第14話 変化
光昭は、近くにあるティアーナの顔をそれ以上見つめていると、取り返しのつかないことをしてしまいそうだと思って、なんとも不自然な離し方をした。
不器用な腕の解き方だった。
「ミツアキ様……?」
驚いた眼で、巫女姫は光昭を眺めていた。きょとんとした様子は少女のもので、まだ光昭を意識しているためか、余計に可愛らしく見えた。
「ああ……、気にしなくていい」
本当に気にするな、と光昭は思った。
……ティアーナ、一緒の世界で生きよう。離れたくない。
耳に残るは、20年前の記憶。
もはや若いとはいえなくなった男が、心深くで悩むのは、多少許されていい不可抗力だと思った。
それよりも。
アマツセナの世界を救わないと。俺……。
今なら、それができるはずだった。
+ + +
はっきりと、目的地を定めた足取りで廊下を進んでいく光昭に、ティアーナが後ろからついていく。彼女は、光昭がどこに行こうとしているのか、分からなかった。だが、城の奥を目指しているような気がしていた。
おかしなことに、奥は光昭の知らない場所のはずだった。というのも、召還してから一度も彼をそういう場所に案内した覚えがない。
巫女姫の私室に来るにも迷いそうになる光昭であるので、城のすみずみまで知っているような歩き方は不可解だった。
廊下の角を、一つ二つ曲がり、階段を上がり、また角を曲がり、明らかに熟知した者の歩みで、光昭はどこかを目指していた。
あっ、とティアーナが目的地に気が付いた時には、彼は扉に手をかけていた。
「ここは……先代の巫女姫様のお部屋ですわ」
つまり、タキアの部屋となるのだが、……光昭が左右をふっと確認すると、佇むように少女の姿が見えた。
こじんまりとした、寂しげな空間だった。調度品はあまり置かれておらず、いかにも人がいなくなった部屋だと分かる場所だった。
亡くなった時からそのままにしてあるらしい、とティアーナから聞いて、光昭は静かに頷いた。
彼等の他に、先客がいた。
足繁く通っているのだろうと、予想ができるほど、自然と空間の中にとけこんでいる男の姿が、目に入った。
ほとんど何もない部屋の真ん中で、神政官スゥトは、ただ立っていた。光昭達には背中を向けて。喋らず、地味な色の絨毯を穴が開かんばかりにじっと見つめていた。すっかり、部屋の空気を馴染んでいた。
声をかけるのも憚られたので、スゥトが気が付いて後ろを振り返るまで待っていた。
神政官の、背中を見ているだけだったが、それだけで、彼が、先代巫女姫を強く愛していたことがじんと伝わってきた。最初、信じられそうな表情だったティアーナも、一刻過ぎた後には、理解したようにスゥトを見守っていた。
彼は、クルリと身体の向きを変えた時、扉の脇ほどに見える巫女姫と勇者に、嫌そうな目を送った。
いつもなら睨んで罵詈雑言を浴びせるところだったが、愛しい人の部屋では控えたのか、二人を無視して、扉をくぐろうとした。
「待って欲しい、スゥト神政官」
「用件は後で聞いてやる」
「そういうわけにもいかない。タキアに逢わせてやれる、と言ったら、……スゥト、お前は俺に協力してくれるかなと思ってな」
「ふん、出任せを」
一瞬、恋人の名前に、反応したようで、スゥトの目が震えた。
何故、お前がその名を口にする?と驚いたようでもあった。
「別に怪しまれてもいいんだが、お前の今の状況を悲しんでいる女が一人いる。巫女姫の死に耐えられなくて、わざと狂気に身を任せようと己が身を乱暴に扱っている青年が、心配でたまらない少女がいるようだよ」
「嘘だな」
嘘じゃないわ。
光昭の耳にだけ、否定の声が響いた。スゥトは噛み付くように威嚇していた。
狂気の二文字は、……今は青年から見出せなかった。
「お前をいつも後ろから包むように、少女が手を伸ばしている」
「言うな」
「見えなくても、感じるんじゃないか。この部屋によく出入りし、ずっと愛し続けているなら尚更。……タキアもそのように見えるのでな」
すっと、光昭を突く眼差しは、限界まで緊張していた。ああ、……と光昭は思った、青年は揺れていた。信じたくあり、抵抗したくあった。
少なくとも狂気から抜け出した状態で、本気で苦悩していた。
ガタン、と、人が絨毯に重みをあずける音がした。
スゥトは膝を下について、口を両手でふさいでいた。嗚咽でも堪えるように、一生懸命声を出すまいとして、しまいには一度舌を噛んだようだった。
「……っ。消えろ。……邪、魔だ」
「スゥト、お前がいないと困る。俺を憎もうが、ティアーナを憎もうが構わないが、お前が協力してくれないと、何も解決できないんだ」
思わず、光昭は声を大きくして言った。
「……ぅ。何故だ……?」
それこそが、元凶であり、悲劇であり、現在への影響である。
スゥトには分からないだろうが、時間軸のほつれは、おそらくその時点から始っているはずだった。
世界の崩壊も、巫女姫の死も、そこに糸口があるはずだった。
光昭は、低く言った。
「お前は、アマツセナで最初の禁忌を犯して、巫女姫を愛したからだ」
「それが、勇者……お前に何の関係がある?」
「大いにあるつもりだよ。俺も……」
言おうとして、喉に詰まった。しかし、聡くスゥトは光昭が言わんとするところを理解したようだった。もっとも、ティアーナのことを指していると彼は思ったらしいので、誤解ではあった。光昭は、説明しようとして、それが簡単には済まなそうなので、口ごもった。
「く……。面白い。禁忌に刃向かうつもりか、勇者が」
「言われてみれば、そういうものかもしれないな」
「……タキアに逢わせてくれ」
ほとりと、神政官の喉から漏れた言葉は、事実上、光昭の申し出を受け入れたということになる。
何とかならないか、という目で、光昭は細く揺れるタキアを見つめた。答えは、否の形で返って来た。確かにそれができれば、とうの昔に恋人に抱きついているであろう。
いぶかしむように、スゥトの視線が、光昭に突き刺さる。早くしないと、本当に直に攻撃されそうである。
「いつもお前の傍にいるみたいだが。……お前には幸せになって欲しいみたいだ」
くくくっ……、と低い笑いが、スゥトの口から聞こえた。自嘲にもみえたが、心からそれを笑うようでもあった。
故意に声を響かせて、ふざけた狂態を演じていたが、スゥトはそのはざまで、震えながら祈っていた。恋人の名を呼びながら、幾度か、幸せにはなれぬと否定していた。
狂っています。そう呟こうとした巫女姫の仕草は制されて、スゥトを見守ることだけが許された。
この、自己を乱した男が、どう役に立つというのか。
……ミツアキ様は何を考えているのだろう。
ティアーナの心に、ぽつんと浮かんだ。
頃合をみたように、歩む。
「協力してくれ。スゥト」
しばらくして、光昭が延ばした手に、神政官の腕が、のろく動いた。
第14話 end
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