第1話 20年後の召還
「お父さんなんて…っ、『さだまさし』を永遠に聴いてればいいのよ!」
そりゃひどい言われようが、寝巻きで日曜朝刊を握ったまま、ラジオチャンネルを弄ろうとした親父を直撃した。
カチカチと、「今朝の歌謡曲」という番組を探る指も、娘に睨まれて、しだいに止まった。
「…出かけるのか、美弥?」
廊下に立った、化粧もこじゃれた一人娘を、見上げながら尋ねる。見たことがない服を着ているので、また新しく買ってきたんだな、と父は思った。センスなんて、若い女が着るものを分かるわけがない。どう?と娘に切り出されたら、自分は、新聞に目を降ろして、回避するつもりだった。
「うん。映画観てくるよ」
「早く帰れよ」
「もうお父さん、親父くさい。何とかならないの!?」
最近二言目にはそれだ。休日くらい家でゆっくりしていて悪いかと反論すると、またまた怒り出す。正直困惑してしまうが、それを娘に悟られたくなくて、仏頂面で、「お説教」を聞いている。
…何か、…つらい。
…蒼元光昭(あおもと みつあき)、43歳、商社営業課勤務。働き盛りの、仕事好き。
お得意さんと、近所の奥様方の評判は悪くない。
家では、娘に言わせると親父。湯上りバスタオル一丁で、居間で野球中継を見ていたら、次の日一杯、娘が口をきいてくれなかった過去あり。
人生、平々に幸せで、妻がいて、子供がいて、…それでいいと妙に割り切っているところあり。
仕事帰りの、屋台に飛び入りで、飲む日本酒も大好き。
どこが良くないんだ。
「おかげで、うちに友達呼べないじゃないの」
「お前は遊びに行くんだろう」
「今度、私の部屋で勉強しようって、誘っちゃった」
「まさか、男…じゃないだろうな」
「お父さん…!」
ぷい、と娘がそっぽ向いて行ってしまった。噛み合わない会話、…ぎこちない雰囲気が、カチャカチャと、またラジオチャンネルを弄り始める親父の上に重くのしかかった。
そう言えば、美弥とゆっくり話す機会も、あまり取れてないな…、悩みとかも俺が言ったって、話そうとしないだろうし。
美弥は、…洗濯物、お父さんの干すの嫌とかいって、俺のトランクスだけ籠に残しやがる…。く…、ちゃんと干せるの知ってるんだぞ。クラスの他の子は箸で掴んで干してるとか言って、真似しだそうとした時は、それくらいなら俺がやる、って、一喝して、取り上げたんだが…。思えば、ああやって、口論するのが、美弥と喋る数少ない機会だってのも、泣けてくるな…。
ガンガンと、心に痛みが溜まる。娘の言葉が痛くない父親なんていないだろう。
…妻が行方不明などという状態であれば、尚更だ。
「お父さん、じゃあ、行ってくるね」
「ああ、早く帰れよ」
「それ、さっき聞いた! 終ったら戻ってくるよー」
光昭氏の癒しのメロディが、ラジオから聞こえてくる。
さだまさし、だった。
何かが、空しい…
光昭氏は、布団にもぐった。午前10時。日曜の朝ならば、まだ寝ていても不思議ではない時間だ。娘に叩き起こされる危険性も十分大きいのだが。
その辺りは、親父にも勝算がある。
…寝坊の父親をわざわざ寝床まで起こしに来る娘というのは、かわいい。…嫌いだったら、構いもしないだろう。結局非難しながらも、父親の世話を焼く美弥は、光昭氏のことを思っているのだろう。
美弥のやつ…、と、光昭氏は、日曜午前の嵐を、心地よく待っていたりもする。
今日は、出かけてしまったから、ゆっくり寝よう。
鬱陶しい気持ちなんて、…吹き飛んでしまえ…と言わんばかりに、布団をかぶる。
…真っ白な眠気が、急激に光昭氏を襲った。
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「巫女姫様、…儀式は失敗です」
「分かってるわ。もう一度行います」
舞い疲れ、衣乱れた格好の少女は、諦めない、と瞳で、臣下に告げた。
倒れるんじゃないか、と心配させる巫女姫の足取りに、すぐ数人の女達がかけつけ、支えた。
「…大丈夫、大丈夫です。…二日後にも、幸いなことに、救国の勇者を召還する儀式が行えると、判明しているのです。私は、その時に賭けます」
「…今の状態で舞えば、姫様の身体が…」
