妙 女
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久し振り 喜びよりも 緊張感 群れから離れず ビリをゆく
ここは何処? 聞くも恥ずかしプロ軍団 鈴鹿の笹原 迷い道
アンパンマン いつの間にやら 皆勤賞 友を残して ゆく山寂し
今回御池杣人氏の欠席で、一番の被害者は作者であったかも知れぬ。最後尾チンタラ歩きのコンビが不在である心細さが第一首に表現されている。でも久しぶりの人々と顔合わせする喜びもチョッピリあったに違いない。
第二首 いまさら聞けない・・・でも知りたい。こういう事は日常でもよくある。聞くは一時の恥、聞かぬは何とかと言うが、分からんことは恥でも何でもないので堂々と聞きましょう。プロ軍団と言う言葉が面白い。プロとはそれで飯を食っている人だ。御池岳で何回昼飯を食ったかが、その人のプロ度だろうか。え、意味が違う?
第三首、アンパンマンの意味が分かる人はおられるだろうか。管理人にもサッパリ分からなかったが、作者によれば皆勤賞の枕詞だそうである・・・??? そこまで聞いても分からないが、深くは追求すまい。人にはそれぞれの感性があるのだ。意味は不明でもミルキーあんぱん吟行だからいいのである。「友を残して」は当然御池杣人氏のことだろうが、氏の入院記によれば陰ながら同行していたようである。しかしまさか、おしめをして同行していたとは誰も気が付かなかったに違いない。
全作品の総括としてミルキーあんぱんに御池杣人氏は必要欠くべかざるものであることが分かる。氏のいない吟行はクリープのないコーヒーのようなものだ。しかし別にクリープがなくてもコーヒーは飲めるな。この例えはよくない。紙のないトイレはどうだ。でもウォシュレットと温風乾燥があるか・・・。しからばエンジンのない車のようなものとしておこう。
葉里麻呂
1 「山行きとは、木々の、花の、風の、道の、落ち葉の・・・それぞれそのものの、おのずからなる面目をたっぷりと全身で味わうことだ。ちんたら行きは、その意味においてきわめて価値ある山行きスタイルとなる」(「再び入院・手術の記」)
妙女様。自信をもって最後尾ちんたら歩きをしようぜ。
普段の団体山行きでは、遅れないことは安全上、鉄則。しかしミルキーあんぱんは吟行なり。計国太夫氏や破地輪駆氏らがズンズンドンドンとどこへ進もうが、放っておけばよろし。山に包まれることをとことん味わう最後尾ちんたら歩きの楽しさ。また楽しみましょう。
「群れから離れず」というところと、その中にあって「ビリをゆく」という歩き方が絶妙でおかしみをさそう。
2 何でも知っているように見えるメンバーでも「言うも恥ずかし」「書くも恥ずかし」の珍山行きは少なくないはず。ただ「言わないだけ」「書かないだけ」。
僕も昨年だったか、濃霧の奥の平を一周したつもり(磁石なし、ここはどこ? 私はだれ? の状態で)が、気づけばなんとボタンブチ周辺をぐるぐる回っていただけ(あれー!なんでー?)。あのときはだれも見ている人などいないのに、ひとり笹原に赤面していた。ああ、恥ずかしかった。恥ずかし特集をやれば自慢?したい人、多いんじゃないかなあ。
3 葉里麻呂と同じく余も「アンパンマン」が不明。しかし「意味が不明でもミルキーあんぱん吟行だからいいのである」。「おしめしながらの精神的同行」―そんなことも今後もっとありうる。齢を重ねていけば必然かも。とすれば、なんと「山と人生」はドラマチックなことよ。
妙女殿の地元での「境川自然探査会」の地道なる歩き。コツコツ蓄積していけば必ず開花する。楽しみ。
御池杣人