第2話 親父と背広
『やだあ、お父さん、酔いつぶれて帰って来ちゃったよ。お母さん、どうするの』
今朝方、アイロンがけしたシャツも見事に皺がついて、背広姿も格好悪い。…そんな玄関に沈み込んだ光昭を、二人の女性が見守っている。
一人目は娘の美弥。
昔から口も悪く生意気で、父親に早くから反抗期に突入した娘だった。どうして父にだけ、そんなにつっかかるのか、特に醜態だと判断した父の姿には手厳しい。
もう一人は…、妻の加奈子。
彼女はにこりと微笑んで、夫の泥酔を、眺めている。すべてを認め、包んでいる、優しい瞳だ。
意識はあるが、頭が痛くて、どんより重い眠気で潰されそうで、とても抵抗できない。
『ベッドまで、連れて行くわ』
『えー、お母さん、甘いわ。放っておけばいいじゃないの。自分で勝手に酔ってきたんだから。』
『仕事、疲れたのでしょう。だから、飲んできたのでしょう』
『そんなんばっかで、お母さんに迷惑かけてばかりよ。最近、お父さんとデートしたことある?…ないでしょ。私ちゃんとチェックしてるんだから』
『美弥…』
困った声音。
ふとして、降りてきた手の体温が、光昭の顔に伝わった。ぺたぺたと、子供のように触ってくる。
『あー、分かったよ。私も手伝う。お母さん一人で抱えられるわけないじゃない。お父さん、結構体重あるんだから』
バタバタと、駆けて行く足音。それから、またバタバタと戻ってきた。
『寝室開けて来たよ。ほら、私も抱えるっ、お母さん、どうしてこんなお父さんを好きになったのよ』
女二人に、決して小柄ではない男の身体が支えられた。どろどろに酔ってなかったら、すぐにでも、振り切ってやるのに。まだ、美弥の愚痴が聞こえてくる…。
『え…。お父さんを…? 美弥は知らないわね…、私がこの人を…』
白い。ぐら、とさっきより更に抗いがたい眠気。耳が言うことをきかずに音が遠のく。加奈子の声がちっとも聞こえないじゃないか…。
…せめて、いなくなる前に、俺の気持ち…、………っ。
美弥の真っ直ぐな声が聞こえて、光昭は切った。
『出逢わなければ良かったのかもね。お父さんと、お母さん。間違っちゃったんだよ』
冗談ぽい娘の言い方。
胸に突くほど、辛い…。…夢なら覚めて欲しい。仕事にどれだけ自分を注いでも、妻を愛していない男なんかじゃなかった。声に出さなくても、態度に出なくても、…時間が無くても。…俺は幸せ、…だと思っていたのに。
「ミツアキ殿、朝ですぞ。チュー」
嫌な予感がして、目をパチとあけると、…そこにはコロナー大臣の唇が迫ってきていた。
大の男の悲鳴。寝起きから、完全に覚めると、ミツアキは異世界の大臣を、床にぶっ倒していた。成行きだ。しょうがない。
「ひどい。ミツアキ殿。…この世界では、高貴な者が客人を朝起こすために、こうやってわざわざ出向くのが慣わしなのですぞ。チューは、伝統的な挨拶なのです。…それを、お気に召さなかったのか、うう、…私は殴られて」
「…俺の世界に、そんな慣わしはない」
ムキになりそうになった。必死になっても許されるだろう。
もう少しで危険な目に合うところだった光昭は、大臣から距離を取るように、さがった。
「本当は、姫様が来られるはずだったのです。それが、まだお身体の調子が思わしくなくて。代わりに、この大臣のコロナーが、不肖ながら参りました」
「…明日からは、…来なくていいぞ」
早めに追い払ってしまいたくて、素っ気なく、光昭は答えた。…冗談ではないところだ。目覚めが悪いにもほどがある。
「それから、ああ…これ、ミツアキ殿に。この世界での衣服です」
「ん…?」
ぱっと、渡された見慣れない生地を、まじまじと凝視してしまった。冗談だと思う。…恥ずかしいくらい、びらんびらんの、…若作りだと指差されそうな衣裳だった。
「まさか…」
「勇者様の年齢が20代だと思っていましたので、そのぅ、…特別にあつらえた衣がそれでして」
会話がそこでとまってしまった。コロナーと光昭は、二人、衣裳を間にして、ぽかんとしばらく突っ立っていた。
銀色の煌く、蒼いラメ入りの。…なんと、すさまじい生地であることよ。
20代の光昭が果たして受け入れたかどうかも微妙な衣だと思われた。
「ああ…、俺、自分のでいい。…どこやった?」
「昨日着ておられたお召し物ですか」
「そうだ。俺の商売道具、あんな背広でも結構するんだぞ」
「そのぅ、…捨てました」
コテッ。
今朝二発めの、光昭のコロナーへの拳。立ち上がりながら、コロナーが呟いた。
「…ゆ、勇者殿はなかなか暴力であられるな」
「返してくれ、俺の背広。…あれがないと、落ち着かないんだ」
手を広げて、光昭が要求する。焦った表情だ。
