丁寧に生きていきたいー再び入院・手術の記

 

                                 御池杣人

 

生かさるる身と気づかされけふもゆく実りの秋の空の青さよ

林親男『歌集 風そよぐ』

 

 入院前

二〇〇五年一一月の定期検査において、膀胱内に腫瘍が見つかった。ずっとこの間、頻尿と排尿困難が続き、前立腺肥大となっているのかなと思っていたけれど、その原因は尿道付近にできた腫瘍だった。即入院・手術の日程が決められた。

五月以降、気をつけて生活してきたのに再発。それを聞いたとき、一旦は落ち込んだ。しかし考えてみれば、膀胱内に発腫する可能性は三〇〜四〇%というデータがあり、そのため三ヶ月ごとの内視鏡検査があったわけで、いくら気をつけていたとしても客観的には十分ありうること。そう思えばかかる事態も「何のこれしき」の精神で立ち向かっていくしかないーこう心が定まるまで一昼夜かかった。

晩秋の御池岳吟行に参加することを一番の励みに生活してきたのに、その直前の日に入院・手術の悔しさ。本職では学生諸君との講義・演習が軌道にのり面白くなってきた時期なのに入院・手術の悔しさ。手術がどうなるかという不安はもちろんのこと、加えてこの二重の悔しい思いを整理しかねていた。

だけどじたばたしてもせんないこと。うしろめたいことは何一つないのだから、逃げも隠れもせずに胸張って堂々とこうした事態を受け入れていこう、試練としては軽くはないけれど「何のこれしき」の精神だと何度も言い聞かせた。

入院を翌々日にひかえた講義において、五学科四〇名の四年生受講生諸君から、夕焼けの下みなで写した記念写真付の大きな色紙を思いもかけずいただく。うれしい。この記念写真は、当日の欠席者の上半身写真がバックの丸い枠の中におさめられている(昔の卒業アルバムみたいに)という芸の細やかさもよし。

 

先生の授業が大好きです。先生が書いた文章が好きです。元気で面白い先生が大好きです。無理せずしっかりと心身を休ませてあげて下さいね。元気な先生に会えることを楽しみに待っています。

 

先生の自由さにはじめは驚きました。大学に入ってから忘れていた、みんなで体を動かすことの楽しさや、人として生きる上で大切なことを学びました!

 

先生の授業は今まで受けてきたどの授業よりもユニークで、たくさんのことを教えてもらいました。早く元気になって帰って来てください。

 

こんな色紙を予期せずに学生諸君からプレゼントされる幸せ。

こんなのもあった。さすがじゃ。

 

ともかく昼寝の枕一つ持つ   種田山頭火

先生が留守の間、九条は護っておきますので安心してゆっくり療養してください。

 

山頭火のこの句と憲法九条との関係がいまいちわからぬが、その中身の水準の高さがうれしい。

 

入院−1

二四日、入院の日。カミさんは仕事ゆえ、一人で荷物を持ってバスで病院へ。外来受付をすませて周りを見れば、梅村のおばちゃんが。

 

        梅村のおばちゃんーー息子が保育園時代、土曜日の午後など両親が仕事でお迎えが遅くなることがほとんどで、おばちゃんには直接多大なるお世話になった。当時僕は京都勤務で、会議の都合でどうしてもお迎えの時間に間に合わなくなったとき、新幹線の中から「今新幹線の中を走っていますが、お迎え遅れそうです。すみません」と電話したことあり。その電話を今も面白がってくださっている。(近藤直子・郁夫・暁夫『保育園っ子が二〇歳になるまで』ひとなる書房 参照)

 

「どうしたの? おばちゃん」「お父さん(僕のこと)こそ、なんでここにいるの?」

かくかくしかじか、しかじかかくかくと語りあえば、僕とまったく同じ病で、奇しくも同じ日に同じ病院へ入院、とのこと。この数奇な運命、神様のいたずらに、人いっぱいの待合コーナーにて人目もなんのその、六九歳のおばちゃんと五八歳のおっさんは抱き合う。

入院中は同じ病棟。おばちゃんとゆっくり語り合うことができた。夫君をすでになくされ、お子さんも独立。一人暮らしのおばちゃんは、前回入退院時も今回の入院も一人で荷物を持ってバスで。(よかった、今日カミさんが仕事で。)僕も今日は独りでバスで来た(五月のときはカミさんに付き添ってもらっていた)。おばちゃん曰く「もう、甘えん坊なんだから」。ついでながら前回退院時、僕はタクシーで。だから今回はバスにしようとひそかに誓う。