「これを逃せば、何十年先になることか。たとえ、私の身がどうなろうと、やりとげなければならないことはあります。…この国は助かります、…勇者が助けてくれます」
にこりと、ふらふらのまま微笑んだ巫女姫は、強い意志で主張した。
…あの、人が、……救ってくれるはずよ、と。
「巫女姫様…」
臣下達は、それ以上、とめる言葉を持たなかった。
「お父さん、寝すぎ」
目を開けると、娘のスカートの裾が、視界に入った。
「うう…ん」
お腹のあたりが、こう、重い。…理由は、美弥が布団の上から、父を椅子にするように乗っているからだと分かっている。動くに動けない。
「何時だ」
「午後3時」
「げ…」
「にやけてた」
言われて、光昭は、むっとした。寝顔を娘に観察されていたとは、何と威厳のないことか。
「夢のせいだな」
「どんなの見てたのよ」
「…妙に物語じみてだな。…母さんに似てる人が出てた」
「ということは、私にも似てるのよね。私、お母さんに瓜二つって、よく言われてたじゃない」
美弥は、へえ…と興味を示したらしく、もっともっとと光昭にせがむ。
相変わらず、父親の上からどこうとしないのは、困ったものだが。
「おい…、いい加減、降りないか」
「話が終ったら、解放してあげるよー」
楽しそうな美弥を、光昭は、じと、と見上げた。
加奈子という名の、光昭の妻、…または美弥の母親は、数年前に突然、蒼元家から、姿を消した。
警察にも届けた、正真正銘の行方不明だった。
理由もはっきりとしない。前日まで普通の日々が続いていて、あくる日、起きると、いなくなっていた。
お父さんがあまりにもつまらないから、捨てられたんだよ、と…クールな娘の言葉が、突き刺さったまま、今でも抜けない。仕事で忙しかったから、疲れて声をかけてさえもらえなかったから、…だから行っちゃったんだよ。美弥が正しいような気がして。
近所の奥様方には予想外に哀れまれた。…それは光昭氏が、奥様方受けする外見と営業能力を持っていたからだろうと思う。
逆に、加奈子の方が責められていた。…聞いていると、だいぶ、加奈子は近所の奥様方に妬まれていたようなのが分かる。綺麗で、素直で、…けれど強い女だった。
夢に現れた女性は、確かに、加奈子…だったと思う。何だ、あの衣裳は?と首をひねったが、どうやら、違う世界、架空の場所のようだった。巫女姫と呼ばれていた。
「お父さん、もう一回寝れば?」
「変なことを言い出すな」
「お母さんに、会えるじゃない。加奈子ーって、叫べば、お母さん帰ってくるかもよ」
「…う、馬鹿なことは考えるな。それより、そこをどけと、さっきから何回も…」
ぐるぐる、とぼやけて彷徨う視界。美弥の顔も、溶けて消えた。
白い眠気と、声。
美弥っ……!
…加奈子……っ。
じわじわと、遠のく現実と同時に、新しく見えてくる、…知らない世界。
「巫女姫様、限界では…?」
「いいえ、もう、すぐそこなのよ。邪魔しないで…」
見事に、鮮やかな動きで舞う女は、止まらぬ手足を自在に操り続けている。なんて必死に踊るものだろうと。リボンが身体中から溢れでているんじゃないかというほど、華やかな姿。
「それが、あなたの選択ならば…」
「…我が、アマツセナ国の、救世の勇者、…出でよ!」
きりっと、巫女姫の叫びが、儀式の場に満たされた。
瞬間、ぼうっと、はっきりしなかった光昭の意識が、行き場所を見つけた。すうっと、自分が実体をともなっているのを確認して、…巫女姫の近くに、立った。
「成功です、姫!!」
「…良かっ…た」
心からの喜びが、巫女姫の表情に映っていた。歓声も聞こえる。すぐに姫様を運べ、と、臣下の者が命令した。それほど、巫女姫の様態は、ぼろぼろだった。
「おい…」
光昭は、巫女姫に声をかけた。
侍女達に支えられた姫は、光昭に、疲れを隠せていない笑みを向けた。少し苦しそうな…。
「何でしょうか」
「夢だろうな、これ」
「違いますわ。…あなたは、このアマツセナ国の救世の勇者として、召還されたのです」
「加奈子だろ? …訳分からん」
「カナコとは、誰のことです。 …私は、アマツセナ国の巫女姫、ティアーナと申します」
…絶句。光昭は、ぽかんと口を開けた。
そろりそろり、と臣下の男が、光昭の傍に寄ってきた。いかにも、事情を説明したいと、その顔が語っている。
