第10話 巫女姫
「ティアーナ」
突然、呼び止められて、巫女姫は驚いたように振り返った。
警報が著しく非常事態を告げる中、びくんと、心がざわめいた。
「……何でしょうか?」
「日記、貸してくれてありがとう」
よどみなく言われたそれに、ティアーナの足と表情がかすかに震えた。
あと、十数歩のところで玄関の大扉が待ち構える、緊張を孕んだ雰囲気をばらばらに裂いてしまうかのように、光昭の声は響いた。
衝撃だった。
「さて、…行くかな」
光昭を見つめたまま立ち尽くしているティアーナより先に出て、四十親父は、背広の胸元を手で引き締めた。
一見投げやりそうな、適当さが混じっていそうな、…男の態度。歳相応の若さのない物腰と、頑固そうな顔色。
同じ年代の中では、多少ましで目立つかもしれないが、それでも冴えない中年男のレッテルは免れないだろう、そんな男が。…初めて出会ったときは、それそのものだった。
現実で真面目に働いて、疲れを引きずったままの男性。
背広のよれは、情けなかった。
だが、
…はっきりと、知った。
…はっきりと、分かった。認めたのはついさっきだったかもしれない。それも、昨夜スゥトに言われたことを、思い出して。自分でも信じられずに、愕然としている。声をかけられただけで気づくとは何事か、と思うが、今まで考えもしなかっただけのことだろう。
運命は、定められた道筋を離れても、同じ事を繰り返す。
…私、…ミツアキ様に恋…してる…。
ただの独り言。感じたから震えた。
まさか。…20年前ならともかく。愚かしい。
…でも、…20年前のミツアキとなら、お互い恋に落ちていたことを、…ティアーナは知っていた。
それが壊れてしまった今だから、……ティアーナはなおさら、余計に、恐れていた。
心の震えが止まらない。視線が光昭に留まったままのティアーナは、ずっと、彼を見つめていた。
彼に最初に出会った時と、今と、変化したものがある。
声、…その顔つき、決心。闘うことに怖じない強い意志、一人の男として見るなら、年齢差し引いて「格好良い」と言っていい。
馬鹿…。私の馬鹿…。
…私は、ミツアキ様を助ける盾と剣。…世界を救う宿命を担った巫女姫。
知っていた。知っていたけれども。
二度目の召還を行って、目の前に降り立ったのを見た瞬間から。
この人が、私が好きになる…『はずだった』人だと、頭で納得してはいたのに。
……気がついたら、好きだったのだ。
「どうした? 顔が赤いぞ」
心配するような声が、耳に届いた。はっとしたティアーナは、近づいてきた光昭から一歩退いた。
「大丈夫です」
意地を張った、どこか無理した返事が、口をついて出た。
「本当か? ティアーナには頑張ってもらわないと、俺一人じゃ無理だからな。頼むな」
加奈子の日記、一晩中読んでて、多少眠いんだ、…と冗談めかした言葉が聞こえた。
……胸がきゅっと締まる。
どうして、彼を召還したのだろう。
一度目の儀式に失敗したから、やむを得ず。いや、違う。
……私も日記読んでいたから。どのような人か、そこから推し量ることができたから。この世界の外というものを、私は知らない。ミツアキ様のいた世界というものを知らない。…営業というのは何だろう、バレンタインというのは何だろう、…ときどき日記に首を捻る言葉が出てきて、想像できなかったりしたけれども、…ずっと、読んで、ミツアキ様が、勇者様が、優しくて、愛されていて、いい人…だということは分かった。会いたいと思っていた。……この人ならば、アマツセナを救ってくれると、確信した。
そして、二度目の召還。
「はい…。分かってます。ミツアキ様を絶対に守りますから」
一度避けて、再び光昭を見つめたティアーナの瞳は、責任感に満ちていた。
この人を助けなければならない、と。
+ + +
…悪いな。
ポツリ、と、光昭が心の中に呟いた訳は、ティアーナの全力を感じたからだった。こんな親父に、というのは禁句なのだろう。
荒々しい攻撃的な衝動を込めた刃と、今までの何倍も頑丈な防御。無理に力を増幅させたようにさえ思える自身の武器の強力さに息を呑んだ。
そして、それを握ったら、自然に身体が動いていた。
何体もいる果ての化け物達の真ん中に、飛び込むや否や、光昭目がけて爪を伸ばしてくる輩達から、避け逃げた。丸く固まった化け物達が、獲物の方向を見失っているうちに、一体だけ蹴り上げて、後ろに誘い込む。
…どうして、こんな方法知ってるのか。
一瞬ちらついた疑問を殺して、狭い間合いしか取っていない相手の胸に、思いっきり、光の刃を注ぎ込んだ。ぐらついた化け物に、留めを刺すように、二度三度、刃を入れた。
あっさりと、それまで手こずっていた化け物を少ない手数で葬っていた。
休む間もなく、背後に気配を感じて、振り向いた先に刃を刺す。ぐしゃりと嫌な音をさせて、めり込んだ光の先っぽを抜いて、光昭は、距離を取るために、急いで走った。
追いかけてきたのは二体だった。足が動いたのは、体勢を整えるためだったが、地面に振動をまいて光昭目指してくる化け物達に、予定外の追いかけっこが始まった。
おじさんに華麗な走りっぷりを期待してはいけないが、光昭は必死で逃げていた。やばいとばかりに、背広の端に、汗の雫がにじむ。額に落ちてくるものを、無視しながら、かなりの距離を走り倒した。
気づくと、残りの数体も一緒に混ざって、光昭の後について来ていた。
策もなく、囲まれたら、終りだと思った。
たまらず、無理やり向きを変えると、手元の武器で無茶苦茶に牽制しつつ、化け物達の最中を逆走した。
甘かったのは、その内の一体が、光昭の肩に爪をかけてきたことだった。鎧代わりの光に包まれて、一度はその攻撃が無効化された。が、…すぐ数瞬も置かずに、同じ爪が光昭の防御を破壊しようと降りてきた。身体ごと、崩される。
まずい…。殺される……!