その夜、お見舞いに来てくれたカミさんも息子も思わぬところでのおばちゃんとの再会に、会話が盛り上がって、楽しい時間となった。

 

入院−2

前回は全身麻酔。ぼーとして(普段もそうなんだから)何も覚えていない。しかし、今回は違う。二五日、手術の日。

手術前に麻酔がきくように筋肉注射。看護師さんの監督・指導の下、看護実習生の可愛いお嬢さんにうってもらうことに。この注射は誰がうっても痛い。やはり痛かった。お嬢さんも緊張、僕も緊張。だけど僕も看護ではなく、教育の実習生を送り出す身。実習生の成長のために少しはお役にたててうれしい。

いざ手術室まで運ばれ(天井をずっと眺めながら、今どこを通ったか、手術室の中はこんなふうになっているのかなど、わくわくどきどき?)手術用のベッドに移され、半身麻酔。だから意識はある。

いよいよ手術開始。麻酔の効きはよく、痛くはない。見ればモニターに僕の膀胱の中が映る。手術の様子もおぼろげながらわかる。医師の先生の腕は確か。しばらくして「尿道にも小さいのができていますよ」と医師の声。見たくないなあ、だけどめったに見ることのできぬ画像だ、見てみようか。だけど見たくないなあ、そんなこと思いながらモニターを眺めれば、確かに何かの気配。ははーん、これか。僕のおしっこの出を著しく悪化させていたのは、と一種の感慨?が。見たくないなあと思いつつも、つい見てしまう。

「はい、終わりましたよ」の先生の声に、少し緊張がゆるんだような。

前回の手術に比して、手術の困難さ、手術に要する時間など五分の一程度とおばちゃんから聞いてはいた。切開せずにすんだこと、また全身麻酔と半身麻酔の相違もあり、身体へのダメージは大幅に少なくすんだようだ。だけど、麻酔が切れたその夜は、背腰部が鈍痛。少し発熱。氷枕、座薬を入れてもらってじっと一晩をしのぐ。

つらいのは尿道カテーテルと点滴の管をつけたままの生活にしばらくはなること。尿道カテーテルは不快ではあるけれど、これまで頻尿のためしばしばトイレにいっていたのがなくなり、皮肉にも楽になった側面もあった。

 

入院−3

翌二六日は、二本の管を差し込まれたまま、じっとひたすら傷が癒え体力の回復するのを耐えて待つ、そんな一日だった。畏友、林親男の二冊の歌集をあまり寝返りのできない体で何度も反芻していた。

 

癒されてこの世に今あるわがいのちただしみじみと山路分けゆく 『歌集 花も小鳥も』

 

病床に眠れぬ夜は長きかな明けざる夜のなしと知れども     『歌集 風そよぐ』     

 

入院にあたり持ち込んだ本や文献はそんなに多くない。山本萠のエッセイ『沈黙の・・・深い声』(産心社)、唐木順三『良寛』(ちくま文庫)、小野沢実『山頭火とともに』(ちくま文庫)、友人たちの励ましの文・葉書。すこしずつ回復するにつれて、これらを読みふけっていった(入院中、テレビは一切見ない日々。だから時間がゆっくり流れていたような)。

山行き同人の都津茶女からは入院にあたりありがたいことにこんな歌をいただいていた。

 

秋深き峰の落ち葉の一葉にも友の病の回復祈る

 

二七日。同人らの鈴鹿御池岳吟行の日。朝六時半頃から管をつけたままロビーにでて日の出を鑑賞す。前回の入院は五月上旬、お日様はかなり北の方から登場していた。だけど一一月下旬、あれから半年だ。今は十六病棟ロビーからは残念ながら日の出は見えぬ。ゆえに二六病棟ロビーまで出張して鑑賞していた。

劇的に変化を遂げていく夜明け直前の東の空。雲に夜明け前の太陽が反映しつつ刻々と色が変わっていく。まさに一瞬、太陽光が音もなく地球上のこの地点、他ならぬ僕まで届く。この不思議さ。二〇〇五年一一月二七日のお日様。この光を忘れないでおこうとじっと心にやきつける。

