白夜
十二夜
…………………………………kissing 1. 仮面~personne~ 鏡の前に立った青年は、いぶかしげに目の前のもう一人の自分を見つめた。 たいして同じ年頃の若者と変わらない。身なり、仕草、容貌…どれをとっても優ることはなくても、際立って劣るということはないだろう。目立ったところも、特別な印象をあたえるところもない、普通の若者だ。…ただ、顔に、決して取れぬようはめ込まれた仮面だけが他者と違っていた。 ガシャ、と鏡の割れる音。 ダダッと駆けつける音。 「お止め下さい、ラクサ様」 後ろの扉から、乱音に気づいた召使女の一人が飛びこんで、主人を止めに入った。 青年の手首には鏡の小さな破片が飛び散っていた。血もみえる。 「またですか。あきれましたわ」 「放っておいてくれ」 「私の他は皆あなたの世話を投げてしまいました。私しかいないのです」 「いいんだ。ミルーシャに関係ない」 青年はハンカチを取り出して破片を払い始めた。 「…鏡が嫌いなんだ。あれに映った自分の姿を見るとぞっとする。この生来の仮面の上から見ても、嫌悪するくらいだ、きっと私が仮面をはずすことが出来た時は、ひどく悲惨なものを見なければならないだろうよ」 ミルーシャはうつむいた。やりきれなさそうな表情を浮かべている。 「私は自分が嫌いだよ。生まれた時から好きになったことが一度もない。常に憎悪の対象だった」 「……」 「父は、私が生まれた直後にこの忌わしい仮面を被せた。母は懇願したが、父は理由をふせて、私をそのまま育てた。おかげでこの様だ。まるでどこかの書物の怪物のようだ」 青年はハンカチをしまうとミルーシャの上に視線をおとした。 「お前が哀しむことはないよ。いつも、そんな顔をして私を不思議がらせる」 「……」 「気にしてはいけないよ。自分ではそれほど同情を必要としていないんだ」 「いいえ。ラクサ様、私本当に好きなんです」 ミルーシャはラクサの双の目をのぞき込んだ。 「ほら、あなたの目はとても綺麗な青をしています。私はここへ来た時からあなたの目ばかりみてましたわ、…顔の他の部分が見えなかったので」 「……」 「私の答えにぽかんとしてますわね。でも本当ですよ。あなたの目が好きです。嫌なところばかりじゃありません」 ミルーシャは明るく笑った。ラクサは目をふせた。 「私は家来や召使達を邪険に扱った。皆、私を見捨てた。お前だけが残り、大分たった。……お前はやはり変わり者だ」 「お顔だって…。きっと何とかなります」 「無理だな。はずすことができるものか。…何でも試した、危険を伴おうとも、いくらか怪しげでも。無理だった。今では、朝起きたら外れているのではないか、という期待さえ投げやっているよ。仮面がはずされることはない」 「いつか…、来ますよ、きっと」 ミルーシャは哀しげに笑った。彼女は後ろを振り返った。女中仲間が彼女を呼んでいるのが聞こえる。また、ラクサの方に向き直ると、頭を下げた。コトッと音をさせてミルーシャが出て行った。 ミルーシャが行ったのを確かめると、ラクサはまた、壊れた鏡の前に立った。半分役立たずの鏡はそれでもまだ仮面の青年を幾分歪めて映し出していた。 「この仮面さえなければ…。私は仮面の下がどうなっているのかさえしらない。始終これを被ったままだ。まるで、「仮面」が私になっている。…父はこれしか残さなかった。これが私を決め、私をつくった。一生これに支配され続け、悩まされる。真平だ。忌々しい。全てこの一枚の被せ物が…仮面さえなければ…。そうすれば、私は…」 顔と現実とを遮る一枚の白い壁を、彼は疎ましく見つめた。 2. 革命 ~revolution~ ラクサという領主がその土地にいたことになっている。 仮面を顔にはめた不気味な男で、領民は彼のことを悪魔か何かに例えていた。 