『駄目です…っ。…あなただけは、必ず守ります、ですから……』
悲痛な叫びが、遠くなった壇上から、声をからすように聞こえてきた。
途端、光昭が握っていた光の刃が、四方に暴走して、持ち主の周囲を、白く包んだ。
一瞬の激情。
目を潰すような眩い白光、…それが消えたとき、辺りは寂しい景色しか映していなかった。
「ティアーナ……?」
はっと意識を研いで、巫女姫が舞っているはずの壇を見上げると、そこから、ふらふらと落ちそうなティアーナがいた。
よろ…と、首も痛くなる高壇上から、力抜けた身体が倒れかけていた。
壇のある方角へ、息せき切って走っていく光昭は、必死の形相だった。
早く。
ティアーナは…光昭の姿を下方に確認すると、安心したように、そこから身体を落とした。落下したティアーナはふわりと光昭の腕の中に着地した。
初めは、疲れているだけかと思ったが、巫女姫の様子は変だった。
息も絶え絶えにみえた。
青白く染まった顔色は、赤みを帯びることなど、けしてないように、暗く沈んでいた。
鼓動の儚い振動だけ、抱いている体を通して、伝わってくる。
「…どうして、無茶するんだ」
かすれた笑みをつくろうとして硬直している巫女姫に、光昭は何もするな、と頬をさすった。
まるで加奈子がそうしているかのように、心が動揺した。…容姿は、妻と瓜二つ、最初からそれだけはひっかかっていたのに。
「いいことを教えます」
小さい息で、ティアーナは言った。
「ん…?」
「今の巫女姫が亡くなれば、次の巫女姫がどこかで力を現します。ミツアキ様はそれを待てばよいのだと思います」
17の少女とは思えない瀬戸際の力強さで、儚げに笑みながら言った。
「…死んじゃいない、ティアーナ、…嘘だろ」
「ミツアキ様を、助けるにはとっさにああするしか…。でも、…私の力、…スゥトにも言われましたが、もう何度も舞えませんから」
「死ぬな」
頑固ぽく、独断ぽく、怒った声が返ってきた。
ふっとティアーナは目を見開いて、それから、またかすかに笑った。
含むように静かに笑む少女に、変な感じを覚えた。
このように笑う少女を、光昭は身近に知っている。
…何だ、この既視感。
俺…。初めてじゃない。
俺……、アマツセナのことも、ティアーナのことも、もっと知っているはずだ…。
闘えるし、剣も力も、もっと使いこなせるはずだ…。
駄目だ、思い出せない…。
「あなたを助けたかった、…では死なせてくれませんの?」
「無茶苦茶だろう。一人きり、悩みを抱えたままか?」
思い詰めるな、とティアーナの傍で、独り言を言う。
「ずっと、…召還した日から悩んでいました。今も」
「言えばいいじゃないか」
父親のように、乱暴で温かい言葉で促す。何でそんなこと、と悔しがるように、ティアーナの容態と秘密を心配して、じたんだを踏んでいる。
その様子を細い瞳で優しく眺めつつ、ティアーナは微笑んでいる。
もっと傍にいたいなあと、少女心に思って蓋をする。
あと少しなら、告白しても許されるのではないか。けれども、どうしても舌が動かない。…このことは忘れて。
「ティアーナ…?」
「言ったら、怒ります、ミツアキ様は」
「俺は死んだ方が怒る」
真顔で言われて、ティアーナは、泣きそうに瞳を潤ませた。
…ああ、どうして、刻は残酷なのだろう。
予想通りには動かせてくれない。動いてもくれない。
せめて、教えたくなった。…秘密の一端を。
「加奈子様は…、20年前のミツアキ様が普通に召還されていれば、結ばれたはずの巫女姫です。…つまり…」
私。
言い逃げて、巫女姫は、重い瞼を閉じた。
二度と開かぬように、深く。
第10話 end
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