+ ダンディ研究レポート +


第21話 そして廻り出す

「困りましたな……」

 抱き合う夫婦の足下で、不釣り合いに渋い声が響いた。考えを重ね続けて厚みを帯びたかのごとく、その声は太く印象的だった。
 目が合った。
 見下ろして、驚きを隠せない二人は、半分唇を開けたまま震えている。
 ちょこんと丸々つるんとした身体。
 背も低く、どちらかといえば滑稽なほどの出で立ち。
 見上げる瞳はつぶらで、しかしそこから発される視線は夫婦を縛り付けてしまうほどの威力を秘めていた。
 知っているけれども知らないその人物は、随分と首を上げて光昭と加奈子を眺めていた。びくりと正反対の反応をする。はっと悟ったような加奈子と違い、光昭は誰だ……?と訝しむように目を下げている。

「私は大臣コロナーですぞ」
 文字通りころころとした身体を揺らしながら言う。そんなことは分かっているとばかりに光昭はつまらない顔をする。
「騙したなっ……!」
 ガッと掴む。
「ぅわわわわわ」
「あなた、あなたっ」
 速攻、大臣の首を押さえようと手を伸ばした夫を、慌てて加奈子はなだめる。
「誤解、誤解、ですぞ」
「どこが」
「ぐ、くるしいですぞミツアキ殿、はっ離してくだされ。死にそうで」
 短い手足でバタバタもがくコロナーは首から上が更に凄まじいことになっている。光昭が手を緩めないものだから、コロナーの顔は真っ赤で腫れ上がっていた。目もひんむいて必死だった。それを無言で冷たく見下ろしている様子は、明らかに疑っている。

「何か知ってるんだな?え?」
「そんな、ミツアキ殿、柄の悪いっ……うう」
「ずっと姿を見かけなかったようだが、その間お前はどうしてたんだ」
「勇者様の知ったことではありません、あっぐぐぐ……」
 コロナーが一瞬昇天しかけた。少し本気で絞めたようだ。横から加奈子の制止が入る。やり過ぎだ、と先程から夫に言いたくて仕方がなかったようだ。下手すれば殺してしまいかねない程に、光昭は怒っていたから。急にコロナーを疑ったことで光昭を責めるつもりはない。だが黒幕かと思って、勢いカッと手が出たのは……良くないところである。昔から短気なところはままある。変わってないのね、と加奈子は一人思った。

 
「まあ、私が何者でもよろしいでしょう」
「駄目なような気がするな」
「知らない方がいいこともあるのです」
「いちいち怪しいな」 
 クスと隣で加奈子が笑った。 

「誰か分かります」
「分かる?」
 さっぱりな光昭は、微笑む妻の顔を片眉下げて見ているしかなかった。教えてくれよと言わんばかりの彼の視線も虚しく、加奈子はただ静かに笑みを浮かべている。

 ついぞ出てくるはずのないひとなのだ。こうして形をとって目の前に現れたことさえ嘘のようだ。

 けれども、加奈子は、コロナーが来た理由も納得できたのだった。
 本当に勝った。
 だから……来たのだ。
 
 姿を現さざるを得ないところまでひきずったから。

「あなた方という夫婦は本当に、アマツセナの流れを変えてくれる。無茶苦茶やりなさる」
「へ……」
「その姿に、負けることもあるのですな。倒せば勝ち、などとそのような几帳面な性格をしておらぬものもあるのです。そして、わたしはそのようなもの」
「……?」
 意味が分からないと、置いてきぼりの光昭に、コロナーがにこりと微笑みかける。後ろに手をやって、満面の笑みで、見上げる。これでも理解できないかと、問いかけるかのごとく、彼は笑っている。
 
「世界」
 と、一言、加奈子が発した。

 ああ、と、光昭が隣で漏らした。……結局黒幕じゃねえか、と苦笑しながら、ふんと鼻を鳴らした。
「でもな。全然、変わってないんじゃないか? 相変わらず城は壊れたままだし、地面だってそうだ。加奈子だって……」
「ミツアキ殿、すっかり忘れておられるが、あなたは望まれてやってきた勇者ではありませんぞ。だいたい、20歳も齢重ね過ぎで、実のところあなたの役目ではないのですな。その、……アマツセナを救うのは」
「おいおい、それじゃ……」
 コロナーは、一方を指し示す。ティアーナ達がいる城の方角だ。

「アマツセナ国、セツセナ歴1174年。巫女姫ティアーナは勇者召還に成功する。歴史は未だ始まっておりません。これからです」 
「おい……」
「あとは、この後に召還される青年勇者様の役目です」
「そんなことってあるのかよ!?」
「ええ。お名前はミツアキ殿というはずですが」
「へ……」
 間の抜けた声は、しだいに、げっ……と確信した声に変化した。

 繋がった輪。

 俺、間違って召還されたわけじゃない……? というか、必要で喚ばれたわけじゃなかったのか。もっとショックかもしれないな。
 本命は、ちゃんと後ろに控えてるなんて、聞いてないぞ。

 でも歴史が、……正常に廻り出す。
 修正されたのか、最初からそれだったかなんて知らない。
 けれども、ティアーナは23歳の光昭を喚んで、そして……。

 しつこく見苦しいかもしれないが、……俺、必要じゃなかったのか? 
 結局親父なんてお呼びじゃなかったとか、今俺だいぶ混乱して愚痴っぽくなってるな。
 悪かった。歳だ。何悲観してるんだ。
 疲れてない。疲れてない。ちっ、寂しかったのか、俺……。
 頑張ったのにな。

 夫の複雑な心持ちに気がついたか、つかなかったか、加奈子はそっと手を繋いだ。
「少なくとも、……私にはあなたがただ一人の勇者です。だって、助けにきてくれたのですもの」

 真顔で言われて、光昭が驚ききった顔をした。お前、なんて台詞……と、恥ずかしくて照れ隠しの言葉さえままならない。
 顔だけが正直に照れて、何だかとんだ馬鹿をやっている気がする。
 全然ダンディじゃないけれど、格好良くも渋くもないけれども、……ただの親父になった俺だけども、…………お前は俺を選んでくれるのか。
 加奈子。
 

 俺が来たおかげで変わったものがある。
 お前の運命。だよな。
 光昭は、妻の手を握りかえした。 
 
+++

 勇者殿、……と「世界」が口をつくる。

『積まれた困難も、それは、この地に来たミツアキ殿とティアーナ様が解決していかねばならないものなのです。分かりますか……不安かもしれませんが、20年前のあなた方を信じてくだされ。きっとこのアマツセナを救うと……、そして幸せになるように』


 白い眠気と光。霧のごとく身体を包んで、夢へと誘う。

 帰れる。
 と思ったと同時に、急に怖くなった。

 現実は、俺は、どうなっているのだろう。
 もしかして、まだ、妻に出て行かれたままの、行く先哀れな親父サラリーマンのままだろうか。
 加奈子の身体にしがみついて、引き離されないよう抵抗した。
 見たくない。
 いいや、見なければ。

 俺の人生はまだ続いている。


第21話 end