第13話 ふりだし
妻が消え、アマツセナに勇者だと言われ呼び出された。滑稽な話だなと思っていたら、そこには妻がいて、倒さなくてはならない存在だと言われた。
そんな事情で、悩みながら頑張っていたのが、昨日までの自分。
……『それだけ』なら、これほど覚悟しなくても良かったのかもしれない。
光昭から疲れ果てたようなため息が出た。もう一歩進めば、彼は倒れて眠ってしまったかもしれないほど、深い息を吐いた。
徐々に記憶を整理するごとに、真剣に、苦しみが湧いてくる。追い詰められ、崖の淵に立たされたような、異様な緊張感が身体中に走る。
真実に近づいた分、強いられた代償があった。
「ミツアキ様……」
翳りを帯びた表情に気がついて、ティアーナは見上げたまま唇を開いた。彼のそれは、弱ったようなとか、困惑したなどといった語では単純に図れない、幾つもの思いが重なり続けた末の表情だった。笑ってすませそうにない、笑ってくれそうにない。深い顔の皺がはっきりとあらわれていた。
何を考えているのだろう。辛くて、いたたまれなくて、哀しくなった。目の前の人が一気に老けてしまいそうな苦しみが、その顔の後ろにひかえているような気がして。
早く喋ってほしかった。ティアーナが光昭の名を呟いた後は、沈黙が重く落ちていた。完全に言葉が途切れた。ティアーナは、まるで呑まれてしまったかのように、光昭の暗い瞳に釘付けになっていた。
別人みたい……。
こんな表情もするのだ、という軽い気持ちで思ったのではなかった。別人に見えるほど鋭い苦渋が彼を襲い、それに抵抗して葛藤しているのが伝わってきたから。だから、ティアーナの方まで痛みに満たされていた。
他人のことなのに、ティアーナは我慢できなかった。指先の震えは、すぐさま肩まで伝染し、感情は頬をじわりと染めた。
自分には、光昭の心を軽くするようなことはできないと分かっていても、何かしてあげたくてしょうがなかった。手が勝手に動いた。好きだった。知っている。承知している。彼には、愛している妻がいる、……未来の自分という複雑な立場の女性が。ふわりと包んではいけないだろうか、今、両腕で、支えたい。
光昭が倒れそうだ、というのはティアーナにも危険信号のように察せられたから。無言のままの彼を引き寄せた。
「ティ……」
光昭は、一瞬驚いたように言いかけて、少女の方に大人の身体をつんのめらせた。必死で、焦った、巫女姫の抱擁に戸惑った。
後ろまで完全に手をまわすこともできず、子どもが親にひっつくような奇妙な体勢になった。
まさか……、と光昭の低い呟きが、ティアーナの耳元に聞こえた。声にして言うまでもなく、そこまですれば分かるだろう。巫女姫は恥ずかしさのあまり消えてしまいたかった。大声で好きと言っているのと同じことをしている。ばれただろう。
今度は、まいったな……、と声がした。呆れるような言葉の出し方。ティアーナは怖くて震えがとまらなかった。
嫌われる。
ああ、何でミツアキ様に恋してしまったのだろう、私はおかしかったのだ。
目を、死に物狂いで閉じて、心を人形のように冷たく固まらせていった。
私は駄目。もう巫女姫なんて失格……。いっそ壊れた方がいい。
刻がとまったと思ってから、長い時間が過ぎたようにみえた。
だが、気がつくと、状況は何も変わっていなかった。光昭は、ティアーナを離してもいなかったし、むしろ、子どもがやるよりはましな抱擁になっていた。
「すまんな、俺が代わりで」
「……?」
耳に触れる囁きに、はっとした。語を悩んで選んだような跡がみえた。自然に呟くようで、意図的な一言だった。明らかにティアーナに向けた言葉は、他に言うべき台詞を削って流れてきた。
その続きは……?
意味がとれなかった。
光昭が、ティアーナの肩を抱いたままであることの理由も、分からなかった。
温かくて、このままでいてほしいと思った。
「すごく嬉しい。まさかな、と思った。20年後であっても、俺を好きになってくれるなんてな。年齢は関係なかったりしてな。ありがとう。ティアーナ、……だから、すまないと思う。……『戻れなくなるから』、この辺でとめてくれ」
とめる……?
ティアーナの思考が白紙化した。純白に、汚れなく凍りついた。
あ……、と、喉の奥から絞り出した。泣き声。指がぎゅっと、光昭の肩を掴んだ。光昭も、ティアーナをより強く抱いて、ぽろっとつたう涙を胸にうずめさせた。
……時間軸がずれているのよ。
ティアーナを落ち着かせるよう胸に抱く光昭の傍で、先代の巫女姫タキアの声が、彼にだけ聞こえた。
この出来事の元凶を名乗る少女の亡霊はなかなか消えてくれそうにない。
それとなく、光昭は彼女を睨んだ。
……記憶、戻ったでしょう? アマツセナの懐かしい日々。闘った記憶。ティアーナとの甘い恋の経過も。今、彼女が愛しくてたまらないはずだわ、20年後のあなたでさえ。
光昭は、タキアの亡霊を無視した。腕の中の少女は、失恋したと思ってはちきれんばかりの涙を流している。まるで、光昭が冷たく突き放したかのようだ。
ところが、ほとんど理性的に断りを入れたように思えた光昭も、実は気が気でなかった。加奈子であって、加奈子でない。それは、頭でも心でも最低限区別しているつもりだった。だが、記憶は残酷にも、ティアーナと過ごした日々を、克明に描き出し、忘れていた愛情を呼び覚ましていた。
少女に、気取られてはいけない、と慎重に言葉を使った。……だいたい俺も好きだ、と言える歳ではない。それに、時間軸が違うのだ……。
……言った瞬間、現在と未来が変わるのよ。歴史というものがね。気をつけて。
偉そうに言うように見える少女。その眼差しは言葉とは裏腹に、遠い彼方の哀しいものを見つめている。一番、歴史の中に閉じ込められているのは、彼女かもしれない。
助けてほしくて、助けてほしくて。そして、……光昭を呼んだのかもしれなかった。
本人に尋ねようとは思わないが、若くない方の自分が勇者として召還されてしまったのは、……もしかして彼女の仕業も絡んでいるのではないか、と考えた。
おそらく、当たりではないかと思う。
……おじさんじゃない。若い娘に手をだしちゃいけないわ。
この先代の減らない口。事情がなければ文句の一つでも言ってやるところだった。
再度、睨みの眼差しを向けた。透けて見えるタキア姫の姿は、礼儀正しくぺこりとおじぎをしていた。何だ?と、光昭は動揺した。
……苦しいと思うわ。分かって、覚悟してたものね。ありがとう。
光昭の態度に、返事に似たものはなかった。
ただ、勇者としての自覚は、嫌過ぎるほど、封印されていた記憶とともに戻ってきていた。20年前の若者ほど、純粋活気よい冒険にはならない。かといって、20年後の右も左も分からない場違いな親父の少し情けない活躍からも解放されそうだった。
その両方を経験して、本当の勇者がふりだしに戻る。
光昭は、巫女姫を腕に抱いて、愛しかったが、胸の奥の奥に閉じ込めた。
「ティアーナ、顔をあげて」
協力して欲しい、と囁くように告げた。
素っ気無いと思われただろうか。
まだ残る雫をふいて、巫女姫はコクンと頷いた。
第13話 end
|