生かされてー御池岳

 

                         御池杣人

 

 

限りあるいのちの時間このひと日悔いなく過ごさむ山に登りて

                             石井明子『山が好き』

 

 五月に大きな手術をした。仲間の励ましが身に滲みた。退院して療養の日々。仕事へと復帰。いろいろもの思う夏を過ごした。すぎな茶を飲み、バランスよく食事をして、よく歩いて、規則正しい日々を心がけて。そして「限りあるいのちの時間このひと日」を丁寧に生きたいと念じながら。ありがたいことに今のところ再発はしていない。

 手術痕の痛みの緩和、これは時間が必要。まだ時折しびれたりする。だから山行きは無理はせぬこととし、まずは平地を意識的に歩いてきた。この道?の先達、とっちゃんの見事なる山行復帰に励まされている。

御池岳へ行きたい。その思いだけは大切にして、この夏、山はもっぱら伊吹山へ車で通っていた。山頂部のみの散策。それでも一週間ごとにお花ばたけは静かに、しかし確かな季節の変化を見せてくれていた。

 平地をかなり歩けるようになった。多い時は一日一〇キロ。時間があればだいたい数キロを炎天下歩いてきた。大切な仲間たちとの「おたんちんミルキーあんぱん山行」にこの秋、参加できるように。そのためには、九月中に一度は御池に行こう、行けるところまででいいから。だから、節制し、体調を整えて。

 九月二四日に決行すると決める。前夜泊。二一時には寝てしまう。

 

 朝六時、鞍掛トンネル登山口に立つ。三時間かかってもいいから、鈴北岳に立ちたい。三時間かかってもいいから無事下山すること。これが今日の目標。さすが誰もいない。静か。

 ゆっくりと登山靴の紐を結ぶ。お茶は一リットル。カメラはマクロと広角ズ−ムレンズ。忘れ物はないか。帽子をかぶり、九時一五分、さあ出発だ。

 急な坂だ。ゆっくりゆっくり登る。ミカエリソウがあらわれる。人はこの花を見返りながら、己を振り返ってきたのだろうか。僕もこの間の出来事をあれこれとふりかえりつつ登る。けっこうきつい。あせるなあせるな。

六時四〇分、峠に立つ。近江側から風がここちよい。鞍掛地蔵様にこの間の報告とみな元気でありますようにとお祈りをする。毎度のことながら、可愛い地蔵様の頭を思わず撫でてしまう。

 六時五〇分、鉄塔着。近江側は雲が出てきている。伊勢側は晴れている。稜線の不思議さ。熊池の森途上、朝霧の中、偶然か朝日が差し込み、その美に絶句。こんな光は僕のこれまでの御池の経験にない。早起きは三文の得か。写真に撮る。うまく撮れていたら、来年のやまぼうし殿世話役の写真展に出品しよう。鞍掛尾根道の霧と光の一瞬の神々しいまでの世界。これまで百回以上はこの道を歩いている。だけどはじめて。(帰宅してさっそくプリントアウトしてみたら、いい。来年のお楽しみ。)→ええい、あんまりいいので特別に展示してしまおう。

 

 

七時二〇分、熊池の森。うすぐらい。水かすか。

 ササが広がり、尾根道が明るくなる。気分はルンルン。だがあわてるな、ゆっくり登ろう。

七時四五分、一〇五六ピ−ク。トリカブトのお出迎え。おお、鈴北岳があんなに近くに見えてきた。はやる心をおさえて、お茶にしよう。

 一端下り、森を通り抜けて、急坂をエイエイと気合を入れ、タテ谷への道を見送り−あっ、ナデシコが一輪。いい色だ。

鈴北岳への直前はいつも胸ときめく。尾根道から劇的に場面が転換して、御池岳の茫々たる世界が一挙に登場する。さあ、今日はどうか、この年になってもワクワクするうれしさ。

 八時一五分、鈴北岳へ。

 やったー、やったーとはしゃぐ。久しぶりの丸山、池の平、お花の尾根、遠く奥の平が眼前に広がる。

三時間のつもりが二時間で。うれしい。ゆっくりと霧が池の平を流れていく。

 

 さて、これからどうしようか。もうこれで今日の山行きのテーマは終了。あとは好きなように彷徨うことにしよう。本当に久しぶりの御池岳だ。アケボノソウに会いたい。もう遅いか。ノギクの乱舞も見てみたい。風池にも会って挨拶がしたい。

 待て待て。やはり御池だ。まず何はさておき、雨乞いの本池−元池にお参りしよう。

 八時二五分。元池。水たっぷり。この雨乞いの中心的な位置をしめてきた池。願いかない雨が降ったらお礼まいりもあったという。かんこ踊りじゃないけれど、僕もこうして再訪できた感謝の踊りを元池を眺めながら心の中で踊ることにする。静か。