外見だけなら、…彼等農民に害が及ばないのならば、ラクサは領主として受け入れられていただろう。しかし、彼はうまい領主ではなかった。 むやみに税を取ったり、不規則で頻繁に領民をかり出したり、すぐにそれらは、彼の治める者達の批判を被った。加えて、ラクサは彼の父ほど兵力と威厳を持ち合わせていなかったので、領民の気紛れじみた反乱に、すぐに屈してしまった。 本来彼は処刑される筈だった。仮面を被った奇妙な領主として、記録され、公文書の片隅に残るべきだった。しかし、そんな事実はどこにもなかったし、彼は突然どこかに消えてしまったかのようだった。 仮面の人物が発見されたという記事は同時代で見付かっていないし、見過ごされるようにも思わない。革命が終り、城が燃え落ちた後には彼はいなかった。…もちろん死体として見付かってもいない。 彼はどこへいってしまったのだろうか……。 3. ミルーシャ ~hope in the castle~ 悪領主と呼ばれる男がそこにいた。彼は、他人を信じず、自暴自棄の塊だった。やることなすことも、気狂いじみいて、家来からも倦厭されていた。 「お止め下さい、領主様」 男は剣を片手に下男達を困らせている。下男達は前屈みで領主の機嫌を伺っている。ふと彼は後ろを振り向いた。あわただしく廊下を抜けて行く女に目をやった。 「あれは、誰だ?」 「新しく入った、召使女でございます。働くしか脳がなくて」 「また召使が止めたのか」 「ええ。どなたのせいか知りませんが。これで二十人以上」 「減らず口を叩くな。貴様等、そこに並べ」 「何をなさいます…???」 「少しでも動いたら、この剣で、腹の中を探ってやろう」 「そ、そんなこと…、御冗談を」 「…お前。お前は、私を見て…どう思う?」 「……」 下男は震え、青ざめた。仮面をちらと見つめて、うつむいた。 「答えられないのか」 「……、お許し下さい」 床にひれ伏し、下男は必死で詫びた。剣をカタカタいわせて彼は下男をどうしようかと考えていた。 その時、ラクサの前を通り過ぎたものがいた。 さっきの召使女だった。ラクサは彼女を呼びとめた。 「名は何だ? お前は私をどう思う…?」 「私はミルーシャです。ラクサ様ですか? 噂に伺ったより、普通の方なんですね」 「普通…?」 「皆、ひどくおおげさに言うけれども、あなたはちっともおかしくない。私、安心しました」 ミルーシャは笑った。珍しく、この時ラクサの目に笑みに似たものがあらわれた。彼はその召使女にもっと話すよう言った。 ラクサは、ミルーシャのはきはきしたもの言いと彼女の性質を好んで、自分の傍においた。 いつしか、ラクサが完全に城の人間の誰からも孤立しても、彼女がラクサを離れることはなかった。 彼女と出会ったことで、ラクサは少しずつ変わり始めていたかもしれない。 自暴自棄な行動、自分より下の者への乱暴、徐々にではあるが、それらの間違いに気づき始めた筈だった。ミルーシャの思いやりと優しさには、ラクサの考えを動かす力があった。…彼は、悪領主ではなくなりつつあった。 だが、そこに革命が起こる。臣下も愛想を尽かし、ただ一人の召使女だけが味方の領主など、領民はこわくなかったのである。領主の細かな変化になど誰が気づくだろうか。革命軍は、「悪領主」に反旗をひるがえした。 4. 分岐点 ~past the point of no return~ ミルーシャは急いで主人の私室に向かった。息を切らせて駆け込み、叫んだ。 「逃げて下さい、ラクサ様。ここにいては…」 「皆、もうすでに逃げたんだろうな」 「残っているのは私とあなただけでしょうよ。城が燃えています。皆あなたを見捨てて、革命軍に助けを求めた」 「私はここにいるよ。」 「何を言ってるのですか。