2011年10月16日
礼拝メッセージ


「世界の初めの歴史(24)」
−諸国の民が−
  聖書
創世記10章1〜32節

10:1 これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。
10:2 ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。
10:3 ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。
10:4 ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。
10:5 これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。
10:6 ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。
10:7 クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。
10:8 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
10:9 彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。
10:10 彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。
10:11 その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、
10:12 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
10:13 ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、
10:14 パテロス人、カスルヒム人――これからペリシテ人が出た――、カフトル人を生んだ。
10:15 カナンは長子シドン、ヘテ、
10:16 エブス人、エモリ人、ギルガシ人、
10:17 ヒビ人、アルキ人、シニ人、
10:18 アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。
10:19 それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。
10:20 以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。
10:21 セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。
10:22 セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。
10:23 アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。
10:24 アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。
10:25 エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。
10:26 ヨクタンは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、
10:27 ハドラム、ウザル、ディクラ、
10:28 オバル、アビマエル、シェバ、
10:29 オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。
10:30 彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。
10:31 以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。
10:32 以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった。


  メッセージ
 今世界中にはどれぐらいの民族がいるのか、皆さまはご存知でしょうか。国の数200に対して民族の数はおよそ2000。数え方によっては4000とも言われています。世界で最も民族の多い国、お隣の中国には、何と56もの民族が存在していました。
 同じ民族ということで共感し合ったり、逆にそれが異なるというだけで反発し合ったりする。ひとつの国としてまとまったかと思うと、また分かれたりもする。本当に民族とは不思議なもの、難しいものです。ちなみに日本人は人類学的にはモンゴロイド、日本人という意識が生まれ始めたのは、大和朝廷の時代、紀元4世紀辺りからと考えられています。
 こうした今日ある多種多様な民族の源を示す一覧表が実は聖書の中にあったということ、そんな古代の民族表が今日の創世記第10章となっています。
 実はこの表、今をさかのぼること四千年も昔のもので、それ程昔にこれだけの数の民族や地名を列挙した表は世界中のどこにもなく、文化史においてとても貴重な記録なのだそうです。ですから、私たちここで改めて確認したいのは、聖書は神話でも、昔々のおとぎ話でもなく、歴史的事実の記録、実際に起こった出来事に基づいて書かれた神のことばである、ということです。
 さて、まるまる一年間も地上を覆った大洪水、神の審判の大洪水が終わって、新しい世界の出発を担ったのはノアとその家族でした。そのノア一家は何人だったのか。ノアと三人の息子とその奥さんたち、僅か八人でした。
 洪水後の世界の人口はたったの八人。しかも、一年間大洪水の中を漂流し、疲れ切っている上、大洪水によって環境は悪化。土地は痩せ、栄養は不足し、天候は不順、そんな厳しい状況のなか、人類は果たしてもう一度発展してゆけるのか。そんな心配がわいてくるところです。
 しかし、大丈夫、心配する必要なしでした。「わたしは二度と洪水によって地上を滅ぼすことはしない」と約束されたとおり、神の守り、神の祝福が人類に注がれたのです。

 10:1「これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。」

 「彼らに子どもが生まれた。」厳しい環境になっても、子を生みだす能力は衰えることがないよう、神がこれを守ってくださり、セムもハムもヤペテも、次々と子孫を生み出したのです。神の恵みのもと、再び人類は全地に広がることができました。
 先ず最初は、長男ヤペテからでた子孫、民族の名前です。

 10:2〜5「ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった。」

 ヤペテの子孫たちは、今のパレスチナから見て、北の方角に進んで行きました。ゴメルはアリアン族、マゴグ、マダイはペルシャ人、ヤワンはギリシャ人、アシュケナズはスラブ系の民族、タルシシュはスペイン系民族のことでした。
 勿論、今だ分からない民族名もありますが、どうも彼らは北に進み、海をも越え、アジア、ギリシャ、さらにその向こう側と最も遠い地に広がり、現在ヨーロッパ、アジア大陸に住む民族の祖となったようです。
 次に、ハムの子孫です。

