第6話 妻を探して
つう、と、きつい視線が寄せられる。
穏やかな巫女姫からは想像もつかないような、震える睨みだ。
怒りで、声もろくにでない。
動こうとすれば、両隣に配置された、男の部下に取り押さえられる。
ティアーナは、己が身の失態を、後悔していた。
二度の召還、あの隙をつかれて罪問われることになるなんて!
スゥトに弱みを見つけられないように、随分と苦労した分が泡となって溶けていく。巫女姫としての存在を、脅かされるように。
…勇者と一緒にアマツセナの世界を救おうとしていた、矢先に。
足元の、罠にかかってしまうとは。
目覚めると、迎えの列が扉の前に控えて、巫女姫投獄の準備はすでになされていた。これまで、幾度も跳ね除けてきたが、…その朝、ティアーナが、抗う選択肢はなかった。
アマツセナの城に、巫女姫と神政官を境にした派閥ができていることを、はっきりと知らないのは、異世界からの勇者、光昭くらいだったかもしれない。
教える暇もなかった。
スゥトがこんなに早く、仕掛けてくるとは思わなかった。
勇者を召還する時、…スゥトに陥れられる危険も覚悟して、…光昭を呼び出した。一度目の失敗、二度目の狂い、…それでも。
…できるならば、ミツアキ様に、ちゃんとお別れを言ってきたかった。
ティアーナは、蒼ざめて、喉の奥に言葉を飲み込んだ。
神政官スゥトは、ティアーナの様子を、見下し果てるように、嫌味な目つきで笑っている。
「やっと、捕まえた。…あなたには何度裏をかかれたことか。罪状をするすると、すり抜ける。かちりと私の手の中に落ちるには、小賢し過ぎたようだ。…民衆達が少々うるさいでしょうが、後でなんとでもなる。…これで巫女姫も終わりにしてやる、最後にして、ようやく…」
彼は、ちょい、と指を、首切るように左右に動かした。
「私を処分しようとするのですね」
「無論」
「…そうやって、先代の巫女姫様も手に掛けたのですね」
カタン、…スゥトの腕が大きく震えながら、ティアーナの首元を締めるよう掴んだ。
異常なほど、真っ赤になって、鬼か何かのようにぎらついた目で、ティアーナを睨み刺した。
「先代…。先代の巫女姫か…!? 俺が殺したと言われている!」
「…そう…ではない…の…ですか……?」
息が続かないティアーナは、途切れてかすれた音を必死に出そうとする。
スゥトは、姫の細い首を、一思いに折ってしまいたいのを、断片的に残っている理性で留めて、ずっと、かたかたと腕を振動させている。
…違う、と、…血が滲みそうな振り絞った呻きが、ティアーナの薄れそうな意識に聞こえた。
「…お前がいなくなっても、次の巫女姫が現れる。俺はアマツセナから、お前達を消し去りたくて、…勇者も目障りだ」
「ミツ…アキ様は、…悪くあ…りません」
「同罪だ。…教えてやろう、…アマツセナの世界が、こんなに狭いのも、それが巫女姫の力によって、保たれているといわれているのも、…正直、狂気のなせる業だ。俺が狂っているというなら、…巫女姫派に今まで抗って、悪い奴だといわれるのなら、…何故お前達が正しいといえるのだ?」
「それは…」
「どうして、勇者を召還した…!? 間に合わせの40の勇者でもいいから、化け物と闘わすか…? …巫女姫など、いなくなれ。この世界の異分子だ」
ふっ、とスゥトはティアーナの首筋から手を離した。赤く浮き上がっている。スゥトは手加減というものをしていなかった。
ゴホ…、とティアーナが苦しそうに、息を吐き出した。
「先代…、…巫女姫…様……は…?」
少し、うつろな、黒髪の少女は、…神政官の青年を、ぼんやりと見つめた。
「…死んださ。この世界の不条理さを恨みながら。…俺が看取った。ティアーナ、…だから、お前が余計に許せない」
「20も歳を重ねてない齢だった…のに」
美しい人だったと聞いている。以前の巫女姫が亡くなると、新しい代が選出される。…わずか二年足らずでティアーナのところに回って来たので、その儚さや哀しいばかりだ。
「私が、…城に来た時から、あなたは睨み嫌悪していましたね」
「巫女姫なんて、金輪際出てこなければいい」
「…」
嗚咽が聞こえる。汚くて、…現の、…人の自嘲が。
「アマツセナを守る…? 勇者召還して、お決まりの退治でできるものならば。俺が守りたかった…ものは。…ああ。俺が、神を手に掛けてでも…守りたかったものだったの…に」
血が…流れそうなどろどろの言葉。
この男は、どんなことがあっても、憎み続けるだろう、恨み続けるだろう、…ティアーナはあまりにも強い、痛みに、悲鳴をあげそうになった。
その悲鳴に共鳴するような、警音。
「果て、が……!」
行かなければ、とティアーナが動こうとする。途端、両横から押さえられた。
「スゥト、…お願い。行かせて下さい」
「ちょうどいい。勇者だけ外に出ればいい。無駄死にしてくれるだろう」
「そん…な…!」
クックッ…と、ひきつった、涙を吸い上げるような笑いをもらした神政官は、わざと、巫女姫の顔がよく見えるように、顎を持ち上げた。
+ + +
「大変です〜、巫女姫様がスゥト派の罠に陥れられて、捕まっております」
警音と同時に、コロナーが光昭のもとに飛び込んできて、親父は、はあ?と混乱しかけた。
