天  狗

 鈴鹿には天狗の名が付く所がいくつかある。そのどれもが私のお気に入りの場所である。井上円了「天狗論」より

 藤原岳天狗岩(1171m)。見下ろしても見上げても絵になる場所である。いくら私が鈴鹿が好きだと言って、やはり北アルプスの登山口から屹立する岩の鎧を見上げるときは、格別に胸が高鳴る。茶屋川から見上げる天狗岩はそれに似たエクスタシーを惹起させる。たかだか1,000mクラスのピークではあるが、実にアルペン的に見える。

 奥美濃三周ヶ岳の夜叉壁を見上げたときも同じだった。ここも鈴鹿と標高は変わらないが、まさにアルプスを彷彿とさせる神々しさだった。

 まあ3000m級の山といえども、登山口自体の標高が高いので、落差としては鈴鹿と圧倒的大差があるわけではない。アルペン的爽快さのキーワードは、切り立っていることと、上部が岩であることだろう。

 高所にある岩に人は畏敬の念を抱く。高所の岩は動かずとも莫大な位置エネルギーを内包している。察するにそのエネルギーが何らかの形で伝わって、人の心理に影響を及ぼすのではないだろうか。

 藤原岳天狗岩は、その上から眼下を眺望するにも最適な場所である。昔、手塚治虫の「ジャングル大帝」という漫画があった。雄大な主題歌と共にレオが岸壁の上からジャングルを見下ろす場面がある。天狗岩から茶屋川源流域を見渡すとき、私はそのシーンを思い出す。

 国見岳にも天狗岩がある。こちらはピークではなく、国見尾根上にある岩のオブジェであり、御在所岳中道からよく見える。エジプトのスフィンクスを思わせる造形で、まさに奇岩である。国見尾根へ行ってよじ登ってみると、足元がスースーする。この辺りは藤内壁の全貌が眺められて、絶景かな・・である。ゆるぎ岩もあって、国見尾根もやはり私のお気に入りの場所である。

 そして天狗堂(988m)。なんで堂なのかということ自体不思議な山である。骨董屋か古本屋みたいな名前である。ずんぐり型の多い鈴鹿の山の中にあって、その秀麗な三角錐は、何処から見てもそれと分かる。巨大な御池岳の展望台としても抜群の位置にある。山頂の岩に乗ると、ちょっと近すぎるかなと言うくらいよく見える。雪化粧した御池岳をここから撮影してみたいが、冬季は君ヶ畑までのアプローチが難儀である。

 こうしてみると、天狗と言う名は眺望の良い岩の上に付く事が分かる。ボタンブチにある天狗の鼻は誰が名付けたのだろう。「山と渓谷」誌10月号によれば、全国の天狗に関する地名は修験道と密接に関係するということだが、こと鈴鹿に限れば単に眺望の良い岩でよいと思われる。しかし、山岳宗教と全く関係ないという証拠も無い。その他、本峰を隠す山、ガスが出て迷いやすい地形にも付けられる事があるらしい。また山中で起きる説明のつかない怪現象も天狗の仕業とされる。そういえば神崎川に天狗滝があるが、名前の由来は不詳。あの大きな滝壷は釣りの手に余る。

 全国的に有名なのは北八ツの天狗岳(2646m)。ここも眺望抜群らしいが、2000年2月に登ったときは吹雪で何も見ることができなかった。

 槍ヶ岳北鎌尾根に天狗の腰掛け(2749m)と言う所がある。恐ろしくて行ったことは無いが、空を飛んできた天狗がおもわず一休みしたくなるような場所に違いない。