2011年7月3日
礼拝メッセージ


「世界の初めの歴史(17)」
−ノア、箱舟を作る−
  聖書
創世記6章9〜22節

6:9 これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。
6:10 ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。
6:11 地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。
6:12 神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。
6:13 そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。
6:14 あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。
6:15 それを次のようにして造りなさい。箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。
6:16 箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
6:17 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。
6:18 しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。
6:19 またすべての生き物、すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。
6:20 また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはうものすべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。
6:21 あなたは、食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。」
6:22 ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。


  メッセージ
 先回私たちが見たのは、創世記第四章の前半です。そこに描かれたのは、堕落に堕落を重ねる人間世界の有様でした。男は正義よりも力を求め、女は純潔よりも見た目の美しさを競う。ついに信仰の一族セツの子孫たちも、時代の流れに逆らえず、神を畏れる生き方を捨て始めた。
 最初創造された時、神さまの目に「非常に良い」と映っていた世界は汚れ果てたのです。しかし、そんな中、ひとり敢然と神信仰に立ち、敬虔に生きる志を貫こうとする人物がいました。それがノア。義人と称される、聖書中屈指の信仰の人、巨人です。

 6:8「しかし、ノアは、主の心にかなっていた。」

 泥の中から美しい花を咲かせることで有名なのが蓮です。男も女もこぞって神信仰を捨て、不義で泥まみれの世にあって、ひとり主の心にかなう生き方を大切にしたノアの姿。それはまさに泥の中に咲く蓮の花だったでしょう。
 そのみごとな人生を、創世記はこう記しました。

 6:9〜11「これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。ノアは三人の息子、セム、ハム、ヤペテを生んだ。地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。」

 「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた。」欲望、欺き、不法、略奪、暴力。それらが一部ではなく、地上全体に満ちた。時代の暗い流れが、眼に浮かびます。
 そんな時代にあっても、自分は神のみ前にあると言う自覚を捨てず、神のみ心にかなった生き方をなさんと願い、神とともに歩む人ノア。悪が栄え、善は廃れ、神信仰はないがしろにされた時代。義人ノアの心はどれ程痛んでいたことでしょう。
 しかし、ノアよりも心痛めておられたのは神さま。人間のためこの豊かな世界を創造した神、人間を特別に愛して、ご自身のかたちにこれを創造した神ご自身でした。

 6:12「神が地をご覧になると、実に、それは、堕落していた。すべての肉なるものが、地上でその道を乱していたからである。」

 「肉」とは、人間を指します。神さまが地上をご覧になった時、それは堕落していた。すなわち、最愛の人間たちがみなその道を乱していた。悔い改めようとか、神に立ち帰ろうという、そんな回復の兆は全く見えなかったというのです。
 「人間は皆、あるべき所から落ちてしまった。」というのは、パスカルと言う人のことばです。しかし、この時代の酷さは、人という人が、あるべき所から堕ちていたというだけでなく、あるべき所から落ちてしまっていることに、人々は気がつかなかったということでしょう。
 自分は救われるべき存在と気がついていれば、まだ救いようがありますが、気がついていないとなると、始末に悪い。手の施しようがないということになります。
 イエス様は、ある時ノアの時代について、こう言われました。

 ルカ17:26,27「人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。」

 神について、罪について考える事もない。ただ日々己が楽しみのまま生活する人々。食欲、性欲、物欲だけで生きる人々の姿。これが何と今の時代にも通じていることか、と思わされます。
 さて、このままでは如何ともしがたい、とお考えになった神は、ついに大洪水を起こして地を滅ぼすという大英断を下すに至りました。

 6:13「そこで、神はノアに仰せられた。「すべての肉なるものの終わりが、わたしの前に来ている。地は、彼らのゆえに、暴虐で満ちているからだ。それで今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。」