情報が遅いと、大臣に怒りかけたが、…つい今しがた、確証を掴んだと説明されて、落ち着いてくだされと逆に返されてしまった。
ついでに、アマツセナの城中の敵対関係を、大雑把に把握することができた。巫女姫ティアーナと神政官スゥトの間には、光昭が来る前から、大きな因縁があったらしい。
「ティアーナを助けるには、どうしたらいい?」
「警音も鳴っておりますぞ…!」
「…俺一人で、相手できるはずがないだろう」
死ぬぞ、とぼそり、光昭は一人ごちた。初陣で、勝利を掴めたのも、ティアーナがいてくれたから。文字通り盾と剣になって、自分を勇者にしてくれたから、…でなければ、どんなに惨めなものだっただろう、鎧もない歳くった背広親父とは。
「巫女姫様の場所が、特定できないのです。朝から探しておりますが。…このままでは、城門まで化け物どもが押し寄せてきたら、…おそらく」
「…スゥトも、ティアーナを解放しなかったらどうなるか分かっているだろう」
おろおろとする大臣は、光昭を見上げながら、そうっと言った。
「あの男、神政官は、…実は数年前まで、素晴らしいアマツセナの統治者でした。巫女姫を助け、よく働いておりました。…しかし、…先代の巫女姫を好きになったのですな、アマツセナでは巫女姫の恋は禁じられております。…恋に狂った神政官は巫女姫を手に掛けました。以来…あのような成れの果てで」
つまり、狂気のために、どう行動するか分からない、と暗に、光昭に教えている。非常事態でも、巫女姫を闘いに出さぬかもしれないと。
しいっ、とコロナーは人差し指を口の前に立てた。内密に、の意味らしい。
キョトンとした、ころころした小さい大臣だが、意外に切れ者かもしれない、と光昭は一瞬思って、…記憶から消した。
「武器、…ってあるか? 本物の」
「ミツアキ殿、…まさか」
「言っておくが、巫女姫の加護を受けない俺は、普通の兵士以下だと思うからな。ティアーナを探しつつ、化け物も食い止めるよう手を打たないと、どうにもならないだろう。コロナー、手配は頼む」
「お…、お…気をつけて…」
了解しました、と小さい大臣は光昭に振って、あたふたと廊下を走り出した。
やばい…死んだらどうしよう、と、…光昭の心に、リアルな死が思い浮かんだ。
元はといえば、夢の中からぼんやりとやってきた異世界。
死ぬなんてことあるのだろうか。
いつのまにか勇者を引き受けていて、
いつのまにか馴染んでいたアマツセナの世界。
現実とはほど遠い。
こんな場所で、…妻を探そうとして。
警音が著しい。
城門の方角を見ると、まだ見慣れてはいない奇異の化け物が数を成しているのが見えた。
…俺、行かなきゃならない。
他の者が恐れて、城から踏み出せない中、光昭は一人飛び出した。どうせ、やられるのか、…何か予感がしていたのか、用意してもらった剣と、軽微な装備だけ羽織って。
ふうっと、何体かの化け物が、光昭を視界に入れた。
サクッと。
音がした。胸を貫くような、奇妙な安心感のある音が。
一瞬で。
見なくとも分かった。
左を中央の一体の大きな角に、突き刺されている。
あ……。
薄暗い、白い眠気。
これで終るのかという。
生暖かい感覚は、とろとろと、腹の辺りまで流れている。多分、血、赤い、…あれ。自分のやつ。痛ぇな…。
報われてない一生で。でも不思議にしょうがないかと思う。
加奈子に会えない。美弥に会えない。…そんな親父でしょうがないか、と。
ああ、全然勇者じゃなかったな、…と。
パタン、…と地面に重い身体が倒れた。お休み、と。
意識が朦朧として、すぐなくなる。
俺の終わり。
「…のに」
まだ続いていたのか。
柔らかい、つたう液体が触れる。
熱くて、離したくない体温と。静かな囁き。
一気に、己を呼び覚ます、…声。
「…捨てたくなかったのに。…私、あなたを…」
はっ…とする。
夢…じゃない。
光昭は、ゆっくりと瞼を開けた。
うっすらと、空気に溶けた妻の肢体が、血にまみれ、地面に倒れた夫の身体を包んでいた。
透明な、加奈子の姿。
「お前…」
話す暇はなかった。
瞬間、…化け物達が消滅するように消えた。
まるでなかったことのように。何もかも。光昭の傷さえも。胸の穴さえも、…何なんだ。
世界が揺らぐようなことが、いとも簡単に起こった。
加奈子…?と呼びかけようとして、…笑って、妻は消えた。お前はお前なんだよな、と問おうとして、返事を聞けなかった。
でも…天使でも、その反対でもないと悟った。混乱しなかった。
アマツセナという世界の構造を、…不条理にも、光昭は、本能で理解した。
…加奈子自身が世界なのではないか…と。
「ミツアキ様…!」
地面に寝たままの光昭の傍らに、ティアーナの声が聞こえた。
勢いついで来たために、息切れ切れになっている。
スゥトから無事に逃げてこれたようだ。
「ティアーナ」
「…はい」
これ以上ないくらい、ぼんやりとした親父の声が聞こえた。…理由は、…ティアーナには嫌になるほど感じられただろう。呆けてもしょうがない。
「説明してくれる…な?」
コクリ、と側の巫女姫が頷く。
世界が未知の方向へ回り始めた。
第6話 end
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