 せっかく元池まで来たのだから、お花さんにもご挨拶をしておかねば礼を失することになる。どこだったかなあと適当に尾根にとりつき、鈴北岳の位置をはかりながら歩く。少しウロウロしながら九時にお花さんへ。ササがほとんどなくなってしまい、お花さんはさっぱりとした表情か。北落・大君ヶ畑の人々の立てた標識がだいぶ朽ちてきている。

 次いでアケボノソウが見たい。草原池跡へとむかう。途上、わずかにアケボノソウ。もう遅かったのか、それとも今年は花の数が少ないのか(トリカブトも例年に比して数が少なく、背丈も小さいよう。だけど色は濃い紫でキリッとしている)。おうおう、アケボノソウ君たちよ。久しぶりだ。よく見ると不思議な花だ。

 草原池跡は草ぼうぼう(九時二〇分)。山頭火−枯れゆく草の美しさにすわる−を真似て座ってみる。ヨメナに囲まれて一人お茶の幸。

 ここまで来たら日本庭園の池へ(九時三五分)。水は少なめ。静寂。

 同じくここまで来たら、夕陽のテラス(九時四五分)。面白い雲海が広がる。天狗堂は雲海の下ゆえに何も見えず。しかし、御池林道に架かる御池橋がよく見えている。岩のベンチで休憩。眼下六〇〇メートル。気分は爽快なり。ここは仙女さま二人と写真を撮った場所。

 ゆっくりしておればいいのに、うれしくてすけべ心が。またしてもうろうろと。

一〇時丸池。倒木がこれまでのまま。トリカブトが並んで咲いている。そこに焦点をあわせて丸池を撮る。

 ここまで来たら、風池にもご挨拶を。テーブルランドの端に沿って進む。時折、鹿の鳴き声が。オチョコブチ、一〇時二〇分、オチョコ岩がユーモラス。

 ササの海を越えて、とうとう風池に(一〇時三五分)。

 水は多くはないが、オタマジャクシの乱舞。一周を回ってみる。いろんな角度から眺める。おなかがすいた。ジャムパンを食べよう。美味じゃ。りんごもサクサクとおいしい。お日様がぬくい。

 池におおいかぶさっているカジカエデの木をよく見れば、種?がいっぱいついている。幾重にもぶらさがっているかのよう。この姿ははじめて。

 この小さい尾根をのっこせば、膨大なササの海−また別の世界が広がる。天狗の鼻(一〇時五四分)に立ち寄り、絶壁を鑑賞す。

ボタンブチ(一〇時五七分)で人が談笑している。雲海ゆえに山々は見えず。「藤原はどこ?」の問いに、「あっちの方向。奥の平のササの海を通して藤原岳展望丘の双子の頭だけが天気がよければ見えますよ」と説明する。

 奥の平の茫々を歩いてみたい。しかし、今日はさすがに予定にいれていない。いつか、さらに体調を整えて。茫々の世界を茫々と歩いてみたい。

 ここまで来たら、お花さんに会ってきたのに幸助さんに会わずに帰るわけにはいかぬ。 一一時二〇分、幸助の池。静寂。わずかに池面が揺れている。黄葉はまだ。これから彩りを加えて、さらに落葉の季節。ただ一人、幸助さんと対面す。僕が病気になろうがなるまいが同じ姿でキリッと美しい。幸助さん。ひさしぶりでしたね。また来ましたよ。

 

 さあ、心を区切って山を下ることにしよう。帰ることにしよう。ここから鞍掛峠まで遠い。

 どんなコースで帰ろうか。これまたせっかくだ。丸山経由して池群にご無沙汰をわびて帰ることにしようか。

 丸山への帰路も楽になってしまった。ササの勢いはない。ジネグ(地根苦)がまだ進行しているのか。またいつか、かつてのササの勢いが蘇るか。そうなったらこの山は簡単には歩けなくなる。それも自然の見せる一断片か。