 「今わたしは、彼らを地とともに滅ぼそうとしている。」こんな事をノアに告げねばならなかった神さまのお心は、いかに残念無念、いかに張り裂けんばかりの悲しみを感じてていたことでしょうか。
 何故なら、この世界は神ご自身が知恵と愛とを傾けて、人間のため創造した世界、大切に守ってこられた世界でした。それを自ら手を下して滅ぼさねばならないとは、どれ程辛い決断であったことか、と思わされます。
 人間は、いとも簡単に神を批判します。神が地を滅ぼすとは何とひどいことか、と批判します。しかし、当然の如く批判を口にする前に、私たち考えなければならないことがあるでしょう。
 それは、神が地上をさばかねばならない状態、それ程酷い状態にしてしまった責任は一体誰にあるのか、ということです。創世記六章が語るとおり、それは人間の罪の故でした。最善を尽くしてこの世界を創造した神を責める前に、多くの恵みを受けながら、神に背いた自分、神の賜物を悪用、乱用してきた自分の生き様を悔い改める。そんな心の姿勢をもつことの大切さを、この箇所から教えられたいのです。
 しかも、です。「わたしは、人間を地とともに滅ぼす。」と宣言された神が、文字通り人間と世界とを全滅させたのかと言うと、さにあらずでした。
 むしろ、神は人間の中を捜しに捜して、たったひとりの義人ノアに眼をとめました。そして、ノアとその一家、ノアファミリーを一粒の種として大切に守り育て、彼らからもう一度人類全体に救いを広めようと計画されていたのです。
 信じられないほど大きく、深い人類への愛です。たったひとりでも信仰の人がいたら、その人を用いて人間たちを救い、祝福したいという驚くべき神の恵みです。
 神さまにとっては、ノアの大洪水も、決して人類と地上とを全滅するためのさばきではなく、むしろ人類を救わんがための大手術であり、大掃除なのでした。目的はどこまでも、全滅ではなく救い、呪いではなく祝福。この事を忘れてはならないでしょう。
 こうして、いよいよノアに箱舟を作るよう、命令が出されます。

 6:14〜18「あなたは自分のために、ゴフェルの木の箱舟を造りなさい。箱舟に部屋を作り、内と外とを木のやにで塗りなさい。それを次のようにして造りなさい。
 箱舟の長さは三百キュビト。その幅は五十キュビト。その高さは三十キュビト。箱舟に天窓を作り、上部から一キュビト以内にそれを仕上げなさい。また、箱舟の戸口をその側面に設け、一階と二階と三階にそれを作りなさい。
 わたしは今、いのちの息あるすべての肉なるものを、天の下から滅ぼすために、地上の大水、大洪水を起こそうとしている。地上のすべてのものは死に絶えなければならない。しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう。あなたは、あなたの息子たち、あなたの妻、それにあなたの息子たちの妻といっしょに箱舟にはいりなさい。」

 ノアが命じられたのは、巨大で、細長い箱型の船を造る事でした。一般的に、一キュビトは人間の手のひじから指の先までの長さで、約50センチとされます。だとすれば、長さ三百キュビトは150m、幅五十キュビトは25m、高さ三十キュビトは15m。
 これを地上に立てれば、高さは東京タワーのおよそ半分。現代の最高技術を持って建造する巨大タンカーのおよそ半分の大きさ。軍艦で云えば巡洋艦並みだそうです。ノアの時代にあっては、途轍もない大きさの船、巨大な箱舟だったでしょう。
 しかも、それを海辺でも、大きな川の側でもなく、山の中で作らねばならないという奇妙さ。神による大洪水が起こると信じなければ、無用の長物どころか全くの邪魔物、障害物でした。ノアの話を聞いた人々は間違いなく、「何と馬鹿馬鹿しいことを」と呆れ果て、あざ笑ったことでしょう。
 また、神の命令がノア五百歳の時とすれば、大洪水はノア六百歳の時ですから、箱舟建造は何と百年の長きに渡ったことになります。その間、どれ程ノアは労力と費用とをかけねばならなかったことでしょう。
 ゴフェルと呼ばれる材木の切り出し、その輸送、製材に組み合わせ。来る日も来る日も、ノアとその家族はこうした困難な仕事にかかりきり。貴重な貴重な人生の百年間を、これに費やさねばなりませんでした。
 そして費用。何しろ途方もない大きさですから、恐らく、ノア家の財産すべてを傾けねば完成等覚束なかったに違いありません。
 中でも、最も辛かったと思われるのが、誰にも自分たちのしていることの意味を理解も、共感もしてもらえない孤独です。「ノアときたら、ありもしない大洪水のために、何と無駄な労力と費用を使っていることか。骨折り損のくたびれもうけさ。」これが、世間一般の反応だったでしょう。親切な人でも「ノアさん、信仰も程ほどに、作るならもっと小さな物にしたら」という程度。心なき人は、「何という愚か者」と物笑いの種にしたはずです。
 しかし、それにしても何故箱舟はこれほど巨大だったのか。ノアとその家族のためというのなら、不必要な広さでした。それに対する聖書の答えは、神さまには鳥や動物、それに這う物、昆虫類を、さらに彼らのための飼料、えさを収容するご計画があった、と言うのですから、驚いてしまいます。

