第17話 温かいもの
「ミツアキ様は、ずっと、何をされているのですか……」
2日まるごと、姿を見かけていない勇者を心配して、ティアーナが嫌なことを予期した顔で、尋ねる。けして明るい表情などできないというように、目元に影をおとしたままの暗い形相。しかし気はしっかりとしているようで、質問を投げかけた相手、……スゥトを見上げる視線の奥は、やや弱いものの、彼女の意志が見て取れた。
「知らん。……一人で閉じこもっている。図書室から動かずにな」
「私も行かせてください」
「行くな」
反射的に、スゥトがティアーナを言葉と腕でとめた。ぴたりとくっつくように、肩を握った手は、いささか強く掴みすぎたようで、巫女姫が痛そうに目を閉じかけた。それを見て、スゥトは眉を歪めて片手をぱっと離した。
行かせてはいけない理由はあった。
勇者の邪魔をしてはいけないのだ。
あの男の、やりたいようにさせてやらなくては。
そのためには、巫女姫ティアーナさえも、邪魔になるだろう。
いや、相手が巫女姫だからこそ、……傍に近づけるべきではなかった。
「何故です」
「ミツアキは、今、ずっと日記を読んでいる。机に肘つきながら、ぼうっとページを眺めている」
妻の手書きの文字を追いながら、行儀の悪い格好で、図書室の一席を占めている。一度読んだところを、繰り返すように、もっと刻みつけようとするかのように、……日記のページを、手繰り続ける。
気でも狂ったかのように、無言で、……妻を捜し求めるように、夫は歩き、そして走り続ける。薄暗くほこりっぽい部屋で、妻の筆跡を撫でながら。
その世界で、たった一つの妻の持ち物、日記……。
無い手がかりを、必死で見つけ出そうとするように、光昭は一昼夜閉じこもりっきりになっていた。
「お前は、本物の、偽らざる勇者を召還したのだな」
「…………? どういう」
言い抗おうとして、ティアーナは、あっと気がついた
嫌悪感から好意へ。
敵から味方へ。
スゥトの気持ちの流れが、驚くほど読み取れた。心なしか、普段よりやや棘の取れた話しぶりも、雰囲気も、……何だかほっとさせるような、温かさがあった。
……温かさ?
神政官たるこの青年に、ついぞ感じたことのない気持ちであった。
「理由」を突き止めようとするように、ティアーナは、大きく見開いた瞳を、スゥトに向けた。事実を見逃さないように。
ほのりと照った頬をしている青年は見ようによってはおかしい。ティアーナはこんなの見たことがない。
首を絞められたこととか。
狂った、冷たい目で、ねめつけられたこととか。
悪意の塊のようにも思っていた。
勇者召還にも、嫌がらせのように反対して、巫女姫など軽蔑の対象とでも言わんばかりにしていた男から、不思議なオーラを感じる。
一体どういう風の吹き回しなのだろうか。
……あれ、笑った……?
また、元のくすんだ表情にすぐ戻った。それでも、一瞬穏やかな、とてもよい表情は、ティアーナの心に印象深く残った。
……このように笑うのですか。
ほお……あら私……。
ここに立っている、隣に並んでいるのが、血の通った人間であると、……当たり前のことであるのに、何だか初めてのように理解できた。
「巫女姫、……協力しようか」
「え……」
「神政官と巫女姫が決別したままのアマツセナでは、勇者がいくら頑張ったって、世界は動かない。それに、二人で手を貸せば、勇者の力になれる」
「それこそ、……今日のスゥトおかしいですわ、ミツアキ様と何があったのですか……?」
「くっ…………、分かれば良いのだがな。とにかく、あいつに味方してやろうと……思った」
そうして、巫女姫の視線をさけて、真上を向いたスゥトは、何だか少し気が済んだかのように、照れていた。カッと、頬が赤らんでいた。柄でもないと気配が言いたげだった。
「闘う姿とは、色々あるんだな……。武器を持ち、魔物を倒し、そんな男の姿ばかり考えていたのに、あいつ…………、座り込んで、妻の日記めくりながら戦闘してるんだ」
「……?」
「愛した妻を殺せるか……?」
「できませんわ」
即答したティアーナを否定するように、スゥトが続ける。
「ミツアキは、……素手で、防具もなしに、……全然諦めず一生懸命、静かに、奥方と闘っていた。実際、必ず闘うことになる相手と、……手書きの中で、苦しみながら、対峙していた」
一つ、めくるたびに、一つ心が痛み、一つ読み終えるごとに、一つ気持ちが固まっていく。
誰からも邪魔されない、薄暗がりの書庫で、必死に追う文字列は、運命の糸のようにするりと伸び、次のページへと続いていく。
光昭の心を、試すかのように、加奈子の言葉はゆるやかに逃げていく。それを夫は捕まえようと追う。
『まだ、やめないのか』と、スゥトが恐る恐る尋ねたとき、光昭は、
『やらせてくれ』
と、ぽんと一言呟くように言った。
恋している親父だ……、とスゥトは思った。
その姿は、20年前に勝るとも劣らず、相手を想っているのだろうと。
『まさか、本当に、巫女姫をアマツセナから消滅させようと思っているのではないだろうな』
『最悪の場合……』
後ろの言葉は、微かすぎて聞こえなかった。けれども、あまり良くない答えのような気がしたから、聞こえなくてよかったのかもしれない。
『加奈子のは本当に俺に惚れていてくれたのかもしれない。こんな風に書いてある。書かれて恥ずかしいことばかり、俺のこと、そんなに見ててくれたんだな……。「あの人は、もう少し頑張ればダンディになれるのに。世に言う「おじさん」では私が納得いきません。大好きです……」ってさ』
は……?
いきなり、のろけられて、スゥトが瞼を何度か閉じた。
一体……。
唖然としかけた時だった。
…………ミツアキの顔。
伝えられない、絶対誰にも言えない、……ぎゅっと手の甲を震えても握り続けた。
奥さんを愛しているただの中年男が。
…………何で幸せそうに笑ったまま、きつそうに泣くの我慢してるんだよ。
苦しくてたまらないんじゃないか。
今にも吐きそうで、絶望しそうに、喉が揺れている。
『ミツアキ……』
『俺は、今なら勇者名乗れるんじゃないか、って思う』
『馬鹿野郎』
『任せておけ』
もう一度、スゥトは光昭に、馬鹿何とかと罵って、くるりと出口の方に足を向けた。
最後の一言が、限りなく、頼りがいがあるように聞こえた。
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「決戦は、ミツアキの指示があってから。お前も私も、二人で助ければ、容易にやられはしないだろう」
「何の話ですか……?」
急に、当然のように、言葉を持ち出されて、ティアーナは首をひねった。前から聞いていたことでもないし、今日初めて聞いた話だ。
「アマツセナを救う方法、分かったんだ」
「まあ……それは」
「ティアーナ。いや……いえない。……それほどのことだ」
「あ……」
ドクン。と心臓が打つ。
「それを、ミツアキ様はやろうとしているのですか……? 決戦、奥様と闘う気…………なのでしょう……ね……?」
返事はなかった。
「狂ってるよ……、この世界」
吐き出すように、スゥトがごちた。
地面はほとんど削られ、住む場所も限られた、崩壊寸前の狭い世界。
透明な、諦めに満ちた、小さなアマツセナ。
そこを本当に救ってくれるものなどいるのだろうか。
彼等は勇者が書庫から出てくるのを、ずっと待っていた。
第17話 end
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