 丸山へ一一時五四分。人で賑わっている。通過す。

一二時。山西池。ここもササが消滅しつつある。すぐに見つかる。水はわずか。ヌタ場状。

 上池(一二時八分)。いつもヌタ場状だが、不思議なことに今日は相対的に水は多い。このあたり、やはり静か。

 一二時一七分、オムスビ池。水はいつものようにたっぷりと。

一八分、水がたまれば島池という名にしようと勝手に決めている地に。水わずか。まだ名付けは無理か。でもヌタ場状。鹿の足跡がいっぱい。

二〇分、平池。いつものように広くヌタ場状。

二一分、ウリハダカエデの池。美しい。

二三分、南池。落ち着いた美しさ。この池好き。

二四分、南小池陥没穴の鑑賞。だいぶ埋まったよう。

二七分、真の池。

 焼け跡の登山道。ダメージはいまだ小さくない。宏大な空間のまま。カレンフェルトが遠く白く点在。カリガネソウの残花一輪。

三五分、遭難碑へ。合掌。また来ることができましたよとご挨拶。

五〇分、鈴北岳。ああ、楽しかった。欲張ったけど楽しかった。網膜にしっかりと池の平・丸山を焼き付けておこう。今日の行程をふりかえる。

 毎度のことながら、これがこの地での僕の心の儀式。

 一三時、名残惜しいが鈴北岳発。ゆっくりと下ろう。三時間かかってもいい。

 タテ谷分岐あたりに白い花。なんの花だろう。形はリンドウ、だけど白い。はじめて見る。花に詳しい友(たくさんいてラッキー)に聞いてみよう。

二三分、一〇五六ピーク。

三六分、熊池の森。

五五分、鉄塔。

一四時、峠。お地蔵様に無事を感謝。また頭を撫でる。

 二四分、登山口着。

 三時間の予定が一時間二四分で下れた。うれしい。

 こうして御池の地に再び立てた。

 さらに養生して、丁寧に生きていきたい。ありがとう。この一日。うれしいよ。

 僕は靴を脱ぎながら何度もうれしいよとつぶやいていた。

 

   山本 萠が新著『沈黙の・・深い声』(童心社、二〇〇五年一〇月)を出版した。かつて『御池岳残雪』の「やはり長いあとがき」で氏のエッセイを「ひかえめでありながら確固たる意志をうかがわせる・・・多忙な精神的世界ではとても読めないような澄んだ精神的世界の発露」と僕は評したのだけれど、この新著も何気ない日常の出来事にひそむ意味ある深い世界、生きるということの哀歓の重さ、いとおしさを、力みのない静謐な文体でいっそう深化させている。その一節に次の詩が引用されていた。原著は『インディアンのことば』(紀伊国屋書店)

   

      私の前方の美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

       私の後ろの美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

私の上方の美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

       私の下方の美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

       私を取り囲むすべての美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

   

      今回の山行きを振り返れば、作者不詳のこの詩が心に沁みる。今を丁寧に生きたいという「祈り」にも似て。そう、生きることは歩むこと。僕はこの日、確かに歩ませてもらったのだ。

僕もこんな想いで歩み続けたい。そう素直に思えるうれしいうれしい山行きだった。

 


 

―――生かされて御池岳に寄せて―――

                                

神様が扉を開いたような、朝霧が包む樹林の朝の気配。その写真を見た時、神の言葉がそこにあるように思った。杣人さんの御池岳へのふたたびの山登り。そのことを、神様がこんなにも喜んでくださったのだ。

 

      私の前方の美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

       私の後ろの美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

私の上方の美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

       私の下方の美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

       私を取り囲むすべての美しい光景よ、どうか私を歩ませてください

 

     ―――原著は『インディアンのことば』(紀伊国屋書店)―――

 

なんという、透明な心だろう。

この祈りにも似た言葉の向こうにも神が宿る。

生きることの難しさ、それゆえに祈りがある。そして、その向こうには希望と喜びがある。

霧の向こうに青空が広がるように。

 

この一枚の絵画のような写真、杣人さんにはそんな写真がもう一枚ある。「御池岳―憧れ」、

その本の表紙の写真だ。

たとえ何度通ったとしても、いつまでも杣人さんには御池岳は憧れのままだ。憧れは明るいほうに、一歩一歩を進める心だ。

生かされていることの喜びを胸にいだき、ふたたびその一歩を、今日この日に、歩みだされた杣人さんの笑顔が、私の心も照らしてくれた。そして祈りの心との出会いに、煩悩にもがいている心が洗われた。

                                都津茶女

 


 若いときは誰しも命に限りがあることなど考えもしない。ところが体の機能の衰えがあちこち自覚される中年になると、「元気なうちに、この谷の紅葉を何度見ることができるだろう」という感慨を持つようになる。まだ先のこととしても、タイムリミットがリアルに実感できるのである。

 現在健康な私でさえそう思うのだから、生死を分けるような病気を経験した作者は痛切に命の重さを悟ったことだろう。山どころか、もしかしたら手術後にこの世の総てとお別れしなければならないという恐怖もあったと想像する。そうした作者が術後地道に行ってきたリハビリを経て、ついに愛着深い御池岳に立った。その喜び、感謝の気持ちが手に取るように表現されている。「生かされている」という感覚は宗教的な境地である。

 せっかくここまで来たのなら、あそこにも・・・の繰り返しも、自分の体力と足で再び御池岳を歩ける喜びに溢れている。結局作者は健康な人でも歩き甲斐のある行程を消化してしまうが、読んでいて「それは図に乗りすぎやで、先生! 最初は自重せな」と心の中でハラハラする。

 なにはともあれ作者の回復を心から喜ぶ。我々には生命満ち溢れる山という生き甲斐があって幸せである。

                                                

                                      葉里麻呂