 10:6〜20「ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナン。クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。ラマの子孫はシェバ、デダン。
 クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。
 ミツライムはルデ人、アナミム人、レハビム人、ナフトヒム人、パテロス人、カスルヒム人――これからペリシテ人が出た――、カフトル人を生んだ。
 カナンは長子シドン、ヘテ、エブス人、エモリ人、ギルガシ人、ヒビ人、アルキ人、シニ人、アルワデ人、ツェマリ人、ハマテ人を生んだ。その後、カナン人の諸氏族が分かれ出た。それでカナン人の領土は、シドンからゲラルに向かってガザに至り、ソドム、ゴモラ、アデマ、ツェボイムに向かってレシャにまで及んだ。
 以上が、その氏族、その国語ごとに、その地方、その国により示したハムの子孫である。」

 ハムの子孫たちは地図で言えば下、つまり南側に広がり、増えてゆきました。
 6節のクシュはエチオピア人で、プテとはシリヤ人のこと、13節のミツライムはエジプト人、15節のカナンは聖書にも数多く登場するパレスチナの原住民です。彼らは中近東、アラビア半島、そしてアフリカ大陸方面に広がっていったことが分ります。
 そして、最後は最も重要な役割を担わされるセムの子孫となります。

 10:21〜31「セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、ヤペテの兄であった。セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。
 アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。エベルにはふたりの男の子が生まれ、ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。もうひとりの兄弟の名はヨクタンであった。
 ヨクタンはアルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。これらはみな、ヨクタンの子孫であった。彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった。以上は、それぞれ氏族、国語、地方、国ごとに示したセムの子孫である。」

 セムから出た民族は、中近東地方に置かれ、そこで養われました。21節のエベルとはヘブル人のことで、この中から、後に主なる神の宗教とそのことばを受け継ぐイスラエル民族、旧約聖書の主人公が出てくることになります。
 こうして見ると、洪水後の新世界のスタートは、ノアの一家八人という心細いものであったのに、「生めよ、増えよ、地に満ちよ」という神の祝福は事実となり、現実となって、人類は大いに広がったことが分ります。
 北はヨーロッパ、南はアフリカ、西はスペイン、東はアジア。それこそ、東西南北あらゆる方角に、野にも山にも人類は足を伸ばし、そこに住んだのです。あの大洪水で覆われた世界は、瞬く内に、様々な民族によって覆われるに至りました。

 使徒17:36「神は、ひとりの人からすべての人々を造りだして、地の全面に住まわせ、それぞれに定められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」

 世界人口八人から60億人以上。今、全地に人は満ち、民族は広がることを得ました。しかし、この人類の再生産、再発展は神の恵みでしょう。あれほど神に愛されながら、神を離れ、堕落した人間たち。大洪水の審判を下されたほど、地上を暴虐で満たしてしまった人間たち。
 しかし、人が皆罪人となっても、なお見捨てず、いつくしみ、人間との交わりを切に願う神の愛の熱心があったからこそ、世界中に民族とその歴史があり、今私たちもここに人間として、またそれぞれの民族に属する者として生かされている。この神の尊い愛を、一見無味乾燥な、民族名や地名のならぶ古代の民族表の中に、私たち見出し、喜び、感謝したいのです。
 さて、今日の創世記第十章に記された民族表から、私たちふたつのメッセージを心に刻みたく思います。
 ひとつは、世界に広がる諸民族は、すべて神に祝福され、等しく愛されているということです。
 昔から、人間はお互いの民族の優劣を争ってきました。自分たちこそ優れた民、しかし、他は劣っている。自分たちこそ世界の中心たる民族、他は従うべし。こうした根拠のない、愚かな考え方に立って、民族対立、紛争が絶えませんでした。
 しかし、聖書によれば、人類は皆ひとりの人アダムから出、洪水後はノアの一家から出ています。民族対立や争いは、いわば同じ家族の中の兄弟喧嘩に等しいものなのです。
 勿論、現実の問題を解決することは簡単ではありません。民族と民族とを隔てる壁は高く、その溝を埋めることは容易ではないでしょう。けれども、聖書を知り、古代民族表を持つ私たちは、神さまの視点に立って、世界の民族を見たいと思うのです。
 ユダヤ人が「我が民こそ神の民、異邦人は汚れている。」という選民思想に固まっていた時代、イエス・キリストはこう言われました。

