに」
「ちょっと、待ってて」
 お母さんは胸をドキドキさせて居間にとってかえした。そしてそこかしこに、ごろごろしている和人の数をかぞえた。
 二十一人いる。という事は、ほんのちょっとの間なのに、またふえたらしい。
「二十一割る二」
 お母さんはつぶやいた。
 一人残して、二十人の和人を不用人に出せば、ティッシュが十箱ももらえる。それになにより、家の中がもとどおりになるのだから。
 お母さんは部屋を見わたした。
「どうしよう。ねえ透、一人だけ残すとしたら、どのお兄ちゃんがいいと思う?」
「今、いっしょにゲームしているのでいい」
「そんなにかんたんに決めないでよ」
「どれでも同じだよ。目をつむって、えいっと決めちゃえば」

                                            六

 透の目は、テレビゲームの画面からはなれない。
「ちょっと、待っててくださいね!」
 お母さんは玄関に向かってさけんだ。早くしなければ、不用人引取りのおじさんは帰ってしまうかもしれない。
 お母さんはますますあせって、部屋中を見回した。
 冷蔵庫の中に、頭をつっこんでいる和人が二人いる。
 何を飲もうかまよっているようだ。あと五分もしないうちに、あの子たちは三人にふえる。ジュースを飲みたい子と、牛乳がいい子と、麦茶にする子と。
 考える時上くちびるをかむのは、小さい時からの和人のくせだ。冷蔵庫の前の和人は、二人ともまるっきり同じ表情をしていた。
 お母さんはふと思い出した。歩き始めたばかりの、幼い和人の顔だ。
 右と左とで手まねきする、お父さんとお母さんの間でやはりあんな顔をしていた。
『こっちにおいで、和人』
『だめ、お母さんの方に来るのよ』
 和人はあっちを見、こっちを見てとうとう細い声で泣きだした。赤ん坊のくせして、人生の悲しみを全部一人でせおったような顔で。

                                            七

 お父さんとお母さんは、かけよって両側から和人をだきしめずにはいられなかった。
 お父さんとお母さんのどちらかを選べないで泣いた和人は、今は自分をいくつにも分けて、泣かずにすます気だ。
 透の言うとおりだ。二十一人のだれでも同じなのだ。そのどれもが、本当の和人だから。
 作りかけのジグソーパズルみたいに、体の所々が抜け落ちた和人のすがたを想像して、お母さんは背すじが寒くなった。 たったの一人も、この手からはなしてはいけない。
 お母さんは玄関に走って出た。
「不用人なんて、家にはいません。帰ってください」
 悲鳴みたいな声でお母さんはさけんだが、ドアの外にはもう、だれもいなかった。

「お母さん!」
 和人の一人がさけんでいる。
「お母さん、雨がふってる」
 ベランダの和人が、手すりにほしたふとんを体でかばうようにしている。朝起きた時には日が照っていたので、ベランダにふとんをほしていた。

                                            八

 突然のにわか雨だ。
「きゃあ! 大変。みんな手伝って!」
 テレビゲームの前の透は見向きもしない。熱中すると、耳もとでどなったって聞こえない子なのだ。
「はぁい」「はぁい」「はぁい」
 子供部屋から、台所から、トイレから、なぜか風呂場からも返事が聞こえてくる。何人もの和人の足音がひびいた。ベランダに近づくにつれ、その足音はぴったり重なって聞こえてくる。お母さんは、ふとんにかけた手を止めてふりかえった。
 そこにはたった一人の和人がいた。
「お母さん、早く。ふとんがぬれちゃうよ」
 和人はつっ立っているお母さんを、ふしぎそうに見上げている。
「あわてること、なかったわ」
 お母さんは空を見上げてつぶやいた。
 雨はもう上がりかけていて、町のはしには日がさしていた。しだいにまばらになっていく雨粒が、光のカーテンのようにきらめいて見える。
                                    九


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