 6:19〜22「またすべての生き物すべての肉なるものの中から、それぞれ二匹ずつ箱舟に連れてはいり、あなたといっしょに生き残るようにしなさい。それらは、雄と雌でなければならない。また、各種類の鳥、各種類の動物、各種類の地をはう物すべてのうち、それぞれ二匹ずつが、生き残るために、あなたのところに来なければならない。あなたは食べられるあらゆる食糧を取って、自分のところに集め、あなたとそれらの動物の食物としなさい。ノアは、すべて神が命じられたとおりにし、そのように行なった。」

 神は人間だけを守り、保存されたのではない。あらゆる生き物を守り、保存された。神はご自身の作られたすべての生き物を愛しておられる。そんなメッセージがここから聞こえてきますし、聞くべきでしょう。
 箱舟の内部は三階建て、三層構造でした。これがどう区分されたものか。恐らく、一つはノアと家族の住居に家畜類の小屋、一つは哺乳動物、鳥類、蛇、昆虫等這う生き物たちの小屋、もう一つは人間と動物の食料庫として区分され、使用されたのでしょう。
 そして、箱舟の中で、膨大な量の餌運び、排泄物の掃除、運動等、動物園の職員よろしく、ノアたちは生き物たちのため日々仕えることを通して、神の生き物に対する愛と、自分たち人間の生き物に対する責任を学んだことでしょう。
 なお、魚や水中に生息する生き物が箱舟に収容されなかったのは、事が洪水ですから、彼らは収容の必要がなかったからと考えられています。
 さて、今日の箇所から、私たち覚えたいことが二つあります。
 ひとつは、何と言っても、ノアの信仰でした。特に六章最後の「ノアは、すべて神の命じられたとおりにし、そのように行った。」との一言が心に残ります。
 まだ見ぬ洪水とそこから救ってくださる神の恵みを信じ、全財産、全精力を傾けて、箱舟を作り続けたノア。人から何といわれようと、神とともに歩むことを第一としたノア。世間の流れがどうあろうと、神に喜ばれる道を歩むため全身全霊を注いだノア。
 「ノアは、すべて神の命じられたとおりにし…」の「すべて」という一語が印象的です。生活のある部分とか一部分では神に従った、と言うのでなく、すべての面において神に従い、幸いだったのがノアの生涯だったのです。
 教会での奉仕や交わり、地域における隣人との交際、職場での仕事、いずれにおいても、私たちは神に喜ばれる歩みを心がけているでしょうか。財産、金銭の管理、趣味を楽しむこと、それらにおいても、神に喜ばれる仕方で行動しているでしょうか。公の時間、家族との時間、ひとり過ごす時間。どんな時も、ともにおられる神さまを覚えて、過ごしているでしょうか。
 あの不敬虔な時代、神信仰全面否定の環境の中で、神に聞き、神を友として、事を為していったノアを、信仰の先人として、私たち後に続きたいと思うのです。
 ふたつめは、ノアの家族のことです。ノアが見事箱舟を完成できたのは、彼一人の力ではありませんでした。ノアには、影にあって、夫に従い、ともに歩む妻がいましたし、セム、ハム、ヤペテという三人の息子、それにそのお嫁さんたちがいました。
 妻と三人の息子とそのお嫁さんたち。同じ神信仰に生きるこれら家族が、いかにノアを支えたことでしょうか。世間の風を冷たく感じる時、自分の信仰が揺らぐ時、思わず弱音を吐きたくなる時、どれ程彼らの存在が、家族との交わりが、ノアを助け、その心を癒し、励ましたことでしょうか。
 私たちは、ただひとりで信仰の生涯を貫けるほど強い存在ではありません。義人ノア、聖書中抜きん出た信仰の巨人と言われるノアも、その例外ではなかったのです。
 神は、箱舟建造の使命を与える前に、ノアに妻と三人の息子を与えられました。そして、箱舟建造中に、三人の息子が妻をめとり、信仰の家族はいよいよ増し加えられたのです。彼らこそノアにとっての教会、血の繋がった家族であると同時に、神信仰を同じくする兄弟姉妹でもあったのです。
 本当に弱い私たちが、信仰の生涯を全うするために、神さまが与えてくださった助け、教会の兄弟姉妹との交わりを大切にしてゆきたく思います。喜び、喜ばれ、祈り、祈られ、支え、支えられる交わりがあって、私たちの信仰の歩みは養われ、完成する。この交わりの恵みを味わい、重んじる者となりたく思います。

 ヘブル11:7「信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」


四日市キリスト教会 山崎俊彦牧師