 マタイ5:43〜45「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのをあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。」

 北の氷の地に住む民にも、南の砂漠にある民にも、また山にある民にも、海の島々にある民にも、天の父なる神は等しく太陽を上らせ、これをいつくしんでおられる。肌の色、言語、宗教、文化が異なっても、天の父の御眼にはどの民族も等しく尊く注がれ、雨の恵みで満たしてくださる。
 天の父の子どもとされた私たちが、天の父と同じ眼で世界を見、民族を見、人を見てゆくこと。こんな生き方が実践できたらと思わされます。
 ふたつ目は、罪人となった人間を救わんとする神のご熱心を覚えることです。
 よく見ますと、今日の民族表には、すでに罪人たる人間の姿が現れていました。先ず、19節に「カナン人の領土」とあるなかのソドムとゴモラ。このふたつの町はやがて悪徳の町として有名になり、神の下した火によって滅ぼされることになります。
 また、25節にある、エベル(ヘブル)のふたりの男の子のうちペレグの時代のこと、「地が分けられた」とありますが、これが有名なバベルの塔事件をさすことは、次の第11章で読むことになります。つまり、人間の神に対する高慢、高ぶりの罪と、それに伴う民族間の争いのゆえに、神が地を分け、民族を分割したのです。
 さらに、8〜12節に登場するニムロデという人の印象は強烈でした。

 10:8〜12「クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。彼は主のおかげで、力ある猟師になったので、「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ。」と言われるようになった。彼の王国の初めは、バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、 およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった。」

 力ある猟師、王国の王、次々に町を立て、これを治めてゆく支配者、権力者。これがニムロデです。ニムロデは「主のおかげで力ある猟師になった」とあるとおり、主のおかげで有能な猟師となり、人々を率い、力を得、王になりました。
 しかし、やがて主を忘れ、自分を神とし、高ぶったのでしょう。ニムロデとは「反逆者」「我反逆せり」という意味でした。最初は獣に向けて用いていた武器を、やがて人に向け、服従させ、権力を握っていったと考えられます。
 ソドムとゴモラの悪徳、特に性的腐敗。エベルの時代の、神に対する驕り高ぶり。そして、ニムロデにあらわれた、人を自分の意のままに従わせようとする支配欲。大洪水の審判にも関わらず、人間の罪は未だ解決してはいませんでした。それどころか、人が増えれば、罪も広がると言う有様は、洪水前も後も全く変わらなかったのです。
 ならば、そんな世界を、そんな罪人の人間を、神はどうしようというのか。「やっぱりだめか。人は救いがたい。」とあきらめ、世界を見捨てたのか。もしそうされたとしても、それが当然のことと思われますのに、何と神は初めの約束のように、この世界に救い主を送られるのです。
 そのために守られたのがセム族でした。21節以降に出てくるセム族は、人を罪から救い、世界を本当に回復する救い主が人として来たりたもうという神の約束、福音を与えられ、これを証ししてゆく人々となったのです。このセム族から、やがてイスラエル民族があらわれ、イエス・キリストの登場、到来を指し示すことになります。
 以上、人間は確かに神のおかげで洪水の後再出発し、再発展することが出来た。しかし、人間は性懲りもなく再び神を忘れ、驕り高ぶり、悪徳と欲とに落ちてしまった。
 本当の意味での世界の回復、人間の回復のためには、神が人間のどん底まで下り、その罪を背負って、贖いの死を遂げる必要があり、神はそれを本当に実現してくださる。創世記10章の民族表は、この世界と人間にとって、いかにこの救い主が必要であるかを教えるものと、私たち受けとめたいと思います。今日の聖句です。

 ヨハネ3:16「神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりして滅びることなく、永遠のいのちをもつためである。」


四日市キリスト教会 山崎俊彦牧師