「勇者様、…私は、アマツセナの大臣、コロナーと申す者。以後よろしくお願いいたす。巫女姫様は、あのような優れぬ状態ゆえ、私が、全て追って話します」
使命満々だ。コロナーは顔まで、光昭に迫ってきたので、うわっと距離を取った。
「…実は、このアマツセナ国には、ワケがありまして…」
長々と大臣コロナーの話が続いた。
…要点をまとめると、光昭にも、だいたいの状況がつかめた。
この異世界は、極めて狭い空間に存在しているために、世界の果てが、国の境界に見えるそうだ。果ては崖のようになっていて、…そこから先は、行って戻ってきたものはいない。
そして、果てには、怪物、魔物が巣食っている、と。
「ミツアキ氏に、お頼み申すのは、その…」
「待った。…分かった。言いたいことは。だが、俺にそんな力はないだろう。…だいたい、勇者というのはな、こんな親父じゃなく…」
「そうなのです。…本当ならもっと若い勇者が…」
「おい、さっき…何と言った…?」
ギロリと、光昭がコロナーを睨んだ。
「え…。ええっ…」
あせあせ、と言い訳しようとする大臣は、額をハンカチで拭って止まらない。
「お話ししますわ、ミツアキ様」
そうっと、侍女にもたれて、体調戻らぬままの巫女姫が、大臣のフォローをしようとする。
「あんた…、大丈夫なのか」
「ええ」
「嘘だろ。戻って、安静にしろ」
「ごめんなさい…。…っ」
侍女の手を離して、巫女姫は、その場に崩れ落ちた。
「あなたをこの世界に呼んだ責任は、私にあるのです。…呼ぶべきじゃなかった、そう私も思います。でも、…そうするしか、方法が…。ごめんなさい」
震えて、手をついて、謝る姫は、何度も頭をさげた。
「…あんた、何歳だ」
「…17です」
「ひどいな。俺の娘と同じ歳じゃないか」
泣くなよ、と、光昭が歩いて行って、小さく縮こまるティアーナの頭を優しく叩いた。
ミツアキ様…?と、姫のかすかな呟きが返ってきた。
「言っておくが…、俺、怪物退治なんかできないからな。…もっと若いのを召還するんだな」
「本来、召還すべきは……、20年前のあなたでした」
「ええっ…!?」
「申し訳…ありません」
今度こそ、深く、巫女姫が頭をさげた。
コロナーが説明をたした。
今日の儀式以前に、勇者を召還しようとしたところ、…失敗。これを逃せば、次の機会は遠い先。
しかし、近いうちにもう一度、召還の機会があるにはあることが…判明していた。ただ、…その機会とは…
「20年後の、43の俺しか呼び出せないということか」
老いた勇者で役に立つものか、と議論にあがったことは想像固くない。それを決行した巫女姫もすごい人だと思う。
「…ミツアキ様。私は、あなたが、この国を救ってくれると信じています。…助けてくださいませんか」
23プラス20の歳の勇者を、親父の光昭を、巫女姫は求めると言ってくれている。
「俺…で、救えるのか、ここ」
コクコクと、姫はうなずく。
「私、ミツアキ様を、お待ちしておりました」
知らずのうちに、両手を、ティアーナに取られて、光昭は逃げるに逃げられない体勢になっていた。
にこりと、ティアーナが微笑んでいる。
「…よろしくな」
数分後、諦めたような光昭氏の言葉が漏れた。
巫女姫の粘り勝ちというか。
…まったく、俺みたいな、親父が勇者だとはまいったな。と光昭氏は思った。
『本来、召還すべきは……、20年前のあなたでした』
がん、と、ショックもいいところだ。
望まれてない勇者じゃないか、と。
…けれど、この世界にしばし居てもいい、と光昭氏は考えていた。
大臣にも聞こえなかった言葉がある。
二人の間で、秘密に交わされた会話が。
『加奈子に似てるなあ…』
『…言わないでください、その名前』
『……?』
『いえ、何でもありません…』
巫女姫は視線を逸らした。
…元の世界に、放っては戻れない疑問を持った瞬間だった。
美弥、どうしてるかな…。
その時は、まだ、軽い気持ちが残っていた光昭氏だった。
…アマツセナ国、セツセナ歴1174年。巫女姫ティアーナは勇者召還に成功した、と記されている。
その名はミツアキ。
…残念ながら、年齢までは、記されていなかったようだ。
第1話 end
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