「まだ、…処分はされてないはずですが。はて…、どこにやったかな。…おお、女官に渡しました」
「その女官はどこだ…?」
コロナーの首根っこを引っつかんで、光昭は、部屋を飛び出した。…夜着のまま。
廊下を、だいぶ下ると、ものものしい雰囲気になってきた。通りの端と端に衛兵が並んでいる。そこを、えらい格好で光昭と、捕まえられているコロナーが走り過ぎて行く。
「やや、…まずいです。まずっ」
コロナーが口を押さえた。
「何だ?この警備は」
「警戒態勢ですよ。…『果て』に怪物が出たんだ」
おろおろと、コロナーが慌てている。
…だとすると、このような茶番劇を続けている場合ではない。すぐにでも、巫女姫に会って、何をすべきかあおぐべきではないか。これが序の口だとすると、あと十分もすれば、もっと固い態勢が敷かれるのだろう。
「ティアーナは?」
「東の端の部屋です」
背広なんて、どうでもいいや、と光昭が駆け出した。場合によっちゃ、あの顔から火が出そうな若い衣裳も、着なくてはならないのかもしれない。…このさい、…しょうがない、か。
「…身体が思わしくないとさっき言ってたが、…指示できるのか?」
「巫女姫様のお役目は、あなたに命令することではありませんよ」
「違うのか」
「ミツアキ殿を召還した時に見たでしょう。あのように、また舞うのです。…ぐっ」
そこでとまって、光昭が、コロナーの首を掴んだ。
こじんまりとした大臣は浮き上がらんばかりだった。
「…なおさら、悪いじゃないか。…病人が舞えるか!?」
「ああっ…。…巫女姫様っ…」
「ん?」
じたばたする大臣が、助けを求めるように、一点を見たので、つられて光昭もその方向に目を向けた。
廊下のずっと遠くから、ティアーナの姿が見えた。
「ミツアキ様」
「寝てろ。そのうち、ぼろぼろになるぞ。…じゃないと、俺は勇者をやらん」
帰りな、と、手を振った光昭に、ティアーナは一生懸命首を左右に動かした。
「大丈夫です。…一緒に、やり遂げましょう」
困った顔をされているのに、ティアーナは気づいたのか、にこりと笑った。全然気にしないで下さい、と、両手の平を拳にして、一回二回、と胸のあたりで振ってみた。それでも、父親ほどの歳の男は、笑ってくれなかった。
「…どうして、そんなに心配してくださるのでしょう」
「どうでもよかったら、国を守るためでも何でも、勝手に舞わせてるだろう。…聞くな」
「でも…」
ポンポン、と光昭の手が、ティアーナの頭をそっと叩いた。背丈がだいぶ違う、…巫女姫の頭はわりと光昭の手が届きやすいところにある。
…俺、…今、すべきことって、…何だろうな。
家族も守れない男が、…世界を守る、……か。
……情けない、な。
「やってやる、よ」
小声が聞こえた。
「え…?」
「あんた、一度言ったら、やめそうにないからな。元気だ、と言い張るなら、…いいか、退治したら寝ろ」
くどく聞かせるように、説教ぽく、光昭が言った。
「…来て下さるのですね」
わあ、とティアーナの頬がほんのりと染まった。本当に喜んでいる。
ちっ…。
しょうがないな、と、光昭は、コロナーに合図した。先ほどの衣裳を持ってきてくれ、と。
随分若い。随分派手だ。…何しろ、俺の20年前用に用意された勇者の格好。
「…あの」
ティアーナが、前に出た。
「ああ?」
「昨日のミツアキ様のお衣、…女官から預かっているのですが」
「貸して」
すっと、ティアーナの前に、手が差し出された。光昭は、やっと笑う顔つきになった。
巫女姫は差し出された手を取り、嬉しそうに、頷いた。
地味すぎやしませんか。コロナーからの余計な感想を無視して、光昭は、慣れた衣服で現れた。
商売道具、の自前の背広だ。これが無いと、どこへも仕事に行けない。家ならどんなにへたれた格好でも、寝巻きでもかまわないが、…外ではそうはいかない。
「ん…。と、これが一番しっくりくるな」
ピシッと決めた背広姿に、…巫女姫にも、コロナーにも今まで見せたことがなかった笑顔が浮かんだ。
仕事時に、使い慣れた、いわゆる、営業スマイルというやつだ。
同僚の中には、詐欺師と、人聞きの悪いことをいう奴もいる。そう評されても文句は言えないほど、プライベートとかけ離れているから、一応納得はしているのだが。
「さ、行くか。巫女姫…。よろしくな」
「は…はい。参りますわ」
変化に気づいたティアーナは、キョトンとして、光昭を何度か眺めつつ、やがて、コクリと一度頷いて、微笑んだ。
巫女姫は、光昭の手を取ると、果てまでの道筋について、教え始めた。
初めての出陣。…不思議に、緊張はしなかった。
第2話 end
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