何で山登るねん

 休日とは休む日であり、そんな日にわざわざ山なんぞへ疲れに行く人はどこか壊れてる。私も人生の3/4はそう思っていたから、山へ登らない人から見たら当然の意見である。

 山へ登るのは苦しい。重力に逆らって位置エネルギーを稼ぐのだから当然である。高所にある岩は位置エネルギーを溜めたまま何万年と沈黙しているが、ひとたび落石となれば凄まじいエネルギーを放出する。

 では人間に溜め込まれたエネルギーはどうなるかと言うと、下山時にヒザを痛めつけるために使われる。クライマーにおいてはロープで火傷したり、滑落して体をバラバラにするために使われる。これでは割に合わない。

 何故このような無為徒労の行為をする人種がいるのか。もしかして山登りのような苦しいことを趣味とする人は前世で罪を犯したのではないか。それで自らに罰を与えるようにDNAにプログラムされているのではないのだろうか。私のように花や展望より、一日歩いてクタクタになることに満足感を覚えるような人間は前世で極悪人だった可能性がある。腕が鳴ると言う言葉があるが、しばらく山に行かないと足が鳴るのである。

 初めはアマゴや岩魚を追って奥谷へ入っていた。でも海釣りには興味が無かったから、その頃からプログラムが動き出したのだろう。禁漁期のある日、つい出来心で山頂に登ってしまった。山へ登ることはしんどい。しんどいけど楽しい。爽快ですらある(そう思わされている)。こうして自虐的懲罰登山が始まってしまったのである。

 私も人並みに花の写真をとったりするが、ガーデニングには何の興味も無い。やはり登ってこその花である。そうしてみると、登山の醍醐味は登りの苦しさにあるといえるだろう。

追記

 最近はクタクタになるまでやりたくなくなりました。償いが終わりつつあるのかもしれません。「たとひ罪業は深重なりとも、必ず弥陀如来はすくひましますべし」と真宗の御文にもあります。もう体をいじめなくてもよくなってくるでしょう。今は山の展望、地形に興味が移りました。