朝食を心込めいただきながら、もうすぐ集合時間だなあ、いいなあ、僕も登りたいなあ、だけど僕はゆっくりと養生することが課題なのだから我慢我慢と思う。この日は何をやっていても、今頃吟行ご一行はどの辺かなあ、どんなコースで歩いているのかなあ。お昼ご飯時には、どこでみんな食べているかなあ、晩秋の落葉の風情の中、友らの笑い声まで聞こえていたような。だから僕はこの日、病院のベッドやロビーにいながら、精神的には吟行に同行していた。

うれしかったことは、術後二日目のこの日の午前、経過が順調で尿道カテーテルも点滴もなくなり、二本の管から解放され晴れて自由の身となれたことだった。これで移動がぐっと楽になり、身軽になれた。

しかし、何事もそんなに順調にはすすまない。尿道カテーテルがとれた直後、立ち上がったら量は多くはなかったが、失禁。幸い床までは漏れずT字帯※を濡らすだけの量だったけど。これはショックだった。尿道の一部も削ったから、排尿がうまくコントロールできぬ可能性があるとは先生から聞いていた。だから承知はしていたけれど、いざそうなってみると、おたおたしてしまった。これからはおしめしながら講義かも(敬愛してやまぬ学の先輩 高垣忠一郎『癌を抱えてガンガーへ』三学出版 を思い浮かべる)ーそんなことも一瞬よぎる。これ以上、下着やベッドを汚したくなかったのでおしめを装着。コントロールできるか否か、しばらく様子をみることにする(だから厳密にいえばーべつに言わなくていいのかもしれないが、吟行にはおしめをしながら精神的に同行していたことになる。人生、なかなかドラマチックなことよ)。

 

※ 御池岳峰より落つる丁字尾根恋ぞつもりてぶなとなりぬる   御池杣人

 

T字帯という名から、御池岳T字尾根を思い起こす。知らなかったが、こんなところにも「T字」は使われていて、今も現役の用語だ。T字尾根という名は不評であり(洞吹氏)、丁字尾根という名がいいか。いや、T字帯は大切な下着だ、おろそかにしてはならぬ。だからT字尾根じゃという見解もあろう。だけどあの美しい尾根の名にふさわしいか。やはり丁字尾根という名がいいか、同人諸氏のご意見を。

 

水分をたくさんとって、排尿を促す。

最初の排尿は緊張した。なんとかコントロールできそうか。確かめる。できそうだ。何度か排尿時に細心の注意を払いながら漏れのないことを確かめる。心底、ほっとする。

緊張がほどけると、今度は尿の勢いに感動する。ここしばらくの日々は頻尿と排尿困難のため苦労してきた。たかがおしっこかもしれぬ。しかし、それが気持ちよく出ることのありがたさ。まだ少し尿道が痛むけれど、だんだんと尿に血が混じらなくなり、きれいな色になっていく。これもうれしい、

 

入院−4

朝、昼、夜の病院食は豪華メニューではないけれどおいしい。萠さんから入院前に送ってもらった本には「よく噛んで食べること」の大切さが力説してあった。「はやめしはやぐそ芸のうち」と数十年にわたってやってきた身には示唆的だった。これを新たに改善して胃腸薬を常用せずに、それどころか一切飲まぬようにして、ひたすら三十〜五十回は噛むことを決めて以来、短い期間だが実践してきた。その延長線上だけど、病院食もよく噛めばおいしいこと。キャベツはキャベツの味がするんだ、とあらためて気づく。

とすると、今までの食生活において、僕はずいぶん乱暴に(暴飲暴食ではないけれど、早食いという点で)食べてきたんだと、キャベツをゆっくり噛みながら反芻する。よく噛む構えでおれば、自然と「いただきます」「ご馳走様でした」と手を合わせることになる。さらに言えば、人生をも噛みしめることにもつながらないだろうか。山行きも、何度でも丁寧に噛みしめながら(踏みしめながら)歩くことにつながっていくかも。

 

今回の入院においても、医師の医療に対する信頼はもちろんのことだが、加えて看護婦(師)さんたちの笑顔、明るさ、丁寧なケアーにどれだけ救われてきたことか。「コンド―さーん、ご気分はいかがですかー」の声、立ち居振る舞いにも。三交代勤務、深夜も黙々と業務に励んでいる姿に、きちんと療養しなくちゃ罰が当たりそうとも素直に思った。

