第12話 再召喚
声というものは、ときに共鳴するように何かを引き寄せることがある。光昭はずっとティアーナの名を口にしながら、長い廊下のはじまりから終わりまで一気に走り抜けたり、扉があれば一つ一つ開けて覗いたりしていた。
あたりが静かであればあるほど若くはない男の声は、やたらと響いた。
そんなに大声を出しているわけでもないのに、城中に渡っているのではないかと錯覚してしまうような、ゆたかな広がり方だった。
……馬鹿か俺は。
……大げさに必死に騒いで。
走り呼びながら、ふと一瞬冷静になって、また走る。求める。
格好悪いとか、体面が、とか、なかった。ただただ思い切った。
40代になったら男は、とか、馬鹿野郎、俺は43で勇者にされたんたぞ。……何かが吹っ切れていた。
そのうち彷徨うように、城中を回っていた光昭の手を、誰かが包んだ。
はっと気がついて振り向くと、見知らぬ少女で、正直多少の失望は免れなかった。
期待しているわけではないが、ティアーナがどこかからひょいと出てくるのを待っている光昭がいた。だが、今ふわりと手を置かれているのは、一度も会ったことのない、にこりと笑ったままの少女だった。
誰だ、と尋ねようとすると、少女は光昭のてのひらに、文字を描いた。
タ キ ア
……名前? タキア?
うん、と声を出さず頷いた少女に、光昭はほのかな疑問を抱いた。
考える時間を与えず、タキアはまた光昭の手に書き続ける。
ユ ウ シ ャ
ふっと、タキアがいきなり光昭を真剣に見上げたものだから、ん? と一言呟いて、その意味を解した。
ああ、……俺のことを言ってるのか。びっくりした。
「ティアーナに召還されたんだよ。本来なら20年前の俺だったはずなのにな」
肯定の言葉を送ると、タキアはまたほがらかに笑った。
ミ ツ ア キ テ ィ アー ナ ス キ
今度はえっ? と首をひねる文字列だった。
どう返事すればよいかわからなくて、タキアの顔をむっと見つめた。
ティアーナのことが好きかなんて、どこからそんな文章が出てくるのだ。
少女は依然笑顔で、意図が読み取れなくて、光昭は戸惑った。
ス キ
繰り返されても、余計困るだけだ。
光昭は少女から、手を振り解こうと考えた。おかしい。不可解だった。
真顔で問い詰めるようにタキアを見ていると、彼女は怖がって、光昭から目をそらした。
何かを訴えるように、一生懸命、手に書き込んでいた。
ア ナ タ ヲ マ ッ テ イ タ ミ ツ ア キ 43
ん……?と気をひかれた。最後の歳を表す数字みたいなのが余計なお世話だとおもったが、今の自分をはっきり指しているのが分かって、悪い気分はしなかった。
だが、どういう意味なんだ。
少女は、もっと説明しようと、真面目に光昭の手を取っていた。何かを知っているのは、確かなんだろうが、何者かも分からない不思議だらけの少女は、気味が悪いとも感じた。
そのうち、少女は、一瞬ぶるっと全身を震わせたかと思うと、狂ったように、一つの名前を書き続けた。
ス ゥ ト ス ゥ ト ス ゥ ト ヤ メ テ ス ゥ ト ス ゥ ト .
. .
……え、スゥト?
光昭は頭の中で、狂気じみた神政官を思い浮かべた。あの神をも蹴散らしそうな青年だろう。
尋常でない少女の惑い方に、緊張を覚えながら、コツコツと響いてくる足音に、はっと意識をよせた。
堕落したというより自ら堕ちた神官がそこにいた。彼は奇妙そうに光昭の方を見ると、何をしているのかと聞きたげな顔をしていた。
「勇者、巫女姫はまだ見つからないか」
「ああ」
「逃げ出したんだ。帰ってこなくてもせいせいするが」
近づいてきて光昭の正面に立った。……そこには、タキアが前に飛び出すように両腕を開いて立っていたが、不思議とスゥトの反応はなかった。
あっと思わず見つめてしまいそうな、少女の立ちはだかり方なのに、スゥトはタキアに気がついていない様子で、光昭に嫌味な睨みを送っていた。
……何?