逃げますよ。さあ、一つだけ無事に逃げられる出口を知っています。行きましょう」 ラクサは手を払った。 「ミルーシャ、君は逃げろ。もうすぐ、火が追いついてきて、逃げられなくなるだろう。私はここで終りにするよ」 ラクサはミルーシャに背を向けた。しばらくして、彼は後ろの気配が動かないのに気づき、振り向いた。 「ミルーシャ…?何故行かない」 「私もあなたと一緒にいます」 ミルーシャはラクサの手をつかみ、煙の届かない場所へ移動した。 「…そうか。勝手にしろ。いてくれと頼んだ憶えはないがな。主人と殉ずる必要などありはしないのに。お前はよほど誠実とみえる。逃げ出すにしてももはや手遅れだ。あきれた選択だな」 「ラクサ様。…私は覚悟をして、ここにやってきました。一度、逃げました。あなたがいないのに気づいて、戻ってきた。その時、敵の隊長が条件を出してきました。私はあなたを説得するよう言われました。あなたを裏切って、捕まえ、連れてきたら、私を貴族の花嫁にしてくれるそうです」 「良い条件じゃないか」 ミルーシャは表情を曇らせた。 「……分かりません…?」 「……?」 「どうして、あなたについていくか。皆と同じくあなたを見捨てることが出来ず、とうとう残ってしまって、このままあなたといることを選んでしまったか。…いつも一緒にいたい理由も、あなたを見ている理由も、同じ」 「憐れみ…?」 そうじゃない、とミルーシャが首を振る。 「忠誠…?」 「同情…?」 それでもミルーシャは首を振りつづける。ラクサは、口に出したくなかった言葉を、最後に口ごもらせながら声にした。 「…愛…情…?」 ミルーシャが嬉しそうに頷いた。 「間違ってるよ、ミルーシャ」 「そうでしょうか」 「ああ。私はここで仮面のまま燃え尽きるんだ。何を期待しても、その先には何も出ないし、それで終りだ。信じてない。愛情なんてものは。最後までそうだ。私は「仮面」だと裏で言う者がいる。私の生涯はそれ自身で、他には何も残らない…」 「かわいそうなひと」 「君が逃げられなかったのだけ、後悔するように思うよ」 ラクサはミルーシャの背中に両腕をまわした。 ……………………………………………………kissing. カラカラカラと白い仮面が溶けながら廻り落ちた。 その日、城は落ち、燃え尽きた。 5. 雪解け ~thaw~ 白夜の透き通った森から聞こえてくるのは、雪解けのサラサラという緩やかな音と、小さな話し声。 ミルーシャはラクサの頭を膝に置いて、彼の顔を上からのぞき込んでいる。表情は冷たく固まっている。 「…自分の名前を覚えてる?」 「いや…」 「自分が誰だったのかを」 「分からない」 「記憶も、私のことも……」 ラクサは首を横に振った。 炎の熱で溶けた仮面はラクサの顔からとれて、床に落ちた。彼は、ミルーシャを抱き上げて、炎の中を死に物狂いで駆け抜けた。近くの森に入った途端、彼はミルーシャを放りだし、その場に倒れた。 再び目を覚ました時には、彼は記憶を全て失っていた、まるで、仮面が彼の記憶だったかのように。 「このまま、思い出さないほうが、いいのかもしれない」 悪政を強いて、領民に追い詰められ、処刑される筈の領主だったことなど、知ってどうなろう。苦しむだけだ。それよりも、新しい、別の生活を、始める事が出来る方にミルーシャは想いを飛ばした。たとえ、自分を彼が忘れてしまっていても、構わない…と、彼女は自分を欺こうとした。 雪解け水に映った自分の顔を見て、ラクサはつぶやいた。 「初めて自分を見たような気がするよ」 ミルーシャは森の木々の隙間から空を垣間見た。 白夜の続く森の中で、空の色だけが変わっていく。 |
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