第16章 世界……?
光より、影をより多く取り込んだ図書室は、狭苦しい出入り口の構造も手伝って、閉鎖的で全体的に薄暗い。昼のぱっと明るい日差しを忘れ、そこは夜が近づいた頃の寂しい静けさに満たされている。
古臭い、普段あまり入る者がない部屋であることが感じられ、光昭はスゥトの後ろについていきながら、何だか落ち着かない気がした。勘というものか、予感というものか、……おかしな気分になった。
「……アマツセナの歴史については、適当に探せば、嫌でも見つかる」
近くの書物を一冊手にとって、スゥトはパラッとめくる。
え……。
神政官の表情が固まって、カタンと掴んでいた書物が床に落とされた。ぐ……、と歯を食いしばって、起きた事態に震えまいとしている。頬からは血の気が引き、唇はそれでもふるふると揺れている。
「おい……?」
光昭は変に思って、スゥトに声をかける。……おい、ともう一度言って、それから床に転がった書物に目をやった。
……白紙。
何も写されていない、真っ白の書物。慌てて、光昭は傍の一冊をもぎ取って、めくる。
白紙。
もう一冊。……真っ白な頁。白い紙……。
何だ、これ。…………?
放心したように、白い書物の頁をなでる。
書かれているはずの歴史が書かれていない……そんな馬鹿なこと。
「ここへ来る前、……お前言ったな。歴史が上書きされてる、と」
「ああ言った。よく分からなくなったけどな」
「……ふりだしだ」
「…………は?」
白い本を拾い上げながら、スゥトは悟ったように呟いた。
「ただの「人」の仕業だと良いのだろうが、……こういうのは、神や時間軸、世界というものに邪魔されていると言うのだろうな。白紙だ。神は過去を私たちに見せてくれないらしい。お前が提案した、世界を救う方法……、ここには無いと示されてしまったようなものだ。巫女姫との恋と禁忌の秘密、神は蓋をされたぞ。行き止まりだ。……どうすればいい」
スゥトが、しばし震えた両手で、書物の真っ白な頁をばっと開いて、光昭に見せつけた。
何も文字が浮かんでこない、もはや書物とは言えない白い紙の綴り。それを、ぐっと顔の傍まで近づけられて、光昭はどきりとした。スゥトは、意図するように、わざと思わせぶりな表情をつくっている。言え……、と、そう、光昭に事実を、現実を告げさせようとしている。
「行き止まりなら、……また次を見つければいい。見つかるまで、俺はやる」
「どうして、このようなときにその、軽い口が聴ける……!?」
「軽い……?」
ふ、と光昭は息を漏らした。
……どこが軽いのだ。
妻の運命を背負い、置いてきた娘を想い、勇者の名を押しつけられ一人異世界にいる、43の男が、ぽつりと呟いた本音が。
やるしか、ないのだ。
「こんな、歴史が白紙に戻るなんて……神をも世界をも敵に回しているということだぞ? 出来るのか?」
「それがどうした? 神をも恐れない神政官のはずじゃないか? 逆らわないで、このまま神か時間軸が定めた行動とやら起こせとでも言うのか? お前こそ、おかしいじゃないか。……俺は、やる。何を敵に回そうと、……邪魔されようと、怖がっててどうする。敵が分かって良かったじゃないか」
神を敵に回してやる。すごい言い回しが耳に入ってきた。
「はあ…………?」
いぶかしみ、目つきの悪い視線で、スゥトは光昭を睨んだ。内心随分、この男は変わったなと思いながら、スゥトは親父を見やる。最初召還されたときは、頼りなく、勇者と呼ぶにはあまりにもお粗末な男だと思った。勝ったのもまぐれ、巫女姫に慕われているのも勘違い……そんな考えだった。
だがもはや、……ただの、中年男性なのに、情けない柔な奴なのに、と……正面から光昭を眺めていると思えなかった。
その歳で成長しているとでもいえばいいのか……、大きくなっていた。
「俺は頑張る。世界……、そして、タキアとティアーナを助けよう。俺は……妻が好きなんだ」
光昭は、妻が、というところを強く発音した。
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図書室の中で、会話?が弾んだ……。光昭は思い出すように、現の世界の家族のことを話した。子供は一人、美弥という名の女の子で、大きくなるにつれあまり話しかけてくれなくて、寂しく思っていること。ちょっと乱暴生意気な口をきき、親父扱いして邪魔っぽくされていること。妻はそれを何も言わず見守り、まるでその底辺に流れる父子の絆を見透かしているかのように穏やかに笑っていたこと。そんな毎日が、誰に何と言われても、幸せだったこと。妻がいなくなったこと。辛かったこと。……吐き出せば、どんどん出てくる……。