「少女が」
「少女なんてどこにいる」
目の前に、と言おうとして、光昭は息をつめた。からかっているのか。それとも本当にいないと思っているのか。
問おうとしてタキアが動いたので、光昭はしばし見守っていたが、そのままスゥトに声をかけることはできなくなってしまった。
視線が固まってしまったのだ。
タキアは、青年の背中に愛しい人にするように抱きついていた。目を閉じて、非常に嬉しそうな表情のタキアに、ぽかんと光昭は驚いた。恋人同士のような、ふんわり柔らかい雰囲気だった。
「な……」
「何を見ている」
スゥトを守るよう抱き締める少女は、健気に、必死に、じきに光昭の瞳に請うてきた。
もはや、少女に誰?などと聞かなくてもわかったような気がした。
……スゥトが恋したあまり手にかけたと噂されている先代の巫女姫ではないか。
そうなんだな? と唇では告げず、タキアを見つめると、彼女は嬉しそうに極上の笑みを返した。
この青年、結構愛されてるじゃないかと思った。
その分愛していたのだろうな、とも。
でなければ、こんなにも温かなものを感じることはなかっただろう。神政官に場違いじみた人懐っこさで、幸せに抱きつく少女。離れることのない腕はずっとスゥトの身体に巻かれて、ところどころ……透明に消えそうになっていた。
やはりと光昭は思った。生きている人間ではなかったな、と。
タキアの声のない口が言葉をまとう。
『あなたの召還は、間違いじゃないのよ』
は、と光昭の目が何かに打たれたように見開いた。先代の巫女姫は、薄暗い光を帯びながら、勇者をじっと見つめている。
『ティアーナはあっち』
少女の細い指が、廊下の奥の方を指す。右側に、部屋が一つあるのが見える。
『私は、もう見ているだけしかできない。ねえ ……この人もたすけて。ボロボロなの。心も身体も。疲れてるの。憎しみだけ残ってて、喉もからから。私では救えない……』
スゥトにしがみついている少女は、光昭に懇願した。
先代の巫女姫に、彼は問うた。
お前は何だ? どうしたいのだ、と。
少々ぶしつけに意思が出た。
『私……? どうせ元凶よ。私がいなければ、アマツセナも壊れることなく、ティアーナがあなたを召還することもなかったでしょう。……ねえ、お互い好きになっただけだったのに、このアマツセナの世界はそれを許してくれなかった。私、私自身は、この人が無事でいてくれるだけでいい。ねえ、あなた……解ける?」
この絡まりねじれた謎糸を。
おそらく、光昭が召還される前から、複雑に合わさっていたものを。
……コクンと、顎をおろす無言の緊張。
巫女姫の姿が視界から消えた。
「……ぁ。あああ」
傍から見たら、奇声にしか聞こえない叫びが光昭から漏れた。
それでも、口塞いで、大人しくしていることなんてできなかった。一気に頭の中に流れ込んできたものを受け止めるには、限界があった。……なんてことだ。
「勇者、何の真似だ」
ねめつけるように、柄のよくない視線を送るスゥトを無視して、光昭は、廊下の奥へと走り始めた。
ティアーナがそこにいると確信して、胸が早く打った。
俺、……来たことがあるじゃないか、ここ-アマツセナ-に。
なんてことだ。『記憶』とやらが語っていた。
20年前、俺は勇者として召還されて、ちゃんと化け物倒して、平和を取り戻し帰ってきたはず……だった。現の世界に……ティアーナ-妻-を連れて。
彼女は加奈子と名を変えて、勇者の面影を失くしだんだん世間に埋もれていく夫を、誰よりも愛していてくれた。
『俺は一度勇者だった』んだ。
そして、また同じ場所-アマツセナ-に呼び出されてる。
同じようにティアーナ-巫女姫-に会って。
つまり。俺にとって、これは……二度目の召還。嫌な音を立てて、記憶のパズルが組み合わさっていった。
バタン、と奥にある部屋の扉を、力まかせに開いた。
音に驚いたのか、部屋の隅っこの方でびくんと動いた生き物の気配があった。近づいてみると、案の定ティアーナの背を丸めた姿だったので、良かったと安心した。光昭は避けようとする彼女の手を握って、明るいところまで引きずり出した。
「やっと自覚した」
「え……。あの……やめてください」
ぽんぽん、と子供にするように、頭をなでられていたので、ティアーナは落ち着きをなくして、抵抗した。
「俺の妻になる人、だったわけだ」
そう思って、巫女姫を見ると、何だか変な気分だが、娘と同じ17の頃の妻の姿と思えば、納得できないわけではなかった。
加奈子とやっとすんなりと重ね合わさった。
「あ……ミツアキ様? 何を考えられていますの」
「俺の人生」
「……?」
きょとんとした表情のティアーナを、光昭は苦笑するようにして眺めた。
少女の涙の跡は見て見ない振りして。
最初は、歳不相応に呼び出されて、場違いな化け物退治かと思っていた。
それが、すでに運命の糸に組まれてどうやら必然のようだと気がついた時、……あとに退けない一歩を踏み出す。
光昭の顔に、彼の歳にしてはまだ深く暗い溝が静かに走ったのは、……その時。
第12話 end
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