アフィット〜少女と悪魔の光景〜
十二夜
| 少女は、静かに戸を叩いた。 カチリと開かれて、途端、中の真っ暗な闇は少女に襲い掛かる。 眩しい白光が、少女の背後から及んで、危険なすものを打ち砕く。 その瞬間、世界は 何もない空間 に戻った。 「ねえ。寂しがり屋さん。出ておいでなさいよ。あなたの傍にずっといてあげようと、私は決めてきたんだから」 空虚になった少女の周りは、白い世界だった。壁のない、延々と白い地面の続く、空間。誰の姿も見えない。 黒いドレスをひらひらさせながら、左右に首を振る仕草は可愛らしいながら、きつい瞳をしていた。フンと、鼻を鳴らす。 「うるさいよ。私を呼ぶのなら、もっと大人しくしていないとね。魂でも何でも、いい子にしていないとね」 「アフィット!悪魔!」 少女は、気配なく隣に現れた青年に、叫んだ。 ひどく、うろたえている。 「いやいや、どうせ来ないだろう、なんて考えで来られちゃ、困るんだ。私は君に呼ばれれば、どこへでも、行ってあげる気なんだからね。今日はどうしたの? 私に頼みでもあった?」 「…さっき、言ったでしょ? あなたとずっといてあげる」 「ふうん。恐がった顔して。私は助けてあげないよ」 「『ああ。もういらないの。世界なんて、まっぴらなの』いつか、あなたに言ったわ。『私はとても虚ろなの。カラなのよ。家族ももういない、住む場所も転々、日々も面白くない…。時々目に映る、耳に聞く、素敵なものが、私を留めていてくれたけれど、この頃はつまらない…』アフィット、あなたは、私が呼び出した時に、この理由に文句をつけて、願いを叶えてくれなかった。悪魔は、少女の魂さえあげれば、喜んで何でもしてくれるものと思っていたわ」 手を伸ばして、少女は悪魔に自分の指に口付けさせた。青年は紳士然とした風貌と黒の礼服だった。そっと、差し伸べられたものに、一瞬唇を落とすと、少女の体ごと、腕の中に抱き上げた。人形のように、その身体がすっぽりと悪魔の胸元におさまる。 「くだらない用なら呼び出すな。子供の遊び事なら、お断りだ。私はそんなに暇じゃない」 「この世で、私を満足させてくれたら、魂を持っていってもいいと、言ったわ。それに、あなたときたら、説教を小一時間も続けて、子供はまたの機会に、と断って、相手にしてくれなかったわ」 「それなのに、何回も呼び出してくれた」 「だって、悔しかったんですもの。渋々承知してくれたあなたが連れていってくれたのは、大金持ちの家庭の光景だった。そこの一人娘にしてくれた。私が一声呟けば、薔薇でもお菓子でも、持ってきてくれる。お洋服も、上等で、いろいろな色があった。階段があって、暖炉があった。そこの一番大きな居間で、音楽に合わせて、踊ったわ。相手がいない、と小声で呟いたら、あなたが少年の格好で、私にダンスを申し込んでくれた。楽しかったわ」 「その後、我侭を言ったのは、君だよ」 「あれは、上っ面だったの。もっと、もっと、私が楽しいと思うものをちょうだい、と言ったの。そうしたら、あなたは指をパチリと鳴らして、辺りを空白に戻した。目の前の少年は、気障な紳士に早変りした。真剣そうに、『お前は魂を私にくれるつもりなんか、ないんだろう? 遊んで逃げてしまえばいいと思っているんだろう』と恐い顔で、言ったわ。私は必死に首を振ったのに、その恐ろしい表情はじっと私を見てたわ。何なら、ここで誓約証でも書きましょうかと提案したら、あなたは、ぶつぶつと言い出した。『お前の魂はうまくなさそうだ』とぼやいた。それで、私は怒って、無茶を条件に出したのよ」 少女は、近距離に見える、紳士姿の悪魔の髪を、遊ぶようにいじった。笑顔で、戯れている。 「私、あなたが魂が欲しいと思ったから、魂をあげる、と言ったのに、欲しくなさそうだから、あなたの他の願いを叶えてあげる、と言ったの。悪魔の願い事って、何かしらね、とどきどきしていたら、急に難しい顔して考え出して、私に背を向けたわ。『考えたことは無かった』と呟いて、私とまた顔を合わせた時には、ぼやけた姿をしていた。角と、しっぽが見えて、何だか、絵本で見たような、悪魔が一瞬だけ私の前に出現した。びくっと、私が動いたら、目を塞いで、次に開いた時には、美しい男の人が前に立ってたわ。『こうしよう。興味が湧いたから。しばらくの間は構ってあげる』と言ったわ」 「それから、随分、君とは付き合った。とてもいろいろな光景を見せてあげた。様々な人生を経験させてあげた。ある時は、姫君の人生だった。悲劇の主人公で、家系は絶える寸前だった。家来は嘆き悲しんで、それをたしなめ、未来の希望を説く君の姿は、光のように映った。代々住んでいた、飾り窓の美しい城を、失い、一介の町娘の身分に落ちながら、神々しさはそのままだった。馬車の扉の中から外を見渡す筈の娘が、馬車の扉を開ける役目になり、格好はドレスでなくなった。私は、王子を用意してあげようとしたのに、君は、特別な方がいいとぐずって、しかたなく私は、君をさらって、新しい城へ飛んだ」 「あら、絵本で、王子に拾われた娘はいくらでもいるけれど、悪魔に見初められて、求められるのはずっと少ないわ」 「私はしかたなく、だったよ。その時はたしか…」 悪魔は紳士から、一回り背の高い、魔王を意識した出で立ちに変った。 「姫君はさらわれたのよ。幸せでない境遇だったので、悪魔でも、何でも、自分をどこか遠くへ連れていってくれるものを望んだのよ。それに応えたのが、あなただった。魔王は一目惚れして、きっと姫君を幸せにするの。私が『素敵、素敵』と喜んだ途端、あなたはまたパチリと指を鳴らして、辺りを白紙に戻した。『次に飛ぼうか』と余韻もまだ冷めないうちに、私を急かした」 「君は、こう、私に囁いた。姫と王子ばかりの世界では飽きてしまう、と。お伽話と城の並ぶ世界にお別れして、私は、君に別のものを見せることにした」 はらはらと、少女は手を振った。はっとして、悪魔は、少女を抱いたまま、恐ろしくも美しい魔王の姿を、年頃の紳士に戻した。 「あの時は、こうも言ったと思うわ。特異な世界に連れていってくれなくても、今、ここで、この世界で、私に満足を与えて見せてよ、と。私のいる町で。私のいた貧しいアパートで。私が主人公で、と。そうしたら、あなたは私を、いつもの家に帰らせてくれた」 「『何が欲しいんだ?』と聞いたら、また『満足を知りたい』と騒ぐものだから、私は君を聖女にしてやった。指から、触れると誰でも、癒され、不思議な力を身につけた。狭い部屋は、君の聖堂になった。おだやかな、笑みを浮かべる少女は、希望の象徴だった。聖なる君を称える詩は、声となり、歌となり、市井にしみこんだ。君は、不機嫌な顔をした。私は、すぐに白に戻した」 「あれのどこが? 何故、満足すると思ったの? ううん、満たされるのとは、違う」 悪魔は笑いながら答えた。 「あれで、満足した女が昔いたからさ」 |