負けるかと、意外にスゥトも喋る。
タキアには一目惚れだったこと。以前はアマツセナのまじめな神政官であったが、新しくやってきた巫女姫に恋して、一時は仕事もおぼつかなくなるほど、動揺してしまっていたこと。禁忌と想いの間で悩んだこと。諦めきれなかったこと。タキアもまた、スゥトに心を寄せてくれていたこと。二人で内緒で過ごしたこと。最初のキス。まるで初々しい思い出のようで、光昭は聞いていて、ときどきからかうような口をはさんだ。その度に、スゥトがムキになって怒るから余計に面白そうに突っ込んだ。
「何だ、普通の恋してるじゃないか」
「うるさい」
「俺も、……普通の結婚したはずなんだけれどな」
いなくなってしまった妻、それは普通という言葉では説明できないことは分かってきている。加奈子。……加奈子。いなくなってから、恋しく思うなんて、何かよくある安っぽいいドラマみたいじゃないか。しかも情けない役柄で。
「そうか……」
はっと、光昭が目を見開く。背を起こして、ピンと立ち上がる。
日記。
妻の日記だ……。
あれが消えてなかったら。
「取りに行ってくる」
「おい、何を……」
慌てて扉をくぐっていった光昭に、スゥトは呆然としている。
『彼は奥様……ティアーナと闘うつもり。彼女が世界そのものだから。どうやったら幸せな結末を迎えられるか、そんな都合の良い道筋なんてないのは分かってるみたい。だから、あがいているのよ』
隣の声に振り向いたスゥトは、声を無くした。
……薄く、透けてはいるが、ちゃんと先代の巫女姫タキアの形をとっている少女が、そこにはいた。
ふふ……と、少女は笑う。やっと、見えた、と嬉しそうだ。だが、いつもいたのにと、少々不満も漏らしながら。スゥトが背を向けていたから、ずっとタキアは無視されていたのだ。
そっと、彼の腕に、頭を置く仕草をタキアはした。眠るように、甘えるように、可愛い様子で枕する。昔よくやったことだった。
『会えたね。私が死んだのは、あなたのせいじゃないよ。私が巫女姫だったから。禁忌を破る力がなかったから……』
「タキア……。タキア……、愛している、君を、ずっと……」
にこっと、少女が笑う。ごろりと、猫のようにスゥトの腕に甘える。
『あなたの他にはいないよ。だから……、だから……』
今から言うことをよく聞いて。
世界を救うたった一つの方法。
「っ…………」
徐々に消えていく最愛の少女の形を抱きながら、スゥトは絶句した。
ごめん。
とタキアはいく前に呟いた。
『ミツアキには残酷で、言えなかった。元凶は私なのにね。私さえ、恋しなかったら……』
「何を言う。……幾度、幾重でも、……私は出会ったら、タキア、君を好きになる」
すごくそれを、真面目な顔で、言う。まるで昔の、固くて融通の利かない、神政官の青年に戻ったように。
少し違うのは、泣いていることだ。スゥトの頬は涙に濡れていた。温かくて、人の体温の滴が落ちていた。タキアが本当に、もうすぐ消えてしまうことに薄々気がついていた。そして、二度と会えないことも。天に……昇ってしまう、それがいいことだとは知っているけれども。
『私、今、幸せだもの。……一番好きな人に、愛して貰えてるんだもの。こんなに嬉しいことないよ。良かった……。最後に会えて、本当に良かった』
「いくな」
『駄目だよ。今消えないと。すごく幸せだもの。……幸せだった。ミツアキに伝えてね。……巫女姫として願います。……スゥト……大好きよ』
少女の顔が、泣きっ面の神政官の顔に、ちゅっと、重なる。
『解放してくれて……ありがとう。……やっと、役目を終えられる』
タキアが両腕を交差させる。眠るように目を閉じて、そして、……すっと世界から消えた。
少女の形を失ったスゥトは、しばらく、現実を信じたくないようで、ぎゅっと、少女のあった場所を抱き締めていた。
バタン、と扉を蹴るように、光昭が帰ってきた。手には、日記が掴まれている。
はぁはぁ、と喉を苦しそうにして、急いで帰ってきたのが分かる様だ。
「あった……。加奈子の日記」
「ミツアキ……」
「消えてなかった。今から読み直す」
世界を救う方法、……分かったぞ。
「え……」
ほとんど、棒読みのように、言葉を吐き出したスゥトを、光昭は驚いて見た。
タキアの最後の願いでもある。アマツセナを救う方法とは。
「全ての巫女姫の消滅だそうだ。タキアは先程消えた。……伝えたぞ」
うつむいて、もう何も言わない神政官。
動かなくなった男がもう一人……。
第16話 end
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