 

体が楽になるにつれ、気が向けば病室にはおらず、もっぱらロビーへ。そこでぼんやり名古屋南部の街、新幹線などぼーと眺めたり、読書をしていた。疲れればベッドで休む、そんな生活。良寛、山頭火を読みふけった。

良寛の「騰々任天真」(ぼんやりとして、あるがままの天然自然の真理に、自分を任せきっているー吉野秀雄訳)を、せめて外面だけでもまねしてみようと。ばたばたしない。大きなものに委ねながら、ゆったりと足を伸ばした生活を送ろうと。

唐木順三の解説は難解だけれども、たとえばこんな一節がある。

 

      ・・花も鳥も月も雪も、おのおのその性を十分に発揮して、みずからがおのずからなるものとして自若として存在し、また働いている。それが騰々天真の世界である・・・と。

 

唐木に触発され考える。そうか。キャベツはキャベツそのものの、あるがままの、おのずからのもの。こんなことも、キャベツを何度も噛みしめながら新たに気づけたことだった。キャベツをよく噛むということは、キャベツそのもののおのずからなる面目を味わうという高度なことなのだと。早食いは表面をなでるにすぎないということも。

こう見るならば、山行きとは、木々の、花の、風の、道の、落葉の・・・それぞれの面目をたっぷりと全身で味わうことだ。ちんたら行きは、この意味においてきわめて価値ある山行きスタイルとなる(妙女殿、自信をもって最後尾ちんたら歩きを居直ろう)。

今、世にはびこっている効率の一面的強調、無駄の排除、自己責任の一面的強調による人々をばらばらにしていく巨大な動きは、進歩でも何でもない。それこそ浅薄な非人間的文化そのものといわねばならぬ。

こうして良寛さんとキャベツをよく噛んで食べることが結びつくとは。この気づきはうれしい気づきだった。

山頭火の放浪人生はハチャメチャ的側面を有しながら、しかし、彼の句を何度も味わえば、丁寧な歩きの日々であり、その日々が生み出した作品群であったことをうかがわせる。

 

例えばキャベツ(食べ物)との関係で次の三つの句をあげておこう。

 

あたたかい白い飯がある

いただいて足りて一人の箸をおく

飯のうまさが青い青い空

 

山本萠の新著『沈黙の・・・深い声』(産心社)もこの世界に通じている。「車に乗らず、テレビ、ケイタイ、パソコンなど持たず、地に低く生きることを信条とする」萠。「地に低く生きる」という人生への構え。それを僕みたいな表面上の真似ではなく深く生活に貫いている見事さ。

 

 

退院

これで一〇〇%再発はないということではない。まだ同一器官内での発腫(他器官へ散っていない)ゆえ、打つ手はあるとのこと。ただしこれまでのデータによれば、膀胱内にまたできる可能性は四〇〜五〇%という。だから、これで闘いは終わったかもしれぬし、まだまだ続くかもしれぬ。残念ながらその可能性は高いと、そんな心づもりをしかと己に言い聞かせておこう。しかし、ばたばたしても始まらぬ。負けないという意思を絶えず持って、爪揉み療法をこつこつしながら、バランスよくおいしい新鮮な食材をよく噛んでいただく。よく歩き、ゆっくりと、しかし着実にちんたらと前進していきたい。良寛の「騰々任天真」を学びながら。

 

退院すれば、山の仲間からのうれしいエール、かわいい教え子たちのうれしいエール。

それらに励まされ、丁寧な日々を創造していきたいとあらためておもう。

時は晩秋、僕の街も落葉盛ん。

石垣りんの詩の一節は、ありがたくも今の僕の思いそのもの。お世話になったかたがたへ、心からの感謝の想いをこめて結びに引用したい。

 

ああ生きていた、と一息深く吸って

それから連日、秋は晴れ渡って続きました。

 

遠くにみえる樹木の葉が散る、

その気配よりたしかに

 

私の枕もとに優しい木のように立つ数多くの友は

手をのべてたくさんなものをふりそそぎました。

 

私の肉はゆたかに

私の心は肥えるでしょう

大地のように、私自身の空を満たすでしょう

惜しみなく私に与えられる好意と友情が

ふりそそぎ降り積もる、秋です。

 

 

                              二〇〇五・一二.三